太極拳の「連」と「断」 (1) | 健康・護身のために太極拳を始めよう

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太極拳は、リラックスによるストレス解消、血行改善、膝・腰強化、病気予防などの健康促進効果以外に、小さな力で大きな力に勝つような護身効果もある。ここでは、中国の伝統太極拳の一種である呉式太極拳の誕生、発展およびその式(慢拳・快拳・剣・推手)を紹介する。

原文:周身節節貫串,無令絲毫間断耳。

訳文:全身における各関節を数珠のごとく互いに連ね、一刻     たりとも途切れることがないようにする。

 

怪我していない限り、人間の関節が元々連なっており、途切れることがありえない。なのに、何故わざわざ要点として取り上げられているのか。

 

「節節」は「鬆」を通じて体の各関節を最大限にバラバラ(「解体」)にするという意味合いが込められている。バラバラにする個所が多ければ多いほど、関節の強ばりによる動作の硬直さが解消され、動きがよりフレキシブルになる。とはいえ、バラバラにされた各部位を一本化するものがなければならない。その両方が実現されたら「節節貫串」になるのだ。

 

上記「節節」も「貫串」も動きながら実現させることなので、そこで「連」と「断」が問題となる。つまり、「鬆」を通じて各関節のロックを解除しながらそれらを通す何かを動きの最後まで連ねねばならず、途中で途切れることがあってはならないということだ。その何かが即ち「意・気」だ。

 

「連」とは連続、「断」とは断続の意味だが、太極拳の「無令絲豪間断耳」の「断」は外形を指すものではなく、「意・気」を指すものだ。太極拳の「しなやか」、「綿々と続く」といった特徴はあくまでも結果であって見せるために外形を作ったものではない。《十三勢行功心解》の中に『勁断意不断』(訳:勁が途切れても意が途切れない)の言葉がある。勁が「意・気」から生まれるので、モトさえ途切れていなければ勁が途切れることもありうるということだ。

 

「意・気」より外形の連続を優先すると「意・気」が追いつかず、筋肉による外形作りとなり、形の太極体操になってしまう。とはいえ、外形の追求は世の中の大半を占めている。これは「意・気」→「勁・形」が難しくて出来ないというより、美しく見せることを目的とする外形作りの太極体操を本当の太極拳と思い込んでいる人が多いからだ。

 

無論、「断」は求めるものではない。「勁・形」においてあっても、「意」においてあってはならないものだ。一方、「連」は「意」において求めるもので、「勁・形」において求めるものではないものだ。