動作が途切れることなく、ゆっくり綿々と続くことは太極拳に対する世間一般のイメージだ。その『綿々と続く』のが目に見える「連貫」になる。その外形の「連貫」を実現させるのは目に見えない体内の「連貫」だ。筋肉も目に見えない体内のものだが、局部的な筋肉の動きは体内の「連貫」がつくれないどころか、むしろ阻害するものになる。これは「用意不用力」という太極拳の基本的な要求と一致する。局部的な筋肉の動きが力によるもので断続が避けられないからだ。体内の「連貫」をつくるのはやはり「意」だ。
体内の「連貫」を阻害するものは以下に例として幾つかを挙げる。
1) 局部的な筋肉から発する力
2) 各関節が「鬆開」の状態に達していない。
3) 体内の「中正」がずれて「気」の上下通路が出来ていない。
4) 「意」を一極集中しすぎて陰陽虚実を呈しない。
5) 外見を優先し、「気」が追いつかない。
上記1) は「連貫」を阻害する最大の要因だ。力は体内の「気」の通路を寸断するため最大の障害物とされる。「意」に伴う「気」が体内の経絡を巡ってはじめて「意」による「連貫」が可能となる。2) は同様の原理で「気」が開かれていない関節によって阻まれるのだ。3) は太極拳の熟語で「合」と言うが、頭部と手足を含め、主として上半身と下半身の位置関係、地面との位置関係のことを指す。上下一体となって重力並びに地面からの跳ね返しの利用でより「連貫」の実現がしやすくなるのだ。4) は「意」の掛け方、つまり陰陽の問題だ。「気」は「意」に伴うもので、「意」と重なるものではない。直流電気が+と-の両極で流れる現象と酷似する。「気」の流れがなければ、体内の「連貫」が語られないのも当然のことだ。5) については前回の記事にも触れたが、優先順位を間違えると本当の太極拳から遠ざかる。但し、前述のように体内諸条件のハードルが高いため、「気」がついてくる前に外形が止まる可能性があるが、止まっていても待つ必要があることは『勁断意不断』の言葉の通りだ。無論、これは望むことではなく、あくまでも方法論だ。