最近のクララは急展開を迎えている。
(恋愛系ではない)
タロットにはまっていることもそうだし、
読者さんの一部には打ち明けたとんでもない「あること」に挑戦中である。
信じられないようなことが次々起こって、幸せといえばそうなのだけど、
生きることを諦めて、残りの時間を消化試合と考えていたし、
仕事も休んで冬の間は寝込んでばかりいた私には、処理しきれない。
人と接する機会も増え、過緊張状態から抜け出せなくなり、眠れなくなり、体が悲鳴を上げ始めた。
そこで私はまたレイさんに頼ろうと考えた。
しかし、予約を入れたのに返事がこない。
いつもなら「こんなに早く?」ってくらいすぐに予約完了しましたメールがくるのに。
2日くらい経って、レイさんのメールにはこうあった。
「ヒーリングだけなら受けます。
カウンセリングや相談はお役に立てません」
レイさんのセッションは表向きヒーリングなのだけど、実質カウンセリングもしてもらっていた。
通い始めて6年。
そのカウンセリングの中で、たくさんの気づきをもらったし、何度も命を助けられていることはこのブログに記録してきた通り。
6年間、レイさんは私の人生の伴走者だったのである。
しかし、あの事件のとき、私は初めてレイさんの言葉が耳に入らなかった。
「これもまた神様が与えてくれたギフト」だというレイさんの考え方がどうしても受け入れられず、
他のカウンセラーさんたちにしてきたように、真っ向から反論し、拒絶した。
でもどこかで私は甘く考えていた。
私の気持ちが落ち着けば、またレイさんは私を支えてくれると。
本当に甘い考えだったと、思い知らされた。
考えてみれば、当然である。
私はまだ、性犯罪が神様からのギフトだという考えを受け入れ切れてないし、
その点でレイさんとは決して相容れない。
レイさんにとっても私はとても扱うのが怖いクライアントに違いないのに。
レイさんなりに考えた結論がこの回答なのだろう。
私はとりあえずキャンセルの連絡をした。
連絡をした後、ふかーーーーく落ち込んでしまった。
急にはしごをはずされたような、杖を取り上げられたような不安感が襲ってきた。
私は本当に一人になってしまったんだな、と思った。
レイさんにさえお手上げだった自分を抱えて、一人でこの世界を生きていくことができる気がしなかった。
レイさんが紹介してくれたテルさんは「また助けが必要なら連絡してください」と言ってはくれたけど、
それはレイさんも同じことを言ってくれたし、正直頼りづらい。
テルさん、もしくは他のヒーラーやカウンセラーに助けを求めるのか。
それとも、これを機会にスピ系とは一切縁を切るのか。
迷っているところである。
思えば私はかつて、一度スピ系と縁を切っていた。
でもレイさんと出会った。
そしてまた別れた。
私と一生一緒にいてくれる人なんていないんだなと思うと。
安易に人を信じるのは怖い気がする。
いったいみなさんどうやっているんだろう。
それでも信じているのか?
それとも人なんて信じたフリをしているだけ?
それとも「適度に」信じるという器用なことができるものなのか?
わからん……
昨日、記事をアップしてから、某ブログで「めんどくさいかまってちゃんな人」について書かれた記事を見た。
かまってちゃんの仕組みは、
かまってちゃんは、「迷惑をかけないように」生きている人。
だれかにかまってもらわなくても生きていけるように必死になっているのだが、
その心のおくには「いい子でいないと愛されない」子供の頃の記憶があって、
「本当はかまって欲しい」という思いがだだもれになった状態が「かまってちゃん」である。
というような説明だったと思う。
その癒し方として、小さい頃の自分の感情を受け入れることを推奨してあった。
「もっと甘えたかった」
「もっとかまって欲しかった」
「寂しかった」
と認めることだと……
なるほど、さっそくや……りたくねえ!!
なぜなら飽きたから!
だってそんなことかれこれ10年私やってきたもの。
でも、あんな事件に遭い、以前よりもっとめんどくさい人間になっている気がする。
ちっとも癒されてないし、成長してない、私!
ましてや誰にも愛されてない!
ほんとにきくんかそれ?
じゃ今までさんざんやって、浄化タイムと称して流した私の涙は私のどこに効いたんでしょうか!?
もう私10年ちょっとしか生きるつもりないんですけど、
あと何十年かかりますかそれ?
いつか私も頻繁に改行したキラキラブログ書くようになりますかね?
私もあの頃は辛かったけど、いまはこんなに幸せだから、みんながんばってね的な。
……しかし、本当に深刻なトラウマになった場合の癒し方については、キラキラしたスピ系ブログや心理系ブログには書かれていない気がする。
私は星占いのブログも愛読していて、新月や満月に願い事を書いたりしていたのだが、
そも「叶いませんでしたけど!?」と思ってしまう。
というわけで、めんどくさい自分をもてあますことしかできない今日この頃。
でも、ウォーキングとかで気を紛らして、立ち直ることはできるようになりました。
※頭の上をブンブン飛び回るハエを追い払ったからといって、自己肯定感はあがりませんよね?
なんだか鬱々として眠れないので、久しぶりにブログを書いてみる。
クララの夢は52歳で死ぬことである。
以前は56歳だったけど、ちょっと短くなった。
某女性アナウンサーが52で亡くなったとき、不謹慎とは思いつつ私はとてもうらやましかった。
ちょうど次の天中殺の時期でもある。
おそらく次の天中殺は乗り越えられないだろうと考えていることもある。
あと10年くらい。
ただ時間が過ぎるのを待とうと思っていた。
ただ呼吸をして、生命維持活動をするだけの人生でいいと思っていた。
駄目すぎる自分を受け入れて、誰とも関わらず、なにも期待せず、生きていこうと思っていた。
でも……
ほんのちょっと油断すると他人とのかかわりができてしまう。
外の世界をのぞいてしまうと、私もそっちへ行きたい衝動が起きてしまう。
でも、コミュニケーションが極端に苦手な私にとって、人と関わることは楽しさとは比較にならないほどの苦痛を伴う。
他人に嫌われたり、怒られたりすることに耐えられるエネルギーは残って折らず、どくどくと血を流しながら倒れるしかない心地である。
今日もちょっと他人とうまく接することができなくて、深くて暗い溝に落ちてしまったのだが、落ち込みながら考えたことがある。
自分の人間関係には、あるパターンがある。
「ひとつのグループにつき、仲良くなれるのはひとり」という法則がある。
集団の中にクララが入ると、ほとんどの人はクララを無視するか、よそよそしい態度を取るのだが、一人くらい仲良くしてくれる人がいる。
分かりやすいのは学生時代。
私の友人はいつも一人だった。
でも、一人というのが曲者である。
その一人をAちゃんとしよう。Aちゃんと一緒にいるときは私はのびのびして楽しく話すことができるのだが、Aちゃん以外のクラスメートがそこに加わるととたんに緊張し、挙動不審になってしまう。
そもそも、クララは大勢での会話が苦手である。(多分発達障害の症状)
でも、Aちゃんの友人はクララだけではない。
クララと仲良くしてくれるくらいだから、優しくて他の子にも人気のある子であることが多い。
でも、私と仲良くしているとAちゃんは他の子と仲良くできない。
そう考えて、私はAちゃんと仲良くするのを控えようとする。
でも、本当は仲良くしたいのを我慢するのはとても辛いし、
Aちゃんが他の子と楽しそうにしていると、激しい焼きもちを焼いてしまうし、「やっぱりAちゃんも本当は私に同情しているだけで、本当は私を嫌いなのでは……」と落ち込んでしまう。
本当は、Aちゃん以外の子とも仲良くできるのが一番いいのだが、どうしてもそれはうまくいかない。
Aちゃんが他の人たちとの窓口になってしまうことで、私は自分のコミュニケーション能力のなさに毎日傷つき続けることになる。
人間関係の下手さがまったく改善されないどころか、年を取るにつれて余計酷くなっている気がして落ち込むばかりである。
なのに、人と関わりたいという思いは消したつもりが、ふと沸いてくる。
そんなときどうしたらいいのかわからない。
人と関わりたい思いは、押さえつけて一人でいるのが安全なのは分かっているのだが、
つい関わってしまって、血まみれになって深く後悔する。
以前ならそんな生き方の癖を変えようと、レイさんに相談しただろうけど、
例の事件以降、一番大きく変わったことは「なんとかしたい」という思いがなくなったことである。
「がんばっても、どうせもっと辛い試練が待っているだけ」と思っているし、がんばれる気力もなくなってしまった。
レイさんに聞いたら「マイノリティだからあきらめてください」といわれる気もする。
というわけで、八方塞りなのである。
そのうち騙し騙し立ち直るとは思います。
※追記
本当に最近、自分がめんどくさくてしかたない。
レイさんの言うとおり誰かにかまって欲しくて、わざと自分を危ない目に合わせたり、病気にしている自覚はある。
しかし、そんな自分からどう脱却していいのかわからない。
うつ病の回復記録みたいなの読むと必ず配偶者とか親とか「近くで支えてくれる人」がいるよね。
いない場合はどうしたらいいのか。
それがわからない。
前回の続き。
レイさんに紹介されたのは、ホームページもなく、純粋に紹介だけでカウンセリングをやっている女性だった。
電話カウンセリングなので、仮名はテルさんにしようと思う。
当日、なぜか異常に緊張して電話をするクララ(電話ちょっと苦手)
テルさんはかわいらしい声の朗らかな女性だった。
(以下、記憶の覚えている部分だけをつないで書いているので、細切れです、ご了承ください)
まずは、予約した経緯を説明する。レイさんのところに10年近く通っていること、性犯罪に遭ってレイさんのところではどうにもならなくなったこと。
テルさん「不思議ですね。私も子供の頃性犯罪に遭ったことがあるんです。そのときは、『どうして!?』ってガイドに聞きました。そのときガイドに言われたのは『知っている必要があった』でした。あくまで、私の場合はですけど。
だから、今クララさんの辛さが分かるんで、そういう意味だったのなって思ってます」
クララ「それは……私の相談に乗るためにテルさんが性犯罪に遭ったということでしょうか? つまり、私のせいで、テルさんまで被害に遭ったと?」
テルさん「違いますよー! クララさんに限らずです。最初がクララさんだっただけで」
……納得はできなかった。
クライアントの相談に共感できるように性犯罪に遭わせるなんて、理不尽すぎる気がした。
私はどうしても性犯罪に遭った「おかげで」何かを得ることに抵抗がある。
テルさん「レイさんからの紹介だから、よほど強い悪霊でも憑いている方かと思ったけど、それはなさそうですね」
テルさんは、レイさんよりも霊能力は上らしい。上には上がいるものである。
テルさん「実は、クララさんから来たメールが文字化けしてたんです。だから読むのに処理が必要でした。これは、だれか邪魔する存在がいるのかなと思ったんですが、そういうことでもないようです」
テルさんの言うことがなんとなく感覚でわかる。
文字化けしていたのは、「クララには普通に話しても、伝わらない。通訳が必要」という意味だと思う。つまり認知がねじれにねじれているせいだと自覚はある。
テルさん「私はいつもクライアントさんの話を聞きながら、ガイドの声を必要に応じてお伝えしているんですが、今朝降りてきたメッセージは
ネガティブなスピリットはあなたを傷つけることはできない。
自分を信頼し、他人の支配をうけてはいけない。
彼らが欲しいのは支配される人間である。
自分に正直に生きなさい
生命の力を信じなさい
ということです」
ガイドのメッセージが今のクララにはまったく響かない。
私は、ネガティブなスピリットに傷つけられるのが怖いわけではないし、すでにもう十分すぎるほど傷ついてしまった。
支配するとかされるとかどうでもいいし。
自分に正直に生きていいなら「生きたくない」のが本音である。
そう言うとテルさんは「そう思うのも無理ないですね」と言ってくれた。
テルさん「今、クララさんと話してて、二ヶ国語みたいにガイドたちがいろいろ言ってくるんですよ。クララさんに生きていて欲しい人たちが。
『勇気を持て』とか『感情を大事にして』とか言ってくるんですが、今のクララさんにはどれもきついですよね?」
うん。
勇気ってなんのための勇気かわからないし。
感情見失ったし。
テルさん「どうもね、今のクララさんがレイさんのところに10年通って身についた『スピリチュアル的なものの考え方』が今のクララさんを逆に苦しめているようです。
今はいったんそれを捨てた方がいいみたいです。
もっとズルく生きることを考えてください」
……あー。
その通りかもしれない。
あとで考えて気がついたことだけど、私はいいことが起こると「ガイドのおかげだから自分の実力じゃない」と思っていたし、
悪いことが起こると(おかしな人に出会うとか)「私の波長が低いから引き寄せたんだ」と思っていた。
レイさんは「ちゃんと自分を褒めなさい」って何度も言っていたのに。
中途半端なスピリチュアルが、今の私には苦しいのかもしれない。
人生はいろんなものを身につけるんじゃなくて、どんどん手放して軽くなっていくためのものだと言うけれど、レイさんとの関係は手放したくなかったな……。
そういえば、テルさんにこんなことも言われた。
テルさん「クララさんのエネルギーを見ていると、ものすごく強い『支配』を感じます。
多分お母さんでしょうね。なくなっているとは思えない存在感というか、強いエネルギーです。子供に対する愛が強すぎて、つよく縛り付けていらっしゃるから、クララさんは苦しんじゃないかなと思います」
でたー。
霊能力のある人に必ず言われる「母の存在」
レイさんにかなり抜いてもらったと思っていたのに、まだまだ全然エネルギーコードつながっているのね。
ってことは、私自身がまだ母に執着しているということ。
多分だけど、私には「自分」がない。
私の中身は「母」だった。
他人軸ならぬ母軸で生きていたことに気がついた私は、気がついたら今度はレイさん軸で生きていたのかもしれない。
レイさんともスピリチュアルな考え方とも離れて、これから自分がどうなるのか不安でしかないけど。
しばらくは「ゲスく生きる」ことを目指してみようかなと思う。
最後に、私はやっぱり性犯罪被害が神様からの試練やギフトだと思えない。
たとえ、お母さんの愛を確かめる為であろうと、前世の自分を癒すためであろうと、クライアントの話を共感的に聴くためであろうと、「性犯罪に遭わせる」と決めた人がいるなら私は許さない。
たとえそれが神様でも、私自身でも。
少なくとも今はそう思っている。
※長くなってもうしわけありませんでした。