9月13日はミャアミャアの1周忌です。
ミャアミャアが天国に旅立って、早くも1年が過ぎました。
祭壇には好きだったゴハンやちゅーるをお供えしました。
テジとミャアミャアが若い頃はよくバトルを繰り広げていました。
最近は体重差でミャアミャアが嫌がるので、バトルの前に飼い主が仲裁していましたが、過去にはミャアミャアがテジを投げ飛ばしたことがありました。これには動画を撮影していた私も声が出そうになりました。
柔道でいうと「柔よく剛を制す」といったところでしょうか?
詳細は以下をご覧ください。
家に来た当初、二匹は若かったので、オモチャで遊んでいました。
若かりし頃のミャアミャアの華麗な宙返りをご覧ください。
テジ編をご覧ください。
現在、オヤジ猫になり、体重も増えているので、オモチャには見向きもしませんが、若い頃はこんなこともやっていました。
相模大野・駅前商店街から私のマンションに連れて来られた二匹は最初の夜を電子レンジの裏で過ごしました。
二匹が暮らしていた場所は、環境的には綺麗とは言えないところで、猫嫌いの人もいたので安心できる住処ではなかったと思うのですが、
住み慣れていたところからいきなり知らない場所へ連れて来られて大変だったことだと思います。
キャットタワーの上で少し緊張気味の二匹
⑥テジは夕方になるとリラックスしている様子でした。
これからずっと部屋で生活してもらうので、テジをシャンプーすることにしました。
お風呂場に連れて行ってシャンプーすると凄い声を出し、心配したミャアミャアがお風呂場の入口まで見に来るほどでした。
風邪を引くといけないので、シャンプー後は電気ストーブの前で乾かさせました。
シャンプー後は綺麗になりました。
テジが慣れるのは時間の問題と思われましたが、ミャアミャアはその後・・・・
部屋に連れて来て、すぐに順応するテジとは対照的なミャアミャア・・・・
テジはまるで最初からこの部屋の住人であるかのような寛ぎっぷりでした。
私が帰宅すると警戒して手が届かないクローゼットの引き戸の上に見事に移動していました。
夜になると、更に私の手の届かないベッドの下に籠って夜鳴きをはじめ、最初の1週間は籠城生活でした。
そんな時、相棒のテジは何をしていたかと言うと、お構いなしで布団の中でオネンネしていました。
さすがに睡眠不足状態が続いて参ってしまったので、1週間後、ベッドを立てかけて入れないようする荒治療をすることにしました・・・・
ミャアミャアがスリスリしてきた時は猫達が面倒を見てた頂いていたことは知らなかったので、餌をやるようになりました。1匹の猫と仲良くなると、他の猫達も信用してくれたようで、駐輪場の猫達と仲良くなるのに時間はかかりませんでした。
いつしか、私が駐輪場に行くと、猫達が私の回りに集まってくるようになりました。
私の手前にいるのが、ミャアミャアです。
テジはお店の方が置いた発砲スチロール箱に良く、座っていて、箱の中に入ることもよくありました。
この写真は猫達の餌をやっていたところ、後ろでゴソゴソする音がしたので、振り向いたところ、箱の中から現れたテジの様子です。
そんな時、ミャアミャアは1匹の子猫を出産します。本当は何匹か出産していたと思われますが、1匹しか生き残れなかったみたいです。ミキと名付けられた子猫はとても人懐っこくて可愛く、すぐに里親が見つかりました。
ミャアミャアは臆病な性格でなかなか人に懐くことはなかったようですが、私の姿を見つけると、喉をゴロゴロ鳴らしながら、スリスリして来ました。それを見た栄千の板長さんが「ミャアミャアがこんなに懐くなんて凄いなー!」と言っていました。
この頃、私は毎日夜遅くまで仕事してして、大変な状況だったのですが、駐輪場の猫達に癒されていました。
こんな生活が長く続くといいなー!と思っていたのですが、ある日、栄千の女将さんからあることを聞かされます。
それは相模大野駅の駅前再開発によって、2009年3月で立ち退きをしなければならないというものでした。
そこで私はテジを引き取ることに決めました。
もちろん、テジだけではなく、テジと仲良しで私に懐いてくれていたミャアミャアも一緒にと考えていました。
これには板長さんも快諾してくれて、2009年3月14日に引き取ることにしました。テジは人懐っこい性格だったので心配はしていませんでしたが、ミャアミャアは臆病な性格だったので心配でした。
栄千の板長さん、女将さんに抱っこされているミャアミャア、テジ
駐輪場に来ると、私の姿を見かけたミャアミャアはすぐに近寄って来たので、なんなく抱っこしてキャリーケースに入れました。そこから、部屋に帰るまで鳴き続け、相模大野駅地下の駐車場までエレベータで降りたのですが、かなり恥ずかしかったです。
部屋に着くなり、ミャアミャアはベッドの下へ直行・・・・
続いてテジを連れてきたのですが、こちらもミャアミャアが居るのが分かったようで、ベッドの下へ直行・・・
しばらくして、キャットタワーに登らせてみたのですが、慣れない環境のせいか普段とは違う様子でした。
この日は電子レンジの裏側で夜を明かしたようでした・・・・
ミャアミャアとの出会いを記録に残すため、記事にします・
ミャアミャアと私との出会いは2008年頃でした。
当時、神奈川の相模大野駅(小田急線沿線)から徒歩20分くらいのマンションに住んでいました。
自宅から駅まで通勤するのに駅周辺の駐輪場を探していたのですが、どこも空きがなく、駅前の商店街を歩いていたところ、個人経営の駐輪場を見つけました。
当時の駅前商店街の写真です。
そこは昭和感漂う商店街で、駐輪場も20台くらいの駐輪スペースがある民家の軒先にとめて定期的に大家さんのお金を支払うシステムでした。
駐輪場の間取り
駐輪場の横には大家さんの自宅と栄千という小料理屋が隣接していましたが、ここに野良猫が居ついていたのです。
野良猫が居ついていたのは栄千の板長、女将さんや駐輪場を利用する猫好きの方々が面倒を見ていたからのようでした。
ある日、駐輪場に止めた自転車に乗って帰宅しようとした私に一匹の猫がスリスリしてきました。
それがミャアミャアだったのです。
ミャアミャアとテジ
お昼寝しているミャアミャア