平凡と非凡。新渡戸稲造のことばから見えるストーリーのあり方。 | 作家養成塾『遊房』の公式ブログ 「めざせ!公募小説新人賞」門座右京監修

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誰でもすぐ使えるストーリーの教科書とレシピで3年でプロデビュー。ここではそんなストーリー構築の発想法を紹介。原則的に受講生対象。

NHKの知恵泉という番組で取り上げていたのが、新渡戸稲造でした。

明治になって、武士道という著書を現した学者でもあり、これは想像の域を出ませんが、浅田次郎の壬生義士伝に登場する主人公は、東北南部藩出身であり、幕府軍に荷担した賊軍として描かれていますが、その根底にあるのは、同じ南部藩の下級武士、しかも長男でないたしか二男三男で、食っていけないから脱藩する主人公同様、新政府で官吏登用はないなと悟って、学者の道を選んだ新渡戸と、何か生き方もダブってきますから、どこかベースにされ執筆されたのかも 知れないですね。

 

さてその新渡戸稲造のことばに、平凡と非凡についての記述を番組で取り上げていました。

 

平凡と非凡はほとんどの人が選択する方法は、その人の地位や名誉で、それを測っているところがあるということです。

 

彼いわく平凡を積み重ねていくとそれは非凡であるという考えです。

 

たとえば作者は失念しましたが、尾張徳川家に仕える畳の取り換え担当責任者だった人の日記が出版されたことがあります。

たしか結婚前から亡くなる寸前まで書き続けた日記で、そこにはいろんな元禄期のニュースが、個人目線で書かれているわけで、今、それは第一級の歴史資料になっています。

 

たかが毎日平凡に書き綴った日記ですが、第一級の歴史資料になっているのは、平凡を積み重ねていくと非凡になる最たるものといえるでしょう。

 

うちの塾には看板講師をあえて置いていません。それは知名度で客、ここでは受講生を集めても、プロになれる人はいないと思うからです。

 

今日の朝のテレビ番組、グッドモーニングで襟をただすということばが取り上げられました。

ほんとうにためになる話なら、聞いている姿勢を正して聞くという意味ですが、この襟をただすということばにも、地位や名誉は関係ありません。

 

あくまでお話の内容です。

 

みなさんには1日原稿用紙10枚を1年間書き続けられたら、入塾資格ありと認めます。という意味、おわかりください。