レディ“L”の肖像⑨ コンプレックスとイマジネーション | A300yamadaのブログ

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現在、踊り子さんの世界に特化しつつあります。

このテーマの最初の記事はこちらです。

これはこの記事の続きです。

彼女のスタンスが少し変わったと感じた最初の潮目が、デビューして1年近くたってツイッターを始めたときである。ブログではコメントは受けつかなかったが、ツイッターではそうではない。

常連ファンとのコミュニケーションを公けにするようになって開かれた“L”になっていった。私はツイートのリプライでほかのファンへの対抗心が芽生えたが、勝てないと感じた。レスポンスが付いていけないせいかもしれないが、何か遠ざけられているようなコンプレックスが起きた。私のリプライへの反応が乏しいと感じた。いかに劇場で私に対しての応対が丁寧で心がこもっていても、決してファンのトップランクとしては見られないという感覚だ。いわゆるひがみが生まれた。

手紙は読んでもらえると思ったが、長いと思われているのはわかっていても、それは悪い意味ではないと思っていた。

私は彼女を喜ばせる方法についてファンとしてさらに考えるようになった。イマジネーションをフル回転させた。イラストをつくって喜ばれると別のイラストをまた作った。レベルの低さなど気にしなかった。

他のファンの行動を見て花束を贈りたいと思って、近所で購入して劇場で贈呈したこともあるが、何かむなしかった。とてもいいものは贈れないと思った。花束がむなしいと考えた私は、手描きTシャツという技術を手にしたので、これで何か彼女に贈る事を考えた。

コストも意識した。しかしTシャツはユニクロでも安く買えるのだが、布用絵の具その他にかかるコストも書き上げるまでの手間と時間も想像以上であった。

それでも彼女にふさわしいと思える図案で2作品を仕上げてポラタイムに進呈した。

その時“L”は大いに喜んでくれて、次のポラタイムやオープンでその1着を着てくれて、私は「もう死んでもいい」と思い口走った。

次の機会にさらに1着の作品を渡すと、それもステージで着てくれた。しかし本当はそういうものを1回でも着ることに、彼女にとっても決心は相当要ったのではないかと今は思う。もちろんそれがSNS上で紹介されることもなかった。

ところで、あるメディアが主管するSM趣味のwebサイトがあり、私は、以前からウォッチしていた。そこで読者投稿を受け付けていた。

私はこのサイトで先に、妄想を短編作品にして一度投稿し掲載されたことがある。そして新たにヴァイオリニストをテーマにした変態小説を投稿することを思いついた。そこにはストリップのステージでヴァイオリンを披露したいと決心した踊り子も登場する。その人物のキャラ設定は“L”に酷似させた。変態を扱った小説だが私は決して“L”を変態の対象としてみていたわけではない。ただ妄想とひいきとが合体してしまったのだ。

L”をモデルにした人物が登場するまででも、相当な長さを要したが、そのうちページを書き進むうち、、実際 “L”自身も劇場で演奏する発想があることをSNS上で表明したのを見て、ストリップのステージでそれを実行するのはおそらく時間の問題に思えた。