【遠藤のアートコラム】ゴッホとゴーギャンvol.1 ~12脚の椅子~ | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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南仏アルルの「黄色い家」で共同生活を送ったゴッホとゴーギャン。悲劇的な結末で知られる二人の画家ですが、いったいどのような関係だったのでしょうか。

 

今月は、東京都美術館(東京・上野)で開催されている「ゴッホとゴーギャン展」の作品を紹介しながら、フィンセント・ファン・ゴッホと、ポール・ゴーギャンについてご紹介します。

 

■今週の一枚:ゴーギャンの椅子(※1)■

―ゴーギャンのような聡明な仲間がいること、
そして彼が制作しているのを見ることは、
ぼくにとって計り知れないほど良いことだ―

 

上記は、「ひまわり」の絵で知られるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が弟のテオに宛てて送った手紙の一節です。

 

19世紀末に生きた彼は、オランダに生まれ、フランスに渡り情熱的な画家人生を歩みました。

 

※2 収穫

 

こちらは、フィンセント・ファン・ゴッホがアルルで描いた作品《収穫》です。

 

オレンジと青のコントラストで構成されたこの作品は、その頃の彼にとって自信作だったそうです。

 

力強い筆触や、鮮やかな色彩の作品で知られますが、同時に人々の関心が寄せられ続けてきたのが、そのドラマティックな生涯です。

 

※2 収穫(部分)

 

 

画家仲間ポール・ゴーギャン(1848-1903)との南仏アルルでの共同生活、その末に精神を病み、自らの耳を切り落とした「耳切事件」、そして、銃によって自身の命を断った最後・・・。

 

自分の耳を切り落とすという衝撃的な事件の夜、いったい何があったのかでしょうか?彼の死は本当に自殺だったのでしょうか?

それらは様々な憶測を呼び、小説やドラマ、映画となりました。

 

ファン・ゴッホとポール・ゴーギャン。

二人の関係は、いったいどのようなものだったのでしょうか。

 

※1 ゴーギャンの椅子

 

こちらは、ファン・ゴッホが描いた作品《ゴーギャンの椅子》です。

 

ファン・ゴッホとゴーギャンがアルルで共同生活をしていた頃に描かれた作品です。

 

ファン・ゴッホは光の明るい南仏に画家仲間を呼び寄せ、共同で生活する「南のアトリエ」をつくりたいと考えていました。

 

夢の実現に向けて、彼は南仏のアルルに「黄色い家」を借り、2台のベッドと、12脚の椅子を購入しました。

 

どうやら彼は、キリストの12使徒になぞらえて12人の画家を呼び寄せたかったようです。

 

彼の代名詞となった作品「ひまわり」もまた、アトリエを飾るために描こうとしたもので、12点制作される予定でした。さらに、手紙の中では、描かれたひまわりが「12本」または、「14本」であることが言及されています。

これは、自身を含めた12人の芸術家、または、12人に、指導者としてのゴーギャンと、画商だった弟のテオを加えた数だとも言われます。

 

ファン・ゴッホと、画商の弟テオの再三の催促の末、ようやくアルルにやってきたのが、ゴーギャンでした。

 

ファン・ゴッホ兄弟は、画家としてのゴーギャンを高く評価していました。

 

画商だった弟テオは、ゴーギャンの作品を意欲的に購入し販売していたため、当時まだ評価が確立せず、貧困に喘いでいたゴーギャンがアルルにやってきた理由は、テオの資金協力に頼るところが大きかったようです。

一方兄のフィンセントは、彼に「黄色い家」の指導者になってほしいと願っていました。

 

ファン・ゴッホは、自らは簡素な藁の座面の椅子を使用し、ゴーギャンには作品に描かれた、立派な肘掛け椅子を差し出しました。

 

※1 ゴーギャンの椅子(部分)

 

ゴーギャンの椅子の上には蝋燭と本が描かれています。

 

これらは、ゴーギャンの知性や、詩的な思考を表しているとも言われます。

 

ファン・ゴッホは自らの藁座面の椅子も描いています。

椅子の上に描かれたのは、パイプとタバコの袋。背景には芽の出たタマネギが描かれています。

 

二つの椅子は、二人の性格や制作態度を象徴しています。

 

基本的にファン・ゴッホの関心は、「現実」にありました。

一方ゴーギャンは、“想像”で描くことを重要視していました。

 

※3 ブドウの収穫、人間の悲惨

 

こちらは、ゴーギャンがアルルで描いた《ブドウの収穫、人間の悲惨》です。

 

この作品は、アルルでファン・ゴッホとゴーギャンが二人で散歩しているときに見た、夕日に染まるブドウ畑の光景がきっかけになっているそうです。

 

ファン・ゴッホは《赤いブドウ畑》という作品で、収穫に勤しむ農民の姿を描いているのに対し、ゴーギャンの作品では、頬杖をつく女性が強調されています。

ゴーギャンは、この女性を「赤いブドウ畑の真ん中の、魔につかれた感じの物乞い女」と説明しているそうです。

 

共同生活期間に入った二人はアルルで芸術論を交わし、ともに同じモティーフを描き、互いに影響を受けあいました。

 

どちらかといえば、ファン・ゴッホがゴーギャンの指導を得るところのほうが大きかったようです。

 

「ゴーギャンは想像するようぼくを励ましてくれる。確かに想像によるものはいっそう神秘的な性格を帯びている」

 

上はゴーギャンがやってきてから3、4週目のファン・ゴッホの言葉です。

 

この頃二人の生活は順調でした。

料理の苦手なファン・ゴッホの代わりに、ゴーギャンが夕食の支度を担当していたそうです。

 

《ゴーギャンの椅子》にファン・ゴッホが取り組んだのは、11月19日頃、共同生活5週目のことでした。

 

しかし、12月に入ると、徐々に二人の関係は破局へと向かいます。

 

「フィンセントとわたしは、性格の不一致のために、問題なく一緒に暮らすことはできない。彼もわたしも、制作するためには平穏が必要だ」

 

12月12日頃のゴーギャンからテオに出された手紙には、共同生活の打ち切りを希望する旨が記されています。

 

ファン・ゴッホはゴーギャンがアルルを去り、「南のアトリエ」が崩壊することに不安を募らせていくのです。

 

続きはまた来週、ゴッホとゴーギャンについてお届けします。

 

参考:「ゴッホとゴーギャン展」図録 発行:東京新聞、中日新聞社、TBSテレビ


 

※1 フィンセント・ファン・ゴッホ《ゴーギャンの椅子》1888年11月

 

ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

©Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 

※2 フィンセント・ファン・ゴッホ《収穫》            1888年6月

ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)   

©Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 

※3 ポール・ゴーギャン《ブドウの収穫、人間の悲惨》1888年11月

オードロップゴー美術館

©Ordrupgaard, Copenhagen

Photo: Anders Sune Berg

 

 

<展覧会情報>

「ゴッホとゴーギャン展」

2016年10月8日(土)~12月18日(日)

会場:東京都美術館 企画展示室(東京・上野)

 

開室時間:9:30~17:30

(金曜日、10月22日(土)、11月2日(水)、11月3日(木)、11月5日(土)は20:00まで)

※入室は閉室の30分前まで

 

休室日:月曜日

 

展覧会サイト:http://www.g-g2016.com

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

 


 


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