諏訪「おおぅ…」
ケン太「どったの?」
諏訪「このシリーズを書いたSNSが、いつの間にか閉鎖していたんだ」
神崎「…という事は?」
岩田「このシリーズも尻切れトンボかの?」
諏訪「いや、一応予備によそに書いてはいたんだけど…」
ケン太「なんか問題あるの?」
諏訪「この第三夜だけ、よそにコピーしておくのを忘れたみたいだ」
岩田「なんと! 大丈夫なのかの?」
諏訪「まぁ、大丈夫だと思う」
神崎「思い出しながら、復元して書くんですね?」
諏訪「二度手間だなぁ…今度から気をつけようっと」
犬千代「ニャー」
…
ケン太「今回の第三夜は、『5人の教景の系図』について、だったね?」
諏訪「…まず結論から言っちゃおう。 『5人の教景の系図』とは、後世に朝倉家が越前の支配権を既成事実化した事を示す為に作られた系図だと思っている」
神崎「なんと! それは一体…」
諏訪「でも…今回はまず、応仁の乱前後の朝倉家の動向について、説明しておこう」
岩田「ふむ、朝倉家が主君斯波家から、いかに越前を奪ったかを判ってないとな」
神崎「えっと…、どこら辺からの説明ですか?」
諏訪「時は1452年、斯波家の当主義健が18歳で没した際、子供がいなかった為、後継者に義敏が選ばれる所から」
※※※※※※※※※※┏義淳
斯波高経┳義将━義教┻義郷━義健
※※※※┗義種━満種━持種━義敏
神崎「この義敏って…」
諏訪「以前、織田家の歴史で書いた、斯波家中の嫌われ者の斯波義敏だ」
ケン太「ヒデーww」
岩田「なぜ義敏は、そこまで斯波家中に嫌われたのじゃ?」
諏訪「ま、厳密には甲斐・織田・朝倉などの重臣クラスに嫌われただけなんだけどね」
神崎「何でですか?」
諏訪「この頃、越前の荘園を横領していた甲斐常治に対し、地元の国人たちが斯波家に訴えて、義敏がこれを止めさせようとしたからだよ」
ケン太「…なぬ?」
諏訪「要は、寺や貴族の荘園を横領して甘い汁を吸いたい重臣側と、荘園を管理している地元国人らが争ってたんだな」
岩田「それ聞く限り、義敏は悪くないじゃないか」
諏訪「まぁ、それは建前」
神崎「え?」
諏訪「実際は、家中を牛耳る甲斐常治と、義敏の実父斯波持種の仲が悪かった為、これを機に甲斐氏の力を削ごうとしたからなんだ」
岩田「それが長禄の合戦に繋がるんじゃな」
【長禄の合戦時の両陣営】
斯波義敏側
堀江利真・朝倉将景
甲斐常治側
織田敏広・朝倉孝景
ケン太「どっちもどっちだね」
諏訪「そんな折…将軍足利義政は和解の策として、争っている斯波義敏と甲斐常治に、共に関東討伐を命じた」
岩田「じゃが両者とも、越前を放って関東に行くことができなかったんじゃな」
足利義政「おいお前ら! 争ってないで関東征伐に行かんかい!!」
斯波義敏「えぇ行きますよ。 …でも、その準備は甲斐常治に任せてますので、奴に言ってちょんまげ」
甲斐常治「準備したいんですが、義敏様の家臣が越前で合戦していて…オラ、どうしたら……うえ~ん…(ニヤニヤ)」
ケン太「ダメだこりゃ」
諏訪「結局、将軍義政は越前にいる義敏の被官を討伐し、義敏から斯波家家督を奪って、子の松王丸(義良)に家督を与えてしまう」
ケン太「可哀想に……で、朝倉家は?」
諏訪「この征伐軍に参加しており、この頃遠江で起きた今川了俊の子孫の反乱鎮圧にも出陣している」
神崎「朝倉家の立場は?」
諏訪「無論、甘い汁を吸いたい側」
ケン太「さすが、天下悪事始行の張本」
諏訪「ともあれ、この後に甲斐常治も亡くなり、主君がしょっちゅう入れ替わるんで、朝倉孝景の前から実力者がいなくなった」
岩田「朝倉孝景は、どうやって越前を奪ったんじゃ?」
諏訪「応仁の乱の当初、孝景は西軍だった」
【応仁の乱時の斯波家中】
東軍(細川勝元)方
将軍家※= 足利義政
斯波家※= 義敏・義良
主な重臣= 織田久長(大和守家)
西軍(山名宗全)方
将軍家※= 足利義視
斯波家※= 義廉
主な重臣= 甲斐敏光・朝倉孝景・織田敏広(伊勢守家)
神崎「この後、【越前守護】を条件に、将軍義政の依頼で東軍に寝返るんですよね?」
ケン太「越前をあげ~るよ~越前をあげ~るよ~ ホントの忠義みっせってくれ~たら~♪」
諏訪「それは後の朝倉家の言い訳」
ケン太「えっ?」
諏訪「そもそも東軍に斯波義敏親子がいる以上、それは無理でしょ」
岩田「それは…そうじゃな」
諏訪「この時は、あくまで【越前守護代】の座だけ。 でもこれを拝領した結果、歴代の越前守護代だった甲斐家との争いが避けられなくなった」
神崎「応仁の乱時の朝倉家は、甲斐家との戦いが中心だったんですね」
諏訪「苦戦しながらも甲斐氏を越前から駆逐し、越前土橋城に籠っていた斯波義敏を捕らえて京に送り返した孝景だったけど…」
ケン太「…あれ? 斯波義敏は同じ東軍じゃないの?」
諏訪「義敏は、朝倉家の越前簒奪に反抗し、越前に下向して朝倉家と戦っていたんだ」
神崎「なんか…斯波義敏って可哀想な人ですね」
諏訪「だが…この時点で、地球上で朝倉孝景に残されたエネルギーは、あまりに少なかった」
ケン太「なに、そのウルトラマンみたいな表現は?」
諏訪「結局、この後に朝倉孝景は没し、子の氏景が跡を継ぐ事になる」
神崎「周囲は活気づいたんじゃないですか?」
諏訪「でも、氏景ももう30代だったし、何より慈視院光玖を含めた孝景の優秀な弟たちが残っていた」
岩田「ほう?」
諏訪「朝倉家側は、かつて西軍の斯波家当主だった斯波義廉の子を、越前守護と言い放つ」
神崎「スゴイ抵抗ですね。斯波義良は何も言わなかったんですか?」
諏訪「斯波義良改め義寛は、将軍が義政から子の義尚に代替わりした時、チャンスを得ているね」
岩田「ほう?」
諏訪「まず朝倉氏景が文明十八年(1486)で没すると、翌年、将軍義尚の六角討伐の折に、斯波義寛が朝倉家の非をなじり、ついでの越前討伐を嘆願する」
ケン太「おお!」
諏訪「…が、朝倉貞景は大叔父景冬(孝景の弟)を派遣し…」
朝倉景冬「何言ってンすか? 俺たちは前から将軍直臣じゃないっスか~」
斯波義寛「な…何を言ってるんだ!? お前はうちの家臣ではないか!」
朝倉景冬「聞こえませんな~、まぁ同じ将軍直臣同士、仲良くしましょうよ~」
ケン太「……マジで?」
諏訪「マジで。 結局将軍家は…
〇越前守護は斯波家
〇越前守護代は朝倉家
〇越前の実効支配は朝倉家に認める
〇でも建前上、越前は斯波家の国
〇だから、朝倉家は斯波に年貢を納めろ
…という、お互いを立てた結論を下す」
岩田「それは…両者に守られたのかの?」
諏訪「無論無理………とくに斯波家の方が認めたくなかったようだ」
神崎「これで諦めたんですか?」
諏訪「もうワンチャンある。 将軍義尚が若死にし、義材に代わって再び六角攻めを行った延徳二年(1490)、まったく同じ訴えを新将軍に上奏した」
ケン太「また蹴散らされるんじゃないの?」
諏訪「ところが、義材は斯波家に将軍就任に尽力してもらった恩があった」
岩田「ほう!」
諏訪「さらに、織田大和守敏定に命じて華美な軍装で大軍を率いて参陣したから、義材の覚えもめでたかった」
神崎「将軍も、断りにくかったんですね」
諏訪「現に今回は訴訟が功をなし、将軍義材は朝倉討伐令を出している」
ケン太「げっ!」
岩田「あ、…朝倉家は何もしなかったんかの?」
諏訪「朝倉家は参陣こそしなかったが、越前に攻め込もうとする甲斐家の残党たちに精鋭12,000人の軍勢を見せつけた為に、越前に攻め込まれなかったのと…」
神崎「『のと…』?」
諏訪「一方で将軍義材には、【足利義政が朝倉孝景を越前守護に補任した】とされる書状を提出したんだ」
岩田「そんなものがあるなら、なぜ最初から出さん?」
諏訪「この直前の正月まで、義政が存命だったからだよ」
神崎「え?」
ケン太「…って事は、朝倉家のでっち上げ?」
諏訪「そうとしか考えられないね。 おそらく当主の貞景の案ではなく、大叔父の慈視院光玖あたりの策だろうが…」
ケン太「うおぉ、偽書状まで持ちだすとは、エグいなぁ」
諏訪「討伐令まで出された朝倉家は、なりふり構ってられなかったんだろう」
神崎「結局、この訴訟の結末は?」
諏訪「この時期、
斯波家の領国の一つであった遠江が、今川家の浸食にあっていた
斯波家…厳密には織田敏定単独の兵力では越前平定が無理
斯波義寛自体が六角攻めの指揮をしていた
…事などが重なり、結局うやむやになった」
岩田「この後は、朝倉家の越前支配は盤石になったんじゃな?」
諏訪「あぁ、それを見届けてか、孝景の弟たちも…
下野守経景 延徳三年(1491)没
慈視院光玖 明応三年(1494)没
遠江守景冬 明応四年(1495)没
と、相次いで亡くなる」
ケン太「朝倉家の危機を乗り切って、逝ったんだね」
…
諏訪「…と見てきたように、15世紀の越前と朝倉家は、主君斯波家との土地争いに終始した時代だった」
神崎「先生、質問です!」
諏訪「はい、神崎くん」
神崎「それが、今回の依頼の系図と関係があるんですか?」
諏訪「大いにあるよ。 それは次回から説明していこう」
岩田「今回は、この動向を知っておきたかったんじゃな」
諏訪「その通り」
ケン太「早く更新してね」
犬千代「ニャー」
~続~