民主主義は選挙を通じて育つもの | 東大国語で高得点を目指すブログ

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東大現代文の過去問20年分の私の解答をこのブログに保存していく予定。
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衆議院が解散された。

10月22日(日)が衆議院総選挙の投開票日である。
18歳以上の男女が有権者となる。



私は、日本にはどうか真の意味での「民主主義」が根付いてほしいと願う。




今の日本においては、一見すると確かに民主主義という名の理念を冠した制度はあるが、
真の意味での民主主義は日本には、まだ充分には根付いていないと私は考えている。



それは、
民主主義というものが未だに「輸入品」のような扱われ方をされているからだ。
まるで、パスタやクリスマスやディズニーランドなどと同じような「外来品」のごとき扱われ方をされている。


つまり、民主主義という理念が、日常生活を生きる個人個人にまだまだ根付いておらず、まるで単なる一時的な「楽しいイベント」のようなうわべだけの装置として認識されているのだ。


「私たちも権利あるんだ!なんかよく知らないけどラッキー♪」などといった、そこらへんのお祭りのような気分で投票権を行使するのは、ちょっと違うと思う。




また民主主義とは、個人それぞれの確かな思想に基づいて運営されなければならないと思う。

だから、
「新聞やテレビ番組で言ってたから」
「先生が言ってたから」
「友達が言ってたから」
「有名人が言ってて会場の人も賛同してたから」
「某巨大掲示板やニコニコ動画でそういう雰囲気だったから」
「両親や親戚にこの党に投票しろと言われたから」

などという他人の意見を盲目的に鵜呑みにした態度が蔓延するかぎり、日本に真の意味での民主主義が訪れることはないだろう。
(特に10代のうちは、知らず知らずのうちに上記のような盲目に陥りやすいので注意!)






なぜ私がこれらのことを言うかというと、
民主主義にはいくつかの決定的な弱点があるからだ。


その弱点とは、ここでは二つだけ挙げると、

①「衆愚政治に陥りやすいこと」
②「メディアや有名人の意見を鵜呑みにする大衆が増えて、しばしば大衆の思想が人為的に操作されやすいこと」
である。


特に②は2009年の民主党政権が誕生した時のことが記憶に新しい。

結果的に、あのような出来事も一定の意義はあったと、最近は私も考えているが、
どうも「テレビで褒めてたし、なんかご祝儀的に民主党に今回は入れてみよっか〜⭐︎」
などというふうに「安易で」「気分的な」空気に基づく投票が大変多かったように感じる。
今回も、良くも悪くも似たような現象は少なからず起こってしまうのではないか。


また、第二次世界大戦前に話を遡ると、
ドイツのヒトラー政権のことも思い出す。
ヒトラー政権は独裁政治というイメージが強いが、実はそのヒトラーの独裁政治というのは「民主主義的な政治プロセス」によって誕生してしまったものだったのだ。

だから逆説的な話になるが、あの時は、
民主主義こそが独裁政治を生んだことになる。
民主主義とは、独裁政治から一番遠いように見えて、ある意味「一番近い」存在でもあるのだ。
(その「独裁政治」とは、政治家によってなされることもあるが、マスメディアという第三の権力によって事実上なされることもある。)





歴史上の同じ間違いを繰り返してはならない。

どうか、このブログを見てくれている多数を占めると思われる、10代の有権者達には、
周りの意見を鵜呑みにすることなく、自分の目で党の政策方針を調べ、納得のいく形で投票してほしいと思う。

その一歩の心がけが、民主主義を成長させ、国民のレベルを高くさせてくれるからだ。



また、この衆議院選挙が終われば、
近い将来、憲法改正の議論が再度活発になり、
戦後初の、憲法に関する「国民投票」が行われる可能性が十分にあると予想している。
(ただし、国民投票は衆議院と参議院それぞれの総議員3分の2以上の賛成があって初めて行われるものである。)


日本国憲法は、第9条のみが安易に着目されがちだが、
他にも「前文」だったり「新しい人権」だったり「憲法尊重擁護義務の範囲」だったり、条文の入れ替えだったり、
多くの論点がある。


これらについても、国民の一人一人それぞれが、
安易に他人の意見を鵜呑みにせず、
納得のいく形で決定していくべきだと思う。
その意味で、憲法改正の国民投票は、個人的には積極的に行われた方がむしろ良い方向に向かうんじゃないかと考えている。


「右派だから」「左派だから」「私は中立だから」などという漠然とした「偏見」も慎重に取り除かないといけない。
そもそも完全に中立的な意見や政策など存在しないと思う。自分が中立的だという鳥瞰的な気分になったその瞬間に、その人もまた既に無意識に偏見という名の「盲目」に陥っているのだ。



民主主義が、欧米からの輸入品などではなく、
日本の日常世界に生きる理念として真に個人に共有される日を実現させるために、
今回投票しに行く人達には、ぜひとも自分で時間をかけて考えて、悩んで、そして決断を下してほしい。

そしてそれは、しがらみの少ない若い世代だからこそ、最も可能になるのだと思う。