能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶 -4ページ目

能登中島 雪の中美味しいカキ料理を「みつこま」さんでクッキング 七尾市

能登半島の土で暮らす芸術的な日々 半陶


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朝から雪が降って来ました。

本当に、お客様が来るのを見計らって、素晴らしい能登の冬景色のスタートになりました。

今日は、みつこまさんのお手伝い。

カキ焼の大人数なので、なかなか大変でした。

それまでも、仕込みに段取りやら、本当に面白い仕事となりました。

私も、昔の経験も生かしつつ、いろいろとお手伝いと段取りをしていました。

少し遠方から来られるお客様なので、いい思い出になるように、みなさん頑張っていました。

久しぶりに、地元の話や会話をしつつ、牡蠣をクッキングしました。

いろんな気遣いの中にあるので、みつこまさんならではの方法には、勉強になりました。

これだけこなすのは、とても大変な物です。

今年、全国の牡蠣が生育がアンバランスなので、殻より実が小さかったり、本当に大変な牡蠣の一年です。

新カキもかなり収穫も出来ずに、大変苦労しています。

今回は、それでも新カキをお出ししました。

ですが、口が固く、なかなかの苦戦を強いられました。

口が開かないのは、生育の問題で、決して死んだ牡蠣ではないのです。

死ぬ時は、海の中で口を開けているので、まずないことなのです。

さすがに、団体さんなので、結構美味しく出すのには、苦労しました。

昔、弟子時代に300人ほどのステーキを焼いた事がありますが、まったくもって火炎地獄だったのは言うまでもありません。

炭火で2俵を火起こししたので、本当に大変だった記憶があります。

それよりはマシですが、やはり室内なので、より一層対応に追われました。

お客様もお帰りには、美味しかったし、プライベートで来たいと行ってくださり、本当にいいシーンのまま終わることが出来ました。

戦場のような状態も片づけのまま引き続き増した。

みつこまさんは、手作り基本の完全予約制です。

でも、最近、朝一番に電話があり、昼にお願いしますといわれるので、結構困るそうです。

やはり、時間をかけて、準備してお待ちするので、出来れば2~3日前にお願いしたいものです。

夫婦、円満に、いい料理を能登料理でお出しするみつこまさん。

牡蠣が食べれない方には、お魚も能登牛もご用意出来ます。

能登中島で30年以上、しっかりと根付いた美味しいお店に、ゆっくりと来て頂きたいものです。


ろばた焼 みつこまさん


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手作りと基本 現代の飲食とは?  

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今は、加工食品が主流になってしまい、本当に味に慣らされている現代です。

そして、その方が簡単であり、何も労せずして「なんとか風味」や多店舗が出来る時代になりました。

手作りが、本当は当たり前でしたが、人件費や手間、仕入れ、無駄が増えた事で、カットされて来ています。

しかし、それでも努力をして行くことが必要だと思い、必死に手作りを心がけています。

梅ご飯も、そのひとつ。

美味しいリアルは、何より素晴らしいものがあります。

レシピも大事ですが、そのプロセスもそうです。

深い積み重ねが、一つづつ生きて来ています。

時間をかける中に、今の瞬間があります。

それぞれが、経験して来た中で、スパイラルするものですね。

いつまでも、一生懸命努力して行くことが、何より大切な瞬間を生み出して行きます。

雪も降る中ですが、暖かい家庭料理でもない、ベテランの味が生きているお店は、昔懐かしい食堂の現代版である気がしてなりません。

いつまでも、ずっと、美味しい瞬間に恵まれるように頑張って行きたいものです。

心で見る事が、ひとつを生かしていくのでしょうね。

湯けむりに見える息遣いは、たまらなく心を誘う物があります。

今日も、いい日であるように願いつつ、ひとつに前向きになって行きたいものです。

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左議長 地域に育まれる史実なるシーン  金沢市

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朝早くから、本当に大変でしたが、谷口くんが地域のお手伝いに参加しました。

本当に、前向きに一生懸命頑張っています。

地域の方は、たくさん人数も来ていたようで、知人がいない不思議な時間を過ごしたようです。

こうして、積み重ねる史実は、彼にとって大事な時間となることでしょう。

この新保本は歴史も深く、とても素晴らしいものがあります。

境内には、消防の歴史が素晴らしいシーンで残されています。

とても、大切な何かをここで見つける事が出来ました。

私も、時間違いですが、参って来ました。

そんなシーンもなく、静かな和みの後を感応しました。

雪も降ってもすぐに融ける日々で、足場はいいですが、この街にも雪が似合うものだと思いました。

仙台でも、これとは違った大崎八幡神社のどんと祭がありましたが、ふんどしと鉢巻して、口に和紙に五円を挟んだものを加えて何十キロも歩いて参った事も懐かしく思い出すものでした。

どんなに時間が経っても忘れない大切な史実は、何かこうした瞬間に生まれてくるのでしょうね。

いい加減な私の生き様も、なんだかんだと人の思惑でないが故に、大いなる誤解を招くのも致し方ないと思っております。

人は絶対に死ぬわけですから、それまで、どうして生き長らえるかという事が大事なのだろうと思います。

昨年お会いした中に、とても私に似た以上、すごい生き方に出会った事は、今の私の思考をも整えてくれた気がします。

生きているうちに、どれだけ正しいという感じを書けるのか、なんとなく筆にとって書いてみる小正月でした。

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The Water is Wide 私の生きるシーンかも知れない



The water is wide I can not get o'er

海は広く僕には乗り越えられない。

And neither have I wings to fly

空を飛ぶ翼がある訳でもないし。

Give me a boat that will carry two

小舟を下さい、二人を運ぶための。

And both shall row my love and I

二人で小舟を漕ごう、愛を乗せて。

Where love is planted O there it grows

愛が根を下ろし、育まれる。

It grows and blossoms like a rose

育まれ、バラのように花開く。

It has a sweet and pleasant smell

甘く心地よい香り、

No flower on Earth can it excel

地上で最も美しい花。

I leaned my back up against an oak

僕は樫の木に寄りかかった。

I thought it was a trusty tree

とても頼れる木だと思った。

But first it swayed and then it broke

けれど直ぐに傾いて倒れた。

And so my false love did unto me

同じように偽りの愛は僕を打ちのめした。

O love is handsome and love is fine

愛は凛々しく、そして愛は繊細。

And love's a jewel while it is new

それは最初のうちは宝石のよう。

But when it is old it grows so cold

でも次第に凍り付いてゆく。

And fades away like morning dew

そして朝露のように消えてゆく。


いつまでも、心に残るシーンがある。

それは、理屈や感情ではなく、本当に感性のままである。

誰がどういっても、変えようのないモノがある。

しかし、いつも現実は何より厳しい。

人は、一瞬で忘れる努力をする。

私は、忘れる努力より、忘れさせないことをしているのだろう。

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コアで捉える事。視点を観る。それぞれが…。

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そうなんですよね。

共通のキーワード。

アーティストの恐ろしいパワーといい加減なところは、誤解を生むことも多い。

しかし、それは素材と向き合えばシンプルに落ち着く。

モノ。

ユーモアとアイロニーは、勝手に生まれることでもない。

窯業では、研究の研究を重ねて来たものがある。

ここでは、相当の深い会話を重ねていけたので、生きてればこんなモノだと思った。

私なりに、長い歴史となったことは、何より事実を知っている人と出会え会話したときだろう。

その瞬間に、濁りがない。

汚濁したような、濁った心は、何かホンモノが見えて来ない。

そして、誰の心にも届かない。

一瞬でリアルでないとわかることもあるが、最高にハイクオリティな世界は気持ちがいいものである。

しかし、それ以上にスパイラルする瞬間がより一層早い。

それにしても、言葉を失ったクリエイトは存在しない。

駆け寄る気持ちや素直なシーンが無ければ、一瞬にして落ちる。

イカロスの翼でもないが、と思った時に無くなるのが一流ではないシーンだろう。

厳しいと言うが、そうでもなければ生きてる価値なんて無い。

私は、とてもそれが辛い。

手を貸すことよりも、耳でもなく、心を静かに傾けることが、きっと大事であろうと…。

この冬が終わる前に、すべてがチェンジなのだろう。

欲が無いってのは、大変だろうが、それは持していては何も生まれて来ない。

原点でもある、初心を持って、底辺から組上げて行かなくては未来は無い。

七草も終わり、世の中は春へ向かう気持ちへ。

そうしたいからこそ、非情であるべきなのだろう。

コアで居なくては、何も面白くない。

波瀾万丈も、どこまでも終わらない。

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日本一の名酒 礒自慢 美味しい取り合わせ 焼津市

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この礒自慢は、とても歴史のある蔵元です。

そして、ここのお酒は20歳ごろから頂いて来ました。

人のご縁で生まれたシーンでもあります。

所用もあって、この地域にお邪魔することになり、松乃寿司さんに行って礒自慢と寿司の取り合わせを頂きました。

日本一の吟醸を造る蔵元ですが、一般的に口に入るのも難しいモノなのです。

しかし、地産地消を元から静岡県の酒造組合は考えていて、県外にお酒が流れることがないスタイルなので、本当に飲めない逸品です。

ですが、蔵元からわずかのお店では、飲めない美味しいお酒が普通に置いてあります。

とても有難いシーンでした。

このお酒を教えて頂いたのは、宮城県塩釜市の大山さんでした。

他の美味しい銘酒も、どれだけ飲んで勉強さえて頂いたか…。

酒造りから、様々な常識、杜氏、価格、製法から何もかも教えて頂きました。

彼は東京芸大卒業で、いつか酒屋を息子に渡して、最後は好きな芸術がしたいと言ってました。

その話を、礒自慢で話したら、「大山さん震災後に亡くなれたんです…」

「…」

まさに、言葉を失いました。

そして、今息子さんが後を継いで頑張っていると…。

礒自慢のお酒を取り扱っているお店は、少なく、取引も出来ないし、蔵元に頼んでも送ってくれません。

まさに、秘蔵と言ってもいいスタイルの蔵元なのです。

だから、大山さんのことは良く知っていましたので、ひとしきり思い出話となりました。

私にとって、深い思い出のある話ですが、こんなところで訃報を知ることになったのは、何かあるのでしょうね。

心に手を合わせて合掌しました。

日々、いろいろとありますが、それでも有難いひとつが今日もありました。

大山さんが、酒のラベルを作品で作っていたのことが、懐かしくも素晴らしくも思えたことは、彼の儚い夢がかなって欲しいと思うしか他ならなかったです。


トロでもなが、登呂遺跡で… 芹沢先生も出身ですが… 

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出雲でも経験した火起こし。

こちらでは、いろんな体験学習や施設がありました。

杉とヒノキ。

この愛称で火を起こしていました。

技術もですが、きちんとした理屈で生まれています。

古代とはいえ、原点と言える調理技術も最たるものです。

センスを磨くのは、何もかもそれだけではならないと藤原啓先生もおっしゃってました。

上手い具合に、いろんな歴史から頂けるものがあります。

縄文も弥生も、それぞれに素晴らしい陶芸の技術もあります。

それは、特に能登半島で培ったのも事実ですが…。

あらためて、原点ですね。

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続きざまに「ゼロ」とヤセル思いがあるスタート

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自殺の名所でもありますが、それはどうかと思うシーンでもあります。

厳しい自然に育まれた能登半島の人たちにとって、掛け替えのないワンシーンです。

ここには、何度も足を運びいろんなことを見せてもらいました。

迷うのでもなく、道を見ることが出来る。

普段思っていても忘れることが多いこともあり、なるべく足元で感応するようにしています。

タイミング良く、とてもいいシーンに恵まれました。

やるべき一つを確実に進めていくためには、こんなひとつがあると違うものです。

それが堪らなく、大事な想いになったいるのかも知れません。

空も海も、何もかもが、言葉では語れない鉛のようななんとも言えないシーンとして心に映ってくるものです。

本当に、素晴らしい。

そして、能登半島でしか味わえない一瞬より短い瞬間に感謝ですね。

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妙成寺 初年に思具として能登に参る  

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ここに能登半島へ来てから、初めて出くわした初めの御寺です。

そのご縁か、毎年参るようにしています。

正月だけでなく、結構普段でも気がつけばですね。

私の名前の由来とご縁があると言われたのもあって、何かと足が向くものです。

しかし、時間も悪かったので、正月の恒例でもある行事は見られませんでしたが、写経は当然書かせて頂きました。

時代の風か、参拝客がどちらでも少なかったのは、厳しい現実でした。

そうして考えると正月という、1つの慣例のような文化も失われたといか失わされたと言ってもと思うのは、私だけでしょうか…。

日本文化は、すべての頂き物から発想とイメージが構築されたいます。

奥出雲で迎えた正月のときは、まさにモノの原点に見えるシンプルな時間を過ごしました。

「後れている」と言われることがありますが、果たして本当にそうなのか?

忘れ去られていると思うように、この近年は思うようになりました。

それも、能登半島の自然と人に付き合う中で、学ばせて頂きました。

私として、これが何よりほっとする一瞬であります。

ブログも書けないのでもなく、なかなか許せる時間も無く続けております。

年末からパソコンも、すっかりお仕事をしなくなって、まさに大変な一週間のままでもあります。

ここで、また一つ掴んだものがあります。

それを大事にこの一年、忘れずに行きたいモノです。

「渡りに舟」

渡せる時に、渡して上げたいものですね。

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明けたのか、夜明けなのか、時代が開けるのか…





続くように、年が変わった。

どうにしても、新しい。

やることの多い1月。

許されない個人主義。

能登も石川も渡る時間が始まった。

たくさんの今が嬉しい。

いつか、わかってもらえると信じて頑張ろう。

赤い色は、やはり好きだ。

もっと本気で頑張れたら、何より満足だ。

新世紀から12年。

思えば早いものだ。

わかって欲しいことが多いが、それが難しい。

心から何かを夢見る人が増えて欲しい。

もう、いいや…

いや、よしやるか!

思いが空回りしないことが、必要だろう。

眠れない新年が心地よく始まった。