新潟県議会一般質問で上越新幹線空港乗り入れ。宮城県と新潟県の姿勢を考察 | 希望のブログ 上越新幹線の新潟空港乗り入れ

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東京一極集中の緩和、地方の活性化、新潟の人口減少抑制、経済活性化、国土強靭化のため、上越新幹線の新潟空港乗り入れを考える。人口、経済、GDP、保健福祉、政務活動費、議会活動などにも関心を持っています。専門統計調査士。

新潟県議会の令和6年2月定例会の2月28日に行われた本会議の一般質問。
登壇した飯野晋議員の内容について触れたいと思います。

質問項目は大きく4項目で、以下の通り。
1 本県に人やモノを呼び込む交通ネットワークの拠点化について
2 本県の産業競争力の強化に向けた産業政策について
3 人口定常化を目指した人口減少対策について
4 県民生活にも影響が及ぶ人手不足問題への対応について

画像は新潟県議会ホームページの録画中継より。

このうち1項目目、「本県に人やモノを呼び込む交通ネットワークの拠点化について」では、7点について質問しています。
(1)県境を超えた広域経済圏の構築
(2)交通結節点の機能強化
(3)次世代交通システムの活用の検討
(4)上越新幹線の新潟空港乗り入れ
(5)上越新幹線と北陸新幹線を結ぶ鉄道高速化と羽越新幹線の早期実現
(6)新潟東港のオンドックレール構想の事業化
(7)隣県への中長距離バスネットワーク充実、中長距離バスターミナルの整備

この中で、(2)交通結節点の機能強化で飯野議員は、新幹線、新潟空港、新潟港、高速道路などの広域交通ネットワークを直接結びつけることにより、日本海側の交通結節点としての機能を強化すべきと飯野議員は主張しました。

私もこの意見には賛成で、新潟県も新潟市も、県内、市内には新幹線、空港、港湾、高速道路が早くから整備され、これらがあることを今までアピールしてきましたが、それぞれの交通インフラの接続が良くなく、使い勝手は決してよいとは言えず、これらを結びつけて使いやすくすることが新潟県には必要だと思っています。

また、(4)上越新幹線の新潟空港乗り入れについて飯野議員は、
「上越新幹線と新潟空港の直接接続は、国内外の主要都市との玄関口としての本県の役割を大きく高めることとなり、関東圏や隣県からの人々の往来が期待できる。整備予算の確保や事業の採算性が課題となり、構想は進展していませんが、交通結節点となる本県のメリットは大きいことから、上越新幹線の新潟空港乗り入れの事業化に向け、潜在的な利用者や拠点性向上による経済波及効果などの調査を実施し、早期に実現すべきと考える。」と述べたのに対し、
花角知事は、「上越新幹線の空港乗り入れについて、空港の活性化や本県の拠点性向上などにつながるものの、財源の確保や採算性などに課題があることを認識している。従来の方針通り、まずは路線ネットワークの強化などにより、空港利用者を増やすことで、早期に検討が開始できるように進めていきたい」と回答しました。
知事の答弁は従来の内容の繰り返しでした。

写真は、上越新幹線空港乗り入れを推進する集いに、県知事選に初挑戦・選挙活動中に駆け付けた花角英世候補(現県知事)

新型コロナウイルス感染が未だ続いているものの、ある程度落ち着き、休止していた新潟空港での国際線が次々と再開し、新潟を拠点とするトキエアの就航もあって、新潟空港の利用者数は今後増えていくことが期待されています。
上越新幹線の新潟空港乗り入れが早く実現できることを期待しています。

なお、新潟空港将来ビジョン検討協議会が令和5年7月に策定した「新潟空港将来ビジョン」では、アクセスしやすい空港としての軌道系アクセス等の検討は、空港利用者135万人を達成又は2025(令和7)年度を経過した段階で行うことが明記されています。
つまり、遅くとも再来年(2026年)の春以降には検討することになっています。

ちなみに、現在「仙台空港鉄道」となっている仙台空港線の構想は、仙台空港と仙台市都心部をつなぐ軌道系交通機関として1984(昭和59)年3月に仙台地方陸上交通審議会が可能性検討の答申をしたことが発端。

1991(平成3)年に空港アクセス鉄道整備検討委員会が宮城県を中心に設置され、1992(平成4)年に仙台アクセス鉄道はJR線の分岐案に決定しました。
しかし、運営母体をJR東日本へ打診したものの、採算面から拒絶され、新たに第三セクターを設立することに決定。2000(平成12)年に仙台空港鉄道株式会社が設立され、仙台空港線の建設は2002(平成14)年に着工、2007(平成19)年3月にこの空港アクセス鉄道が開業しました。

1984年の仙台地方陸上交通審議会の答申から2007年の鉄道開業まで、約23年を要した計算になります。

写真は、仙台空港鉄道と仙台国際空港

宮城県に対して新潟県はどうか。
1981(昭和56)年2月に発行された「市報にいがた号外」の「都市問題懇談会提言特集号 30年後の新潟 望まれる姿」で、「新潟駅と新潟空港との間に鉄道を新設し、状況が熟せば、新幹線が直接新潟空港に乗り入れられるよう企画することが望ましい。」と掲載。

県関連では、
1990(平成2)年、空港懇話会を設置。
県議会平成3年2月定例会の一般質問への答弁で、知事は「新幹線の空港乗り入れや新交通システムの導入について、新潟空港は首都圏に近く、かつ、市街地に近接した空港であり、さきに設置した懇話会において、空港、新幹線、港湾との有機的連結を図るため、新幹線や新交通システムなどの空港乗り入れの問題について議論をしていただいている」と答えています。
1992(平成4)年に新潟駅から新潟空港までの間の新幹線直通化について検討する新潟空港アクセス調査事業。
1994(平成6)年に新潟空港アクセス鉄道整備基本構想を県が策定。
1999(平成11)年に新潟空港アクセス鉄道実現化検討会設置。
2003(平成15)年の県民だよりにおいて、2002(平成14)年末に策定した新潟県交通政策大綱の説明で、新潟駅と新潟空港を結ぶ鉄道整備の検討を明記。
2015(平成27)年、新潟空港アクセス改善研究会設置。
2017(平成29)年、新潟空港アクセス協議会により、「新潟空港アクセス改善の基本的考え方」において、「空港利用者が135万人を達成した段階、若しくは2025年度を経過した段階で、軌道系アクセス等の抜本的な改善策について本格的な検討を行うか、関係者で再検討、意思決定を行う。」と記載しています。

2023(令和5)年、新潟空港将来ビジョン検討協議会により策定した「新潟空港将来ビジョン」では、アクセスしやすい空港としての軌道系アクセス等の検討は、空港利用者135万人を達成又は2025(令和7)年度を経過した段階で行うことが明記されています。

県民だよりに掲載された新潟県交通政策大綱に添えられたイラスト。

同じような検討会、協議会がいくつ作られたのでしょうか。どんな進展があったのでしょうか。
30年以上、たくさん検討する会議を設置し、たくさん会議を開催しても、何も進んでいない。未だ実施するのかしないのかさえも決まらない。それぞれの検討会や協議会の委員も、県知事も誰も最終決定はしたくない、事業の実施も決めたくない、事業の断念も決めたくない。

1990(平成2)年の県空港懇話会設置から、今年(2024年)まで約34年、新潟市が「新幹線が直接新潟空港に乗り入れられることが望ましい」と公式な市報(1981年の市広報紙)に掲載してから43年が経ち、まだ議論の最中というのは長すぎます。

表は、自民党群馬県支部連合会の議員連盟のホームページより。上越新幹線新潟空港乗入れ構想部会が群馬県にあり、群馬県議会の有志が新潟駅や新潟空港へ視察に来たことがある。一方、新潟県議会、あるいは自民党新潟県連には、このような積極的な組織があるだろうか。隣県から応援があるのに、新潟県ではこれを活かせていない。しかも、宮城県ではJR線としての空港への鉄道延伸に反対された経緯がある一方、新潟県では上越新幹線の空港延伸をJRから反対されていない。新潟県はとても遠慮深い。

宮城県は、空港線の運営母体をJR東日本に断られても、第三セクターとして設立して、開通。現在では黒字に転換しています。
一方、新潟県では、県レベルでは約34年間議論が続いている途中で、新幹線延伸を行うのか、断念するのかはっきりしない、誰も決断しない状況が続いています。
この姿勢こそが、新潟県と宮城県の人口やGDPなどの逆転、県の勢いの違いとなって現れていると言えます。