父親の 一周忌での 挨拶 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 昨年の7月11日(月)の「父親の 初盆(新盆)での 挨拶」のブログの上段に、

「(前略)去る 3月17日(木)の『父親の告別式(家族葬)』のブログに記させて頂きましたように、父親が亡くなって 告別式がありました。そして、昨日 すなわち 7月10日(日)の『盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆)・前編』のブログなどに記させて頂きましたように、父親の初盆(新盆)がありました。この 昨日 すなわち 7月10日(日)の 初盆(新盆)での挨拶を 喪主として するようにとのことでありましたので、その内容を 下に記させて頂きます。(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、本日 すなわち 3月5日(日)の「父親の一周忌・前編」のブログ そして 本日 すなわち 3月5日(日)の「父親の一周忌・中編・4」のブログなどに記させて頂きましたように、本日は 父親の一周忌がありました。それで、一周忌での挨拶を 喪主として するように とのことでありましたので、その内容を 下に記させて頂きます。

 

「本日は、御多用であらせられるにもかかわらず、父親の一周忌に お越し頂き 御焼香を賜り、誠に有り難う御座ございます。 

 さて、約7年前の9月21日(水)に 母親は 尻餅しりもちをつきまして 胸椎の12番目を圧迫骨折しまして 緊急入院しました。そして、両親の『家に、たい。』という希望により 整理しまして、両親の在宅介護に専念して 携わって参りました。それから、約5年前の同じ3月、母親は お浄土に 旅立ちました。そうして、父親は、母親の一部 介護サービスを引継ひきつぎました。すなわち、東洋医学のマッサージ、西洋医学のリハビリテーション そして ヘルパー(日本語:介護福祉士)による お風呂も 週に1回ずつ、訪問看護も 父親が 充分に話せるように 時間を タップリ取って 1時間で 2週間に 1回来ていました。それから、主治医には、家政婦さんとともに 付き添いで 通いました。

 父親の記銘力保持のためもあり、高いですが お薬と思って 好物の国産のうなぎ蒲焼かばやきを 毎日 朝食に食べてもらっていました。

 当方から『よかったね。御飯 食べられて。』 そして 父親から『美味おいしかった。』が 毎朝の言葉のり取りでした。

 母親との言葉のり取りは、『暖かくなったね。今日は、何が食べたい?』などでありました。すなわち、 去る 一昨々年さきおととしの2月27日(木)の『母親の三回忌の挨拶』のブログの上段に記させて頂きましたように、毎日 会話しました。

 そして、母親の場合は、好物のまぐろのトロの お刺身を食べてくれました。

 誠に有り難いことに、これらの食材が エイコサペンタエン酸(英語:eicosapentaenoic acid・略称 E.P.A.)が含まれている食材でありますが、それぞれ 父母の脳の血管を予防する働きになっていました。

 家族歴では 父側も 母側も 両方の お祖父じいちゃんが 脳の血管を やられていますが、おかげ様で 両親とも 脳の血管の目詰めづまりは ありませんでした。

 また、誠に有り難いことに、すりおろしりんごりんご や 野菜スープも摂取ってくれて 快食 そして 快便でありました。

 

 今回、母親が 意識をうしなったときと 同じでした。

 すなわち、しっかり食べてくれていましたが、前の日は 食欲が 落ちました。しかも、『美味おいしかった。』と言ってくれなくなりました。つまり、食べてくれてはいましたが、父親は 美味おいしく食べられなくなっていたようでありました。

 なお、『よかったね。御飯 食べられて。』は、日々 食べることが出来ることに 感謝の気持ちをささげた言葉であります。

 

 簡単に 経過を報告させて頂きますと、去る 昨年の3月11日(母親のときと同じ金曜日) 午後6時10分まで  父親は、話していました。そして、家政婦さんと 協力して 父親に 夕食を食べてもらおうと思っていて 父親の意識が なくなりました。大声で 何度も『親父おやじさん』と言っても、戻って来てはくれませんでした。それで、バイタル・サインをはかりましたら 心拍数が 120回/分もありました。勿論もちろん、聴診器も 父親の胸に あてました。しかも、父親の橈骨動脈の脈拍も 調べました。ちなみに、去る 5年前の3月14日(水)の『告別式[家族葬]での挨拶』のブログに記させて頂きましたように、母親が 救急車で搬送されたときと同じでありました。

 なお、毎朝 血圧等のバイタル・チェックをしていましたが、心拍数が 100回/分を超える頻脈になることはありませんでした。

 そこで、主治医 そして 訪問看護師に電話をして、救急車を呼ぶことになりました。そして、救急車が 到着し、その場で 心肺蘇生(英語:cardiopulmonary resuscitation;C.P.R.)がなされたのですが、アレスト(英語:cardiac arrest)(日本語:心停止)とのことでした。ちなみに、仮に 脳死であったとしても(そうではないですが)、普通は 心臓は 動いていることがあります。だから、心臓移植が出来るわけでありますからね。なお、死への転帰が速過はやすぎました。

 約39年前の昭和59年の4月24日の祖母のときと同じであり、父親は 眠るような 大往生であったと、誠に有り難いことに 複数の方々かたがたに 言ってもらえました。

 結果は、老衰とのことでありました。

 あらゆる 想定を超えて 死の転帰を迎えられました。

 医学では どうしようもありません。

 神仏に おまかせするしかないですね。

 

 ときに、3年前 母親の三回忌さんかいき去る 一昨々年さきおととしの2月24日(土)の『三回忌さんかいき・前編』のブログ そして 去る 一昨々年さきおととしの2月24日(月)の『三回忌さんかいき・後編』のブログなどに、母親の三回忌さんかいきのことを記させて頂きました)のときに、菜食さいしょくに理解を示してくれた 両親に 感謝の気持ちをめて 『笑い と 菜食療法(去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・前編】のブログ去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・中編】のブログ そして 去る 一昨々年さきおととしの2月12日(水)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤小乗しょうじょうから大乗だいじょうへ・後編】のブログ、それから、当初の 前述の 去る 9年前の10月9日(木)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ】のブログ そして 去る 7年前の1月12日(火)の【笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ ・続報】のブログに記させて頂きました)』を上梓しました。この本は、両親との合作ともいうべき作品であります。釈尊(お釈迦様の尊称)によりますと、この娑婆世界(仏教用語)は 苦であるとのことであります。此岸しがん すなわち この世の修行をえて、本当に 御苦労様でした。この世に せいけましたのも 両親の おかげ であります。しかも、教育も 受けさせてくれました。

 

 父親は、当方が 物心が付いてからは 入院したことがありませんでした。

 父親は 医者に なりたかったのですが、色弱であり 当時は 医者に なることは 出来なかったと聞かされています。

 それで、生前 父親によりますと、自分が死んだら 白衣を着せて欲しいとのことでありました。それで、父親の希望で 告別式の 最期のときには、白衣を着てもらいました。

 また、生前 父親は 訪問看護師の前でも 全国高等学校野球選手権大会の歌であり 甲子園で流れる『栄冠は君に輝く』を 急に流して欲しいと言い、あわてて流したことがありました。それで、心ばかりの御恩返しで御座ございますが、録音しまして 流させて頂いております。(去る 一昨年おととしの12月7日(火)の『訪問看護(父親)・88・中編・4』のブログの中段やや下に、

『(前略)その訪問看護師のかた(常勤)のまえで、父親が 古関 裕而の 全国高等学校野球選手権大会の歌【栄冠は君に輝く】を流して欲しいとのことでした。それで、急なことで あわてましたが、なんとか その曲を流すことが出来ました。すると、その訪問看護師のかた(常勤)によりますと、甲子園の曲ですねとのことでした。それで、父親は この訪問看護師のかた(常勤)に聞かせたかったようですと答えました。(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、去る 一昨年おととしの11月5日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・240』のブログの中段やや下に、

『(前略)その介護福祉士のかたから 室内で 流れている 曲名を尋ねられました。それで、古関裕而作曲の 『栄冠は君に輝く』であると答えました。すると、その介護福祉士のかたによりますと、運動会で流れる曲ですか とのことでした。そこで、全国高等学校野球選手権大会の歌であり 甲子園で流れると回答しました。(後略)』と記させて頂きました。

 および、去る 昨年の7月8日(金)の『君民一体・続報』のブログの下段に、

『(前略)上記の『栄冠は君に輝く』 や 家政婦によりますと 姉が好きな曲であるという『君といつまでも』が流れてきますと、その『君』に 天皇陛下のことを 当てめて 聴いているのであります。ならびに、歌うときも、同様であります。(後略)』と記させて頂きました)

 なお、母親のときは、『エーデルワイス』でありました。

 

 ところで、母親を亡くして この4年間、父親は、退行して 毎日のように  『ママ。帰って来ないのか。死んじゃったのか。』 そして 『なんで ママ さきに っちゃったの 。』と 涙ながらに訴えました。ちなみに、毎回ですので、聞いているしかありませんでした。なお、有力な 某・心理療法によりますと、『傾聴』があります。

 

 お祖父じいちゃん、お祖母ばあちゃん、おふくろさん、芳男よしお 伯父おじさん そして れてきて 成長するはずであった もしくは れてきたけれど 亡くなった 子供たちのもとっているのですね。ちなみに、さきに 往生した 家族には 『父のことを宜敷よろしくお願いします。』と 当家に ふた つある 仏壇 そして お墓を通しまして 伝えました。なお、おのれ いまわたらざるさきに、両親には この世の修行をえて お浄土にわたって頂けましたこと 誠に有り難く存じ上げます。御冥福を 心より お祈り申し上げます。本日は、誠に有り難う御座ございました。」

 

以上で御座ございます。ちなみに、誠に有り難いことに、家政婦さんによりますと、良い話だったとのことでした。

 

 なお、本日 すなわち 3月5日(日)の「父親の一周忌・中編・3」のブログの中段やや下に、

「(前略)

 

 

母親が 旅行して お土産みやげとして購入した 品物

 

 

母親が 旅行して お土産みやげとして購入した 品物

 

 

姉が 持ち帰った、母親が お土産みやげとして購入した 品物(羊年ひつじどし巳年みどし そして 戌年いぬどし置物おきもの

 

 

家政婦が 持ち帰った、母親が お土産みやげとして購入した 品物

 

 

家政婦が 持ち帰った、母親が お土産みやげとして購入した 品物

 

 

家政婦が 持ち帰った、母親が お土産みやげとして購入した 品物


 

 

(後略)」と記させて頂きました。ちなみに、挨拶の最後に、

「母親が 全国を 旅行して お土産みやげとして購入した 品物があります。なお、宜敷よろしかったら 選んで お持ち帰り下さい。」と付け加えました。それで、上記のように 持ち帰ってくれました。

 

 ついながら、去る 昨年の3月11日(金)の「父親の転帰」のブログ去る 昨年の3月20日(日)の「父親の告別式[家族葬]での 挨拶」のブログ去る 昨年の4月24日(日)の「父親の納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)(シンクロニシティ)」のブログ去る 昨年の5月15日(日)の「収骨(分骨)(父親)続報2・前編」のブログ去る 昨年の5月15日(日)の「収骨(分骨)(父親)続報2・後編」のブログ去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆)・前編」のブログ去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・中編・1」のブログ去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・中編・2」のブログ そして 去る 昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会うらぼんえ(父親の初盆[新盆])・後編」のブログ そして 去る 昨年の7月11日(月)の「父親の 初盆(新盆)での 挨拶」のブログなどを記させて頂きました。

 

 なお、去る 7年前の7月8日(金)の「ボランティア・地域医療・その5(新入生歓迎会)」のブログの下段に、

「(前略)この地域医療研究会の追いコン(送別会)に呼ばれまして、話すことを依頼されると、申していることの話の さわりにつきましては、前述の 去る 昨年の1月25日(日)の『ボランティア・地域医療・その2』のブログに記させて頂きました。一般的に 卒業する学部生の送別会で話す スピーチ(英語:speech)は難しいと言われますが、誠に有り難いことに、行わせて頂いて参りました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、上記のように 一般的に 卒業する学部生の送別会で話す スピーチは難しいと言われますが、今回 や これまで のように 両親の法事で話す 挨拶は さらに 難しいということに気が付くことになります。

 

 つぎに、去る 昨年の3月17日(木)の「父親の告別式(家族葬)」のブログの中段やや下に、

「(前略)周囲が 降圧剤の話になりました。 ちなみに、医者が おそれるのは 血圧が低いことであると伝えました。すると、姉は、びっくりした様子でした。なお、父親は 夜型であり 血圧が低かったので、気を付けていたことを 話しました。但し、父親は 年齢とともに 血圧が上がり 最高血圧(収縮期血圧)は 約120mmHg(水銀柱ミリメートル)になっていましたので、毎日のように バイタルを測り、経過を観察していました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、「父親の記銘力保持のためもあり、高いですが お薬と思って 好物の国産のうなぎ蒲焼かばやきを 毎日 朝食に食べてもらっていました。」と前述致しました。すなわち、父親は 血圧が低かった ということもあり、精力を つけてもらうために 国産のうなぎ蒲焼かばやきを食べてもらっていました。 ちなみに、うなぎには ビタミン や ミネラルが豊富に含まれるため、栄養がある 食材とされています。但し、脂溶性ビタミンである ビタミンAも 含まれているため、食べ過ぎると headache(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることをひかえさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。頭痛のことで御座ございます。以下、英語で headacheと示させて頂きます)などを引き起こす過剰症の問題もあり、注意が必要とされています。ところが、留意して みておりましたが、誠に有り難いことに headacheは 起きませんでした。なお、このことは、誠に有り難いことに、食事を用意してくれた 家政婦も 認めていることであります。

 

 最後になりますが、前述の 去る 昨年の7月11日(月)の「父親の 初盆(新盆)での 挨拶」のブログの下段に、

「(前略)順番に 祖父母がき、父母がき そして 子がくという 自然ないとなみが実現して、誠に有り難く存じ上げます。なお、親父おやじさん そして おふくろさんには たいへんな世の中でありましたね。(後略)」と記させて頂きました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)