英雄アキレウスが友の死を悼んで始めた競技会が、オリンピック発祥の由来のひとつとされています。
今週は、まもなく終了してしまう、東京国立博物館 平成館 (東京・上野)で開催されている特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」の作品を紹介しながら、古代ギリシャについてご紹介します。
上記は、紀元前8世紀のギリシャの詩人ホメーロスによってつくられたとされる叙事詩『イーリアス』の冒頭の一節です。
『イーリアス』は、ギリシャ神話に登場する英雄アキレウスが、トロイア戦争に参加し、アキレス腱を討たれて没する一部始終を描いたものです。
友人パトロクロスを従えてトロイア戦争に参加したアキレウスでしたが、ギリシャ側の総大将アガメムノンとの諍いにより出陣を拒否。
ギリシャ軍の劣勢を見たパトロクロスはアキレウスの鎧を着て代わりに出陣しますが、敵方のトロイアの戦士ヘクトールによって討たれ、アキレウスの鎧も奪われてしまうのでした。
詩人ホメーロスによれば、友パトロクロスの死を悼んでアキレウスが行った競技会が、オリンピア祭の由来だとされます。
紀元前8世紀、オリンピアのゼウス神域で4年に1度の競技祭、古代オリンピックが始まりました。
最初は短距離走から、やがて、中距離や長距離、そして、円盤投げ、槍投げ、走り幅跳び、レスリングの5種競技、さらにはボクシング、パンクラティオンと呼ばれる総合格闘技、競馬に戦車競走・・・。
完全武装しての徒競走があれば、使者の大声競争や、ラッパ手競争など、様々な競技が追加されたそうです。
全ギリシャから選手が集う大競技祭に発展した古代オリンピックですが、これは、単なる競技会ではなく、宗教的な祭事でもありました。
古代ギリシャ人は、鍛え抜かれた美しい裸体と、それによって生み出される技は、神を喜ばすと考えていました。
そのため、競馬や戦車競走など以外は全裸で行われ、競技者は神域に入る前に身を清め、ゼウス像に不正を行わないことを近いました。
不正者への罰は厳しく、罰金で建てられたゼウス像が何体も並んでいたそうです。
優勝者にはオリーブの冠と、名誉、さらに、自身の銅像を神域に奉納することが許されました。
神域には、肉体美を誇る全裸の男たちの銅像がずらりと並んでいたことでしょう。
オリンピックの開催期間は使者が各ポリス(ギリシャの都市国家)を回って休戦を告げたそうです。これは、競技者や観戦者がオリンピアに無事に旅するためでもありました。
最後の開催は393年だったと伝えられ、ローマ時代も続いた古代オリンピックでしたが、ローマ帝国でキリスト教が国教となり、異教の祭祀が禁じられたことで開催されなくなりました。
しかし、それまでの、実に1000年以上にわたり、人々はこの地で競技を続けていたのです。
※1 赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング
こちらは、アンフォラと呼ばれる陶器の器です。2つの持ち手と、すぼまった胴体、長く伸びる口が特徴で、ぶどう、オリーブ、植物油、穀物などを運搬、保存するのに用いられました。
このアンフォラには、2人の若者による拳闘競技が描かれています。
左の青年は、握った拳で相手を殴りながら、足でその相手を押さえつけようとしているようです。
右の青年は人差し指を挙げて敗北を認めています。
オリンピック発祥の地でもあるギリシャは、「ヨーロッパ文化のゆりかご」などと称されることもあります。
数多の神々、英雄、怪物たちによる神話を持ち、民主制の都市国家(ポリス)を形成。
ヨーロッパで美の理想とされ続けた芸術を生み出し、先進的な知の発見をしたギリシャ世界。
彼等はなぜそのような文化を生み出すことができたのでしょうか。
それは、エーゲ海に浮かぶ島々を渡る航海や交易といった、海との関わりから始まるとも言われます。
エーゲ海の中央に点在する約220の島々、キュクラデス諸島は、現在のトルコとギリシャの間に位置しています。
そのため、紀元前2000年代、ギリシャの青銅器時代の初期、この島々はアジアとヨーロッパをつなぐ飛び石のような役割をしていたと考えられています。
帆がなく24本から28本の櫂で漕ぐ船に乗り、海路をつなぐキュクラデス諸島の人々は、航海術や海上交易の先駆的存在でした。
※2 スペドス型女性像
こちらの《スペドス型女性像》は、この地で産出される白大理石でつくられた小さな女性像です。
これらの像は、4500年後、ピカソのような20世紀の芸術家たちに、高く評価されインスピレーションの源となりました。
エーゲ海に浮かぶひときわ大きな島が、怪物「ミノタウロス」で有名なクレタ島です。
※3 牛頭形リュトン
こちらは、クレタ島の宮殿で出土した《牛頭形リュトン》です。
ミノス王によって迷宮に閉じ込められた、牛頭人身の怪物ミノタウロスの伝説。
この伝説の迷宮は、紀元前1900年頃に建設されたクノッソス宮殿のことではないかと考えられています。
リュトンとは、儀式やお酒を飲むときに使われた容器です。
紀元前3200年頃から前1100年頃に花開いたこの地の文明は、ミノス文明または、クレタ文明と呼ばれます。牡牛の図像は、ミノスの宗教と儀式で重要な役割を担っていました。
キュクラデス諸島の南部に位置するテラ島(サントリーニ島)もミノス文明の重要な遺跡が発掘された島です。
紀元前17世紀、この島につくられたミノス文明の豊かな町は、海底火山の大噴火によって火山灰の下に埋もれてしまいました。
島そのものを分断してしまうほどの大爆発によって失われた町は、後のアトランティス伝説に影響を与えたと言われています。
分厚い火山灰層の下には、当時の遺産が極めて良好な状態で保存されているそうで、色鮮やかなフレスコ画も出土しています。
※4 漁夫のフレスコ画
こちらは、テラ島で発見された《漁夫のフレスコ画》です。
漁からの帰りと思われる裸の青年が描かれています。
その後、紀元前1600年頃、ミュケナイ(ミケーネ)をはじめとする、いくつかの大きな力を持つ王が現れます。
彼等は宮殿や城壁を築きクレタ島すら支配下に置きました。
ミュケナイ時代と呼ばれるこの時代の王の墓を掘り当てたのは、19世紀ドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマンです。
彼は、冒頭でご紹介したホメーロスの叙事詩に登場する伝説の都市トロイアが実在すると考え、発掘にまい進します。
結果的に彼はトロイア戦争時代の遺跡を発見するのですが、彼はいつのまにかトロイア戦争の遺跡を堀り抜けて、1000年ほど前のミュケナイ時代の王の墓を掘り当てていたのです。
※5 戦士の象牙浮彫り
こちらは、ミュケナイの戦士を表す象牙の浮彫です。
ミュケナイの王たちの宮殿が崩壊した紀元前11世紀頃から9世紀に至るまで、ギリシャのほとんどの地域で遺物の見つからない「暗黒時代」と呼ばれる時代があります。
しかし、徐々にこの時代にも光があてられはじめ、鉄器時代の始まりであり、ギリシャをかたち作る要素が、ゆっくりと形成され始めていたことが明らかになってきているそうです。
紀元前8世紀、各地で都市国家(ポリス)がつくられ、紀元前776年には、第1回オリンピックが開催されました。
「前8世紀のルネサンス」と呼ばれる時代、ギリシャ人というアイデンティティーが生まれてきたと考えられています。
やがてエジプトとも盛んに接触するようになると、紀元前6世紀には、神殿が建設されるようになり、各地に彫刻工房が形成されました。
※6 コレー像
こちらは紀元前6世紀の若い女性の像《コレー像》です。
彼女たちは女神なのか、または神官や女神に仕える少女なのか、あるいは単なる人間か。
いずれにせよ、若い女性の理想像であると考えられます。
その顔に、「アルカイックスマイル」と呼ばれる微笑みを讃えているのがこの時代の特徴です。
※7 クーロス像
まっすぐ正面を向き、左脚を前に出しながらも、両足をしっかりと地面につけて裸体で立っている男性像です。
このようなスタイルの像をクーロスと呼ぶそうです。
クーロスもコレーも奉納品として神域に置かれました。
ギリシャの北方には、マケドニアがありました。
マケドニアの王は、ギリシャ神話に登場する半神半人の英雄ヘラクレスの子孫だという伝説を謳っていました。
これにより、マケドニア王家がギリシャ人であることを強調し、アレクサンドロス1世は、オリンピア競技際で優勝することで、自らのギリシャ人の血統を証明するなど、紀元前5世紀以降のマケドニアの王たちはギリシャ文化を積極的に取り入れていました。
しかし、言語は訛りの強いギリシャ語で、政治や社会体制も一般的なギリシャのポリスとは異なっていました。
徐々に強大になっていったこのマケドニアに登場したのが、アレクサンドロス1世の孫、アレクサンドロス3世。後にインダス河流域までに至る広大な地域を支配下に治めたアレクサンドロス大王です。
※8 アレクサンドロス頭部
こちらはギリシャのアテネで出土したアレクサンドロス3世の頭部です。
まだマケドニア王になる前の、若い姿で表されています。
アレクサンドロスがアテネを訪れたのは1度だけ。
彼の父フィリッポス2世の軍が、ギリシャのポリスのひとつであるアテネを破った直後でした。
当時彼は18歳。
この肖像はその時につくられたものと想定されています。
そして、アレクサンドロスの父フィリッポス2世は、ペルシャ帝国遠征という共通の目的を掲げ、全ギリシャのポリスを統合し、覇権を握りました。
しかし、その後フィリッポス2世は暗殺されてしまい、跡を継いだのが、アレクサンドロス3世です。
彼は、父の暗殺で混乱していたギリシャを制圧すると、父の意志を継いでペルシャ東征に出発。
怒涛の勢いで、ペルシャ、エジプト、さらには中央アジアに侵攻し、インドのインダス河流域までを制圧してしまいまいした。
しかし、アレクサンドロスは紀元前323年、東征からの帰路に亡くなってしまいます。
その後継者を名乗る将軍たちが領土を巡って争った結果、アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝ペルシャ、セレウコス朝シリア、アッタロス朝ペルガモンなどが王国として誕生しました。
これらの国々の争いに、イタリア半島を統一したローマが巻き込まれていきます。
ローマは、これらの国々を滅ぼしてゆき、最後に残ったプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世も敗れます。
アレクサンドロス大王の死後300年の間に、ギリシャ世界は、政治的にも社会的にも、地理的にも大きく変化しました。
ヘレニズム時代と呼ばれるこの時期、アレクサンドロス大王の東征によって、ギリシャ美術ははるか東にまで伝播し、インドの仏像にも影響を及ぼしています。
一方で、東方の文化との接触によって、多様な表現が発達しました。
ローマ時代に入っても、アテネなどのギリシャ彫刻の工房は活発に活動を続け、ギリシャ人芸術家たちが活躍していました。
※9 アルテミス像
こちらは、紀元前100年頃のヘレニズム後期につくられた《アルテミス像》です。
アルテミスは、古代ギリシャ人たちの女神の1人です。
森の動物や狩猟と関係が深く、清廉と純潔の鑑とされ、結婚や出産の守護神でもありました。
古代ローマは、広大な帝国を統治する際、ギリシャの文化を共通の文化遺産として積極的に用いたようです。
そのため、古代ローマ時代の宮殿や邸宅の壁画を飾ったのは古代ギリシャの神話や文学、歴史、またはアレクサンドロス大王に基づく図像でした。
古代ローマの詩人ホラティウスが、「征服されたギリシャ人は、猛きローマを征服した」という言葉を残したように、ギリシャはマケドニア、そしてローマに征服されながらも、文化面では中核をなし続け、遠方までその影響を及ぼしたのです。
ヨーロッパ文化の土台をなすローマ帝国を、文化面で事実上征服したとも言われるギリシャ文化は、その後も、14~16世紀のルネサンス、18世紀の新古典主義時代など、何度もヨーロッパの美や知の理想に掲げられてきました。
魅惑的な文化をつくりあげた「ギリシャ」は、ギリシャ文明が崩壊し、数多の国が誕生しては滅びるなか、今日まで存続し続ける永遠性を手に入れたのかもしれません。
参考:特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」展覧会図録 発行:朝日新聞社, NHK, NHKプロモーション, 東映
※1《赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング》前500年頃
アテネ国立考古学博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
※2《スペドス型女性像》初期キュクラデスⅡ期(前2800~前2300年)
キュクラデス博物館蔵
©Nicholas and Dolly Goulandris Foundation - Museum of Cycladic Art, Athens, Greece
※3《牛頭形リュトン》後期ミノスⅠB期(前1450年頃)
イラクリオン考古学博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
※4《漁夫のフレスコ画》前17世紀
テラ先史博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
※5《戦士の象牙浮彫り》前14~前13世紀
デロス考古学博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
※6《コレー像》前530年頃
アクロポリス博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
※7《クーロス像》前520年頃
アテネ国立考古学博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
※8《アレクサンドロス頭部》前340~前330年
アクロポリス博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
※9《アルテミス像》前100年頃
アテネ国立考古学博物館蔵
©The Hellenic Ministry of Culture and Sports - Archaeological Receipts Fund
<展覧会情報>
特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」
2016年6月21日(火) ~9月19日(月・祝)
会場:東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間:9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、会期中の土・日・祝休日は18:00まで、金曜日および8月の水曜日は20:00まで開館)
休館日:月曜日
(ただし9月19日(月・祝)は開館)
展覧会サイト:http://www.greece2016-17.jp/
問い合わせ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
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