母の看取りに立ち会った三男の様子がおかしい…
瞳にすりガラスのような曇りがあり、話していても何となくズレる
母の死に対して距離がある
現実として見ようとしない…
母は19歳になる三男が産まれる前に胃がんの手術をして、その後心と身体のバランスが崩れていったので三男の記憶にはその部分が残っていた
しかしそれさえもあまり覚えていないと言い始めた。
自分でも何だかボワーとして実感がないと。
「踏江さんと話したい」と言ったので
個人セッションをお願いした
まずコンタクトから始まった
「まず貴方に必要な事はどんな時にも自分を生きているか?
ヒトではないのです
人を見ているのが自分なのか?
ジャッジではないのです
自分を見なさい
常に自分を見なさい
その上で生きるヒントをヒトが与えてくれているのです
自分を真摯に生きなければ
ヒトからのヒントも受け取れず
相手を見定めるような眼しか育たないのです
自分を見ることです
そして自分を知ることです
それを怠ると貴方は自分から離れていくでしょう
そして生きている事さえ現実にあったのかどうかわからなくなって
虚の世界に入り込みます
自分を知ろうと思う事です」
その後、三男の見えた世界、感じた世界、ヒトが亡くなる事、ヒトが産まれる事、そのヒトの命のつながり…
一つ一つ丁寧にやり取りをして頂いた
今世持ってきた思考のクセ、資質は死ぬまで持つ
でも自分を見て自分を知ろうと本気で思い、乗り越えようとするならば、周りからの沢山のヒントをもらい、自分を変えていける
三男は父、私とよく似た資質を持っている
私にとっても今世のテーマだと実感している
これから先も何度も資質やクセが出てくるだろう
その度にもっと大きな自分になりたい、もっと自分を知ろうと思え、変わろうとしたなら、もっと奥の自分に出会えるだろうと思う
息子と共に私ももっと奥の自分を目指していきたいと思った
母の死はそんな機会を与えてもらった
母は「教える」を身をもって見せてくれた人だったと改めて実感している