西武→中日→ダイエー 杉本 正さん | プロ野球カードとサイン

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アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。

転機をものにし、活躍した左腕をご紹介。

西武中日ダイエー 杉本 正 さんです。

 

静岡県出身で、1977年夏の甲子園予選では3回戦でノーヒットノーランを成し遂げます。その後、大昭和製紙へ入社。

 

1980年には、後にチームメイトとなる大石友好捕手と共に、都市対抗野球大会にて優勝します。その年のドラフト会議で3位で西武ライオンズへ入団します。

 

入団1年目 VS日本ハムで、初登板初完封勝利を飾ると、そのまま先発ローテーションの一角として定着。36試合に登板し、7勝を挙げました。

 

その後も安定的に勝ち星を積み重ね、1983年には初の二桁勝利を達成。

 

そして、1985年のキャンプ前、、、

 

 

スター選手として活躍していた、田尾安志選手との交換トレードで、共に社会人野球でもバッテリーを組んできた、大石友好選手と共に、中日ドラゴンズへ移籍します。

 

「なんとか2ケタ勝利を挙げたい。田尾さんより活躍したい」

 

ここが、杉本投手の転機となり、

 

移籍2年目の1986年には12勝を挙げ、2度目の2桁勝利。翌年も星野政権となったチームの開幕投手を務め、13勝。

 

1988年の優勝時にも6勝と、コンスタントに活躍しました。

 

そして、1990年

 

星野仙一監督の盟友である、西武時代の先輩でもある田淵幸一が監督を務める、福岡ダイエーホークスへトレード。

 

1990年は年度途中から16試合に登板で3勝。1991年も15試合に登板し、3勝を挙げました。

 

1992年には29試合に登板し、中継ぎも何試合か務めましたが、1993年に初めての一軍登板なしのシーズンとなり、オフに引退。

 

トータルで、日本シリーズは5回登板したものの、0勝1敗。

 

その後、1995年にダイエーホークスの二軍コーチとして、プロ野球界に復帰し、そこから期間は空くものの、

 

西武→ダイエー、ソフトバンク→横浜→起亜(韓国)→楽天(スカウト)→西武→楽天と、2018年までコーチ業をメインに渡り歩きました。

 

2019年からは、野球評論家として活躍しています。