中日 芹澤 裕二さん | プロ野球カードとサイン

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プロ野球カードとサインでは、BBM・カルビー・タカラといった、NPBを取り扱うトレーディングカードを中心に選手の経歴を紹介。

アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。

アジア球界を渡り歩く、挑戦し続ける指導者 この方をご紹介。

 

中日 芹澤 裕二 さん です。

 

芹澤さんは、埼玉県出身。大宮東高校時代は、高校通算本塁打15本を記録。

 

1986年に、ドラフト外で中日ドラゴンズへ入団します。が、、、、

 

芹澤選手は、ここから10年間、1軍の公式戦に出場することなく、1996年に引退します。

 

芹澤さんのプロ野球人生で重要な出会いは、

 

入団した1987年、そして引退時、その後にも縁がある、星野仙一さんです。

 

チームへの献身的な姿勢や、サポート力が評価され、引退後の1997年、ドラゴンズの2軍バッテリーコーチへ就任。

 

翌、1998年には1軍バッテリーコーチへ就任し、星野監督を支えます。1999年にはリーグ優勝へ貢献しました。

 

その後も、山田久志監督政権でもコーチとして支え、2004年にはブルペン捕手へ。

 

そして、2005年

プロ野球に新規参入した、東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍バッテリーコーチに就任します。

 

芹澤さんのBBMカード化はこのコーチのカードが初めて。チームセットにはコーチもカード発行されていました。

 

2009年まで務めあげたあと、2010年から韓国プロ野球SKワイバーンズの1軍バッテリーコーチへ就任。入団一年目からリーグ優勝に貢献しました。その後、SKからサムスンライオンズへ移籍し、2014年までに、4度優勝に貢献しました。

 

そして、2015年に日本球界へ復帰。ヤクルトスワローズの二軍バッテリーコーチとして2016年まで活躍。

 

2017年は、2度目の韓国球界へ。サムスンライオンズのコーチになります。

 

そして、楽天球団の副会長を務めていた、星野仙一さんからの要請で、2018年は寮長とテクニカルアドバイザー職に。しかし!それを1年で退任します。

 

芹澤さんは、2019年に3度目の韓国球界へ。2度目の韓国球界の時にに支えた、リュ・ジュンイル監督が務める、LGツインズのバッテリーコーチへ。

 

恩師である星野副会長から賜った、楽天での仕事を辞退し、コーチとしての仕事を選んだ芹沢さん。

 

悩んだ末の結論で、結論を下した、言葉は・・・・

 

「迷った時には、止まるな。迷ったら、ゴー」

 

2018年1月に亡くなった、星野仙一監督の教えでした。

 

これからも、星野氏譲りの愛情と指導力で、球界に貢献する芹澤さんの活躍に注目です!!!