盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・前編 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

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 さて、去る4月5日(火)の「初盆」のブログの上段に、

「(前略)去る 一昨々年さきおととしの7月11日(木)の『盂蘭盆会うらぼんえ・前編」のブログ去る 一昨々年さきおととしの7月11日(木)の『盂蘭盆会うらぼんえ・中編』のブログ そして 去る 一昨々年さきおととしの7月11日(木)の『盂蘭盆会うらぼんえ・後編』のブログなどに、盂蘭盆会うらぼんえのことを記させて頂きました。なお、去る 4年前の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、4年前に 母親が 亡くなりました。それで、上記のように 初盆をもよおしました。それから、去る3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、今回 父親が 亡くなりました。そこで、父親の初盆のことであります。すなわち、早めに 予約を入れようと思いました。それで、3ヶ月以上前の3月31日に 予約を入れました。そして、翌日の4月1日 そして 4月4日にも、電話連絡しました。すると、4月4日の日没前に電話したときには 誰も出ませんでしたが、『すいません。今 電車内です。すぐ 折り返します。』とのメールが入りました。そして、『何度か電話を頂き、申し分けありませんでした。また、お電話を頂けると、有難いです。』とのことでありました。それで、電話をしてもいいのか、そして、電話したほうが いいように思われ、日没前(この日の日没は、午後6時6分) すなわち 午後5時47分に、電話しました。すると、住職が出て、皆 出てしまっていて、自分も 出先でさきとのことでした。すなわち、誓願寺に向かい その後 築地 西本願寺に行くとのことでした。そして、本日は 帰りがおそ くなるとのことでした。それで、予定を把握出来ないので、本日 事務から 電話連絡させるとのことでした。それで、誠に有り難いことに、その住職の父親から 本日の午前11時45分に 電話が入りまして 午前10時半ではなくて 午前10時から とのことでありました。それで、後日 すなわち 去る4月7日(木)の消印で、当方の増刷した成書を同封して お禮の便りを送りました。ついながら、本日は しくも、母親の誕生日であり 立ち日であります。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る5月15日(日)の「収骨(分骨)(父親)続報2・前編」のブログの下段に、

「(前略)姉夫婦には 上記のように 参加を拒否されてから 四回も 説得しましたが、結局 収骨(分骨)に 来ませんでした。(後略)」と記させて頂きました。姉夫婦には 上記のように 参加を拒否されてから 五回も 説得しましたが、結局 初盆に 来ませんでした。

 

 ときに、去る 4年前の10月30日(火)の「突然の僧侶の来訪」のブログの上段に、

「(前略)去る3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。このことが知られて、本日の午後3時3分に、急に 僧侶が見えました。 ちな みに、突然でしたので、あわてました。それで、 急遽きゅうきょ おもてなしの準備をしました。

(中略)

 ついながら、去る 一昨年おととしの7月4日(水)の『盂蘭盆会うらぼんえ・(うなぎ蒲焼かばやき・148[父親の食事])』のブログの冒頭に、

『(前略)去る5月8日(火)の【収骨(分骨)】のブログの上段に、某・本願寺の須弥壇に 母親の収骨(分骨)をしたことを記させて頂きました。そして、この某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 盂蘭盆会うらぼんえの案内が来ました。それで、父親と相談して 金1万円の お布施ふせを奉納しました。 ちなみに、去る 昨年の5月16日(火)の【母親のこと(母の日にちなんで・両親の食事)】のブログの中段やや上、去る 昨年の4月27日(木)の【無畏施むいせ(両親の食事)】のブログ と 去る 一昨年おととしの4月25日(月)の【祖母の三十三回忌】のブログ と 去る 一昨々年さきおととしの9月6日(日)の【 無畏施むいせ】のブログ のそれぞれ上段 そして 去る 一昨々年さきおととしの1月29日(木)の【ボランティア・地域医療・その3】のブログ に、この【布施ふせ】のことを記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、父親と相談して 父親が お布施ふせの金額を決めて、下の画像のように 金1万円の お布施ふせ と 金1万円の お車代を用意しました。

 

 

父親から とのことで 僧侶に手渡した お布施ふせ

 

 

僧侶に手渡した お車代

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 4年前の7月1日(日)の「のこと(さかき[家政婦への贈り物〚梅干し〛・父親の食事]・4)」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る 4年前の11月17日(月)の『黒胡麻ごま』のブログの中段に、

『(前略)古来、中国では、梅は薬用として用いられ、三毒(食物の毒、身体の毒、そして、水の毒)を消すとされています。 ちなみに、大乗仏典・維摩経によりますと、三毒とは  とん・  じん・  とされています。(後略)』と記させて頂きました。ならびに、去る6月23日(土)の『トイレ修理・時計の調整(家政婦への贈り物・父親の食事)・エコロジー』のブログの中段に、

『(前略)去る6月4日(月)の【家政婦への贈り物(うなぎ蒲焼かばやき・130[父親の食事])・大祓おおはらい】のブログの中段やや下に、

【(前略)ヘルパー(日本語:家政婦)にちなませて頂きます。すなわち、一昨日おととい すなわち 6月2日(土)の〖さかき(歯痛・父親の食事)・3(家政婦への贈り物)〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)去る2月20日(火)の〔うなぎ蒲焼かばやき・63(両親の食事)〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)去る2月16日(金)の〘母親の入院〙のブログの中段に、

〘(前略)姉には 下の画像の 減塩の南高梅の梅干しを 二つふたつ 手渡しました。

 

 

減塩の南高梅の梅干し

 

 

 

(後略)〙と記させて頂きました。そして、ヘルパー(日本語:家政婦)にも、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを 手渡しました。(後略)〕と記させて頂きました。それから、別のヘルパー(日本語:家政婦)にも、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを 手渡しました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、さらに 別のヘルパー(日本語:家政婦)にも、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを 手渡しました。(後略)】と記させて頂きました。そして、さらに 別のヘルパー(日本語:家政婦)にも、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを 手渡しました。(後略)』と記させて頂きました。それから、さらに 昨日も、上記の 『正露丸』のことを いたヘルパー(日本語:家政婦)にも、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを 手渡しました。 ちなみに、昔は おなかの薬とえば、毒消しの梅干しだったのです。なお、御承知のように、梅雨つゆ時の今頃は 食中毒の対策として 梅干しを摂取るといいとされていますね。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 4年前の7月22日(日)の「家政婦への贈り物(うなぎ蒲焼かばやき・158[父親の食事])」のブログの中段に、

「(前略)去る7月14日(土)の『初盆(家政婦への贈り物・父親の食事)』のブログの中段やや下に、

『(前略)去る7月10日(火)の【御神札おふだ(家政婦への贈り物・父親の食事)】のブログの中段やや下に、

【(前略)昨日も、ヘルパー(日本語:家政婦)に、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを お中元として 手渡しました。また、前述の 宅配食の配達員に 〖お見舞いを用意しました。〗と記させて頂きましたが、この配達員にも、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを お見舞いとして 手渡しました。(後略)】と記させて頂きました。

 および、昨日 すなわち 7月11日(水)の【宅配食の配達員への お見舞い(鰻の蒲焼・152[父親の食事])】のブログの上段に、

【(前略)昨日 すなわち 7月10日(火)の〖御神札おふだ(家政婦への贈り物・父親の食事)〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)前述の 宅配食の配達員に 〘お見舞いを用意しました。〙と記させて頂きましたが、この配達員にも、上の画像の 減塩の南高梅の梅干しを お見舞いとして 手渡しました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、下の画像の お見舞いを手渡しました。

 

 

お見舞い(減塩の南高梅の梅干し)

 

 

お見舞い

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。そして、昨日は、二人ふたりのヘルパー(日本語:家政婦)に、下の画像の 減塩の南高梅の梅干しを それぞれ お中元として 1箱ずつ すなわち 500g×2個入りを手渡しました。なお、この内の一人ひとりの ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、東京都板橋区で生まれて 所沢に引っ越した とのことでした。ちなみに、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、自分は 気が付かない とのことでした。ついながら、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、夜は 外出しない とのことでした。

 

 

ヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。そして、一昨日おとといは、ヘルパー(日本語:家政婦)に 上記の減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入り)を あげました。ちなみに、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、減塩でいい とのことでした。しかも、梅干しには クエン酸が含まれていますので、疲れが取れる とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 そして、前述の 去る 4年前10月30日(火)の「突然の僧侶の来訪」のブログの下段やや上に、

「(前略)僧侶に 減塩の南高梅の梅干し(2箱 すなわち 500g×2個入りを2箱)を あげました。

 

 

僧侶に あげた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを2箱)

 

 

 

 ときに、去る7月31日(火)の『アナウンサー(体温計・父親の食事)』のブログの上段に、

『(前略)去る3月17日(土)の【うなぎ蒲焼かばやき・80(生花・父親の食事)】のブログの中段やや上に、

【(前略)去る 昨年の3月12日(日)の〖アナウンサー・続報(両親の食事)〗のブログの上段に、

〖(前略)去る 一昨年おととしの9月2日(水)の〔アナウンサー〕のブログ の冒頭などに、

〔(前略)去る10月12日(日)の〘ダリアの花〙のブログ の中段に記させて頂きましたように、親戚に、N.H.K.放送センター(J.O.A.K.)の三輪秀香アナウンサーがます。(後略)〕と記させて頂きました。ちなみに、この4月から、このアナウンサーが 三年間の予定で 名古屋放送局(J.O.C.K.)へ異動することが決まりました。なお、N.H.K.放送センター(J.O.A.K.)では、誠に御苦労様でした。

 ときに、去る 昨年の3月14日(月)の〔親への買い物・8〕のブログの下段 そして 去る4月13日(水)の〔ノート・パソコンの購入 ・続報 4(言葉の意味するところの違い)〕のブログの中段やや上などに、

〔(前略)親によりますと、去る9月2日(水)の〘アナウンサー〙のブログ の冒頭に記させて頂きました 親戚のアナウンサーの結婚が決まったと聞いた とのことでした。誠に おめでとう 御座ございます。(後略)〕と記させて頂きました。ちなみに、このアナウンサーは、実家が 三重にあり 長女です。父親によりますと、将来 実家に戻り 家を継ぐために、相手の男性が 養子になることを前提にして 結婚が許されたのだそうです。このことにつきまして、母親によりますと 〔そうなの。〕とのことでありました。なお、異動先が 実家に近い名古屋放送局で よかったのかもしれません。(後略)〗と記させて頂きました。このアナウンサーの祖母から 生花が送られて来ました。それで、お返しをしました。(中略)

 送られて来た 生花(三輪家と書かれてあります)(後略)】と記させて頂きました。この祖母によりますと、【孫(このアナウンサーのこと)は、子供が出来た。】とのことでした。誠に おめでとうございます。(後略)』と記させて頂きました。上記の僧侶によりますと、このアナウンサーの 朝の番組(あさイチ)を見ていた とのことでした。

 ならびに、去る 一昨々年さきおととしの10月23日(金)の『レクイエム』のブログ の中段やや上に、

『(前略)一昨日おととい、祖母が通っていた、豊島区南長崎の誓願寺の住職が亡くなり告別式があったと、後日母親から聞かされました。姉が出席してくれた とのことでした。御冥福めいふくを心より お祈り申し上げます。この住職には 3人の子供がいますが、誰もあとがないとのことでした。しかしながら、この住職の妹が、得度とくどして あととのことでした。ちなみに、この住職の弟は、独立していて 住職になっています。さらに、その子供もいます。なお、去る8月30日(日)の【衝突しょうとつ】のブログ の上段やや下に、

【(前略)プロフィール(英語:profile)に記させて頂きましたように、東京都新宿区生まれです。(後略)】と記させて頂きました。この弟は、以前、この新宿区の自宅が商売をしているときに、アルバイト(英語:part‐time job:ドイツ語で【労働】を意味する名詞のArbeitに由来しますが、ドイツ語で Arbeit といえば労働全般をします)に来ていたとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、この新宿区の自宅が商売をしているときに アルバイトに来ていた弟というのが、上記の僧侶なのです。ちなみに、この僧侶によりますと、このとき 石油を運んだりした とのことでした。なお、小学生のときは、祖母に お世話になったそうです。

 および、この僧侶によりますと、順番では 父親のほうが 先にくべきところ、母親が 先にった とのことでした。ちなみに、百歳まで と 言っても、寿命は 選ぶわけに いかない とのことでした。なお、この僧侶によりますと、自分の 両親、兄、姉、西沢さん、庄野さん そして 千葉さんも亡くなった とのことでした。

 また、この僧侶は、寂しいとき、はらが立ったとき そして 愚痴ぐちを言いたくなったときの話をしました。

 しかも、この僧侶が、Krebs( ドイツ語)(ネガティブ[英語:negative]で御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、ドイツ語と同様に、かに[英語では、crabも かにの意味です]という意味も 御座ございます。この組織が かにの形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座ございますが、免疫担当細胞が このかにの形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)のことを言及しました。

 さらに、誠に有り難いことに、当家まで は、車で 30~40分で 来られるから なんでもない とのことでした。

 そのうえ、この僧侶によりますと、3月が 結婚記念日とのことでした。

 おまけに、バブルのときに 11億円を借りて、坪・65万円の土地を 千坪 購入して お寺を立てた とのことでした。但し、今では、坪・30万円に 暴落しているそうです。しかしながら、お寺だから 関係ない とのことでした。そして、この11月で この借金を返済する予定だそうです。ちなみに、今は 前住職であるが、自分の お寺 と 上記の誓願寺の両方のけ持ちをして来た とのことでした。

 のみならず、前回 当家で この僧侶に会ったときには、両親が うなぎ美味おいしい とされる店から 出前を取って、この僧侶に 振る舞いました。ところが、このときに限って この僧侶は 牛乳断食をしているとのことで はしをつけませんでした。ちなみに、この僧侶によりますと、祖母の なん回忌かに 当家に 来ている とのことでした。なお、この僧侶の実家である 上記の誓願寺のために、祖母は 寄付を集めて 貢献しているのです。

 くわうるに、この僧侶によりますと、71歳とのことでした。

 それから、去る4月19日(木)の『納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)』のブログの中段に、

『(前略)僧侶に手渡す 御布施は 金5万円とのことでした。そして、御車代が 金1万円とのことでした。なお、誠に有り難いことに、この僧侶によりますと、墓石には 縦に 【○○家】と書くのではなくて、下の画像のように 【南無阿弥陀仏なむあみだぶつ】と 記すのが 正式 とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。ちなみに、この『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』を 名号(六字名号)といます。

 この僧侶を 納骨に招くことに決めたのは、両親 と 姉夫婦でした。この僧侶 と 上記の僧侶は、別の僧侶です。ちなみに、誠に有り難いことに、上記の僧侶によりますと、当家には 私のほうさき とのことでした。

 そして、読経してくれました。また、過去帳の祖母 と 母親のところに 享年を入れてくれました。

 

 ところで、前述致しましたように、今回も 上記と同様に、急遽きゅうきょ おもてなしの準備をしました。それで、上記の僧侶は、飲み物(乳酸菌飲料)を飲んでくれました。そして、この僧侶が 帰るときに、この飲み物(乳酸菌飲料)を 数人分 そして 初物の蜜柑みかん も 手渡しました。ちなみに、午後4時頃 帰りましたので、父親と共に 外に出て 見送りました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 ときに、去る 4年前7月4日(水)の「盂蘭盆会うらぼんえ・(うなぎ蒲焼かばやき・148[父親の食事])」のブログに記させて頂きましたように、おぼんですので、父親の意向で この僧侶に来てもらうことになりました。ちなみに、上記のように、この僧侶によりますと、当家には 私のほうさき とのことでした。また、当家まで は、車で 30~40分で 来られるから なんでもない とのことでした とのことでしたのでね。なお、この僧侶の奥方によりますと、母親が亡くなったことを知り 驚いた とのことでした。

 それで、丁度ちょうど 2ヶ月前 すなわち 5月11日の午前9時頃に、予約を入れました。この僧侶は 2泊3日でないとのことであり、折返し 電話するとのことでした。ぐ連絡するとのことでしたが、午後2時49分に ようやく この僧侶の奥方から電話がありました。それで、土曜日 そして 日曜日は 多用であると思い、平日の候補を 数日 挙げて 選んでもらい、本日の午後1時半からになりました。そして、当日に伺うので、連絡は いいとのことでした。

 ところが、一昨日おとといの午後1時39分に、電話連絡が入りました。しかしながら、自転車に乗っていましたので ぐに 受話器を取ったのですが、丁度ちょうど 切れてしまいました。それで、こちらから 連絡しました。すると、その僧侶の子息(住職)でした。そこで、上記の この僧侶との歴史を話しました。

 

 つぎに、姉にも連絡しましたら、姉によりますと 堅苦かたくるしくないのがいい とのことでした。

 

 さて、去る 昨年の4月19日(木)の「納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)」のブログの冒頭に、

「(前略)去る3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、去る3月8日(木)の『うなぎ蒲焼かばやき・73(お通夜・父親の食事)』のブログ去る3月9日(金)の『うなぎ蒲焼かばやき・74(告別式・父親の食事)』のブログに記させて頂きましたように、お通夜 と 告別式がありました。それから、七七日 すなわち 四十九日の納骨がありました。この七七日は 4月22日(日)ですが、姉の都合で この日になりました。本日の午後2時から とのことでしたが、某・葬儀屋に 午後1時半集合とのことでした。それで、午後1時頃に 到着するように、一緒に タクシーで行きました。 ちな みに、朝から 父親によりますと、絶対に行かない とのことでした。いつものことですが、寝てないので 具合が わるい とのことでした。今日は Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に行くつもりだった とのことでした。それで、父親に 礼服を着させて 出発することが たいへんでした。それでも、誠に有り難いことに、何とか 家を出ることが出来ました。(中略)

 ときに、僧侶に手渡す 御布施は 金5万円とのことでした。そして、御車代が 金1万円とのことでした。なお、誠に有り難いことに、この僧侶によりますと、墓石には 縦に 『○○家』と書くのではなくて、下の画像のように 『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』と 記すのが 正式 とのことでした。ちなみに、姉によりますと、この僧侶は 以前は 複数の犬、そして、今では 猫を飼っている とのことでした。

 ならびに、埋(火)葬許可証 そして 埋蔵施設・使用許可証の件につきまして 某・葬儀屋からは 郵送で済む とのことでしたが、実際に 某・霊園管理事務所に行きましたら、いい加減なことを言って 郵送では済まない とのことでした。

 

 

墓前の祭壇

 

 

墓前の祭壇(某・葬儀屋の左手が うつっています)

 

 

 

 つぎに、去る3月28日(水)の『うなぎ蒲焼かばやき・89(お供え・父親の食事)』のブログの中段やや下に、

『(前略)去る9月19日(火)の【トイレ修理(両親の食事)】のブログの中段に、

【(前略)去る9月10日(日)の〖母親のこと(両親の食事)(菊の節句)〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)去る8月22日(火)の〔父親の時計(両親の食事)〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)去る8月8日(火)の〘コーディネーターのこと(両親の食事)〙のブログ去る8月12日(土)の〘家政婦紹介所から紹介された家政婦(両親の食事)〙のブログ そして 去る8月17日(木)の〘父親のこと(両親の食事)〙のブログの中段に、

〘(前略)両親が 蜜柑みかんの缶詰が食べたいとのことでした。それで、国産の製品を買って来まして 一缶を 父母 二人ふたりに分けました。なお、誠に有り難いことに 二人ふたり共 美味おいしいとのことでありました。(後略)〙と記させて頂きました。および、母親が 桃、葡萄ぶどう そして 西瓜スイカを食べたいとのことでありましたので、購入して来まして 出しました。ちなみに、西瓜スイカは 加工日のものを買ったのですが、消費期限は その当日でした。なお、父親によりますと、西瓜スイカに種がある とのことでした。それで、葡萄ぶどうは 種なし と伝えました。(後略)〕と記させて頂きました。そして、両親が 蜜柑みかんの缶詰が食べたいとのことでした。それで、国産の製品を買って来まして 一缶を 父母 二人ふたりに分けました。なお、この蜜柑みかんを 母親の口元に スプーンで運んで 食べさせました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、一昨日おとといも、この蜜柑みかんを 母親の口元に スプーンで運んで 食べさせました。なお、口から食べることが 人間らしいことであり、そう出来れば 尊厳を保つことが出来ますからね。また、口から食べることが出来れば、入院しなくて済みますからね。(後略)】と記させて頂きました。母親が 食べたいと言っていた 下の画像の 蜜柑みかんの缶詰を入手して、仏壇に お供えしました。 

 

 

コーディネーターのこと(両親の食事)

母親の好物の 蜜柑みかんの缶詰

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。なお、今回の七七日 すなわち 四十九日の納骨の日の お供えにも、この 母親の好物の 蜜柑みかんの缶詰を用意しました。

 ならびに、母親は、下の画像の フルーツ・チョコレートも 好物でした。ちなみに、生前、母親が このフルーツ・チョコレートを食べたいと言うので、上記の 蜜柑みかんの缶詰と同様に 母親の口元くちもとに運んで 食べさせました。なお、今回 このフルーツ・チョコレートも 入手し致し、上記の 墓前の祭壇に供えました。

 

 

母親の好物の フルーツ・チョコレート

 

 

 

 ついながら、母親の好物は ほかにもありますが、取りえず、上記の 墓前の祭壇に供えることが出来る これらの品物を用意しました。ちなみに、これらの お供え物は すべて、姉が持って帰りました。なお、本日の納骨用の 母親の 小さな遺影を 姉が持って来ることになっていましたが、忘れたようです。

 

 ところで、父親によりますと、参加してくれた 従兄弟いとこは 銀座の貿易会社に勤めている とのことでした。

 ならびに、自宅に帰って来たのが 午後3時15分頃でした。なお、父親によりますと 疲れた とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎ のブログ記事に この続きを記させて頂きます)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)