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You can 〜病と向き合う〜

HIV感染者の闘病記録
まだ一生付き合っていく覚悟は持てないけども・・・
同じ境遇の方いましたら宜しくお願いします。

皆さんこんばんは。

昨日は春を通り越して夏がやってきたような気温でしたね。

ぼーっと散歩しながら年度の振り返りをしていました。



HIVについてはだいぶ割り切れた自分がいます。

というか自分の一部であるからか病気自体を気にすることは少なくなりました。


罹患当初の絶望感は嘘のようです。

進歩しました。






ただこの病気に関連した問題は様々です。

偏見や差別は未だ多くSNSを通じてそのようなお言葉を頂くこともあります。



あまり気にはしていないつもりでも心は傷つきますよね。



じゃあ発信するのを辞めたらいいじゃないかと言われるかもしれません。







でも僕は僕自身の経験や想いは伝え続けたいなと考えています。



闘病と言ったら今の状態的に大袈裟ですが、その記録も残していきたい。


そしてこの病気の情報発信は少なく、僕も罹患当初は色々調べました。


しかし当事者としての声はなかなかなく、不安でしたね。



実際に多くの方々から罹患してからのご相談や早期発見という部分でHIV検査を受けたというお声も頂けました。



僕の経験が誰かの役に立つのなら、伝えられる範囲で今年度も発信していきたいですね。





昨年度は失ったものも多いけど、今年度はまた少しずつ前に進みたい。


良いことばかりの未来じゃないかもしれないけど、僕なりに一度きりの人生を過ごせたらな。


これ以上、後悔を重ねたくないし他の誰かが同じ想いをされないように。

僕にできることやっていきますね。





皆さんこんばんは。

最近は少しネガティブな内容ばかりで申し訳ないです。

今週はお彼岸ですね。


皆さんはどうお過ごしでしょうか。







僕は今まで、お彼岸だから何かするということはありませんでした。


今年はお母さんのことを想いながら初めて団子とおはぎを作ってみました。



作りながら「なんでこんなことしているんだろう。」と思うばかりです。








お母さんが好きだった花やお菓子を一緒にお供えして、長いロウソクを用意しました。


ロウソクを焚きながら、ずっと一緒にお酒を飲みました。



本当は生きているとき一緒にお酒が飲めたら良かったのにな。



お母さんとの思い出が走馬灯のように頭に流れてきて、それと同時に涙が溢れてきました。



最近、やっと少しずつお母さんがいなくなったという現実を受け入れて過ごしています。






お彼岸は故人が帰ってくる期間。

大好きなお母さんは故人となりましたが、きっと近くにいてくれるよね。



いつも後悔することは僕の病気を伝えられなかったこと。


HIVに罹患して、人生が変わりました。

その変わった人生を共有したかったな。



今日は遅くまでお母さんとお酒を飲みながらのんびりします。



今でもお母さんの声が聞こえてきそう。

声を聞けば喧嘩ばかりしていたのにな。



あの声がどれだけ僕に安心感をもたらしてくれていたのか。



これはいなくならなければ、わからない現実なのでしょう。


なった人しかわからない。

病気もそう。


当事者にしかわからないことも多いし、実際僕もそれを痛感しています。

皆さんこんばんは。

先日の記事では沢山の方々から温かいメッセージを頂きました。


全員にお返しできておらず申し訳ありません。



身体は元気なはずなのに浮かない日々が続いています。






先日、お母さんのことを書かせて頂きました。

失って気がつくことって本当に多いなって痛感しています。



こんなに早く人生を終えるなんてお母さんも思っていなかったよね。



まだまだ悲しみから抜け出せずにいます。







先日、遺品の整理をしてきました。


色々出てくる懐かしい物たち。



僕が赤ちゃんだった頃に着ていた服やよだれ掛け。

そしてお母さんの日記には自分のことよりも僕の成長の記録が細かく残されていました。


小学校の時にもらった成績表や賞状。


中学、高校の頃に部活で貰った賞状。


そしてお母さんの写真よりも多い僕の写真や僕との写真。



僕がプレゼントした物たちは色んなところに飾られていて、大切に保管されていて。








こんなに愛されていたんだなって。




老後にしてあげることばかり考えていました。


元気なお母さんには何もしてあげられなかったね。



後悔する日々です。



 





何より、本当のことを直接お母さんに伝えられませんでした。



HIVになったこと

結婚は諦めたこと

悩んでいること



それらは手紙にして棺にいれました。



きっとお母さんなら暖かく背中を押してくれていたよね。



見捨てられることが怖くて、伝えられませんでしたが僕のお母さんに限ってそれはないのかな。



親の愛って計り知れない。

もっともっと「ありがとう」って伝えてあげたかった。







出てくるのは後悔の言葉ばかりです。





でもお母さんが今までよりも近くにいてくれるようになりました。

ふとした時に何か大きな愛や優しさに包まれるようなこの感じ。



完全に今通りの生活へは戻れないけど


今は少しずつ前に進んでいくしかありません。







ずっと見守っていてほしい。







皆さん、こんばんは。

今年もようやく桜の季節になりましたね。

春を感じながらのんびり散歩してきました。

月日が経つのはあっという間です。





発芽米お試しセット








実は今年の1月にお母さんがこの世を去りました。








受け入れ難い日々を過ごしていました。


四十九日も終え、やっと少しずつ酷な現実を受け入れようとしている僕がいます。







別れは突然でした。


離れて暮らしていたので、夜中母の報を受けて駆け付けました。



始発の電車内。

何だか悪い予感が頭をよぎり、ひたすら涙を流しながら移動したのを今でも覚えています。







病院に着くと、そこには人工呼吸器に繋がれたお母さんがいました。








兄弟もお父さんも既に病室にいました。



今でもあの時の光景を思い出す度、胸が苦しくなります。




どんなに声を掛けてもお母さんは返事をしてくれませんでした。







医師の話だともって1ヶ月。


植物状態が続き、最期を迎えるとのこと。




頭が真っ白になりました。











きっとお母さんのことだからすぐ元に戻ってくれる。


1ヶ月も苦しい想いなんてして欲しくない。


また他愛もない話をしながら、「あの時は死にそうになったんだから!」なんてお母さんらしく笑い話になるんだろうな。なんて淡い願いを抱きながら祈るしかありませんでした。








しかしお母さんは、僕が到着して2時間後。

容態が急変し、息を引き取りました。







まだ50代と若かったお母さん。


これから沢山親孝行しようと思っていたのに。


だってずっといてくれると思っていたから。

あまりにも早すぎる別れを、未だに受け入れられません。






「早く悠に会いたいな。」


「身体に気をつけて元気に頑張りなさいよ。」


「結婚して孫の顔見せてよ!」





そんなお母さんの言葉が今でも聞こえてきます。




「はいはい、わかったから。」


「うるさいな、放っておいてよ。」



そんな返ししかできませんでした。


だってまた会って話せるじゃん。

そう思いながら、お母さんへ邪険な態度を取っていました。


親孝行どころか親不孝な子供だったなって。









でも本当はお母さんが大好きで、照れ隠しだったのかな。





去年の4月。

家族で僕の元を訪れてくれました。



「悠とこんなに一緒にいられるなんて何年振りかな。お母さん幸せだよ。忙しいのにありがとう。」



それがお母さんと過ごした最後の時間でした。



それと同時に直接会って交わした最期の言葉でもありました。









今回もお母さんは僕のことを待ってくれたのだと思っています。






1ヶ月も心配を掛けたくないと、すぐに最期を迎えたように思えてなりません。






まだお母さんに何も伝えられていません。


僕がHIVに罹患したことや、結婚は諦めたこと。


色んな話を聞いてもらいたかった。


でもお母さんに見捨てられるのが怖かった。





だけど、いつだって僕の味方をしてくれたお母さんだから、きっとそれらを知っても、お母さんは僕を支えてくれていたのかな。



もっと素直に甘えておけば良かったかな。



悔やんでも悔やみきれません。



ずっといてくれると思っていた大切な人を失い、戸惑い立ち止まる日々。



お母さんの時間は止まってしまったけど、僕は少しずつ前に進みます。





いつだって優しいお母さん。


沢山愛してくれてありがとう。



大好きです。





皆さんこんばんは。

また前回の投稿から期間が空いてしまいました。

公私共に相変わらず慌ただしい毎日を過ごせています。体調も変わりありません。

雪も降り寒さも厳しくなりましたが元気でいてくれる身体には感謝しています。




先日の話。


近所に医療脱毛のクリニックができ気になっていた為、勇気を出して話だけでも聞きに行きました。


ちなみに体毛は多くはないのですが、髭剃りがなくなる生活への憧れからですね。


そのお店は全国展開されているお店で受付の感じも良く好印象でした。



問診票を書いて、正直に治療中の病気としてHIVを記入しました。







その後、すぐに受付の方から

「医師から説明があるので来てください。」と診察室へ通してもらいましたが案の定、病気のことでしたね。










「申し訳ないけどHIVは受け入れていません。他をあたって下さい。うちの系列は全部駄目なんです。」


「きっと他のクリニックも受け入れは難しいと思いますが探してみてください。」




とのお話を頂きました。







僕の抱えている病気の抱えている病気の重さというか、世間からの目を痛感しました。


なんか要らないショックを受けて帰路につきました。





それなら仕方ないと割り切っていても、医療機関であればウイルス量や治療の経過を加味した上で判断してもらいたかったな。

なんて思うこともありますがこれが現実です。



確かにウイルスを移す可能性がゼロではないのでしょうが脱毛もリスクを伴う治療なんですね。







その時は仕方ないと思っていても後になってだんだん悲しい気持ちにもなりました。


こんな想いをし続けながら生きていくのはやはり大変だけど理解してくれる人たちがいるのも事実。


のんびり、気楽に前に進めたらと常日頃思っています。



それにしても悔しい。

今はそれだけ。