先日の予定では

今週から一週間で免許を取るとあったが、

運転の練習を使用と思っていた施設に一週間前から予約をしなければならないという事実が発覚したので

1からスケジュールを組みなおす必要が出てきた。

と、言っても既存の「やるべきことリスト」を当てはめるだけなので特に難しさはない。

 

今週はとりあえず放送大学のお勉強をしましょう。

それに加え、FXもガチることになります。

Bosyuも改めて投稿しよう。

金曜日はオンラインでの授業があるためそれに集中する。

来週になると免許の事ができるかと思いきや、鹿児島に行かなければならないため、再来週になるのではないかという懸念がある。

でも鹿児島に行くのは水曜日からなので月曜、火曜で仮免を取るという考えでいる。

 

今週の土日から勉強を始めて、月曜車の運転練習をして、火曜日に受験する

という感じになる。

本免を受験できる猶予が約3か月くらいあるので、鹿児島から帰った後に再度勉強&教習という感じになる。

 

 

ってことで、今週は放送大学の勉強、FX、コーチングの日々を頑張ろう

 

 

 

 

 

 

約1か月前にやることリストを書いた。

結果から言うと

コーチング×100時間以外は達成できた。

 

 

陸上は大会までしっかり練習や準備を整え大会に臨み

FXもしっかりやった。

返事も返したし勉強もできた。

 

コーチングの目標が達成できなかったのは某はなまるうどんの労働が急遽入ったため。

はなまるうどんの労働では、販売数が全国ランキング36位だったものを約1週間で1位にまで持ち上げた。

営業能力を発揮する場所は今やはなまるうどんだけだが、定期的にこうして自分の能力を確認することは自己効力感とも関わってくるだろう。

 

 

 

今後の予定についてはある程度立っている。

まず、今週末まではとりあえずはなまるうどん関連の用事があるので、それを済ます。

 

その後、勉強及びFX、コーチングに時間を浪費していく。

勉強内容はまず、運転免許だ。

11月2日から6日にかけて爆速で勉強して免許を取得しようと思う。

勉強は当然、今まで通りFXをやりながらになる。

仮免は確実にこの5日で取得できるので、可能であれば本免まで取りたい。

 

その後、本免が取得出来たら勉強内容は放送大学のものへと移行していく。

当然、勉強はFXの最中に行う。

共に、コーチング×100時間も進めていくために、大々的に告知が可能なBosyuやその他告知サイトで募集をしていく。

現時点でまだ10時間しか進んでいないので頑張っていく。

 

けどもコーチングに関してはかなり好評で、10時間中8時間は有意義なものになっている。

まだまだ課題はあるが、やっていこう。

これまで幸福と幸福感を別に考えていたのだが、更なる変化があったので書き記す。

 

僕のこれまでの幸福と幸福感の定義の違いは以下。

 

「幸福」は状況的なもので、「結婚した」とか「金持ち」とかそういったもの。

実態がどんなに不幸な境遇であっても、当人は「私は結婚してるから」という理由で自分を幸せな人間と定義付ける。

「将来お金持ちになりたい」とか「結婚したい」というのはそれ自体がゴールであり、それが達成されれば幸せになれるという幻想によるものが多いのであまり良い物でないというのが僕の中での印象だ。

 

こういった「幸福」とは別にある「幸福感」。

幸福感は状況を問わず享受できるポジティブな感情である。

時々、貧乏な国に旅行へ行った人が「あの人たちは金が無くても幸せに生きている」というが、正にそのことを言っている。

幸福感は認知の影響を強く受けていて、目の前にある飯がどんなものであっても美味しいと思える人はより多くの幸福感を受けられる。逆に目の前の飯を否応なしに不味いと感じる人は受けられる幸福は少なくなる。認知行動療法の認知変容の技術を使えば幸福感をより多く受け取れるようにトレーニングすることができる。

 

 

 

だが、これとは別に(幸福感)という概念を知った。

上記で説明した「幸福」や「幸福感」と、ここで説明する(幸福感)は別の概念である。

「幸福」や「幸福感」は言語や認知によって統制されたものであるため「」を使う。

一方で(幸福感)は心の声という意味で()を使った。たまに本や漫画で主人公の心の声に()を使うことに由来している。

(幸福感)は言語や認知の及ばない、俗に言う無意識の領域にあると思われる。

 

SMクラブというのは一般的な人々から見ると特殊な人が集まっているように見える。

S嬢は豚野郎と腹を立てながら男を殴り

M男は「あぁっ!」とか言いながら痛そうに喚く。

「腹を立てる」「痛い」というのは一般的にネガティブな感情とされるが、この男女はそれに実は喜びを感じあっている。

このように言語的に「不幸」であっても内的には(幸福感)を感じている場合がある。

これは逆もしかりである。

 

 

 

 

この内的な(幸福感)はシバシバ「幸福」や「不幸」に引っ張られがちだ。心の内側ではその状況を嬉しいと感じているが、一般的にその状況は「不幸」と評価されるという理由で(幸福感)を失うような選択をしてしまう事がある。コーチングではそういった状況を見極めることも重要なことである可能性がある。

 

 

ふと浮かんだ言葉だが良かった。

今を愛す。今に着目する。その他諸々、「今」についての言及は昨今猛烈に増えている。

でも同時に「今を手放す」ことについて考えた方がいいのかもしれない。
今目の前に美味しいケーキがある。食うと美味い。幸せな気持ちになる。でも、この気持ちや幸せを手放さなければケーキがなくなり、その余韻がなくなった時、それは絶える。
9秒台を出し、悦びに浸る。でもその喜びや幸せを手放し次の悦びに向け歩みを進めなければ、それは絶える。


なんだか株やFXに似ている。安く買った株が急に高値になった。でも、「もっと高値になるかもしれない」「もっと高値になるかもしれない」と思っているうちに元々の価値に戻ってしまう。
着実に資金を増やすのならば、安値で買い、高値で売るというサイクルを繰り返さなければならない。

幸せを味わい、それを手放す。
そんなサイクルが実は重要なのかもしれない。

浪人時代の僕はどんなだったのか思い出した。

 あの頃の僕は【1年で偏差値70】を目標に掲げて浪人を始めた。最初の半年は地獄のように勉強したが日本史で躓いて偏差値は39程度だった。
だが政治経済に科目を変えてから猛烈に成績が上がり1ヶ月後には偏差値60にまでなっていた。
睡眠障害に悩まされたが勉強のリズムや方法がかなりわかってきていたので、将来の事を考える余裕も出てきた。
僕は将来どんな人間になりたいか。そんな思慮を毎日積み重ねていった。将来の自分像には陸上競技に取り組む自分も含まれていた。選手として、指導者として様々な人に良い影響を与える。
そんな目標を実現するために浪人生と実業団選手を両立するようになる。
朝10時に起床し予備校の自習室へこもる。16時になったら競技場やジムへ行き練習。19時ごろに自習室へ行き勉強。23時に自習室が閉まり、中野セントラルパークのマックやガストに移動して深夜2時まで勉強。そんな生活をしていた。
高校生までの僕は自分についてこう思っていた。「僕は一つのことしかできない。」

だが、その認識は覆され僕の人生で初めて二つのことを本気でやりはじめたのがこの時期だった。これにより得られた自信は大きかった。
「僕はまだまだ色んなことができる」
そんな自信に満ち溢れた。
そのエネルギーは新しい事を構想し、実行する突破力となった。
「そんな事できないよ」「いますぐやめなさい」と言う家族や大人達に反論し続けられたのもこのエネルギーによるものだろう。






さて、今の僕にはこういうエネルギーや自信、本気で取り組んでいるものはあるだろうか?
恐らく一つもない。コーチング、金稼ぎ、勉強、陸上、全て10%以下の本気度でやっている。自信もないわけではないが、これもまた10%くらいだ。必要性すら感じていない。
エネルギーはあるが身体的なエネルギーが少な過ぎで精神的エネルギーを発散できないでいる。だがこれについても悪足掻きする必要性は感じない。




けど、僕にとって今は理想的なのか?どんな状態だったら理想的なんだろうか?
さっきも述べたように自信やエネルギーについては必要性を感じていない。

ただ、一方で
「自分は本気でやってる。」
「なんなら2つ同時でもできる」
という自信や認識は獲得しておきたいと思う。




では、これを実現する為にはどんな行動を取っていこうか。
まずは目標設定だ。現実的に可能なラインよりも上に設定する。
コーチングでは11月15までに100時間を達成する。それだけでは形骸的な進歩しか見込めないのでコーチングバイブルも11月までに読破する。
陸上では残り2週間で11.1を達成する。陸上コーチでは今シーズン、あと2人自己ベストを更新させよう。
金稼ぎでは11月までに実践へ移ろう。

これらの目標の進捗を確認する事で自分が今どこにいて何が足りないかを逐一考察しよう。
明日、僕がこれを達成する為にできる事は
コーチングの練習相手を3人探す。
本を読む
練習する
返事を返す
金稼ぎの練習をする。

こうやって見ると、実にシンプルだ。
案外簡単そうだ。
今、ふと浪人時代のことを思い出した。
浪人時代は本当に刺激的で学ぶことも多かった。

大きなもので言えば
・俺って同時に2つの事にコミットできるんだ
・俺ってお堅い勉強も好きなんだ
かな。


そんで、それを題材にこのブログに書き込もうとした。


でもふと思ったのが、「ブログって過去を振り返って終わりだよね」
今までのブログだと昔のことを振り返って終わってしまう。


それって果たして有益なの?
もしかしたら、ただ振り返って「あの頃は凄かった」と思うよりも価値あるブログ更新も存在するんじゃないの?
と思ったのが今。