アレクサンドル・デュマによる小説。
フランスの片田舎ガスコーニュ出身の
若者ダルタニャンが、
立身出世を夢見て、
銃士になるべく都会パリに出てきて、
銃士隊で有名な
アトス・ポルトス・アラミスの三銃士
と協力しながら、次々と迫りくる困難を
解決していく物語である。
フィクションだが、
ダルタニャンを始めとする実在人物や
ラ・ロシェル包囲戦などの
史実が多く登場する。
日本では『三銃士』のみが有名だが、
『三銃士』は第1部に過ぎず、
全体の分量からも4分の1以下である。
続編に第2部『ニ十年後』と
第3部『ブラジュロンヌ子爵』がある。
3部作をまとめて
『ダルタニャン物語』と呼ぶ。
表題の銃士とは、もともと
最新式のマスケット銃を装備した乗馬歩兵で
竜騎兵の一種だが、
話の中で銃戦闘を行うことは少なく、
剣での戦闘を主にしている。
ラグビーなどで有名な言葉
「一人は皆の為に、
皆は一人の為に」
« un pour tous, tous pour un. »は、
本作が出典である。
1700年頃にケルンで刊行された
「銃士隊長ダルタニャン氏の備忘録」と
「ラ・フェール伯爵の備忘録」と言う手記には、
ルイ14世親政初期に
フランスの王室でおきた数々の事件と
アトス、ポルトス、アラミスと言う
不思議な名前の人物が登場していた。
これに関心を持ったデュマが
これらをベースに
このロマンを制作した。
どうだったのでしょうか?
1622年ルイ13世直属で
新型のマスケット銃を装備した部隊が
三銃士のいた近衛銃士隊です。
隊長がベアルン出身の武将
トロワヴィル伯爵ジャン・ド・ペレだ。
三銃士の面々は実際に存在しており、
まずはアラミス、
実名はアンリ・ダラミツと言う貴族で
隊長の甥だった。
彼の入隊はダルタニャンと同じ1640年、
また1654年に結婚し
4人の子供を授かった。
アトスは実名アルマン・ド・シレーグ・ダトスで
アラミス同様1640年に銃士隊に入隊し、
非常に残念なのだが
1643年に28歳にして
決闘によって死亡している。
ポルトスは実名イザアク・ポルトーと言う。
1643年に銃士隊に入り2年間在籍した。
彼の生家ポルトーの城は今もある。
そして主人公ダルタニャン、
彼の実名はシャルル・ド・バッツ・
ド・カステルモール・ダルタニャン(ド・アルタニャン)伯爵で
1615~1620年の間にアルマニャックで生まれ
母方のダルタニャン姓を名乗り
1640~1644年銃士隊に入隊した。
しばらく銃士隊にとって大きな戦闘はなく、
決闘三昧の日々を嫌い
マザラン枢機官は1646年に銃士隊を解散。
ダルタニャンはマザランの手許に残り
フロンド時代に隠密としてのを任務を遂行。
そして1657年ルイ14世は
名誉ある銃士隊を再結成、
16~17歳の上流貴族の青年を
推薦によってのみ入隊させたエリート部隊だ。
1663年さらに増援部隊として
第2銃士隊が結成された。
隊長はマザラン枢機官の甥
ヌヴェール公だったが後に退位し
ダルタニャンが銃士隊隊長代になる。
1659年ダルタニャンは結婚している。
1661年国王の命で財務卿ニコラ・フーケを逮捕、
1665年フーケをピネロルへ護送。
そして1673年6月25日にマストリクトにて
戦死することになる。
ヴェルサイユ宮殿の戦死の間に
シャルル・ド・バッツ・
ド・カステルモール・ダルタニャン伯爵の名は刻まれている。
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