能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


パッショネ リトロヴォ キリコ

0767-53-3099

info@kirico.co.jp

facebook パッショネ リトロヴォ キリコ

住所 石川県七尾市府中町員外52-1

〒926-0041


場所が分かりにくい方は、動画でどうぞ。

Youtube 能登半島のイタリアン Kirico 七尾市食祭市場横 で検索して下さい。



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素晴らしいアンドリューのサポートシーン。彼はとても大きな功績を残してます。来年が楽しみです...

会場は1000人以上入っており、とても盛大なパーティーでした大事な組織名の変更したスター...

時の流れとシーンから見える世界観と未来

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


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能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


言葉に答えがある事ではなく。

日々の事がすべてだと思う。

何もかもホッと出来る事が、何より有難い。

思えるシーンには、嘘が無い。

友人が、連絡をしてくれた時に、始めて存在を知る空間。


精進するのは、当たり前。

忙殺する事で、時間を感じつつ、イーハートーヴなりますね。

気候も良くなってきましたが、まだまだ分からない冬の終わる季節でもあります。

ひとつ進む事は、何より大変な事ですが、頑張って行くだけですね。


中川一政 真意の中に見える風景

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


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能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


ここには、そして、今も未来も過去も映る言葉です。

だからこそ、美しい思いだけではなく、魂の揺らぎがあるのでしょう。

言葉であって、言葉ではない。

私自身も同じように、それを思って来ました。

そして今も変わらず。

だから、それが何を言っているか?

これからも、ずっと作り続けるすべてが私の作品なのだろうと思っています。

思い違いになろうが、私は私にしかない思いがあります。

常識ではないシーンもありますが、それもまたプロデューサーとしての役割でもあります。

さて、ひとつ。

そして、ひとつ。

また、ひとつ。

思いがけないシーンが、遠くまであるように思います。

でも、それがわからないようなわかるようなシーンが、とても面白いのです。

新しいスタートに向けて、今は、展開を変えつつありますね。

切り替わった後が、一番大切であり、その前もまたしかり。

今日は今日で、ゆっくりと過ごしたい気もしますが、大車輪で時間が流れています。

時間無いですが、頑張って行きます。

中川一政の言葉が、たまには見たいと思っている私の生き方ですね。

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春風、春の海、海の空。

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶



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能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


季節もいい時期になりました。

桜も咲くころに近づきましたが、なかなか険しい日々は変わりません。

新旧交代もある時期ですね。

私の役割もそうですが、それぞれにネクストで有りたいものです。

土を見る事が、多くなった最近です。

そして、今日はある方が結婚する日でもあります。

天気も晴れで、いい宴になることでしょう。

本当に、いい未来があるように願っています。

言葉ではない心で願う事が、とても大切に思っております。

日々が、いろいろと目まぐるしいようですが、頑張って行きたいものです。

海は、とても青く空は白く、鉛のような重たい自然の流れから変化する三月ですね。

向こう側に見える、新しい未来がある事は何より素晴らしい事です。

風も強い春ですが、頑張って今日も過ごすスパイラルがいい展開になるでしょう。

昨日の新しい答えが、今日の私を救ってくれているように思いますね。

感謝、有難うでは語れないモノがある今日です。

頑張って有難い今日を、しっかりと展開して行きましょう。

珠洲焼 窯跡と陶片

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


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能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


ここに来始めて、もうかれこれ20年近いですね。

いつも、見る事も体験もすべてつながっています。

奥底に見えるシーンは、何より美しいモノを生み出す穴倉ですから・・・

自然の中には、本当に少ししか見えない何かがあります。

陶片は、見たまま答えを生み出しています。

きっとそのまま何かを描くように…

焼き方も、土も、様々に残してくれています。

山を歩く事は、最近出来る機会がありません。

ですが、思い出すことはシーンに存在しています。

だから、思い出す事が簡単明瞭に出来るわけです。

理由なく、ハイスペックなモノを出して来るものです。

たわいもない話ですが、これがあるから生まれるモノづくりがありますね。

こんな窯は、全国では大変珍しいモノです。

見る価値はあります。

陶芸が関係無くてもですがね。

行かないと分からない答えのあるシーン。

今日もすべてが重なり合って始まるモノです。

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春の訪れから生まれる新しいイメージとリアル 

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶



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シーンには、凛としたモノがあります。

すべてに美しいモノを与えるリアルがあります。

時代に啓蒙したモノづくりがいいのか。

誰とて歩む道ですが、かなり厳しい時代ですね。

正しいだけでは、難しいのでしょうか。

私にとって、このリアルなすべてがそれを変えて行きます。

納得出来る出来ない。

それもまた同じですね。

休みなく駆動する感性も、何より大事な原動力です。

それは、何もないシーンから得れるモノです。

明日も明後日も、昨日も一昨日もなく、今ですね。

螺旋する流線型のような思いが、今日もあります。

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新宮殿擂座壺と古備前と藤原備前

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能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶

藤原備前というか、藤原啓先生が造り上げた世界を四年お世話になりました。

雄先生と言う素晴らしい国際感覚を身に付けた陶芸家の中で、たくさんの学べない現実を頂きました。

もうこの世にはいませんが、今でも本当に感謝しています。

絶対に生きていて無い現実や仕事をさせて頂き、大きな結果もお手伝いさせてもらい、未だに心から思う気持ちです。

人間国宝になる所までは、私自身は体の体調を崩し弟子として断念した事は、何より悔やみきれないモノがありましたが、こうして時間が経つと私の中にある大事な人とどう向き合うかを教えて頂いた気がいたします。

若輩で、たくさん工房に戻る事や助言された事を、すべて断ってしまい周囲の私を思って下さった方にはそぐわない生き方で、ここまで来ました。

しかし、古備前を教えてもらった藤原啓記念館に来れば、そんなことも暖かく思えます。

何かをすることは、何かが起きるわけで、潤沢に歩く道ばかりではないモノだと思っております。

江戸時代の人情も無い時代ですが、私の周りは心情熱い人が多いように感じます。

藤原備前での思い出は、少しづつ語る時期も来たかなと思っています。

今書いたとて、過去に拭い切れない事があったのも、本当に今となっては精神の糧となりました。

備前の土は、とても素晴らしい才能を持っています。

そして、何より美しい現実を与えてくれます。

ですが、猫に小判。

そのぐらい、どんな土にも答えが違うモノがあります。

大きな甕を見ると、昔、300人以上のお客様が来て接待の準備やら料理をしたことも思い出すモノです。

今は昔。

諸行無常の響きあり。

ヤキモノ人生が、ちょうど28年前の3月から始まったのも運命なのでしょう。

私に、すべての関わったこの世から旅立たれた方へ。

合掌。

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瀬戸市 角松屋思い出がたくさんある街と店

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


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能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶

懐かしいお店、鈴木先生や様々な方と交流した、この瀬戸市。

本当にいいお店です。

三国うどんなのですが、これがなんともいい。

昔はここで、良くお酒を飲みました。

そして、たくさんのヤキモノ談義もしたり、様々なシーンがあります。

私にとって、ひとつ気持ちが落ち着く場所です。

友人と再会もしながら、このうどんを食べました。

だから、心から嬉しいというか、すべて重なるものだと思いました。

しかし、この街も今は大変です。

それもわかります。

どの伝統産業も同じ。

なんとかしなければならないですね。

私も、この再会と共にいろんなシーンを巡らせました。

頑張って行かないといけないですね。

今日も、春めいた日本でスタートです。

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はながらす 中川幸夫 長き時と心の中から幻影するカタチ

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


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この本は、1993年に生まれたものです。

先生が、上越クリスタルで作品を職人に造って頂いたものです。

しかし、それはまた大変だったようで、職人と喧嘩したりモノが出来なかったりしたようですが、先生の言う何かをわかった瞬間から、それ以上のモノが生まれたと教えてくれました。

ガラスの世界も、言葉も、カタチも、すべてにシンクロしたスパイラルがあります。

この本は、二冊あります。

大事に取って置いたものだと思いますが、他にも頂いています。

そして、まだ私の手元にたくさん残っています。

はながらす。

タイトルも、作品も素晴らしい。

まあ、この個展も一切を販売せずに終わっているそうです。

ですが、また面白い話もあります。

伝えれないリアルですね。

心から生まれるシーンは、こうした器に何かを封じ込めています。

たとえ、別人が造ったとしても、美しいモノには理由がありません。

見たままが、シンプルで美しい。

コムデギャルソンの川久保玲さんの青山店で、個展をしたときの事も…。

モノから生まれる心のシーン。

何にも変えられません。

そして、今の私にはそれが有難いと思う。

美は、理由なくシンプルで心の中を射止める。

抉るでしょうね。

負けない事も、続けることも、理不尽も、何もかもが足りないぐらい必要で、決して満り足りるモノなどない。

だから、今もそう一心に思い造るために、すべてを歩いています。

そろそろと思う感じもしますが…。

ワザも心も素材も何もかもが、この一冊にはあります。

そして、石版の技術を使ったこの本が何より先生の人生の証明だと言えるから、有難い授かりモノですね。

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