なぜ美談は後から。 | マンモス☆南北東西を駈ける

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グラビアアイドル・モデル撮影会「グラ☆スタ!」主宰/フォトグラフィック・オーガナイザーのマンモス☆南のサブブログ。日々の喜怒哀楽を吐露?!

先日、田村正和さんの訃報が伝えられて、

様々なテレビ番組で追悼の特集が組まれたり、

ネットニュースでは生前の数々の逸話が取り上げられたりしていた。

特に、彼の役者としてのこだわりや、共演者への優しさなど、

残された者たちが学ぶべきことも多かったと思う。


最近、著名で才能の輝いていた俳優や作家などが亡くなった際に、

生前は触れられなかった考え方やエピソードが、

裏話的に語られることが少なくない。


ふとそれが不思議だなぁと思った瞬間があった。

というのも、、、


同じ世界、近い業界にいる人からすれば、

第一線で活躍している方々から、

直接何かを聞いたり、それを参考にしたり、何かに生かしたり、

積極的にするべきことも多いと考える。


それが、亡くなってから伝聞のように聞いても、

本当はもっと早くそれを知りたかったとか、

ただ受け身で知るのではなく意見を交わしたかったとか、

そういう風に思わないのだろうか。


確かに、全ての人がダイレクトにコミュニケーションを取れるわけではないにせよ、

もっと、この人のこんなことが知りたいと好奇心を持ったり、

逆に、興味のなかった人から興味深い話を聞けたりとか、

新しい発見を常々していくことが、刺激的な気がする。


テレビで言えば、

ドキュメンタリー番組や、対談番組などで、

人となりがフィーチャーされるのを見るのが楽しいと感じることが増えた。


いざ自分の生活に目を向けた時に、

私自身はとても人に興味があるし、もっと知りたいと思うことも多いので、

いろいろ話してみたいと思うことはあるが、

相手は必ずしもそうではないこともあって

(相手が他人に興味がないというよりは、マンモス南に興味がないw

本当は、手の届きそうなところにある美談に触れ損ねているかもしれない。


また、良く言えば阿吽の呼吸と言うか、

言わなくてもわかっているほどの信頼関係ができている人ほど、

改めて考え方を共有する機会を作らないかもしれない。


それでも、人の想いとか、生き様とか、人の数だけあるはずで、

敢えて言葉にする必要があるかもしれないし、

聞いたことがある話だとしても、受け手の状況によって

伝わり方や感じ方も違うかもしれない。


いず、結局のところ、

自分の信念や仕事の成果は、

常に誰かの心に刺さるほどに築き上げないと、

いつかひとり歩きしてくれないということか。