ラブミー部の蓮(お掃除中)





なんかいまいち。画力欲しい

お久しぶりでございます。
ウッカリ始まったパラレル続き、どうぞよろしくお願いします。




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ヒズリ公爵閣下の裁判の日は、あっさりとやってきた。
証拠がないただの告発だけのはずなのに、巷では、彼が圧倒的に不利な情勢であるとささやかれた。

公爵本人は、城に幽閉されたまま、公の場には顔を出さなかった。
従って、というよりほぼ必然的に悪い噂は一人歩きする。

いつの間にか、彼は子を殺したひどい殺人鬼と呼ばれるようになった。

普通の領民の裁判とは違い、貴族の裁判は国王が議長となり、議会で行われる。
告発された側とする側の代理人によって審議は2週間続けられ、最後の日に審判が下る。
審判はその真偽を見守る議会の多数決による。

「・・・従って、このような疑いをかけられること自体が間違いであり、何らかの陰謀であると考えます。」
「それについて、陰謀とはいったいどのようなものなのか。確証もないことを言い触らされるのはどうかと思いますぞ。」

階段状に円形に作られた議場で、中心では告発されたものと告発したものの代理人が意見を戦わせていた。
周囲を貴族議員が囲んでいるが、その者たちの反応は様々である。
居眠りをするもの、興味なさそうにぼんやりしているもの、熱心に周囲の有力貴族に話しかけるもの。

そんな議会の様子を、国王は眠そうな表情で眺めていた。
議長である国王はここでは発言権はないに等しい。
それは、国王が愚王であった場合の独裁を防ぐという意味合いもあり、その証明のため自主的に沈黙するというのが慣例となっていた。

正当な裁きの場というよりは、形骸化した裁判の形をとった権力闘争の場、と言ったほうが正しい。
自分がどちらに味方すれば有利に働くかを見極める場でもあるが、同時に退屈な場でもあった。

今回、特例で告発者の名は伏せられているが、公爵を訴えることのできる人物は限られているため、どちらに味方をするかで議会の流れが変わる可能性も十分ある。というのが世間一般の見方である。


国王は、ついには退屈そうに頬杖をつきながら、自席で目の前の紙にいたずら書きをはじめたようだった。
切れ者と噂はされているが、下級貴族のほとんどは王の仕事を間近で見たことはない。
王自身が切れ者というわけではなく、周囲の側近が切れ者であるという噂が一部にはあった。

こんな雰囲気を見れば、その噂があながちウソではないのではないかと思われるのも頷ける。

そんな王が近寄ってきた側近の話に一瞬鋭い光を帯びた瞳を見せたのに気が付いたものはいなかった。



”今夜会えないか?”
キョーコの下宿に彼女宛ににそんな文が届いたのは、キョーコが公園でレンから逃げ出した数時間後だった。
字面だけ見ると恋文のようだが、呼び出されたのは宿舎の訓練場で、同時に帯刀を命じられているため、そんな色っぽいものでないのは明白だった。

少し沈んだ自分の気持ちに、キョーコは発破をかけた。
もしも艶めいた文であったとしたら、ただ困るだけのはずなのに。と言い聞かす。

昼間の彼は、すこしおかしかった。
自分の感情に気を取られていたために、気が付くのが遅くなったが、確かにどこかおかしかった。

張りつめていた瞳を思い出す。
あの瞬間、揺らいだのは自分だけではなかったはずだ。

彼は彼にしかわからない理由で悩んでいる。
確かめてもごまかされるだけもしれないとキョーコは思う。

けれど、確かめずにいられないのだ。
知りたいと願う。
その想いがどこから来るのか、キョーコは確かに自覚していた。

呼び出された時間まで、短いような長いような時間をただ悶々と過ごす。


時間が来て動きやすい稽古着に着替え、キョーコは通いなれた道を歩いた。



彼女が篝火が焚かれ、明るく照らされた訓練場にたどり着いた時、レンはひとり訓練場の真ん中に佇んでいた。

彼は自分以外の気配にゆっくりと顔を起こした。
その視線がキョーコを捉える。



彼は無言だった。
ただ彼女と向き合って立っていた。



「・・・そこへ・・・。」
レンは穏やかな顔で小さく彼女へ指示をする。
訓練場の踏み固められた中心で、レンはキョーコと対峙した。

「君が、訓練を怠けてなかったか試験するよ。」
レンの声が篝火の薪のはぜる音にかぶさって彼女の耳に聞こえてきた。

「・・・え、足・・・・が・・・。でも・・・。」
キョーコがかすれた声で答える。
レンの予想通りの反応だった。

挑発的に唇を吊り上げる。
「・・・ちょうどいいハンデだ。だろう?」
望む以外のほかの答えなど許すつもりなどなかった。
「・・・それに敵は怪我をしていても向かってくる。・・・ここで断るということは、君の、騎士になりたいという夢はさほど真剣じゃない、と言うことか?」

厳しい答えに、彼女が戸惑う気配が伝わってくる。

レンは顎を上げた。
「俺は、利き手を使わない。それにこの足。そんなのに後れを取るのか?」

意外に早く、己の思惑に彼女が乗ってきた。

「・・・・ハンデなんてくださって、いいんですか?私はそんなに甘くないですよ。」
真っ直ぐとレンを見つめる瞳が、まぶしい。
この視線と真っ直ぐ向き合うには、自分の罪は重すぎるのだ。
けれど、惹かれた。

・・・・だから、惹かれた。

「望むところだ。」
その罪を背負っていてもなお、向き合える強さを今のレンは持っていない。
いまの自分ではだめなのだ。

だから、決めたことがある。

「勝者には何をもらえますか?」
「では、望むものをなんなりと。」

そして、お互いに抜身の剣を掲げ、先を触れ合わせる試合の礼をとった。



磨いたスピードを武器に、彼女が切り込む。
それをいなすように受けて、レンは素早く反撃した。

お互いの息遣いと、薪のはぜる音。
風を切る剣がぶつかる金属音とともに青い火花が散る。

地面を擦る二つの足音。


かつてのレンの流れるような足さばきは、そこにはない。
その原因である引き攣れた酷い傷跡が下腿に刻まれているのをキョーコは知っている。
一度は切断もやむなしと思われたその傷。

彼が普通に歩くのも辛いときがあることを知っている。

それでも、レンはやすやすと彼女の剣を捌く。


(・・・まだ、届かないの・・・?)
利き手ではないものの、まともに打ち合っては、腕力でどうしても差が出るため勝ち目がない。
だから、スピードを重視した戦法をとったというのに、彼女の一撃はあっさりと躱される。
(まだ、こんなに遠いの?)

実力の差があることは、始めからわかっていた。

けれど、荒い呼吸を始めた自分に比べて、彼は息ひとつ乱れていない。
かすかな不協和音を奏でる足音だけが、彼の不調を伝える。
キョーコは悔しさに歯噛みした。

(騎士になるんでしょう!キョーコ!ちょっとは根性見せなきゃ!)


ただ、実力を示したいのだ。

彼の呼吸くらいはせめて乱したい。


こんなでは、いつまでたっても彼に並べない。


彼が、今夜、なぜここに呼び出したのかはわからない。
けれど、到着して最初に目にした彼の表情は凛としていた。


なにか、大きな決心をしたような。
そんな予感がした。

「気が散ってるな。」
そのセリフと同時に軽く攻め込まれて、キョーコは慌てて集中した。
3合目まで何とか躱す。
「脇が甘い。」
右からの一閃を受けて、キョーコは考えるより先に左にステップを踏む。
上段からさらに攻め込まれるが、それを、相手の力を利用して跳ね上げ、変わりに懐めがけて切り込む。

フッとキョーコの全身から力みが抜けた。
何度も剣を交え、躱しているうちに、不思議なことが起こっていたのだ。
相手の剣閃が読める。

同時にキョーコの周囲から音がすべて消えた。
彼女の思考はすでに遠い彼方にあった。

ただ、体が動くに任せて剣をふるう。



レンの唇がかすかに歪んだ。
無意識に浮かべたそれは、笑みともいえそうなもの。

不自由な足を感じさせない動きで、彼女の踏み込みからの一撃を捉える。

集中を増した彼女の動きは、先ほどよりも鋭いが、やはりまだ洗練とは程遠い。
しかし、そこには確かに才能の片鱗があった。

あと数年たてば、技は磨かれて、この自分でも手加減できないかもしれない。


それを確かめると、レンは試合を終わらせるため本気の踏み込みを見せた。
何合目かで彼女の剣を巻き上げて跳ね飛ばす。


ふわりと、彼を囲んだ清冽な空気が霧散して、キョーコは地面に膝をついた。


試験の終わりを、彼が剣を引くことで伝えたのだ、と気づく。
持っていた剣を、すらりと鞘に納めた彼の言葉を荒い息のままキョーコは待った。
「まぁ、及第点てところかな。まだ、甘いところが多いが。」
呼吸ひとつ乱さないまま、彼が告げた。


レンはゆっくりと、彼女に近づいていく。

篝火が時折赤く染める彼女の瞳が、レンを見ていた。
レンは無言のまま彼女の手を引いて立ち上がるのに手を貸す。


「負けました。」
素直に頭を下げる彼女に苦笑したふりで、レンは目を伏せた。

「勝者はなにか望むものを与えられるんでしたね。何がいいですか?」
「うん?」
そういえばそんな話だったとレンは本物の苦笑を浮かべた。
何も考えてなかった。


「そうだな、じゃ、この傷に君のハンカチでも巻いてもらおうかな。痛いし。」
「・・・・・は?」
レンが指し示すのは、右の手の甲にうっすら負った小さな傷。
「・・・血もほとんど出てないじゃないですか・・・。」
「でも痛いし。」
「痛いしって!もう!なんですか、それ!」

そう言いながら、彼女が言われる通りにハンカチを取り出す。
優しい手つきで巻かれるそれは、彼女にとっては意味なんてないだろう。

「ありがとう。助かった。」
「そんな大げさな。」
ふと交わされる何気ない会話にキョーコが頬を緩める。

キョーコはそのまま夜空を仰いだ。
「今夜は雲が多いみたいですね。月が見えなくなった。」

「ああ。」
レンは小さな声で答え、月を隠した雲を見上げる。
ひとつ息を吸う。
「・・・君に話しておきたいことがある。」






翌日、ひっそりとレン・ツルガは騎士団を退任した。

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文才をください。(切実)
しばらく日本にいた蓮は(かなり名残惜しそうに)再びアメリカに行った。
1週間ほど向こうで滞在して、また帰国する予定だ。

しばらくはこんな風に慌ただしく行き来するらしい。

そんな折、キョーコは、事務所の応接室へ社長に呼ばれた。
もう少しセキュリティのしっかりしたマンションへの引っ越しを勧められたのだ。

ひとり暮らし用の部屋ではなく、提示されたのは高層マンションの最上階。
しかも以前彼が住んでいたような、最上階はワンフロアで一世帯分しかない高級物件に微妙な意図が透けて見える。
「・・・これって・・・。」
「うん・・・?」
社長のニヤニヤ顔が見ていられずに、キョーコはテーブルに広げられた間取り図に再び視線を落とした。
「二人で・・・ってことですよね・・・?」

確かに、これから日本も拠点にするなら彼だっていつまでもホテル住まいというわけにはいかないだろう。
だからと言ってこんな風にお膳立てしてもらうのも少し違う気がする。

「嫌か?」
「・・・いえ、嫌っていうわけじゃなくて・・・。」
そうなのだ、キョーコとて嫌なわけではない。
けれど。
「いいアイデアだと思ったんだがなぁ。」

一週間おきくらいに日本とアメリカを行き来するのに、蓮のために部屋を管理する人間を置くよりは、ずっと合理的でもある。
それは理解できなくもない。
それに、一緒に住むということに心惹かれることも事実だ。
ホテルだと外食に偏りがちだが、一緒に住めば食事もしっかり管理できる。

でも、婚約したとはいえ、結婚前だ。

キョーコはしばし、自分の中で納得できる理由を探して考え込んだ。
何かが引っかかる。
基本的に社長は、こんな話を強引に進める人間ではない。


なにか理由があるはずだ。

「まぁ、俺もちょっと強引だとは思うがよ。・・・でも、わかるな?」
そのもやもやを悟られないように視線を間取りに固定していたはずなのに、聡い社長にあっさりと看破される。
「・・・はい・・・。」

今までの自分の部屋や、蓮の滞在していたホテルでは、どうしてもセキュリティは甘い。
だが、この申し出を断るのは、わがままなだけだとわかっていても、素直に頷けない気持ちもある。
そんなこと社長にはとっくにお見通しだろう。

そして、それを曲げても・・・と社長は言外に伝えている。

キョーコは心を決めて静かに頷いた。
「わかりました。・・・で、いつ・・・?」
「今日。確か、オフだったな?あとで、うちの者をやらせる。大事なものだけ自分で荷造りして、あとはそいつらに運ばせてくれ。」
「はい。・・・で、このこと、敦賀さんには・・・?」

「あいつは、もう知ってる。鍵も渡し済みだ。」
本当は2人そろっているときに話すつもりだったと社長は苦笑した。
ちょうど、その話を持ち掛けようとしたときに、蓮から、同じことを頼まれたのだ。
”いずれ、彼女も住める部屋を探してほしい”と。
彼女には折を見て話すつもりだと言っていたが、それは社長が止めた。

この時点で一緒に住むことを提案したのは社長の独断である。
蓮に否やはあろうはずもなく、そのまま話はとんとん拍子に進んだ。

古風で自立心の強い彼女が、そんな急な話に素直に頷くはずもない。
だが、自分から持ち掛ければ話はスムーズにいくかもしれない。
ローリィにはそんな思惑もあった。

そして、ローリィがこんなに急いでいたのには、彼女が考えた通りもう一つわけがあった。
その理由はすぐに判明する。

隠しているとためにならないと、社長はキョーコの前にいくつかの写真を見せた。
蓮には話していないと前置きされ、見せられたその写真にキョーコは愕然とする
「大したものではないが、さすがにこれは・・・な。」
キョーコが自宅マンションに出入りするところや、洗濯物を干しているところ。買い物している風景や日常生活を映した数枚。
その中には、どこから撮ったのか室内が見えるアングルもある。
どれも完全にプライベートだ。
「昨日、ある雑誌社からうちに持ち込まれたもんだ。」

いくらプライベートを切り売りする職業とはいえ、これは酷い。
パパラッチというよりストーカーに近い。

かすかに血の気が引いた顔でキョーコはその写真を眺めた。

「ノミネートでこれだ。蓮が受賞なんかしてみろ。もっと加熱するのは目に見えてる。」

「・・・・・ありがとうございます。社長。」
キョーコは静かに頭を下げた。

「うん?」
「・・・私が、このお話に頷いてから、この写真を見せてくれたことです。」
それは、彼女に対する信頼に他ならない。

彼女が、最初にその写真を見たら、一も二もなしに頷いただろう。
けれど、社長は敢えてそうしなかった。

彼女なら、きっと、自分の意図を酌めるだろうと思ってくれたことが、キョーコは単純に嬉しかった。
微笑みを浮かべる彼女を、ローリィは目を細めて見つめた。

愛を否定していた少女。
自分の入社の基準には全くと言っていいほど達していなかった。
それでも磨いてみたいと思わせた片鱗。

頑なに愛なんて信じない、忌まわしいとまで言っていた。

信頼されていることを素直に受け入れ、穏やかに受け止める今の姿からは想像ができない。

今まさに花開こうとしている、そんな彼女にローリィは破顔して見せた。

「よし。最上君!ついにラブミー部卒業だ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
思わぬ宣言に、キョーコの顎は落ちた。
ぷりぷりっとかわいらしくほほを膨らませた、孫さえいる壮年の紳士を愕然と見やる。
「なんだね、その顔は・・・まさかまたもう卒業したと勝手に思っていたのかね?」

最近はラブミー部の仕事はとんと無く、女優の仕事ばかりだったためうっかりそう思っていたのだ。
「羽ばたけ!愛の使者プロジェクト(ハート)は頓挫していたわけじゃないぞ!」

うきうきとしだした社長に、悪い予感を覚えながらもキョーコはいつものやり取りに、ふっと微笑む。
すっかり慣れたこんなやり取りが妙に落ち着く。

「なんだ、ずいぶん余裕だな?最上君。」
「・・・・え・・・・。」
「なんか企画考えちゃおうかなぁ。」
「や、やめてくださいね!スケジュール一杯なんですよ!」

ぎゃいぎゃいとした騒ぎは、業を煮やした椹主任の乱入により更にカオスと化すが、それはまた別の話である。



そのまま、あわただしく引っ越しを終えた、その日。
広い部屋には、家具はほとんどなかった。
その何もない床に、ただだらんと寝そべりながらキョーコは、天井を見上げる。

社長は、帰る間際になってから、思い出したかのように蓮の伝言を伝えた。

『一緒に選びたいから、帰るまで待ってて』

当座必要な物だけは運び込んだ。
ひとりで広い部屋にいるのは、どうも落ち着かない。

一週間が永いだなんて思ったことがなかったのに。

ここには、蓮の気配がない。
まだ自分の気配も感じず、馴染めない。

一度目の引っ越しは、家出同然に出てきたとはいえ幸せの予感にただウキウキとしていた。
二度目は、ただ、怒りだけがあった。
三度目はそれより穏やかな希望に満ちていた。仕事も軌道に乗り、下宿して迷惑をかけずにいるには、あまりに時間も不規則となってきたための決断だった。

今度は、全く違う人生を踏み出すために。
その第一歩目としては、こんな風なのはすこしさみしい。

広い窓から当たる日光に反射する埃をながめ、うだうだしていたキョーコはいきなり何かを思いついてガバリと起き上がった。

「大女優への第一歩、てことでもあるのよね。」
この広い部屋。
ぼんやりと眺めているうちに、何度か行った昔の彼の部屋を思い出した。
テレビでも大女優のお宅訪問なんかでは、無駄に広い部屋が映し出されていた。

そう思えば、先ほどまでのさみしさは消え、代わりにみなぎるのは何が何でも素敵な部屋にしたいという希望だ。

「ふふ。そう考えると俄然やる気が出てきたわ。」
キョーコは鞄の中から間取り図を出す。
「部屋割りは、二人で考えるとして。」
その中で、自分の城となるはずのキッチンを整えよう。そう決心したのだ。
やることをきめたキョーコはいそいそとキッチンに向かう。

そして妄想の翼を羽ばたかせ始めた。




蓮が短いメールの着信音に気が付いたのはシャワーを浴びた後だった。

タイトルは『引っ越し完了しました。』

相も変わらずの業務連絡調な文章に漏れるのは甘い微笑み。
あなたがいなくて寂しいとかくらい少しは言ってほしいが、そんなことを言われたりしたら仕事なんてほおってしまいそうになるだろうからちょうどいいのかもしれない。

電話をしても大丈夫かと、時差を計算する。
無性に声が聴きたい。

スマホの画面をタップし始めたとき、もう一件のメールが来る。
タイトルはないそのメールを開くと、短い文章だけ。

『キッチンは私のものにします。ではお仕事がんばってください。おやすみなさい。』

どうやら先手を打たれたようだ。
おやすみなさいとメールされたら、声が聴きたいなんて言い出しづらい。

それにしても。
蓮は笑みを深くする。
この計画を社長から聞いたとき、もしかしたら怒られるかもしれないと思っていた。
大半は社長のたくらみとはいえ、蓮も敢えて止めなかったのだから。

外から見ただけだがあの彼女のアパートでは、すこしセキュリティに不安もあった。
マンションの入り口はオートロックだったが、そんなものは住人の後について入れば何とでもなってしまう。

だからと言って、こんなに急いで引っ越させることまでは考えて居なかったが、社長はそうではなかったようだ。
おそらく、何かあったのだろう。
急がなくてはいけない何かが。

彼女の反応は考えたが、まず、怒られるか断られるかだと思っていた。
帰国してから説得するために、いくつか策も練っていた。

”キッチンは私のものにします”だなんて、そんな宣言が来るとは思わなかった。
そんなちいさなわがままが愛おしい。


ただの先輩だったころは、小さなわがままをかなえる機会すら与えてもらえなかった。
そう思うと、ひどくくすぐったくなる。

返信の文章はすぐに浮かんだ。
これを見たら彼女はどんな反応をするだろう。
赤く染まった頬で、照れるだろうか。
それとも、怒るかな。
それを思い浮かべながら、甘い微笑みはさらに蕩けるようなものにかわった。


『いいけど、そのかわり帰ったらキスをしてください。では、おやすみなさい。』


「・・・・やっぱり、あのひと、タラシだ・・・。」
社長の国籍不明の秘書セバスチャン(命名:キョーコ)に付き添われて、家具や小物を見に来ていたキョーコは、そのメールを確認して店舗の通路にがっくりと座り込んだ。

膝に顔をうずめていたため、誰にも表情はうかがえなかったが、メールを見た後、いきなり蹲った彼女のその耳は確かに赤くなっていたと、セバスチャンは彼女の謎のつぶやきとともに社長に報告した。
はた迷惑なラブモンスターは、それを聞いてニヤリと笑ったとか笑わなかったとか。







☆いや、書いてたらこんな話になっていました。
最初は違ったはずなのに、おかしいなぁ。そうだ!これはラブモンの仕業に違いないですw