行きつけの店と幸福感 | 続・日々コラム・・・

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「若いうちは、行きつけ(の店)なんか作るもんじゃねえぞ!」

若き頃、京都の思い出の一つです。生意気に馴染みの小料理屋を作って、「まいど~!」とかやっていたら、お店のマスターにこう言われました。
「世界を小さくするな」ということです。

ま、それは僕としては脳内賛否両論なんですけど、「自分の店ばかりに来るな!」というのは、商売人のお立場を考えると、ものすごく思いきったアドバイスですよね。カッコいいです。

ところで、昨日仲間との雑談の中で出た話ですが、「あなたは幸せですか?」と聞くと、最近の若者には「自分は幸せだ」と答える人が多くなっているのだそうです。

若者が「自分hあ幸せだ」というのは、一見するとよいことです。
よい社会なのだと言えるかもしれません。たしかに、飢餓や戦争があるわけではないし、穏やかに暮らせている事はまちがいないわけですけれども・・。

僕らの意見として、「自分は幸せだというのは、引退した老後の人の発言です。
若いうちは、たとえどんなに恵まれていたとしても、それに気づかず、「まだまだだ!」と、自分にも社会にも抗っているものではないかと思うんです。

もちろん、たまに自分の幸せに感謝することは大事です。
実際は、持って無いものよりも、持っているもののほうが多くあることに気付いて、そんなあたり前だと思っている事に気づくことも大事です。

それでも、「自分は幸せだ」というのは、歳とって、もうあとは「受け入れる」ことしかできなくなったときの、究極の生き方、考え方だと思うのです。

いまの若者が「幸せだ」と自らをおもうというのは、もう「自分の環境を変える元気がなくて、未来に希望がない」ように思える、というのが中年4人の意見でした。

若いうちは、安心して落ちつけるようにこころがけることよりも、たくさん未知の環境に出会って、つまり「旅」をすべきだ、と小料理屋のマスターは教えてくれたように思います。

精神が「旅」をしなくなったら、安定しているように見えても、実は人生終わりなんです。


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