~ぶらぶら江戸散歩~vol.104『土佐藩邸跡~中央区役所』 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

文化家ブログ 「轍(わだち)」

美術や紀行、劇場や音楽などについて、面白そうな色々な情報を発信していくブログです。

江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今年は比較的涼しい夏の日々かしら!と思っておりましたら、この日記を書いております今日は台風一過の真夏日。酷暑に近い暑さ。道路からは、アスファルトに照り返された湯気が、かげろうのように揺らめいております。

そんな中、所用がありまして、ご近所の中央区役所まで暑い中押して出かける事となりました。
まだお盆明けで、世間もお休みの余韻を引きずっているのでしょう。閑散とした道を歩いておりますと、中央区役所の片隅に史跡を発見いたしました!!
何だか、ここ最近は地元のご紹介ばかりで誠に恐縮ですが、なかなかにビックリとしました史跡だったものですので、ご紹介をさせて頂きます。

 

土佐藩邸跡


じゃじゃーん!!『土佐藩築地邸跡』と書かれた史跡!!
古地図を開いてみますと、やはりこの一帯の広大な敷地が『松平土佐守』の屋敷であった事が記されております。中央区役所前の首都高速にかかる橋『三吉橋』。

 

 

三吉橋


現在はこの名がついておりますが、江戸時代は『合引橋』と呼ばれていたようです!!

さて、『土佐藩築地邸跡』にお話を戻しましょう。
かいつまんで、記載内容をご紹介いたしますと!

この地は、江戸時代前期に埋め立てられ、武家地や町人地となりました。文政9年(1826年)、この一帯の土地がまとめられ、土佐藩山内家が拝領しました。山内家は中屋敷ないし下屋敷にしていたようで、幕末までこの地にありました。土佐藩は初代山内一豊(やまのうちかずとよ)から16代豊範(とよのり)まで続きました。幕末の変革期に有名な山内豊信(容堂)は15代で、ここに屋敷を構えていたとこに藩主でした。 ~中略~ 幕末に土佐勤王党を結成して幕府打倒を掲げた武市半兵太(たけちはんへいた)は、ここから程近い士学館道場(京橋公園辺り)に通っていました。また、薩長同盟を成立させ、大政奉還を提言した坂本龍馬は、安政3年(1856年)から同5年ころ、剣術修行のため江戸に来ていました。龍馬はこの地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、桶町にあったとされる千葉定吉道場に通っていたようです


幕末ファン、特に坂本龍馬ファンには、垂涎の地ではありませんか!!
こんな江戸の下町で、江戸幕府の終焉に奔走した人々が生き、活躍していたなんて!!
彼らが見ていた景色、土地の名残がもっと鮮明に残っていれば嬉しいのですが、幸いにもあまり区画が変わっていないこの下町。

まずは、私の目でそして足で確かめてみたくなり、区役所から武市半兵太が通った士学館道場まで意気込んで歩いてみました!!目指すは、京橋公園。
まずは、合引橋こと今の三吉橋を渡り、川沿い(現在は高速沿い)に進軍いたしました。

 

高速越しの中央区役所


すると、橋を渡ったとたん、目指す京橋公園が見えてきて、拍子抜け。歩いてほんの2分ほどで到着いたしました。

 

京橋公園


中央区役所は、1969年に竣工したレンガ作りの建物。
私が生まれてから、ずっと変わらずにこの姿でおりますので、もうだいぶ年季の入った風情になって参りました~。

それでは、ぜひ皆様も、機会ありましたら、「土佐藩邸跡~中央区役所」をブラブラしてみてください!!


この記事について