父親の一周忌・中編・4 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 3月5日(日)の「父親の一周忌・中編・3」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 さて、去る 4年前の2月24日(日)の「母親の一周忌」のブログの中段に、

「(前略)上記のように 母親の好物の 蜜柑みかんの缶詰、フルーツ・チョコレート以外にも、好物の お供えを そろえさせて頂きました。

 

 

お供え

 

 

お仏壇

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 なお、午前9時半に まず 義理の兄が到着しました。それで、西本願寺の僧侶は 説法があるとのことでありました。それで、東本願寺の僧侶は 読経のみですね と答えました。すると、説法があるから いいとのことでした。そして、義理の兄によりますと、浄土真宗は なんでも ありとのことでありました。それで、上記のように 母親の一周忌のときには、照恩寺の住職が 仏壇の小物の配置を変えたことを伝えました。

 それから、1階に 和式のトイレがあり、2階に 洋式のトイレがあります。それで、到着して 姉によりますと、まず トイレとのことでありました。そこで、これまで  姉は 当家に来ると 和式ではなく 洋式のトイレに行きましたので、2階の洋式のそれに案内しました。そして、姉によりますと、ひざが痛い(後日 すなわち 数日後に ぐに 姉には、「(前略)ひざのことを伺い、どうぞ 呉々も お大事になされて下さい。ちなみに、去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の『笑いと菜食さいしょく療法❤菜食さいしょくに導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・前編』のブログ去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の『笑いと菜食さいしょく療法❤菜食さいしょくに導かれた過程❤小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・中編』のブログ そして 去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の『笑いと菜食さいしょく療法❤菜食さいしょくに導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ・後編』のブログなどに、『笑いと菜食さいしょく療法』の対象となる R.A.(英語)(negativeネガティブ御座ございますし、お読み下さっている方々かたがたに影響を お与えすることの無いように 日本語でつづることをひかえさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。関節リウマチのことで御座ございます。以下、英語の略語で R.A.と示させて頂きます)で なければいいのであるが と思わせて頂いて 心より祈らせて頂いております。(後略)」との便り(速達)を送りました。なお、去る 昨年の12月20日(火)の「武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報20・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)武漢ぶかんウイルスのワクチンの副作用である 過剰な自己免疫疾患の症状を 上記の『菜食さいしょく療法』でおさえられる可能性があります。すなわち、副作用の強い ステロイド治療を えて しなくても と思われます。(後略)」と記させて頂きました。

 さらに、きたる 3月22日(水)の「武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報24・後編」のブログの中段やや下から下段に、

「(前略)1年~1年半は 慢性自己免疫疾患が起こる可能性が 充分にあるとされています。

 すなわち、期間は おおよその値であり 前後しますが、急性炎症期、免疫抑制期 そして 慢性炎症期(自己免疫疾患期)の順番であります。

 つまり、スパイク蛋白たんぱくが存在することによる 細胞破壊 すなわち 慢性自己免疫疾患が起こ(後略)」と記させて頂きました。すなわち、誠に遺憾なことに 家政婦には話しましたが、武漢ぶかんウイルスのワクチンの副作用による ひざへの自己免疫疾患 すなわち R.A.が起こっているようでありますね)ので 椅子が欲しいとのことでありました。それで、椅子を用意しました。また、僧侶も あの椅子が欲しいとのことでありましたので、上記の写真の 本の置いてある 椅子を 急遽きゅうきょ 手渡しました。なお、その僧侶によりますと、勝手 知ったる 家とのことでありました。ついながら、気が早いですが とことわって、来年の父親の三回忌の日程を 皆の前で 相談しました。すると、その僧侶によりますと、「生きていたら」とのことでありました。それで、「長生きをして下さい。」と伝えました。

 ときに、 前々回 すなわち 3月5日(日)の「父親の一周忌・中編・2」のブログの下段に、

「(前略)僧侶の尊父の生前の肉声を聞いてもらいました。また、そのとき すなわち 姉の結婚式で 祖母が 『恩徳讃』と『報恩講の歌』を歌いましたと伝えました。すると、誠に有り難いことに、その僧侶によりますと、その歌を聞くとのことでした。それで、祖母が歌った歌を レコーダーで流しました。すると、その僧侶のほうから 聞くと言ったにもかかわらず 祖母の歌は 音がはずれていたとのことでした。それで、数十人以上の披露宴で 歌ったのですから 緊張していたのでしょうと話しました。その後、家政婦には、浄土真宗の宗教団体の会場で歌うのではなく 一般の 会社役員が出席する場所で歌ったのであるから すごいことと話しました。すると、誠に有り難いことに、その家政婦は、うなずいてくれました。(後略)」と記させて頂きました。なお、昨年の父親の初盆(新盆)のときに、僧侶に希望して頂いて、この僧侶の尊父の紹介によって 歌った 祖母の歌を レコーダーで 聞いてもらいました。

 すなわち、今回も、丁度ちょうど 半世紀前の 昭和48年(1973年)の5月下旬の土曜日(中学一年生の新学期が始まったばかりの頃であり、中学一年生からの慣れない英語の授業が この土曜日にありましたので、休むことは 不安でありました。 ちなみに、当日は、学生服を着て 参列しまして、カセット・テープ・レコーダーによる記録係でありました)の椿山荘のおける 姉夫婦の結婚式のときに、上記のように 祖母が歌った歌を レコーダーで流しました。すると、姉によりますと、丁度ちょうど 半世紀前のカセット・テープでありますから、誠に有り難いことに 物持ちがいいとのことでありました。 ちなみに、僧侶の尊父の紹介によりますと、祖母が 姉のことを 可愛かわいいので 歌うと言ったとのむねでありました。すなわち、祖母によりますと、ても立っても られなかったのでありましょう。それで、清水の舞台から 飛び降りるような気持ちで 歌ったのであると思われます。そこで、祖母は 度胸があると話しました。すると、姉によりますと、上記の 僧侶と同様に、祖母の歌は 音がはずれていたとのことでした。それで、今回も、信徒の前で 歌うのではなくて、一般の 会社役員が出席する場所で歌ったのであるから すごいことと話しました。すると、姉によりますと、ずかしいことをするのは 性格とのことでした。そこで、一周忌終了後に、家政婦と話をしました。すなわち、この家政婦とは、別の家政婦の話しであります。つまり、去る 5年前の9月19日(水)の「家政婦への贈り物(父親の食事)・9」のブログの中段やや下に、

「(前略)このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、臼井式レイキが 海外に渡って また 日本に戻って来た すなわち 逆輸入された、資格を取るのに お金のからない レイキの資格を持っている とのことでした。但し、このレイキを施すと わるい気が入って来るので めた とのことでした。ならびに、知り合いを お金をもらって 一週間 みていたら、映画・E.T.が 自転車に乗って いる姿が見えた とのことでした。 ちなみに、このときは このE.T.の映画は 見ていなかったそうです。なお、この話を この知り合いに話したら、それは 自分が 勤務していた会社の社長で、この社長は 亡くなったとのことでした。但し、この知り合いは 生前の この社長に 手籠てごめにされた とのことを話された とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 なお、岐阜県の片山で 繊維業を営んでいた実家が 倒産して、8人姉妹の長女であった 祖母は、東京に出稼でかせぎに行かなければなりませんでした。それで、上記と同様に 社長に 手籠てごめにされて、男女 二人ふたりの子供たちを身籠みごもることになります。ところが、女の子のほう可愛かわいかったのか、その社長の関係の芸者が 手放てばなそうとしなかったとのことでありました。それで、祖母は たいへん悲しかったと思われますが、その自分の幼少の娘を置いて 男の子のほうのみを連れて 東京から 岐阜県の片山に戻ってきました。そして、祖父(父親の父親)と 再婚することになるのであります。したがいまして、祖母は たいへん苦労しているのであります。 ちなみに、苦労していますと、じらいは 大事でありますが、小さなずかしいなどという 些細な感情は なくなってしまうのでありますね。ついながら、祖母は 苦労していたからでありましょう、その僧侶の実家の お寺の世話人になり、お布施を集めるようになるのであります。この話を 一周忌終了後に その家政婦に話しましたら、誠に有り難いことに、うなずいて 納得してくれました。

 

 ところで、去る 昨年の4月24日(日)の「父親の納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)(シンクロニシティ)」のブログの中段やや下に、

「(前略)僧侶による 読経のあとに、この僧侶によりますと、お話をするとのことでした。

 すなわち、

『お祖母ばあちゃんには、中学生のときに 可愛かわいがってもらいました。大学生のときに、美濃屋(父親の かつての店名。 ちなみに、父親の生まれが、岐阜県[美濃]であるため)で アルバイトをしました。お祖母ばあちゃんは、お小遣こづかいを くれました。そういうことは 覚えています。今 75歳であり、中学2年生というと 何歳ですかね。(そこで、14歳との声)そう 14歳ですから、60年になりますね。○○さん(姉のこと)が、2歳の子供を亡くしたとのことでありました。(後略)』(後略)」と記させて頂きました。

 そして、僧侶によりますと、自分の父親は 30数年前に 肺のKrebs( ドイツ語)(ネガティブ[英語:negative]で御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることをひかえさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、ドイツ語と同様に、かに[英語では、crabも かにの意味です]という意味も 御座ございます。この組織が かにの形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座ございますが、免疫担当細胞が このかにの形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)の症状で cough(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることをひかえさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。咳嗽がいそう、すなわち、せき のことで御座ございます。以下、英語で coughと示させて頂きます)が出て 亡くなったとのことでありました。あと(「あと」という言葉を 添加の接続詞に使うのは、会話でも幼稚とのことでありました)、D.M.(ラテン語/ドイツ語/英語:diabetes mellitus)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることをひかえさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。糖尿病のことで御座ございます。以下、D.M.と示させて頂きます)のあれがあったものですから。その1年くらい前に 二週間か 10日間くらい 入院して 食事かなんかのあれを 糖尿だ 糖尿だ なんてというようなことを言ってましたがね。結局 それからくることではなくして 肺のKrebs、もう30年前 僕なんか忘れていると 笑いながら 話していました。あれから ほんと 30年以上 父が亡くなってからね。この写真にもありましたが、この おばあちゃんも 誓願寺に お参りして下さって 僕なんか 小学生くらいのときに おばあちゃんには お正月かなんかに お小遣こづかい 御年玉をもらったりしました。すなわち、上記のごとくであります。高校・大学生のときであったと思いますが、おばあちゃん、お父さんからも そうでしたが、お母さんも(ましたが、)、おばあちゃんが こっそり 私に お小遣こづかいを くれました。笑いながら話していました。すると、姉によりますと、嬉しいですよねとのことでありました。誓願寺に おばあちゃんと「しんさん」という おばあちゃんと一緒に、もう一人ひとり「松田さん」という おばあちゃん、父は もう家族 うまくいかなくて、一人ひとりで淋しそうにしているときには 誓願寺に いらっしゃい いらっしゃいと言って みんなで と その僧侶は笑いながら話していました。あのとき 三人さんにんばあちゃんがたとのことでありました。「しんさん」という おばあちゃんと、「松田さん」という おばあちゃんと、「長内さん」という おばあちゃん、「長内さん」は青森のみさわだったかなとのことでありました。「しんさん」は 確か富山だったとのことでした。「松田さん」という おばあちゃんは、息子さんが 三井物産の社長かなんっていた人とのことでした。ところが、奥さんと浮気して 奥さんじゃない 嫁姑だよ うまくいかなくて 喧嘩して出てきて、そういう おばあちゃんがたとのことでありました。三人さんにんばあちゃんがて、それから その上に 下宿していた若い学生、親戚の従兄妹いとこ、そのときね 15人くらい 誓願寺にて 姉が みんな食事を作ってとのことでありました。それで、姉によりますと、「姉は ふっくらしていた。」とのことでありました。その僧侶によりますと、姉は苦労したに違いないとのことでありました。そこで、姉によりますと、お母さんは小柄で綺麗な人とのことでした。すると、その僧侶によりますと、母は、たいへんだったに違いないとのことでありました。今思うとねとのことでありました。それで、誓願寺を建て替えるというときに、当家が 率先して ちからになって下さって。今の誓願寺ではなくて、前の誓願寺とのことでありました。誓願寺を建て替えたときには、当家の大きな大きな ちからがあったとのことでありました。おちから添えを頂いて 出来たとのことでありました。姉によりますと、「今の妹さんが あといだのですか。」とのことでありました。今の妹夫婦。結局、お話ししたかもしれないが、三人さんにん 息子がみんな それぞれ優秀でね 誰かが ぐだろうと みんな 思っていた、私なんかも そう思っていたとのことでした。結局、まあ 姉が さきに亡くなって、兄が しょんぼりして、兄も 肺のKrebsでしたとのことでありました。その前も 心臓弁膜症かなんかで ゴルフをっていて 急に倒れたとのことでありました。心臓のあれがあるのでとのことでありました。そんなんで 兄も 息子の誰も がないって 兄も る気をくして、結局 僕が 3年半くらい その誓願寺の代務じゅしというかね。それで、姉が、「あちらのほうまで  通われて」と言いますと、その僧侶によりますと 「ったり来たり、八王子から ったり来たりしていた。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「たいへんでしたね。」とのことでありました。それで、兎に角とにかく 三人さんにん とも 誰も お寺をがないと言うので、これは どうしたもんかと思ってね、僕が わけにいかないからね。それで、妹夫婦 御主人も 岩田屋という福岡にある デパート の役員か 何かをっていて 辞めて なんか 別の仕事をしようか 司法書士か何かの勉強をしていた、結局 司法書士にはならなくて その 誓願寺の専従になったわけだから その 「なおえつ」さんって 言うんだが 「なおえつ」さんに 東京に来てもらって 出て来て 妹と一緒に そして その お坊さんの資格を取って 何年かは 一緒に仕事をして いろいろ 東京で教えてあげて お坊さん 兎に角とにかく なんにも ないところから 僕は その 八王子で お寺で 使わせてもらっていますので その経済的な お寺の運営維持というのも なかなか たいへんで そういうことを どういうふうにして ったらいいかていうことで いろいろ 教えてあげて そして バトンタッチして。そこで、姉によりますと、「一大決心ですよね。」とのことでありました。また、義理の兄によりますと、「バトンタッチをするときがね。」とのことでした。すると、その僧侶によりますと、「こんなことを申し上げら あれだけど、あそこの土地はね、誓願寺の土地はね 借地だったんですよ、それでね、地主さんと兄と 更新料は どうのこうのっていうような 話しになって、地主さんと喧嘩になった。」とのことでありました。それで、姉によりますと、「それは、たいへんだったですね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「『更新料は 払わない』というようなことになって、僕は聞いていて お寺で そんなことがあって どうしたらいいの どうするの、兄は お寺 めようということを言うんだよ、冗談じゃないよと思ってね、これで、結局 僕が 代務になったときに 土地を買い取るっていうか 借地権、なんと言うか 底地権とかなんと言うのが、それを買い取ったら お寺の土地になるっていう、その不動産屋さんと 『ふくなんとか』と言う 下落合の不動産屋、そこが持って土地を、そこって 僕 いろいろ話をして 最初 1億なん千万円じゃなきゃだと」とのことでありました。そこで、姉によりますと、「目白のほうは 高い」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「それが、彼女、お父さんが亡くなって 娘さんがいでいる、その娘さんが ハワイのほうの土地、コンデミニオンとか そう言う仕事をしていて ハワイに何年かたことがある 僕も たでしょ その不動産の関係の人やら 商工会の会頭やら 市長やらっていうような人 個人的に 昔 会って いろいろ 親しかったからね、トランプ・タワー(愈々いよいよ 週明けに 米国連邦議会議事堂襲撃事件の未公開映像が公開されますね)って 大きなホテルが ある、ホノルルにもね、ワイキキの そこに オフィスを構えて 会いにって」とのことであり、その僧侶は笑い出しました。すると、姉によりますと、「ハワイまで  ったのですか。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「いえいえ 別の用事で ハワイに ったときに、その土地に 問題が起こってましたからね。会いに って いろいろ話をして、交渉して 僕 不動産の人に入ってもらったほうがいいって言われたんだけど、直接 彼女に会って 話しをして そしてら その 最初のほうは その1億2千万だ とか なんだ かんだとか、それは ちょっとあれ、結局 6千万円で 手を打つ」とのことであり、その僧侶は笑い出しました。すると、姉によりますと、「たいへん」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「誓願寺の そのときの状況では 銀行から お金を借りることは 出来ない、兄も年だし る気ないし、子供たちも る気ないし、そんなんで 僕が その八王子の お寺を建てるときに えっ何億円、それを返済してきた実績があったからね、僕が お金を借りた銀行に話をして そこで うまく そういう話がある。」とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。すると、姉によりますと、「妹さんがね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「だから、今 土地の問題は 全然 なんにも問題 もう土地になっているから。」とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。そんな詰まらないことを言ってとのことでありました。すると、姉によりますと、「貴重な お話を ありがとうございました。」とのことでありました。

 そこで、定刻の午前10時になりましたので、当方から「開始予定の定刻の午前10時になりましたので。」と伝え、「家政婦さんは 昭和22年生まれの いのしし年であり、本日は、いのしし年の おかた様が お三方さんかた られて 誠に有り難く、何卒 宜敷よろしく お願いします。」と話しました。すると、姉によりますと、「お世話になっちゃって」とのことでありました。その僧侶によりますと、「いのししが、3匹ですか。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「突進しますね。」とのことでありました。その僧侶によりますと、ちょっと着替えてとのことでありました。そして、上記のように その僧侶によりますと、椅子を借りてもいいですかとのことでありました。痛いから こっちがいいとのことでありました。座布団のことに関しましては、座布団はらないとのことでありました。なんにもないほうが いいとのことでありました。すると、姉によりますと、「何か敷いたほうが いい。」とのことでありました。それで、母が使っていた 膝掛ひざかけを添えました。その僧侶によりますと、「今頃 ちょっと 足が あの 毎朝 今 歩いているのですよ。」とのことでありました。そして、姉によりますと、「私は これ 使う。こわしちゃうかもしれないけれど。」とのことでした、それで、「こわしもいいから、だけど、怪我けがしたら まずいね。」と伝えました。ここに お邪魔すると、父の字やら 写真やら 庄野のさん字やら なつかかしいものが 一杯あるとのことでありました。それで、今回も、その僧侶の父親の直筆の 絵も描いてもらったことを伝えました。すると、その僧侶によりますと、「父は なかなか たいしたものだね。」とのことであり、その僧侶は笑い出しました。すると、義理の兄によりますと、「お寺が 個人の持ち物になるというのも めずらしいですね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「個人じゃないの。宗教法人の 勿論もちろん、宗教法人の」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「檀那さんが、普通 あれですものね。お寺の場合は」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「だから、うちの お寺なんかでも、八王子のお寺なんかでも、僕なんか 本当に このなん10年間 銀行から お金を借りて 結局 全部で 10なん億円 借りているんですよ。」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「檀家さんが のところから 始められて」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「そうそう。」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「すごいですね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「寄付をつのってということでは なくして、結局 その どうして そんなことが出来たかと言うと、僕も まさか そんなことになるとは 自分でも ハワイから 帰って来たときに 思ってなかったのだけれども、結局 今頃 その 亡くなる人の 病院で亡くなるでしょ そして お寺とのつな がりっていうのが 田舎でるときは あったけれども、東京に出てきてからは そういう あれがない 結局 病院で亡くなって 病院と葬儀屋さんがつな がっている」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「はい、そうですね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「葬儀屋さんから 紹介を 結局 浄土真宗だったら お願いしますって言って、葬儀屋さんに 僕が 頭を下げて ずっと回って 」とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。「そういうふうにして、『浄土真宗のえんのある人は 是非 紹介して下さい。』って言って、その お葬式の御縁ごえんで その檀家の人が増えてって」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「それでも 10なん億円って たいへんですね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「それ たいへん」とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。そして、「あんまり 言うと あれだけど。で あと お寺に納骨堂があるんです。」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「お墓」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「(お墓ではなくて、)その納骨堂があったもんだから 返済が可能になったっていう まず 最初 日野っていう所に お寺が出来て」とのことでありました。それで、「両親が伺わせて頂きました。」と話しました。すると、その僧侶によりますと、「はいはい。日野の お寺が 手狭になったもんだから、今は 八王子」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「2回 あれですか」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「お寺は 2回」とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。(ちなみに、父親は、3回 お店を建てています)すると、姉によりますと、「すごいですね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「ちょっとね。そういうことは あんまり ほんと なかなか出来ないことをすることが出来た。自分では 喜んでいる。自慢しているんですけどね。」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「それは、すごい」とのことでありました。すると、姉によりますと、「ハワイに行かれるところから、すごい。やっぱりね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「ハワイは、父が 戦前 コナっていう所に、ハワイ島のコナっていう所に、かいきょうしてて 父が った」とのことでありました。すると、姉によりますと、「それは 初めて聞いた」とのことでありました。そして、その義理の兄によりますと、「それは、すごいですね」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「父から いろいろ話を聞いて」とのことでありました。すると、姉によりますと、「コナって 有名ですね」とのことでありました。(ちなみに、コナ・コーヒーが有名ですね)すると、その僧侶によりますと、「(話しが長くなって、)御免ごめんなさい。」とのことでありました。それで、その僧侶が 会場の正面の狭い場所に かばんを置きましたので、一言ひとこと 「お持ちします」とことわって もっと広い場所に移動しました。すると、その僧侶によりますと、「ここにも、また いろんなものがある。」とのことであり、その僧侶は笑い出しました。それで、上記の画像のように「母親が 旅行が好きで 全国を 旅行して お土産みやげとして購入した 品物があります。なお、宜敷よろしかったら 選んで お持ち帰り下さい。」と伝えました。すると、その僧侶によりますと、「一番 高いものは どれかな。」とのことであり、その僧侶は笑い出しました。それで、「宜敷よろしかったら、お帰りのときに 選んで頂いて お持ち帰り下さい。」と伝えました。すると、その僧侶によりますと、「はい。お勤めさせて頂きます。」とのことでありました。それで、「宜敷よろしく お願いします。」と話しました。それで、本日は 母親の祥月命日でもあるので、誠に有り難いことに、その僧侶によりますと、「一緒に お参りしましょう。」とのことでありました。それで、姉とともに 「宜敷よろしく お願いします。」と伝えました。すると、その僧侶によりますと、「お勤めさせて頂きます。一同に 合掌。」とのことでありました。それから、「なまんだぶ(南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)。なまんだぶ(南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)。礼拝。お直り下さい」とのことでありました。そして、読経(正信偈しょうしんげ)が始まりました。ちなみに、今回は 初盆(新盆)のときのように 途中を 省略されることがなく、誠に有り難いことに 全編を読経して頂けました。なお、ともに 唱和しました。ついながら、あとになって 家政婦によりますと、読経(正信偈しょうしんげ)が長いとのことでありました。それで、説明しました。「正信偈しょうしんげ」は 親鸞聖人の作品でありますが、15分くらい であり、浄土三部経とわれる 仏説 阿弥陀経に比べれば 短いと伝えました。ちなみに、仏説 阿弥陀経以外の浄土三部経は 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経) そして 仏説 観無量寿経であります。なお、釈尊は、師匠である 阿弥陀如来の弟子であるとされております。ついながら、阿弥陀如来の18願を お経に なされているのが 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経)であり、19願を お経に なされているのが 仏説 観無量寿経であり、20願を お経に なされているのが 仏説 阿弥陀経であるとされております。

 そして、 読経(正信偈しょうしんげ)が終了して、「白骨の章」が読み上げられました。ついながら、浄土宗では信徒、浄土真宗では門徒といます。そして、その僧侶によりますと、「一言ひとこと 述べさせて頂きます。」とのことでありました。

 すなわち、

「一年が 早いものであります。こうして、元気に 皆さんと お会いすることが出来ましたこと、本当は 飛び上がって 喜ばなければなければいけないことではありますが、なかなか 当たり前のことのように、こうやって 一日一日を 元気に送らせて頂いて ほんとに 何時いつ 何処どこで どうなるか 分からない 生命いのちを思うと、よかったなと、これから さきのことが問題であります。明日になるやも知らん、この分からない 生命いのちであります。しかし、私たちは 偶々たまたま 浄土真宗の御縁ごえんに合わせて頂いて、お念仏を申すとならせて頂いて、『なまんだぶ(南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)。なまんだぶ(南無阿弥陀仏なむあみだぶつ)』と  なんともないような言葉でありますけれど、何時いつ 何処どこで どうなっても 大丈夫という、お念仏があるから 大丈夫だよと教えられている 何が 大丈夫なんだろうと思うけれども、阿弥陀あみだ様と いつも 一緒だよ、お慈悲の中だよ、いつか 愈々いよいよというときには 何が 大丈夫かと言うと 阿弥陀あみだ様が ちゃんと お浄土に連れてって下さる、さきに 行かれた方々かたがたと また お浄土で会うことが出来る、光と生命いのち、知恵と慈悲を 仏様と会わせて頂くんだよ、これがあるから 大丈夫なんだって 言えるのでありますね。死にたくは ないけれども、渡りたくはないけれども、必ず そのときを迎えなければならない 私たちを それが一番の大問題であります、私たちにとってですね、しかし、この大問題が 解決されていく道が 『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』であるということで、今日 こうして お勤めをさせて頂いて、おばあちゃんのこと また お母さんのこと お父さんのこと また 朝子さんは 子供さんのことを思いながら、お経を聞かれたに違いありません。さきに 行かれた方々かたがた、お浄土から ちゃんと見ておって下さる、今日のこの日を ありがとね、これから お念仏 大事に 頑張ってねって、『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』に 私たちは 教えられて 導かれていくのでありますね。ほんとに ここに お邪魔するたびにですね、父や母や誓願寺のことが 一杯一杯でですね、私も 非常に なつかかしいというか 嬉しいというか 誓願寺に戻ってきたような 感じがするのでありますが、私も 小さいときから お父さん、お母さん、おばあちゃんにも、お世話になっておりますので、本当に 我家のような気もするのであります。不思議な深い御縁ごえんが と思いながら、お勤めをさせて頂いたことであります。また、来年は 三回忌、お母さんの七回忌、元気でれば 参ります、また、宜敷よろしく お願いします。はい、ありがとうございました。」以上であります。それで、「ありがとうございます。」と答えました。それから、喪主挨拶を致しましたが、その内容は、本日 すなわち 3月5日(日)の「父親の 一周忌での 挨拶」のブログに記させて頂きます。ちなみに、誠に有り難いことに 事前に打ち合わせをしていましたが、家政婦が 喪主様から とのことでありましたので、「喪主でいいです。(たとえば、『弊社の社長』と言うように、身内みうちをへりくだる言いかたであります)」と伝えました。すると、僧侶によりますと、「○○さんから 一言ひとこと 。はいはいはいはい(四回)」とのことでありました。

 そして、喪主挨拶が終了して、上記のように 写真撮影に進みました。ちなみに、当方が まず 撮影しました。なお、ルーム エアコンを 二台で 最高温度で 入れたのでありますが、姉によりますと 自分は 足が冷えるからとのことでありました。そして、ルーム エアコンは 暖気が上に行くとのことでありました。ついながら、誠に有り難いことに、僧侶と家政婦は  なんでもない。大丈夫。とのことでありました。ちなみに、姉によりますと、僧侶のそばに 電気ストーブを置かないととのことでありました。それで、電気ストーブは、ありました。但し、3月ではありましたが、誠に有り難いことに 暖かい日でありました。なお、姉には「気を付けます。ありがとうございます。」と伝えました。ついながら、義理の兄によりますと、私は息子ではない、血がつな がっていないとのことでありました。ちなみに、義理の兄には、「お気遣いを頂いて、兄様です。」と伝えました。

 姉によりますと、「正信偈しょうしんげだけは、暗記出来る。」とのことでありました。すると、僧侶によりますと、「何よりです。」とのことでした。そして、姉によりますと、「昔 小学校のときに お祖母ちゃんと 一緒に寝ていたんですね。裏の家で、そのときに 私が 寝ている横で お祖母ちゃんが、正信偈しょうしんげをあげて そのときは 全然 意識も なんにもなかったんですけれども、やっぱり 無意識のうちに 入るんですね。今、全然 抵抗なく あげさせていただいている。ただ 意味が分からない」とのことでした。すると、その僧侶によりますと、「意味は分からなくても、大丈夫。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「いいんですか。」とのことでありました。(御承知のように、「般若心経」でも、意味が分かったほうが いいとされていますね)

 さらに、姉によりますと、「あげさせてもらっている間は、『ほかのことを考えない。』っていうのが いいのかな。」とのことでした。(「ほかのことを考えない。」ということは、まさしく その通りであり 誠に素晴らしいと思われました。すなわち、真の禅宗[某・大学に所属している 学問にまった 禅宗の僧侶は、以下のことを否定します]でも 究極的には 「無念無想むねんむそう明鏡止水めいきょうしすいの境地」を目指めざしているとされています。しかも、釈尊が体得したとされる 摩訶止観まかしかんでありますね)

 すると、その僧侶によりますと、「考える。考える。」とのことであり、その僧侶は笑い出しました。そして、その僧侶によりますと、「でもね。お経をあげるっていうことは、すごい 不可思議の功徳がある、無量の功徳がある、お経をあげるっていうことは、意味が分かる 声を出して読む。」とのことでありました。その僧侶によりますと、「(姉に)子供さんを亡くして 何年になるか」とのことでした。すると、姉によりますと、「40年」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「大きな、大きな、子供さんが 大事なことを教えてくれている。」とのことでした。すると、姉によりますと、「まあ 一日いちにちも 欠かさず」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「それは すごい。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「たまに、ちょっと サボって」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「結局、自分の考え」とのことでありました。その僧侶によりますと、「亡くなった あなたのためということよりも、自分の大事な人を亡くした 悲しみが 大きな 癒されるというか、悲しみを喜びに変えさせてくれる働きがある お経 ああよかったという思いを教えられる。」とのことでありました。そして、その僧侶によりますと、「一応 頂きますね。折角だから。」とのことであり、おそなえの果実(国産の 温州蜜柑みかんや国産の しゅんである デコポン[不知火しらぬい])も、持って行かれました。そして、姉によりますと、「車で どれくらい 」と尋ねました。すると、その僧侶によりますと、「日曜日だから、いていた。1時間 からない。今頃 道が いい道が 出来ている。えっと 国立インターで降りたのですけれど、根岸病院(母校の関連病院であります)の所を通って、ずっとったら あっという間に、横を通って、新しい道が出来ていた」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「国立インターから降りますと、5~6百mで 甲州街道をぶつかる所を」とのことでした。すると、その僧侶によりますと、「右に曲がって」とのことでした。すると、義理の兄によりますと、「あの道路は まだ出来ていませんね。」とのことでした。すると、その僧侶によりますと、「まだ まだ出来ていません。」とのことでした。すると、義理の兄によりますと、「右に曲がって、ぐ 左 曲がって、国立病院(実際には、東京都立多摩総合医療センターのこと)のところで、ああそうですか。」とのことでした。すると、家政婦によりますと、「食べて下さい。残しても しょうがない。(後日 家政婦に 『いちごを勧めてくれて 誠に有り難い、この言葉を話してくれて。』とのむねを伝えましたら、この家政婦によりますと、変なことを言った、言いかたとしては おかしいとのことでありました)」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「多いから。(いちごが)みっつのほうにしよう。」とのことでした。(後程のちほど 家政婦によりますと、その僧侶は あまり食べないとのことでありました)

 すると、義理の兄によりますと、「あのインターの所からの真っ直まっすの工事 っている所が バッと通ったら、もっと早くなる。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「そうですね。」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「なん10年という」とのことでありました。すると、その僧侶が、また 笑っていました。すると、義理の兄によりますと、「府中街道に来られるようになるはずなんですけれど」とのことでありました。「時間 かってますね。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「なかなかね。車じゃ、こわい。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「妹も、お坊さんの資格がある。その息子が 、勿論もちろん お坊さんになって、布教師と言うか、よく勉強して。頑張っています。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「よかったですね。土地を あれした甲斐がありましたね。」とのことでありました。そこで、家政婦に電話をして、この家政婦から「現像が出来た。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「この本(当家が 以前に購入した誓願寺の家宝の本のこと)を お借りしても いいですか。」とのことでありました。それで、「勿論もちろん です。」と伝えました。すると、その僧侶によりますと、「僕、この本 ないとのことでありました。家内や息子やらに 見せてあげたい。どっかにあったと思うけれど。僕も、写っているんだよ。たぶん これが そうだよ。これが そう 私だよ。」とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。すると、姉によりますと、「何歳くらいですか。」とのことでした。すると、その僧侶によりますと、「何歳くらいだろうか。2~3歳じゃないですか。それ。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「お兄さん 二人ふたり いらっしゃいましたよね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「二人ふたりとも 兄は亡くなりました。」とのことでありました。但し、その僧侶は、二番目の兄(次男)のことを 「よく わからない。」とのむねであり よく言いませんでした。

 すると、義理の兄によりますと、「福岡の開墾地って どういう意味ですか。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「福岡の開墾地って、生れは 福岡の山の中なんです。」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「それで、目白に出て来られたのですか。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「最初は 福岡から 目黒に 平町たいらまちという所に」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「無一文で 上京」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「平町たいらまちから、今度は 世田谷区のきぬた、そして、きぬたから 南長崎に、それで、南長崎で誓願寺っていう それ以前 『しんぎょうじ』っていう お寺が 今でもあるんですが、練馬の『しんぎょうじ』の布教所だった所が 誓願寺なんです。」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「昭和30年に 無一文で 上京。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「私が3歳」とのことでありました。すると、その僧侶が笑いました。そして、義理の兄によりますと、「すごいな。代々の お寺かと思ったら、違う。」とのことでありました。それで、「お祖母ちゃんが 世話人になっていた。」ことを伝えました。

 その僧侶によりますと、「この本をお借りして、送ります。」とのことでありましたので、「来年の三回忌のときに ついでで いいです。」と伝えました。すると、その僧侶によりますと、「みません。どっかにあったと思うのだが」とのことでありました。それで、「大事なもの(お布施のこと)を お持ち下さい。」と話しました。すると、その僧侶によりますと、「お布施は、直接 お渡しして頂けたらと思います。私が こうではなくて。」とのことでありました。それで、「失礼しました。」と伝えて 綺麗な「袱紗ふくさ」の上にせて 手渡しました。そして、義理の兄によりますと、「(僧侶に)お気を付けて。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「八王子のほうにも 是非 いらして。」とのことでありました。(あとになって 家政婦によりますと、これが本音であろうとのことでありました)

 そして、続けて その僧侶によりますと、「なつかかしい写真が 一杯 あって。」とのことでありました。そして、トイレとのことでありました。すると、姉によりますと、「小さい頃 このけ軸とかを見ると、なんか お祖母ちゃんのことを思い出します。ここに来ると。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「本当だね。ちょっと もう1度 見ようか」とのことでありました。すると、姉によりますと、「どうぞ」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「何時いつ だろうか。これ。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「母の」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「お母さんの。ここは、僕の」とのことでありました。すると、姉によりますと、「3年前の母の三回忌(実際には、4年前の初盆[新盆]) 来て頂いて。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「これは、お祖母ちゃんの、盛大でしたね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「このときは 僕は ないわ。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「これは、しんさんですか。」とのことでありました。それで、その僧侶によりますと、「これは 庄野さんの奥さん」とのことでありました。すると、姉によりますと、「この前に座っている人は。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「この人は、千葉さん(写真の隣に書かれてありますので、それを読んだのであると思われます)。あそこに、近くでしょ。それで、西沢さん(この苗字も、写真の隣に書かれてありますので、それを読んだのであると思われます)、そして、庄野さん、そして、私の母です」とのことでありました。すると、姉によりますと、「お母さん、綺麗だったんですよね。綺麗なお母さんだなって思って。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「『ふはらさん』て、照恩寺の前に 彼が たんです。」のことでありました。すると、姉によりますと、「そうなんですか。まだ お若いですね。」 とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「(自分の若い頃の写真を見て、)若い。これは、僕が 日本に帰って来たとき、帰って来てからだよね、確かね。これも、まだ 新しいときだね、この建物が。」とのことであり、また その僧侶は笑いました。すると、姉によりますと、「け軸があって」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「(写真のこと)一杯 ってあるな。本当に。最初から 取ってある。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「感心するくらい。捨てられない。(『捨てられない』ということは、投影[英語:project][心理学用語]しているのであります。また、姉によりますと 父親は お金が好きだ とのことでありますが、これも、自分のことを投影しているのであると思われます)」 とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「○○さん(当方のこと)の あの記憶力の 良さって やっぱり ああって いつも書いているから(ブログのこと)だろうね。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「そうですね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「(父親の亡くなった) 時間まで  覚えている。何月何日。」とのことであり、また その僧侶は笑いました。

 なお、この数分前から 一階で待っていましたが、なかなか降りてきませんでした。それで、もう1度 2階の会場に行きました。すると、丁度ちょうど その僧侶の言葉が 話されたときでありました。それで、その僧侶によりますと、「御免ごめんなさい。」とのことでありました。すなわち、誠に有り難いことに、陰口を話されていますと、かんで 分かるのであります。

 つぎに、その僧侶によりますと、帰る際に 勿体もったいないとのことでありました。そして、正味しょうみ 2時間、すなわち、午前11時半頃に、帰りました。それで、大量の引き出物などを その僧侶の自家用車に運びました。すると、その僧侶によりますと、沢山たくさんで 一杯だね、とのむねでありました。

 そして、当家の前の道路を渡って 反対側の歩道から、僧侶の自家用車が 当家の駐車場から 無事に出ることが出来るように 誘導しました。それから、見送りました。

 なお、義理の兄が、当家の 家財道具を 足で どけました。

 ときに、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・258(柚子ゆず湯)」のブログの中段やや下に、

「(前略)本日 すなわち 3月11日(金)の『父親のこと(令和4年)』のブログに記させて頂きますように、これが、父親の最後の お風呂になりました。 ちなみに、柚子ゆずの実を入れた 風呂のことを 前述致しましたが、その柚子ゆずの実も 最後でした。(後略)」と記させて頂きました。

 それから、しばらくして 姉夫婦が帰りました。それで、誠に有り難いことに、帰りけに 姉によりますと、当家の柚子ゆずの木は 南向きであるから、柚子ゆずの実の出来できがいいとのことでありました。 ちなみに、上記のように、柚子ゆずの実を あげました。すると、前述致しましたように、姉によりますと、今年は 柚子ゆずの実が みのらなかったので、誠に有り難いことに、助かるとのむねでありました。

 そして、姉夫婦は 自転車で見えたので、最後 見えなくなるまで  見送りました。 ちなみに、帰りけに 昼食のこと 申し分けないと伝えました。

 

 ところで、姉夫婦が帰ったあと ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、義理の兄が びっこを ひいていた とのことでありました。

 また、その家政婦によりますと、お茶の 代わりのことで 熱いのを入れて欲しいと言われて 介入されたとのむねでありました。 ちなみに、電気ポットは 熱湯で 設定しておりました。なお、その家政婦によりますと、急須の中の 冷めた お茶を捨てる容器を持って行かなかったとのことでありました。ついながら、誰に なんと言われても、お茶のことは その家政婦に任したので、思うとおりに ってもらっていいと伝えました。 

 ならびに、その家政婦によりますと、義理の兄は お茶は飲むが、いつも 果実のような 食べ物には 手を付けないとのことでありました。

 および、僧侶は 風通しをよくしてくれると その家政婦に話しました。

 

 (再度 半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎ のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)