南海・ダイエー→オリックス 藤本博史さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

口ひげの中距離ヒッターといえば・・・

南海ダイエーオリックス 藤本博史さんです。

 

藤本さんといえば、ダンディーな「口ヒゲ」 南海時代はトレードマークの「口ひげ」はまだありませんでした。

 

1980年 天理高校で高校2年生の夏、甲子園へ出場。4番サードとして活躍し、準決勝まで進みました。

 

そして、翌年ドラフト4位で南海ホークスへ入団します。

 

1軍初出場は、1985年。1988年に一軍へ定着し、108試合に出場します。そして、南海身売りで、福岡ダイエーホークスへ。

 

南海時代は、下位打線だった藤本さん。ダイエーになってからは、クリーンナップを任せられるようになりました。

 

ちょうどそのころに始めたのが、口ヒゲ。それを始めた理由は・・・

 

藤本さんのおじいさんが目を悪くして、テレビ中継をみても誰だか判別できず、チーム内にヒゲをはやした選手がいないことから始めたそうです。BBM92のカードは、通称ガッチャマンヘルメットの鳥の顔と、藤本さんの顔がよくわかるショットですw

 

福岡へ移転したダイエーホークスでは、レギュラー選手として、1989年~1995年まで二桁ホームランを記録し続けました。

 

当初はサードとして活躍していたものの1994年、サードには阪神から移籍してきた、松永浩美選手が。セカンドにコンバートされます。

 

この年、一塁には同じく口ヒゲをはやした、トラックスラー選手が。口ヒゲの一・二塁間が名物となりましたw

 

1995年には、セカンドに西武から移籍してきた、石毛宏典選手が。藤本さんはファーストへコンバート。この年、得点圏打率が.391とパリーグトップを記録します。現在、藤本選手の応援歌が、ソフトバンクホークスのチャンステーマになっているのもこの時の活躍があったからこそですね。

 

1997年からは不振を極め、1998年シーズン序盤に金銭トレードで、オリックス・ブルーウェーブへ移籍。

 

出場試合数を増やすことはできず、この年限りで現役を引退しました。

 

その後、2010年まで野球解説者として活躍。2011年からは古巣ソフトバンクホークスのコーチに就任し、

 

2019年からは三軍監督を務めています。

 

野球選手らしくない体系の藤本さん。実は、柔道有段者。

 

口ヒゲを含め、武道の風格を感じる風格ですw