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南加いい暮らし

南加(南カルフォルニア)・ロサンゼルスを中心に、
日々の楽しさをUPしていきたいと思います。

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見張りやぐら





メリカ の大地には

悲しい歴史もいっぱいあります…。



その内の一つが、西部諸州 の 荒野 に

12カ所 設けられた

日系人 の 強制収容所 です。





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日米 の 開戦 の 直後、

アメリカ 本土にいた 約12万人 の日系人(3分の2 は アメリカ 生まれ)は、

すべて 強制的 に 排除 され、

収容所 に送られました。





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マンザナール 収容所入り口の 検問所跡





その内の一つ、マンザナール 収容所 は、

1942年3月21日 に 開設 され、

戦後 の 1945年11月21日 に 閉鎖 されました。




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最も多いときで 1万人 の 日本人 が

収容 されていました。





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4000メートル 級の山々がそびえる

シェラネバダ 山脈 のふもと…。





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山々の美しさとは 対照的 に、

荒涼 とした 殺風景 な 大地 には、

山から吹き降ろす 風 で 砂 が 舞っていました。





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日差しが強いにもかからわず、

強い風 で 寒くてたまりませんでした。





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強制的 にこの 地 に連れてこられた方々に思いを馳せ、

感傷的 な気持ちになりました。





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復元された棟内(資料館より)





この 収容所跡敷地内 には、

現存した当時の 公会堂内 に

数々の 物品、写真、動画 などが見られる

資料館 があります。





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“ジャップ は出て行け” 日系人 排斥当時 の 写真(資料館より)





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収容者 は常 に 番号 を 胸 に付けねばならなかった。(資料館より)






また、車 で一周 できる 道 があり、

復元 された 住居棟 2棟、

収容 されていた 日系人 らが作った 日本庭園跡(復元中)

さらに 当時 の人たち の墓地跡 に建つ 慰霊塔 など、

自由 に 見学 できるようになっています。





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もとより、排日移民法 があるなど

戦前 から様々な 差別 と

圧迫 の中にいた 日系移民 たち。





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“NO JAPS”のペンキ。日系人排斥当時の写真(資料館より)





この 収容所 から 解放 された以降も、

様々な運命 に 翻弄 されてきました。





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長年 にわたる 日系人 たちの 名誉回復運動 によって、

マンザナール 収容所は、1992年に

アメリカ 史を伝える 国の史跡(National Historic Site) となりました。





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1988年 ミネタ 氏らの 奮闘 により 米国政府 は 日系人強制収容 の過ちを 謝罪 した。(資料館より)





日系移民 たちの 歴史 に基づいた ドラマ 『99年の愛』 が、

昨年末 にこちらの 日本の局 でも 放映 されました。





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今日 の 平和 が、

多くの人々の 苦 難の 上 に 築かれている ことを、

改めて 心に刻みました。







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こは、どこ…?


青空が広がり空気があって、

地球だとは思うけど、

子供の頃に姉と テレビ で見た

“宇宙家族 ロビンソン ”が漂着した

どこかの見知らぬ惑星のようにも思えます…。



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あたり一帯に繁茂する奇妙な形の木、

ジョシュア・ツリー …。



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ジョシュア・ツリーは、ユリ科の草に属する。大きいもので15mの高さに達し、推定年齢約900年のものもある。



乾ききった大地にそびえる奇岩の丘…。


かろうじて生きているように見える低木や草々…。



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こは、ジョシュア・ツリー国立公園  (1994年に制定) 。


ロサンゼルス から10号線を東に向かって

約150マイル(240km)ほど行った所にある

高原砂漠地帯、

モハーヴェ砂漠と コロラド砂漠 の一部です。



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標高の高い モハーヴェ砂漠 が

ジョシュア・ツリー の特別な生息地帯です。


ここの地質的特徴は、

土もなくむき出しの巨礫(きょれき)となった岩の丘です。



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この巨岩の山は、

世界中の ロッククライマー の憧れで、

腕を磨く場にもなっているそうです。



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巨岩の丘があちらこちらにある平地には、

まるで夜になったら動き出すのではないか

と思える ジョシュア・ツリー があちこちに立っていて、

まるで別の惑星のような別世界です。



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ここの巨岩の上に ポツリ と座り、

見渡す限りに広がる大地を眺めていると、

何の音もせず、

心の中が洗われてきます。



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四方八方に丸みを帯びた巨大な裸の石が転がる大地に

ジュシュア・ツリー がちょこちょこ立っているだけの奇妙な風景ですが、

なぜかまっさらな温かい気持ちになって、

不思議と癒されるのです。



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荒野には何か不毛の イメージ があったのですが

実際に来てみれば大違い…。


ここにはどことなく万物の精気が

満ち満ちているような気がしてなりませんでした。



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この公園の大きさは約 3,200キロ 平米だそうで、

東京都(約2,200km2)や神奈川県(約2,400km2)などは

すっぽり収まってしまうほどの広さです。



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不毛の大地などとも言われますが、

ここで観られる生態系も豊かです。


もちろんあまりにも広いので、

岩に座って眺めていても、

コヨーテ も ロードランナー も見かけませんでしたが、

主人は穴 ウサギ のようなものを見たと言っておりました。



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日本では、AKB の大島優子さんが、

この ジョシュア・ツリー の巨岩をバックに

TVコマーシャル の撮影をしたそうです…。
↑クリックで映像が見れます。


このような風景に触れることのない日本の方に

体験してもらいたい場所のひとつです。



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アメリカ の大地を見ずして

地球は語れないなーと思いました。


次の機会には キャンプ をして、

一日中浸ってみたいと思った癒しの地でした。





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かい日に恵まれたクリスマス、

サーファー のメッカ、

ハンティントンビーチ には、

この日も サーファー 達や

浜辺で戯れる人たちの姿が

多く見受けられました。







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ハミングバード (ハチドリ) が美味しそうに花の蜜を吸っています。





ステート8



サンゼルス の人たちの楽しみの一つ

“ステートライン・バスツアー”
(Stateline Turnaround Bus Tour)

に行ってきました。



直訳すれば

“州境の日帰り バス 旅行”

でしょうか?



カリフォルニア州 とネバダ州 の州境、

ネバダ 側にあるカジノ・リゾート への

日帰り ツアー です。



ステート10



ロサンゼルス から東に向かい

不毛の砂漠地帯を延々と走ると、

ネバダ州 に入った途端、

砂漠の中に ポツン と、

カジノ・リゾート の建物が見えてきます。



ステート6



そこが カリフォルニア を越境した

ネバダ の ステートライン で、

巨大な カジノ が3箇所あるほか、

アウトレット・ファッションモール、

遊園地、ホテル などがあります。



広いので各施設への移動には

モノレール(無料)を使います。



ステート5



ラスベガス に行くには

さらに1時間ほどかかるので、

LA からの日帰り旅行にはきつく、

州境での ギャンブル を楽しむのです。



ステート2



テートラインと言えば、

ロサンゼルス では ポピュラー で、

いろいろな コミュニティー や

団体が、基金集めの目的で、

しばしばこの バスツアー を企画します。



バス 会社と カジノ 会社の

提携があるのでしょうか?



バス 1台分の人数を集めれば

主催者側はバス 代を払っても

利益があるようで、

各所で盛んに行なわれています。



ステート7



ロサンゼルス からは

車で4時間ほどかかるので

朝早く集合し、

帰りは夜中になるのですが、

参加者にとっても、運転の苦労もなく

食事付で40ドル前後で参加できる

メリット があります。



ステート3



もちろん ギャンブル に興味がない方も、

コミュニティー への協力のために

参加する人も多く、

私もその口の一人です。



ステート4



アウトレット での ショッピング の後、

1¢の スロットマシーン を試したら、

いきなり $100 の大当たりが出て

ドキドキ しましたが、

主人がその何倍か スッ ていました(泣)。



ギャンブルツアー が普通にあることに

最初は驚きましたが、

これも自由と自己責任の国、

アメリカ らしいところかもしれません。



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激な円高が進むなか、

今年に入って私の家から比較的近い

アーケディア地区(Arcadia)にも、

私の知る限りでは、

2店の居酒屋さんが出店しました。



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Oto-Oto Izakaya Japonaise



その一つが4月に開店した

“oto―oto(音音) で、

“パリ、上海に続き、

ついに アメリカ・ロサンゼルス に上陸”

という広告の コピー を見て、

遅まきながら下見に行ってきました。



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私の知る“音音”は、

東京・西新宿の高層ビル街にある

とても洗練されたお店で、

9月に一時帰国したおり、

東京の先輩夫婦から

連れて行ってもらったばかり。

お気に入りの店の一つです。



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もともと居酒屋さんや、

焼き鳥・串焼き屋さんなどは、

日本の駐在員が多い

サウスベイ から オレンジカウンティ にかけて

激戦区といわれるほどありますが、

私の家からは遠いので

中々出かけることもありません。



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写真中央の “プチトマト の豚肉巻き”、美味しかった~♪



それゆえ、近い場所に

居酒屋さんができた

というのは福音です。



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日本人は少ない場所ですが、

アメリカ の人たちに受け入れられて、

いつまでも続いて欲しいと思います。



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思い出の ワンショット。「死者の祭り」で司祭から祝福を受けた。



ロウィン が近づくと、

昨年10月末に

ロサンゼルス に来た当時のことが

思い出されます。



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ロサンゼルス の ダウンタウン



日系 ミセス の N さんから、

メキシカン のお祭りに誘われました。

彼女の説明によると

「死者の祭り」といって、

メキシカン の ハロウィン のようなもので、

メキシカン の友達から

招待されているとのこと。



右も左もわからぬまま、

ダウンタウン の ユニオン・ステーション 近くの

オルベラ・ストリート に

連れて行ってもらいました。



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ようこそ、オルベラ・ストリート へ。(写真はHPよりお借りしています)



そこは何と

ロサンゼルス 発祥の地だそうです。



18世紀、スペイン の宣教師が

この地に住み始めて以来、

メキシコ からの移住者たちが集まり、

スペイン語 で天使達を意味する

Los Angeles(ロス・アンヘルス)

と呼ばれたのが始まりだそうです。



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この オルベラ・ストリート は、

メキシコ のお土産屋さんや

レストラン が道の両側にびっしり並び、

まるで浅草・浅草寺の通りや

縁日を連想させてくれます。



休日には、伝統的な衣装を身に着けた

マリアッチ(バンド)

情熱的な歌を奏でます。



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「死者の祭り」は

日本のお盆と同じで、

毎年この時期に死者(先祖)が帰ってくるそうで、

故人が好きだった

食べ物などをささげた祭壇を用意し、

先祖達と共に楽しみます。



何とこの祭りの トレードマーク は

ガイコツ …。



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お店には ガイコツ の グッズ が所狭しと並び、

大人も子供も カラカス と呼ばれる

ガイコツ の マスク をつけ、

羽飾りをつけた衣装で パレード をし、

死者に捧げる ダンス をします。



ガイコツ は死と再生、

生命の喜びをあらわすそうです。



に驚いたのは、

私達を招いてくれた

メキシカン 家族の先祖(お父さん)が、

その年の供養を受ける順番に当たっており、

「N さんの友人なら家族も同然だ」と、

私もその家族の一員として

パレード に参加することになったのです。



群集が見守る中、

真ん中を中央の祭壇に向かって進み、

厳粛な祈りの チャンティング がされる中、

司祭がされるように、

天と地、四方、八方の神に拝礼し、

大地に口付け、

そして家族の先祖とともに祝福されました。


パレード の見学者の皆さんからは

「なぜ メキシカン の家族の中に日本人が混じっているのか」

と思われているのではないかと

ちょっぴり照れくさい思いでした。



右も左もわからぬまま、

私はこの厳粛な祈りに引き込まれるように参加し、

ロサンゼルス 発祥の地で、

天と地の神々さまに祈りました。


それは目に見えない大きなご存在から

“ロサンゼルス によく来たな”

と温かく迎えられたようで、

胸の奥からとても熱いものが

こみ上げたことを今でも覚えています。



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(写真はHPよりお借りしています)



そんな感激で、

パレード の一員になってしまったものですから、

数々の美しい祭壇の写真も撮る機会がなかったのですが、

「死者の祭り」の死者とは、

愛する身近な祖先たちを指し、

そのお祭りは、とても陽気で

温かく厳粛なものでした。



メキシカン の人たちが

先祖を大事にすると知って、

何か親しみを感じたことも覚えています。



サクラメント1 写真はオールド・サクラメントです



加にある サクラメント は

カリフォルニア の州都…。



サクラメント2
オールド・サクラメント



サンフランシスコ から車で

2時間ほど内陸に入ったところに位置し、

海辺の涼しい サンフランシスコ と違って

大陸的な乾いた気候でした。



サクラメント3



州都とは言っても、ロサンゼルス と比べると

のどかな地方都市といった感じで、

人口も46万人ほどの小ぶりな都です。


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タワーブリッジ



1848年に近郊で金が発見されてから

ゴールドラッシュ の中心地として栄えたそうで、

そんな時代の面影を残す

“オールド・サクラメント”が

観光の中心になっています。



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西部劇の時代を思わせる街並みには、

お土産屋さんなど

様々なお店が並んでいました。



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大きな サクラメント川 が流れていて

蒸気船が停泊しており、

鉄道や駅の一部も再現されていて、

物資や人の流通が盛んだった

往時を偲ばせてくれました。



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1869年には、この広大な大陸に

鉄道が横断したとのこと。



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アメリカ が発展していく勢いを

感じさせていただきました。



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州都 サクラメント の中心には

美しい州庁舎や

高層 ビル が立ち並びますが、

今回は

オールド・サクラメント のみの写真です。


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加 サクラメント からの帰り道、
4月 に中断したままの話の続きですが)

サンフランシスコ の南から

101号線に乗り海岸線に出ました。



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ントレー で1泊し、

翌日 モントレー半島 を見学しながら

ロス に帰る計画を立てました…。



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予約した ジャグジーバス 付の

モーテル に到着すると、

「私はあなたを知っていますよ。
ミセス○○。お待ちしていましたよ」

と受付の インド系 のお嬢さんが

笑顔で迎えてくれました。



予約 リスト に載っていた

日本人のお客様は私たちだけなので、

すぐにわかったのだろうと思います。



モントレー6



ントレー 半島は、

変化に富んだ風光明媚な海岸線に

17マイル・ドライブ という道が整備されていて、

州立自然公園、野生動物の保護地、

超高級別荘地がある

とても美しいところです。



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野生の鹿。うしろの海に浮かぶ岩礁には、アザラシ の群れが日向ぼっこをしています。




半島の北側にある街が モントレー で、

20世紀初頭には

イワシ 漁で栄えたとのこと。


文豪 スタインベック の小説

『缶詰横丁』にも描かれて、

その名も知られているそうです。



イワシ の缶詰工場が並んでいた

海岸沿いにある キャナリー・ロウ は、

往時を偲ぶ建物や通りもそのままに、

お洒落な ショッピングスポット になっています。



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写真を撮るのも忘れ、ただ呆然と景色を眺めていました。



だけども、

今回はこの美しい街並みも

風景も写真に収めることなく、

また、一度は見なさいと勧められた

モントレー・ベイ水族館 も観ずに

通り越してしまいました。





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化に富んだ美しい海岸線に

何度も胸を打たれながら

17マイル・ドライブ を通り抜けると、

モントレー半島 の南側にある

カーメル

という街に入りました。



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ここは目を見張るような瀟洒(しょうしゃ)

可憐な家々が並び、

まるでおとぎ話のような街並みで、

ぜひ歩いて散策することにいたしました。



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カーメル は、

1986年から88年まで

クリント・イーストウッド が

市長を務めていたことでも有名だそうですが、

芸術家たちの街であり、美しい ギャラリー、

お洒落な ブティック や レストラン が軒を連ね、

街路樹のある通りや

家々の ガーデニング の美しさに、

心が洗われるようでした。



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お洒落な雑貨屋さんに

無料の イラストマップ がありましたので、

それを手に眺めていると、通りかかった女性が

「どこへ行きたいの?」と声をかけてくれ、

いろいろと教えてくれるなど、

街の人の優しさにも触れました。



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いつかまた、

モントレー半島 には、

心の静養に訪れたいと思いました。


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マクワコースト の北にある

ホノカア の街を突き抜けると、

道路は ワイピオ渓谷

行き止まります。



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ここは ハワイ の人々にとって、

大変重要な聖地だそうで、

渓谷の断崖と海に守られ、

外部から侵入しづらい事から、

偉大な酋長の多くこの地に

葬られたそうです。



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渓谷



今なお、50人ほどの ハワイアン の人々が、

電気も電話も引かれてないこの地で、

タロイモ の栽培をしながら

伝統的に暮らしているそうです。



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王族達の マナ(霊力)と

自然が息づく、

神聖な感じがしました。



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帰りに ホノカア の街に寄りました。



眼下に海が開け、とてもいい街です。



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1930年に建てられたホノカア・ピープルズ・シアター



マカダミアナッツ の工場や

サトウキビ農園 などの移転があって、

かつての賑わいは

すっかり失われたそうですが、

今でも メイン 通りには、

当時の面影がちらほらと偲ばれます。



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また、ホノカア の老舗、

TEXドライブイン に立ち寄り、

名物の マラサダ を注文し、

コーヒーブレイク いたしました。



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自然と共に暮らしてきた伝統は、

今の ハワイ にもまだ豊かに

残されている感じがします。



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ハワイ に訪れるたびに、

自然との共生を考えさせられます。












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ワイ島の東、

ハマクアコーストにある

アカカ・フォールズ

落差は128m。



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アカカ・フォールズは

神話にもよく登場し、

ハワイアンにとって

特別の思い入れがある

場所だそうです。



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アカカ・フォールズ・ステートパークに

車を止め、

アカカの滝にいたる散策路(トレイル)を

右回りに歩きました。



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写真左は、バナナの花。右下は、甘い香りがする、ホワイトジンジャー。



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自生する熱帯植物や

谷間を見下ろしながら行くと、

最初にカフナの滝に

出会います。



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さらに山間の道を進むと、

急に目の前が開け、

アカカの滝が出現します。



アカカ



アカカ6



まさに水と緑の楽園でした。



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アカカの滝の帰り道、

東海岸を見下ろす

絶景に出会えます。



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この景色に出会えただけでも

この場所に来た甲斐が

ありました。