八溝山のヤマドリと 対馬のヤマショウビン | ウキウキ釣り日記

ウキウキ釣り日記

陸っぱり小物釣りとバードウォッチングの日記です。

バーダーという言葉がある。珍鳥を追い求める人とか、見た鳥の数を競う人とかいう意味らしい。
日本の野鳥を300種見るのが生涯の目標としている私も、バーダーと言っていいかもしれないが、一般種も好きで、見た鳥の種類が増える可能性のない山中湖や奥日光にちょくちょく行っているから、私はバーダーというよりバードウォッチャーだと思っている。


コガラ (2020年5月1日 日光戦場ヶ原)

さて、昨日の8月21日は夏休みを利用して、妻と二人で北茨城~大子町の高原ドライブへ行って来ました。


常磐道を高萩で降りて、まずは高戸小浜へ。
日本の渚100選に選ばれた美しかった入江は、今や見る影もなく、なんだか汚い浜に変貌していた。
サザエ養殖のためか、入江の潮の出入り口に石を積んだため潮通しが極端に悪くなったのが、汚くなった原因かな。
20年程前、ここでテントを張った思い出の場所だけに残念だ。
その時、夜のちょい投げでイシガレイが2尾釣れたけど、潮通しが悪くなった今はカレイは望めまい。

高萩から内陸部へと入り、花園渓谷へ。


花園渓谷まで上がって来ると、酷暑は和らぎ爽やかな高原の雰囲気だ。
8月はもう野鳥は囀ずらないから、オオルリなどを探すのは難しい。

まあ、鳥見が目的ではないので、すぐに花園渓谷を出発して、福島県塙町を通って、茨城県大子町の袋田の滝へ。

これは入り口付近。入場料は300円だった。

最近、エレベーターで観瀑台まで上がれるようになって、このアングルで袋田の滝を見るのは初めてだ。

せっかく大子町まで来たのだからと、茨城県最高峰の八溝山へ行くことになった。
茨城県最高峰といっても標高1022メートルしかなく、栃木・茨城・福島三県の県境の山だ。
なんでも、ブナ・ダケカンバを主とする広葉樹の原生林は一見の価値があるとのこと。
車はどんどん山奥へ入って行き、八溝山登山口は鬱蒼とした原生林の中にあった。
原生林に阻まれて山頂どころか中腹も見えない。
登山口からは、すれ違うのに苦労しそうな細いつづら折りの道を時速20キロで上がって行くと、頂上付近に神社の鳥居があった。
八溝山の頂上には山そのものを御神体とする八溝嶺神社がある。
鳥居をくぐって、赤トンボなど虫だらけの石段を上がっていくと、神社の左側に城を模した展望台があった。


あいにく霞んでいて眺望はいまいちだった。

帰りに鳥居の所で「お邪魔しましたー」と大きな声で八溝嶺神様に感謝でご挨拶させて頂くと、「うむ、わかった。その心掛けやよし」と八溝山の神様がとてつもないプレゼントをくれたのでした。
つづら折りの道を来たときと同じ時速20キロで降りていくと、前方にキジ科の鳥がつがいで散歩していたのでした。
オスの方を見ると、赤茶色の模様のある異常に長い尾、わっ、ヤマドリだ!!
「ヤマドリ、ヤマドリ、ヤマドリ、ヤマドリ、ヤマドリ」と興奮気味に妻に教えると、「ふーん、キジとどこが違うの?」と事の重大さが分かっていないのでした。全然違うよ。

ヤマドリは、柿本人麻呂の短歌のお陰で名前が有名だから、普通にいる鳥という感じがするが、実はなかなか見ることができない鳥なのだ。私も昨日が初見だ。
ちなみにその人麻呂の歌は、「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」だ。
この短歌は学校の古文で必ず習うから、知らない日本人はいない。

生涯で300種見ることが目標だが、ヤマドリは 289種目だ。
ちなみに288種目は、今年の3月22日のタンチョウだった。

ヤマドリの写真は撮れなかったから、「フィールドガイド日本の野鳥」から高野伸二さんのイラストを。

キジとは全然違うよね。特にオスは。

余談だけど、このイラストを描かれた高野伸二さんとは、一度だけお会いしている。
1980年5月4日、対馬の佐護地区だ。
夕方、佐護川に架かる橋のたもとで高野さんは、ひとり腰を据えてブッシュの中のキマユホオジロの群を観察されていた。
私も隣に座ってキマユホオジロのオスとメスの眉斑の違いなどじっくり観察することができた。
「あなたは◯大の人ですか」と高野さんは私に話しかけてくださった。
「いえ、私は違います」と答えると、「可哀想に、◯大の人たちはまだ何も見れてないそうです」と高野さんは言った。
そういえば2日前ぐらいに、ブッシュの中にコホウアカのメスがいて、◯大隊は高野図鑑(小学館発行「 日本の野鳥」)を見ながら、種を特定しようと、ああでもないこうでもないとやってて、ついに「ダメだ!こんな図鑑」と言い放ったのでした。
近くにいた高野さんはすかさず、「すみません」と言ったので、高野図鑑にダメ出しした学生は「えっ?えっ?」と狼狽しまくったのだった。
そんなことがあって高野さんは、◯大隊を気にかけていたのだろう。
対馬で◯大隊にダメ出しされたことで、その後、高野さんは「フィールドガイド日本の野鳥」の作成に注力される。
せっかく高野さんと話す機会ができたので、一番知りたいことを質問した。
「ヤマショウビンは今年も来るでしょうか?」
すると高野さんは、「来るよ。今夜来る。今夜来なかったら、明日の朝来る。去年はあの木に来た。一昨年は向こう側のあの木に来た」と躊躇なく答えてくださったのでした 。

佐護川河口のキャンプ場に戻って仲間に高野さんの言葉を伝えると、速水有人は「本当に高野さんはヤマショウビンが今夜来ると言ったのか? 信じた!」と甲高く叫んで、今夜の船で帰る予定だったのを即座に1日延ばす決断をして、翌5月5日は我々4名はヤマショウビン捜索に全力を尽くすこととなった。

運命の1980年5月5日の朝。
ほとんどが前の晩のフェリーで帰ったので、昨日まであんなにいたバードウォッチャーがまったくいない。
同期の東君とヤマショウビンが来ると想定される佐護川左岸を歩いていると、異様に目立つ翼の斑紋の鳥が、海側から飛んできて対岸の林の中に消えたのだった。
高野図鑑のヤマショウビン飛翔図を見ると、まさにその斑紋だ。
あわてて川の浅い所を横切って対岸へ。
他の仲間も何事かとやって来て、我々4人でヤマショウビンを探すと、程なく青と赤と黒の派手派手のヤマショウビンが見つかった。
ヤマショウビン見れたのは高野さんのお陰だから高野さんにお知らせしようと、相棒の東君がまた川をじゃぶじゃぶ横切って、高野さんがいると思われる方へ走った 。
東君は、高野さんだけではなく、高野さんの奥様も連れて帰って来たのでした。
もういいというまでヤマショウビンを見たあと、高野さんの奥様から、「その濡れたズボンになんと言ってお礼を言ったらいいか分からないわ」と言っていただき、我々は感激で胸がいっぱいだった。