母の言葉がでなくなりまして。その終わり


本日、母親が退院しました!

今回も特に後遺症なく、退院できました。


とにかく病院で痙攣が起きたことが幸いしました。
医者は痙攣時、自宅で待機していろと指示をだしていましたが、
看護師長が入院をすすめたため、入院することになり、
その結果、病院でタイミングとして全身痙攣が起こりました。

本当に看護師長さんに感謝です。

もし自宅に帰っており、夜中に全身痙攣が起きた場合、
すぐに抑えることはできないので
なんらかの後遺症が残っていたかもしれません。

前回のくも膜下出血の時もそうなのですが、
病院での発症が今回のキーでした。

そういう意味でも、病院従事者とは恵まれていると思います。


しかし、一応痙攣を抑える薬は服用していても、
次にいつ、どのタイミングで、どのぐらい重度な痙攣が起こるかは
誰にもわかりません。

痙攣の経験が多い人は、痙攣前の発作的症状を察知できる方もいるようで、
できたら今回の痙攣で母もそれを掴んでくれたらと思います。

そして、これからの母の生活で一番の課題は移動手段だとおもます。
今まで公共機関、つまり電車(人がたくさん集まる乗り物)が苦手で
バイクや車を使用していたのですが、
いつ痙攣が再発するかわからないので、少なくとも半年は
これらに乗ることができません。
何十年と生活していた移動方式を変えることにまずはなれなければなりません。

例えば、近くにはいつも行っているスーパーはありません。

そのへんをどううまく付き合うか、見守っていかなければなりませんね!


最後になりましたが、
お見舞いに来てくれた方々、
いつも助けてもらっているクラスメイト、
メールで励ましていただいた方々、
その他いろんなツールで励ましてください
本当にありがとうございました。

感謝は伝えきれないほどです。


願わくば、次の痙攣が起きないことを祈って。。。


今回の「母の言葉がでなくなりまして」はこれで最後とさせていただきました。


ありがとうございました。


母の言葉がでなくなりまして。その7

今日は医師のムンテラ日。
学校終わっても5~10分ぐらい余裕があったんだけど、
終礼中に抜けるのも間が悪いなと思って
始まる前に抜けさせてもらった。

クラスメイトには連絡などを教えてもらえるようお願いした。
本当に感謝です!


医師の説明は以下のような感じとなった。

くも膜下出血で外科的手術を行うと
後遺症などが与凝ることが多い。

しかし母親は現れなかった。
また、くも膜下出血を起こした場合、
術後、だいたい20%ぐらいの確率で痙攣を起こす事がある。

その痙攣は大体術後半年か1年以内に起こり、それ以上でも発生する場合がある。

今回母親は金曜日から頭が痛い(気持ち悪い)といっていた。
それが徴候だったようだ。

夜、言葉が出なくなったとき、また、以遠の住所がいえなくなったときも
それだけでは、医師は診断ができなかったらしい。

CTをとっても異常はない。
また、脳梗塞などを起こしているならば、朝の時点で頭痛がしていると、
夜CTをとると少しでも影がみえるそうだが、それもなかった。

そして、痙攣がきた。

それで医師は、これはクモ膜下手術後の後遺症として、
痙攣が起こっていると判断できたそうだ。


今後の事。
仕事をストップ書けることは無く、配慮しながらの労働は可能とのこと。
しかし、いつまた痙攣が起こるかわからないので、
(そして病院で勤めているという社会性から)
今後職場復帰できたとしても、バイクや車などでの通勤は認められないそうだ。

以前京都でテンカンをおこした男性が車で暴走したというニュースがあった。
それがいつ母親に起きるか分からないと考えると、
当然、移動手段は公共機関に頼ることになる。
自転車ですら、のってよいのか考えるほどだ。

ただし、以前と同じ職場で働くことが出来るのか、
仕事内容にも変化があるかもしれない。
それでも母親には働く意思がある。
そのことを鑑みて、人事の件は病院の上層部にお願いするそうだ。

微熱が続いていることに対しては、
炎症値は特に上がっていないとの事。

念のため、明日また血液検査をして、
結果が良好なら、今週末か来週頭に退院する予定である。



母の言葉がでなくなりまして。その6

土曜日、特になし!
調子も良い。

ただ、微熱は続いており、
今のところ退院の目処もついていない。

退院の話がないので、
母親はすこし心配しているようだが。
なにかムンテラで自分の悪い病体が言われるのではないかと
密かに思っている。

日曜日はゆっくりしたかったので
病院はオヤスミしました!(>_<)


今回は何も報告がないですが、
明日は医師のムンテラがあるので
きっと書くことはある!


ひとまず、病理学の勉強範囲おおすぎ・・・(*´Д`*)


母の言葉がでなくなりまして。その5

今日はとても調子が良い。
ケータイの電話機能もちゃんと覚えていたし、
コソアド言葉も大分減っていた。

それとなく会話していても、特に問題は無いようだ。
自分の兄弟の人数。現在何名生存してるかなどはしっかり答えていた。
自分でもどこかで何かが抜けているという自覚があるからか、
自主的に言葉の確認に参加してくる。


病状は良くても、
本人は「何でこんなことになったんだろうね」
「こんなことしてる場合じゃないのにね」
と言ったりして、落ち込んでいる様子もあった。

主治医からのムンテラは月曜日にある予定。
今日は学校でインフルエンザの予防接種を受けたので
病院に行く時間が遅くなり、ムンテラをしてもらう時間は取れなかったのだ。
(ちなみに予防接種代は学校持ちという。
 グループ全体ではニュースになるぐらい大赤字なのに、大丈夫なの!?)

主治医が母に言うには
一度クモ膜下の手術しているので
そのときの後遺症が今になって現れているのかもしれないとの事。

なんにせよ、詳しい説明は受けていないようだ。

このまま、何事も無かったかのように
退院するのだろうか?

元気になるのは嬉しいけれど、
今後が心配。


とりあえずは。
今後は電車通勤ね!と言っておいた。


母は「自転車はだめ?」と伺うように聞いてきたけれど。




余計疲れるだろうから、だめですよ^^



素直に、元気になってよかったです(´ω`)

母の言葉がでなくなりまして。その4

昨日はアレをもってこい、コレをもってこいというメールが
夜だけで5通以上は来ていました。
当然毎日学校で教科書いっぱい+母親分の荷物を持ちながら
学校に行くことは困難なので、諦めて早めに起きて
病院によってから学校に行きました。

おかげさまで授業中に睡魔さんにK.O.されましたΣ(ノ∀`)


しかし、日に日に良くなっていっている気がする。
今日は朝も夕方も返答がしっかりしていて、
意識レベルもかなりはっきりしていた。

「アレ」や「コレ」といった指示語を使い、単語が出てこない様子も
大分減ったと思う。

熱は微熱。37.4度程度。
前回のくも膜を手術したあたり、左側頭葉がすこし鈍痛がするそうで
氷枕を貰っていた。


ただ、やっぱりケータイが電話を出来るものだという事は忘れていて・・・。

私:「ケータイは大きく二つのことが出来ます。どんなことでしょう?」
母:「メール」 ←相変わらずメールは返事が早い。
私:「そうそう、メールもできるね。もう一つは?」
母:「メールあんたにうったやん!」
私:「うん 昨日たくさん来たね」
母:「トイレいってくる」
(トイレから帰ってきて)
母:「わかった!写真とれる!」
私:「そっか、写真も撮れるね、じゃあもうあと1個あるわ~」
母:「・・・」
私:「これなんていうの?ケータイ○○○って言うやん」
母:「けーたい・・・でんわ・・・あ、電話かー忘れとったわー」

これは“ついつい忘れたこと”になるのか、
“本当に忘れていた”のかは少し微妙なところもあるけれど、
やっぱり普通はケータイで電話できるということは忘れないと思う。

受け答えもしっかりしているし、コソアド言葉(コレ、ソレ、アレ、ドレ)も大分減った。
でもこうしてたまに抜けていることが怖いと思う。
それが倒れたときに、電話をかけるという行為を忘れていたらと思うと
とても心配になる。

だからかもしれないが、家には固定電話がないので
母親には「ケータイは電話をすることができる」ということは
しっかり覚えて欲しいと思う。

考えすぎなのかな・・・。

日に日に見た感じは良くなっているので
このまま良い方向に持っていければと思う。

しかし今後職場復帰はできるのか。
できたとしてもバイク通勤はやめて欲しいと思う。
 (前々から言っているが頑なに嫌がっている・・・)
考えなければならない「今後」はたくさんある。

ひとまずは
主治医のアポが取れれば、月曜日の夕方から話があるそうだ。
今後の治療方針としては、明日血液検査があり、
薬が効いているかのチェックが入るそうだ。

結局のところ、痙攣の対処治療しか出来ていない現状は少し不満ではあるけれど。


ちなみに飲んでいる薬はデパケンR・・・。
昔心療内科で勤めてたときそいえばよく処方されていたような・・・。
副作用で精神症状がでなければいいけれど・・・落ち込みとかさ。

考えすぎかな。


ひとまず来週退院するにしても、
学校の試験ある・・・のよ・・・おかぁさま・・・。
病理学と生化学・・・いえぁあ・・・!!!

が、がんばります(>A<)

母の言葉がでなくなりまして。その3

昨日の昨夜、持ってきて欲しいものをメールしてといったら
以下のようなメールが来ました。

母:「ぴ?ぱーざーとーもってきて」(原文)


すんません、何かわからないです・・・。


朝、早朝に病院に寄る。
院内の食事には食べるための道具、お箸やスプーンは付いておらず、
自分で用意しなければならない。

それが本数が少なかったので急遽朝に病院へ寄り、補充しなければならなかった。

病室に行くと、母は起きていたが、大変ぼーっとしており、
調子はどう?と尋ねても、

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん」

間が長い。
なんとなくすべての言動において、反応が鈍い感じだった。

夕方にまた来るね、といっても先のような生返事だった。
夕方に来たときにこんな感じのままだったら大変だなぁと思いつつ。


いざ夕方来てみると、母親は明らかに意識レベルが上がっていた。
受け答えも明瞭に答えることができた。

昨日の缶コーヒーの件は、あえてこちらからは振らなかったが、
「私がヘンだったのかな」と言っていたし、
「★っ子は聞こえてなかったんでしょう?」とも言っていた。
自分でまぁあの時はヘンだったんだな、ぐらいで落ち着いたらしい。

食欲も特に問題はなかった。
熱は7度2分と少し高め。
寒気はなし。

これは回復の兆しかな?と思っていたが、やっぱり違和感は残った。

それは、今日は「絶対」や「信じて」といった言葉はいわなかったが

「キレイメ」 という単語に執着していた。

キレイメとは綺麗目で、Tシャツや靴下を
普段の部屋着じゃなくて、「綺麗目」のものを持ってきて欲しいという意味の
キレイメだ。

この文字を何度も書いて、「キレイメ」を指差し、
「この(綺麗目の)Tシャツ持ってきて」
「この(綺麗目の)くつもってきて」
と言っていた。
問題なのは「キレイメ」に執着していることもあるが、
何よりそれが言葉に出てこないことだ。

会話の途中でも、言いづらそうになるとメモ帳に書く。
それはキレイメだったり、別の単語だったり。
そしてそれを発話することなく、コチラに伝えようとしている。

自分でも「単語が出づらいの」と発話に対して難があることを自覚しているようだが。

一応本人に、MRIとってもらえるように言いなよとは言っておいた。
本人も希望していた。
明日ちゃんと言ったか確認しなければ。。。

そして今日一番気になったことは、ケータイの電話機能を忘れていたことだ。
メール機能はすぐに操作し、覚えているようだったが、
ケータイには電話機能があり、電話するとお金がかかる、という事を
すっかり忘れていた。

そしてケータイに、「ケータイ」という文字が書いてあると思い込み、
ずっとケータイの外側をぐるぐるしながらケータイという文字を探していた。
その時の様子はこんな感じ。↓↓↓

母:「(ケータイをぐるぐる見回す)・・・ないなぁ」
私:「何がないの?」
母:「このケータイ、ケータイって書いてないねん」
私:「うーん、ケータイには普通ケータイって文字は書いてないよ」
母:「えっ、そうなん?」
私:「うんそうだよ。書いてないよ。このケータイ電話できるって知ってるよね?」
母:「え?電話?これで??」
私:「うんできるよ、ほら、ここ自分でかけた発信履歴あるじゃない。
   この店に電話したって言ってたよね」
母:「あ・・・・あー。そうか、電話できるんだ。店に電話はしたなぁ」
私:「そうだよ、電話したらお金かかるしね」
母:「え、これで電話したらお金かかるの?」
私:「かかるよ、ケータイの電話機能はお金がかかるんだよ」
母:「なんだかシナプス(脳の回路)が繋がってないなぁ」

この一連のやりとりをどう見ればよいかはまだわからない。。。


しかし、古い記憶(昔住んでいた場所の住所)や新しい記憶(今住んでいる場所の住所)は
しっかりいう事ができた。


すこし寂しいのか、単にすることがなくて来客が嬉しいのか
なんだかとっても構ってオーラが発動されていた。
便秘気味なので、大腸をマッサージして欲しいといって
数十分にわたりマッサージさせられたり、
かえるときも自分の稼動範囲(部屋の出口まで)見送って
自分が角を曲がるまでじっと見ていたりしていた。
寂しいのかな・・・?


ケータイで文字も打ちづらいらしい。
(ただ文字盤が見えづらくて打ちづらいのか、単語が出てこなくて打てないのかは謎)
文字が変だったりする。

これを書いている途中にもメールが何通かきた。
「本、メガネ、宜しく Zzz」
「気付けて Zzz」 ←気をつけてって言いたかったのかな・・・(汗
「ブロッククス」 ←クロックス(院内のスリッパ)と言いたい模様
「もしかして、白髪派が隠し塗って防止かふふる帽子ないかな」 ←????

普段から結構メールは解読不可能だったけど。



本 当 に 分 か り ま せ ん で す 。 ハ イ 。



ちなみに、最初の
「ぴ?ぱーざーともってきて」



「ピンクのクロックスもってきて」

と書きたかったそうです。


わかるかぁヽ(´▽`)ノ!!!!


母の言葉がでなくなりまして。その2

昨晩撮ったCTでも特に異常は認められなかったそうだ。


昼頃、母親からメールが来た。
母「一週間入院だってよ」
私「そうみたいだね、昨日の時点で言われてたよー。
  ウチにメール送ったってことは、ウチの名前は思い出したんだね!」
母「そうやね」

ココまでは普通のメール内容、次から少し怪しい

(何の前ぶれもなく)
母「前入院のときに!!アラームなったやん!」
母「ケータイの受信機もってきて~」
私「えーゆー?」
母「ごめん、携帯の充電器持ってきて~」

…以下略。


同じ頃、昼頃、兄が母に会った。
缶コーヒーを上げると温かいと喜んだそうだ。
クチの乾き、寒気を訴えたそうだ。
終始寒いといい、缶コーヒーを抱いていた。

兄自身の名前までは聞かなかったそうだが、
兄の子供たちの名前などは写真から答えられたそうだ。
特に問題なく、受け答えも出来ると聞いて
少し不安なメール内容だったけれども、ひとまずは安堵した。


夜、母親に会いに行く。
ベッドの上には昨日自分が持っていったライトダウンジャケットと
兄が渡したであろう缶コーヒーが置かれていた。

病室で遠くから見かけると、外をみてぼーっとしている。
私「ウチの名前わかるんー?」
母「○○○やんな・・・・・・・・・・・えっ?!」
私「えっ!?あってるよ?」
母「う、うん。」
すこしまだ意識が混濁?しているようだった。

しかしそれ以外は普通に会話できたが、
母親が耳打ちしたそうにしていたので
耳を寄せると、不思議な事を言ってきた。

母「どんな小さな動きでも分かるセンサーってあるん?」

何を言っているのか分からなかった。

細かいことは割愛するが、
まとめると、どうやら母親は缶コーヒーを
「自分を監視するセンサー」だと思っているようだった。

それは髪の毛が揺れるほどの空気の動きでも反応し、
歩く足音やカーテンを引く空気の循環ですら反応し、音がなる。
それも50mも離れたナースステーションに聞こえるほどの音だという。
音自体はやさしくい音だそうだが、とにかく鳴ると大変なことになるらしい。

一応確認の為に、そのベッドに転がってる黒い丸いのと聞くと
肯定する。
アルミのもので、「貰ったときは何でこんなもの!?」と思ってヒヤヒヤしたそうだ。

早急に調べて欲しいといって、
それ(センサー?)に対抗するために、なぜかケータイの充電器が必要だとか。
充電器を渡してやると、センサーに対抗するという機能はすっかり忘れていらっしゃるようだったが。。。

本当に信じるから、といっても
特に耳についたのが下の二つの言葉。

「絶対」 「信じて」


どんなに「信じている」と言っても信用してくれなくて
少し沈黙が続くと「絶対だから!信じて!」と言ってくる。
そして、触らせようとしない。

「自分が夢うつつなのかもしれないけれど」とは言うけれど、
とにかく信じてくれない。
(缶コーヒーを)家にもって帰って調べるね、と言っても
「本当だから!絶対!信じてよ!!」というだけだった。


センサーのせいで動いてはいけないと思っているからか、
純粋にボーッとしているのかわからないが、
意識レベルはすぐに下がる気がする。
そして何かよくわからないものに執着する。
例えば床のゴミとか、濡れてもいないのに濡れているといった膝裏だとか。。。

膝裏が気になるようで、病院着の前あわせをはだけさせ、
下着が見えるのも構わず膝裏を引っかく。
普段の母は下着を人に見せるような振る舞いをするような人ではなかった。

コップに入った温かいお茶をあげると、こぼれるといっても聞かずに
傾けてこぼし、病院着を濡らしたりもした。
濡らしてもセンサーがあるので動けず、
立ちすくんだままボーっとしている。
まるでどうしていいか分からない様子だった。


このように、明らかに以前の母ではなく、おかしい部分がある。

しかし検査場は正常で、今のところ異常も見当たらないし悪化もないので
MRIなどを撮る予定は無いそうだ。

このままの状態で1週間が過ぎ、家に帰ってくることを考えると
とても不安になる。。。

妹曰く、認知症は急にはならないようなので一過性のものだと考えられるといったので
明日良くなっていることを臨む><

またしばらくは朝とも夜ともなく病院に通い、一人暮らしの生活を送る。
そして来週には試験が・・・ある・・・という・・・。



生きろ、自分~~~~~(>_<)ノ



母の言葉がでなくなりまして。その1

またこんな記事を書くことになるとは思いませんでした。
しかし、母の病態の証拠として、今回も記録の意味をこめて
日記を書いていきます。

(※Nsとは看護師、ナースのことを指します)


朝、後頭部に頭痛を感じたため、
前回のクモ膜下出血の事もあったため、CTを撮った。
しかし異常はなかった模様。

Nsが言うには「本人は金曜日から後頭部に頭痛を感じていた」との事。
そのままロキソニンを服用しつつ、日常業務へつく。
周りの同僚が見る限りは特に問題なく業務をこなした模様。

5:30の定時が来て夜勤Nsとの交代時に、指差しをしながら
視力にして0.3程度の比較的多きな文字が発音できなくなったそうだ。
そもそも、指差しの位置もずれていたらしい。

そのまま、何かをいいたそうにしていたそうだが、言葉は出てこなかった。
ただし、ずっとというわけでもなく、普通に指差しながら発話できたときもあるという。

会話自体は問題なく、ただ、思っていることが言えないといった具合だったそうだ。
Nsに付き添われて今日はタクシーで帰宅することになった。
しかしタクシーに乗る段になって、今度は自宅の住所を言う事ができなくなった。


これは帰ることが出来ないと判断したNsは母親を緊急入院させた。
そして6:30頃、兄に電話がかかり、兄から自分に連絡がきた。


ひとまず前回いりそうだったものをカバンに適当に詰め込み、
妹に第一報の連絡をとりつつ、病院へ急ぐ。
夜は雨の予報だったが、幸い濡れるほど降る事は無かった。

病院につくと、母親は前回と同じ脳外科の集中治療室にいた。
意識が少し朦朧としているが、
今日は何曜日と聞くと、「月曜日」と答えることができた。

しかし、自分を指差して、私は誰かわかる?と聞くと、
「うん」とは言うが、名前が出てこない。
分かるとは言っても終始名前は出てこない。


ひとまずは経過観察をしなければ、何が起きているのか良く分からない。

病院を後にし、親族その他連絡を取った。


その夜、手に痙攣が起こり、次第に全身痙攣となったそうだ。
しばらく痙攣を抑える薬を服用する模様。



こんにちo< ´0ω0` >oワー!
★でし0ω0ノ


最近めっぽう寒くなりましたね(/´△`\)
こんな時期に 電車通学 → バイク通学へ変えました。
ガイキチとしか思えません。

でもバイクでいったら
時間→半分以下
金額→半分以下 だから、しばらくはこれで繋ぎたいです(´ω`;)

さて、本日の飲み物はなかなか破壊力がありました!

あまおう大福ミルク!
$星っ子よりこんにちo< ´0ω0` >oワー!


何人かに飲んでもらって、味の結論がでました。

一口いれると ほのかにイチゴミルクの甘い味が漂います。

舌の上を通過すると あんことイチゴミルクの甘い味がします。

のどモト過ぎると
 葉っぱの味が鼻から抜けていきます。

 それはまるで薬のようなスーッと感。


がまんして(その時点で間違っている)飲むと
葉っぱ味はなくなって、ただのイチゴミルク+あんこ味と化します。



しかしどう考えても




500ml  は  罰  ゲ  ー  ム  で  し  か  な  い(/´△`\)





(/´△`\)

こんにちo<´0ω0`>oワー!
★でし(0ω0)ノ


今回はリプトンなのに抹茶ミルクでーす\(´∇`)/



これ、紅茶の味しました?
抹茶とミルクの味が強くて、紅茶どこ行った!って感じですw

でも、これ、

と つ て も お い し い で すドキドキ

これはリピありです、
クラスメイトの抹茶嫌いな子でも飲めたそうです(0w0)


ぜひご賞味あれラブラブ


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