レディ“L”の肖像⑦  “L”との出会った日 | A300yamadaのブログ

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これはこの記事の続きです。

L”がストリップにデビューしたのは2016年の5月頭、やはり劇場Nだった。この時始めての入場で、まだポイントカードの存在も知らないままだった。

デビュー仕立ての新人ストリッパーの演目は1種類しかないことが多い。“L”もそうだった。私も何度も何度も同じ踊りを見たわけだが、何度見ても見飽きないほどのデビュー感にあふれた充実さ新鮮さが際立った作品だった。今も忘れない。

彼女はいわゆるイメージビデオの「着エロアイドル」という触れ込みでのデビューだったが、ストリップの直前にはAV作品にデビューしていた。

ある程度それらの作品の情報にも接していたが、私を惹きつけたのは、彼女のブログである。インテリジェントで初々しく真剣で、ストリップは女性をいちばん美しく見せられるから、という決断動機や決心までの場面は本当に魅せられた。

その週、56日の出会いから、私にとっての幸せな日々が始まった。徐々に彼女を中心に劇場に足を向けるようになった。それまで直近のストリップ体験といえば、当時ストリップの看板スターOMさんを見たいという動機で劇場を訪れた2回だけだ。月1回から多くて3回という感じで劇場を訪れるようになったわけだが、それでも多くの常連とよばれる人から比べれば取るに足りない頻度なのである。自分の感覚、又は余力とこの世界の常識とのこのギャップが、のちに私の首を絞めたのかもしれない。

彼女はすぐに私を覚えてくれた。ポラのサインをもらうようにすると、丁寧なコメントをくれた。そして私の来場と私が渡す手紙やつまらない差し入れをとても喜んでくれた。私は手紙を、彼女に会うとき口では表現できないことを伝えたくて劇場で渡したり、時には遠征先の劇場宛に送ったりもした。彼女が大ファンだというあの大レジェンド漫画家を特集した雑誌の付録が家にあったので、図々しくそれを持ち出して差し入れたことすら喜んでくれた。それほどの応対のすごさから、私はそれからかなりの期間、思考の8割に“L”のことがかかわっているような気がしていた。

彼女の特技の一つは英語で、ブログを毎回、日英並べて書くようなことを課していた。私は手紙の中でブログについても称賛した。それから大事な特技といえば出演AVでも披露したヴァイオリンである。思考の中心に彼女がおかれるようになった私には、そういうことも大きかった。

私が“L”に惚れこんだ大きな理由にはストリップや人生についてのストイックさがあった。祖母に育てられた幼年期を語ったり、足を踏み入れたストリップへの切々たる思いをつづったりしていて、その一方ファンからのレスポンスはblogではオミットしていた。

“L”はほとんどの踊り子とは異なり、ポラタイムのツーショットがNGなのである。事務所が禁止しているという説明をしていたが、彼女のマネージメントをするのがどこのだれかはわからない。ポーズにも制約があった。激しいエロポラはダメなのである。断っているところを見たこともある。私はそういうストイックなイメージにほれ込んだ。そういう思いを、“L”は内心どう思っていたのだろうか。