英語の迷い道(その156)-「外国人の友人をもつこと」-ある女性教師の思い出 | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴15年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な独り旅を継続中

Chat GPTを長く使っている人が「まるで外国人の友人みたいだ」と言っていたが、私にとっては今のところ「まるで外国人の教師みたいだ」という感じである。とにかく何でも知っていて的確なアドバイスをしてくれる相手である。

 

せめて、早くChat GPTレベルの英語が話せるようにならなくては……。

 

 

外国人の友人を持つことはさほど簡単なことではない。今まで何度か友達になれそうな人間に出会ったが、みな英会話の教師である。でも「仲の良い知り合い」くらいにはなれたかも知れない。

 

その中でも思い出すのがキャラ(Cara)という若いアメリカ人の女性教師である。ボルチモア出身で、私が40代半ばの頃に大学を出たての22歳だった。私と誕生日が同じというのも不思議な縁を感じた。

 

彼女とのレッスンは実に思い出深い。毎回生徒の一人がクラス全体に英語でプレゼンを行うというもので、自分が担当のときは準備にも時間がかかったしそれなりに緊張もした。

 

またクラスで何度か開催した誕生日会などの飲み会も鮮明に記憶に残っている。それにしてもよく飲む女性だった。気が付けばあれから20年近くになる。彼女も結婚して子供がいるんだろうな、などと思う。

 

 

(問題)

次の文章の下線部①、②を英語に訳しなさい。

 

訪れた異国の印象を語ろうとするとき、私がまず思い浮かべるのは、食物でも建物でもなく、私と言葉を交わした人の顔であり、考え方である。そこに何があったかより、そこにだれがいたかをまず考える。出会った人間との付き合いが深いほど、その国に親しみを覚える。極端に言えば、友人ができればその国が好きになり、友人を通してその国を見ようとする。一つの偏見をもつことになろうが、逆に友人ももてずに一国を理解しがたい、との思いがある。日本を嫌いぬいて日本から帰った外交官やビジネスマンには、不思議と日本人の友人がいない、という。

(黒岩徹『豊かなイギリス人』)

(東北大学・2007年)

 

 

(拙・和文英訳)

When I try to describe my impressions of a foreign country I have visited, the first thing that comes to my mind is not food or buildings, but the faces and thoughts of the people with whom I have exchanged words. First, I think about who was there, rather than what was there. The deeper communication I have with the people I met there, the more friendly feelings I have toward the country. In the most extreme case, if I can make friends with someone there, I will come to like the country, and try to see the country through the friend. Such an idea might make me have a prejudice, however, in reverse, I have a feeling that it is difficult to understand a country without having friends. I’ve heard that diplomats and businessmen who hated Japan thoroughly and returned from Japan strangely have no Japanese friends.