新課程指導要領(2022年度〜)を見ての感想 | 東大国語で高得点を目指すブログ

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東大現代文の過去問20年分の私の解答をこのブログに保存していく予定。
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2022年度から始まる、新課程の指導要領案はこちら。


【5教科の単位数】

【数学123ABCの区分け】
※整数が数学Aから削除、ベクトルが数学B→数学Cに移動。代わりに数学Bで統計学が必修化。





以下、感想を述べていきます。



・数学
文系は実質、数学Bでベクトルを学ばないことになります。
ベクトルは、数式計算を用いて機械的・統一的に処理して図形問題の答えを導ける点で魅力があるツールでしたが、
その分野が無くなり、平面図形を初等幾何(相似など)を使って臨機応変にひらめかなくてはいけなくなるのは少しツライですね。
一応「図形と方程式」を用いて座標設定して方程式で解くという方法は残されてるのがせめてもの救いでしょうか。

それと、文系分野で空間図形をメインで扱う分野が、(三角比を除いて)事実上消滅するので、文系範囲といえば平面図形しか出てこなくなるのも少し寂しいです。



・社会
ざっくり言うと、
「歴史総合(世界史Aと日本史Aの合体した科目」と
「地理総合(地理Aとほぼ同じ)」と
「公共(現代社会とほぼ同じ)」
が必修科目になります。
それぞれ、各2単位科目になります。

「世界史探求」と「日本史探求」と「地理探求」と「倫理」と「政経」が選択科目です。
世界史探求と日本史探求と地理探求はそれぞれ3単位科目、倫理と政経はそれぞれ2単位科目です。

おそらく上記の選択科目の中で、世界史日本史地理から1科目、倫理と政経から1科目選択するというパターンをとる高校が多いと思います。

まず、世界史Aと日本史Aが合体した「歴史総合」は、主に世界史と日本史の中の「近現代史」を扱うことになるものの、
それを果たして2単位(つまり週2コマ)で全部扱えるのかどうかは甚だ疑問です。
(おそらく、4単位でようやく全部扱えるかどうかの分量だと思います。)

また、世界史探求と日本史探求は、
要するに現課程でいう世界史Bや日本史Bと同じ科目になりますが、
各3単位で扱える分量だとはとても思えません。
(私の時は、日本史は高2で週4コマ、高3で週3コマあり、合計7単位のカリキュラムでしたが、それでも高3の12月にギリギリ全範囲終わった記憶があります。)

以上を考えると、社会科目に関しては、とても現実離れした指導要領にみえます。残念です。




・国語
何やら色々とごちゃごちゃしています。
文部科学省の迷走が見えます。

現代文は「論理国語」(4単位科目)と「文学国語」(4単位科目)に分かれるようですが、
現実的に高2と高3で現代文を合計8単位(!)も確保できる高校は、そう多くないと思います。
普通は高2で現代文週2コマ、高3でも現代文週2コマ、合計4単位分ぐらいがせいぜい現実的なラインだと思います。

とすると「論理国語(主に論説文)」と「文学国語(主に小説や詩)」のどちらか一方しか高校で選択できないことになるけれど、そうすると、とてもバランスが良くないことになりそうです。
また、随筆は論理国語と文学国語のどっちに入れるんだよ!って話にもなりそうです。
奇をてらわず、現代文という枠組みだけで良いのではないでしょうか。




・英語
課程が新しくなるたび毎に、科目のネーミングセンスが酷くなってきているのは気のせいでしょうか。





〜総論〜
私は非常に保守的ですが、
なぜ保守的かというと、現在の社会においては、先人の知恵を無視して、単なる思いつきで非合理的な改革を安易に行おうとする人間があまりにも多いからです。

「改革」という言葉は確かに先進的なイメージで聞こえはいいのですが、
実情を無視した、単なる思いつきレベルの「見栄え」や「イメージ」だけに囚われた改革というものは、得てして失敗に終わります。

改革をすること自体は否定しませんが、
それを実行する際には、従来の古くからある制度に宿った先人達の知恵をよく理解し、その良さを活かす形で現代社会に即した制度づくりにすることが必須だと私は考えます。
これが本当の「改革」のあり方だと私は思うのです。