コーチングバイブルがやっとこさ150pくらいに到達した。ほとんど本を読まない民にとってこれは快挙。

さて、以前にも書いたが僕はとてもリスクが嫌いだ。それは僕の中でリスクがすなわちギャンブルを意味しているからだ。ギャンブルは大抵の人が損をする。

自己啓発もどきを活用した詐欺で金を稼ぐ輩はよくこういう。
「リスクを取れるかどうかが金持ちになれるかどうかを決める!」
「成功するものは今すぐから行動する!」

当然、そんな事をしても99%の人間が失敗する。
余計な行動を起こさない方が着実に金が増えていくなんて事は算数とまともな思考力さえあればある程度わかる。

けれども、不安や不信を駆り立てられリスクに手を出してしまう人は無限におり、それで大きな借金を背負ってしまう人を何人も見てきた。


だから、リスクに対して拒絶反応を示してしまう。



けども、今日コーチングバイブルにこんな言葉があった。
「クライアントが成功に必要なリスクを取れるための安全な環境を作る」


僕はハッとさせられた。
凄く素朴で、「今更その程度の事?」というような事だが、リスクはリスク要因を取り除けばリスクではなくなる。

例えば投資は無知な人間にとって明らかなギャンブルだ。だが一方で分析方法や勝ち方が分かれば、勝率は6割近くまで上がったりする。


当然、コーチは必ずしもクライアントが取り組もうとする事柄に精通していない場合が多いだろう。だから、知識提供によって勝率を6割にできる事は少ない。だが、リスク要因を取り除いたり、受け入れていく過程には寄り添える。手伝える。






コーチングにおける「リスクを取る」という言葉はこの前提の上に成り立っているのだと知れたことは僕のコーチング、及びカウンセリング、そして人生において重要な事だろう。







何で心にばかり焦点を当てているのか?
それは自分の心を大切にしたいからだろう。


自分の心を大切にしたら何かいい事があるの?
自分の過去を否定しないで済むし、価値を生み出す事ができる。



自分の存在意義をどうして確かめたいの?
自分の価値を実感できる環境が無いし、あったとしてもそこに居続けられないから。
つまり、みんなと同じようなやり方で存在意義を確認できないから「心」に携わりたいのだろう。



複雑に考えているけど、実はもっと形骸的な理由じゃ無いの?
考えてみたら「決めたから」だ。




決めたけど、コミットしてないのはどうして?
コミットの仕方が「6年間大学に通う」だったから。



コーチングへコミットするとしたらどんな選択がある?
まず、コーチングそのものにコミットするのではなく、コーチングの技能向上にコミットする。つまり、コーチングの知識を得るのが本題ではなく、実践が本題。



どうやって数をこなす?
まず、練習相手を獲得するためには応援され、共感されるような大義名分が必要だ。そしてリピートしてもらう。コーチングによって獲得できるものを明確にする。
3時間目を行ったのは先週の金曜日だったけど今更になって記録。


クライアントの表情や動きから多少情報を取り込めたというのは今回かなり大きな進歩だった。
恥ずかしながら、話し手の言葉だけで意図は読めると勝手に思っていたので表情を見る事さえ慣れなかった。そのためセッション中、終始クライアントの表情などに注意を向けるのはまだ不可能だった。だが、表情や動きを読む能力は元々人並みにあるので問題なく行えた。クライアントとの信頼関係を確立する為にはフィードバックは必須であるため、今後も頑張りたいね。





全ての気づきを「問い」として投げかけられたのも今回の良かった点だ。
前回は「〇〇なんですねえー」と発言する事が多く、僕の気づきをクライアントの気付きであるかのように演出する事ができなかった。しかし、今回は全ての気づきを「問い」に変換する事でクライアント自身が気づいたのだという実感を持たせる事ができた。
全ての気づきはクライアント側から発せられた情報によるものであり、あくまでそれを抽象化し理解しやすい言葉に変換したに過ぎない。
だから、その抽象的言葉もクライアントの所有物にした方がよい。
これをコーチ側が所有してしまうとクライアントはかなりスッキリしない気持ちになるからだ。





相手を信頼して説明が複雑になりうる問いであっても投げかけられたのも今回の良かったところだろう。
前回は信頼する事ができず投げ掛けない選択をしてばかりだった。だが相手がどんな人間であれまずは信頼することから始めなければ躍動的な会話は生まれない。



圧倒的に問題だってのが「選択をさせなかった」事である。正確には宿題を出し具体的にどんな行動を起こしていくかを決定せずに終わった。
今回の終着点は「問題だと思っている事が孕む多くのメリットにも目を向ける」というものだった。つまり認知的な問題への対処だ。
だが、セッション終盤に問題への対処法を検討し、「選択する」という重要な部分をスッポカシてしまった。



次回からは、更に傾聴のレベルを上げて、引き続き気づきをクライアントに譲渡し、相手を信頼したい。そして決して選択してもらう事を忘れないように..

 

以前は「なんかトライしてみよう」と思って初めても次に続かなかったんだが、今回は不思議と次に続いてる感じがある。

昨日、コーチングして今日も、そして明日もある。

非常に感謝だ。

だが、如何せん人脈がないので顧客満足度をより高くしないと紹介してもらえなくなってしまう。

より着実に向上していかなければならない。

 

昨日問題点として挙げられた

・自己管理

・発言量

は今回かなり気を付けることができた。

 

だが、「こんなもんなら良いじゃないかな?」と思えるものではなかった。

 

その原因は、今回の問題点が「問い」にあったからだと思う。

 

話している最中、頭に浮かんだ問いがいくつかあった。

だが発言量を減らすために複雑な問いを避けた。

複雑な問いは理解しづらい部分が必ずあったりするので、その説明に時間を使ってしまう恐れがあるからだ。

 

だが、複雑な問いはより深い思考やイメージを湧き立たせるため、器の流動性が高まる。

 

 

他にも、コーチとして得た「気づき」をそのまま伝えるにとどまってしまい、問いに変換できなかったという問題もある。

例えば、「若い時と比べて〇〇と〇〇が成長したんだな」と僕が気が付いたのならば、

「若い時と比べて〇〇と〇〇はどんな風に成長したと思いますか?それは未来のあなたにどんなメリットを生むと思いますか?」と問いかけたほうが器は動的になる。

それを「若い時と比べて〇〇と〇〇が成長して、○○みたいなメリットを生んだのかもしれないですね」と論してしまっていた。

 

 

 

 

そして書きながら気が付いたんだけど、未来の話をしていなかった。

過去の事、今の事はよく話した。

だけど今日は未来のことは一切と言っていいほど話していない。

 

これはかなり大きな問題だったかもな。

2週間前に「無料で100人カウンセリングしよう」と意気込んだ。
1人目が決まり話し始めたところ、まさかの陸上の相談でノーカンに。

その後、コーチングの本を初めて購入し読書。
以前からACTとの親和性を感じていたのだが、勉強してみると「ここまでか!」と思うほどに関連性があった。

その後、コーチングのニーズはカウンセリングよりも高く、むしろカウンセリングを求める人に出会うのはかなり難しいという事実を踏まえて「これからはコーチングをメインに取り扱い、カウンセリング(正確にはACT)を求める人に出会したらそれをやろう」というスタンスに変更した。

そして今「練習相手になってくれませんか?」と複数人に声をかけて、4人が決定している。



そして、今日初めてのコーチングを行った。
ビデオに撮ったものを見返していないのでまだ完全に問題点を挙げ切れるとは思えないが現時点で感じた問題は
・傾聴(相手のボディランゲージなどの読み取り)。脳内で起こる化学反応や直感に注意を向け過ぎてしまい、クライアントのあらゆる言語に意識を向けられなかった。

・クライアントに伝える言葉が少し長い。端的に短く効果的に相手へ情報を伝える。コーチとしての発言時間を減らし、クライアントが考えたり喋ったりする時間をもっと増やさないとね。

・面接中に上2つの問題に気がつけたのはたった2回だった。高頻度で自己をモニタリングし管理したい。



全てにおいて「初めてにしては十分過ぎる」と感じたが、やはりこれはACTでのカウセリング経験がかなり活きていると感じる。

今回あげた3つの問題点はそんな簡単に改善できるものではない。

だが自己のモニタリング頻度を高めていく事で促進されるだろうと推測している。
コーチングバイブルに載っている5つの資質
・傾聴 クライアントの中に答えがある
・直感 乖離したもの同士の結びつき
・好奇心 
・行動と学習 実行と暫定的自己完結。新しい概念同士の結びつき
・自己管理 

の中で気になったのは自己管理だ。


僕はACTが好きであるが、ACT的に生きていたのは最初の2〜3年くらいで今は全くと言っていいほど普通の人間だ。
だけど、観察する自己として
クライアントを前にした時、自分自身且つクライアントに対してオープンになり、評価せず観察し、気づき、聞き、理解し、反応し、感じ、考えているかを観察しておくのは大切よね。
それをどうするのかは知らんけど。


コーチングバイブルでは持続的幸福感の獲得に必要な3つの指針をあげている

フルフィルメント、バランス、プロセス

これらは僕の大好きなACTにも似たような項目がある。

それは価値へのコミット、観察する自己、価値
である。

一つ目、フルフィル及び価値へのコミットはクライアントにとって人生を通じて大切なことに沿った行動をできているか。

二つ目、バランス及び観察する自己は
没頭できる自分と観察できる自分を持ち、客観的に自分や環境の状況に気付いたり没頭できるかということ。

三つ目、プロセス及び価値はゴールとは違った自分の人生を通して大切な何かへの気づきだ。



コーチングバイブルを読み進めるほど載っている内容がACTの「価値へのコミットメント」と関わりが深いものだと思わされる。
コーチングに限らずカウンセリングや心理療法においても【器】はかなり重要な理論だ。

だが全てが同じ器であるとは思えない。
認知行動療法は不純物を取り除くふるいの仕掛けを持った器であるし、カウンセリングは表面張力によってギリギリ溢れずにすんでいる平たい器に思える。
コーチングの器はどうだろうか。

僕の感覚では柔軟剤の入った器(笑)

視点の柔軟性、発想の柔軟性、行動の柔軟性が高まる仕掛けのある【器】という感じがする
理論と実践のバランスは死ぬほど大切だよね。
実践のない理論って空論でしかない。


実践で理論の肉付きを増やせるくらいに頑張ろうな。
今日、イベントバーエデンというところに行った。
そこで「カウンセラーとかコーチングって何するんですか?」と言われ、その説明をした。

説明をしてみたが概念的な話をしてしまって全く伝えられなかった。

「どういうものなの?」と聞かれたら体験ができるパフォーマンスをするなりなんなりして、カウンセリングの一部分を見せれば良かった。

でも癖でまた同じことをしてしまった。
非常に後悔が残る。
何度も同じような場に行き、繰り返していかないといけないと思った。


「カウンセリングってどんなもの?」に対する正しい答えは説明ではなく体験。頑張りなさい。