『満月と魔力の謎。』 -2ページ目

地震と月の関係 大地震地震分析・・・えびの地震・日向灘地震⑫

六八年二月二十一日、霧島山北麓を震源とするマグニチュード六・一の地震が発生。その二
時間前にはマグニチュード五・七の前震、翌二十二日にはマグニチナl ド五・六の余震があった。

被害は、死者三人、負傷者四十二人、全壊家屋三百六十八戸、半壊家屋六百三十六戸であった。
三月二十五日には、マグニチュード五.七と五. 四の地震があった。このときは百六十三戸が全半壊している。
また四月一日にはえびの高原から北東の日向灘を震源とするマグニチュード七・五の地震があり、

高知、愛媛で多くの被害を出し、十五人が負傷した。



これら一連の地震の始まったこ月二十一日は、下弦当日であった。



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月と地震のメカニズム

では、月の引力はいかなるメカニズムで地震を引き起こすのか?
現在のところ、地震の原因は、地球物理学でいう「プレートテクトニクス理論」で説明され
ているようである。簡単にいうと、地球の表層部をおおう地殻というものは、約六十~二百キロの固い岩石層

プレートでおおわれている。


このプレートは海底の海嶺でつくられ、下部の低速度層に乗って、あたかもベルトコンベアーのように、年に二~ 八センチの速度で移動している。そして、海溝に行き当たると、そこで地殻内部に沈み込む。

日本には太平洋プレートが絶えず押し寄せており、日本海溝でユーラシアプレートの下に沈み込む。

このとき、陸地そのものも地殻内部に引かれるが、あるとき突然、パネのようにもとに戻一る。



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地震はこのために起きるというのが、六七、八年ころからは有力な説となっている。
日本列島はいわば、移動するプレートの通り道上に位置しているのである。地震が多いのも当然の話だ。


しかし、地震の発生する原因は、本当にそれだけであろうか?

地球というものはじつに複雑で、われわれはその上に住んでいながら、地球のことをほとんど知らないといっても過言ではない。


今日でも人跡未踏の地は数多くあるし、まして地球内部のこととなると、とても探索がおよぶところではない。

表層部の下にはマグマ層がコアあり、さらに下には中心部となる核があると一応説明されてはいるが、それとて確証があるわけではない。そこで、じつは地球内部はがらんどうになっているという、奇想天外な「地球空洞説」などが飛び出してくることにもなる。


広い宇宙の研究はまことロマンに満ちた領域だが、われわれが生存している地球のことをさらにくわしく知ろうとするのは、たんなるロマンではない。この先、人類が生きていくためにも、それは必要不可欠なことだろう。その意味でも、月と地震の因果関係を解明することは、人類にとっての急務だと私は思う。すでに見てきた地震と月齢との関連にもとづき、私は当初、漠然とこんなふうに考えていた。
「月の引力が強い新月・満月時には地球が膨張するため、逆に上弦e下弦時には地球が収縮するため、

これが要因となって地震や火山爆発が起こるのではないか」と。


事実、人工衛星からアメリカ大陸のある一部分を直径十キロの正方形に区切ってカメラで撮影したところ、

次のような現象が確認されている。新月・満月時にはこの十キロ四方の枠から陸地がハミ出してしまう。が、


上弦・下弦に移行するにつれて徐々に収縮をはじめ、枠のなかにおさまっていく。このことからも、地球が月の引力によって膨張・収縮をくり返すことが明らかだろう。

が、研究を進めるにつれ、どうもそれほど単純なものではないことが明らかとなってきた。


結論をいうと、


地震は、月の引力と太陽エネルギーとの相乗効果で引き起こされる、
した結論だったのである。というのが、私が到達結論だったのである。

地震と月の関係 大地震地震分析・・・松代群発地震⑪

この群発地震は、松代町の皆神山付近を震源とする徴小地震三回から始まった。

六六年三月から活動が活発になり、やがて震源域が広がって震度四、五の地震もしばしば起きた。

六七年六月ごろから活動は鎮静に向かった。
被害の合計は負傷者十五人、全壊家屋十戸、半壊家屋四一戸、一部を破損した家屋一万二千三百八十六戸、がけ崩れは六十カ所におよんだ。



群発地震が始まった月齢は、上弦の前日であった。


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火山噴火と月の関係性・・・・・・・三原山噴火②

三宅島の噴火から三年後の八六年十一月十五日夕方、伊豆大島三原山
(七百五十八メートル)が噴火した。その後、一時小康状態を保っていたが、

二十一日午後四時十七分ごろふたたび大噴火。
外輪山北側の山腹で割れ目噴火が起き、溶岩流が
大島の中心である元町地区に迫ったため、
全島民の一万三百人と観光客二千人には
避難命令が発令された。
島民が仮宿舎とする都内の体育館などから島に戻れたのは
一カ月後のことである。この噴火が始まった十一月十五日は、


満月の前日でした。


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地震と月の関係 大地震地震分析・・・鳥取西部地震⑩

 発生は、2000年(平成12年)10月6日(金)13時30分18秒 (JST)

 震源地は、鳥取県 米子市 南方約20km(北緯 35度16.4分、東経 133度20.9分、深さ9km)

 地震 の規模は、M 7.3(モーメント・マグニチュード は6.6)

 最大震度 は、6強(鳥取県 日野郡 日野町 根雨、鳥取県 境港市 東本町)

 非公式ながら防災科学技術研究所のKiK-Netでは日野において震度7相当(計測震度6.6)を観測。

 揺れは東は茨城県 鉾田市 まで、西は鹿児島市 まで伝わった。


 地震当日の月齢は、


 上弦1日前でした。


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地震と月の関係 大地震地震分析・・・芸予地震⑨

 発生は、2001年(平成13年)3月24日 (土)15時27分55秒 (JST)

 震源地となったのは、安芸灘 (北緯34度7.7分 東経132度41.7分) 深さ46km

 地震の規模はマグニチュード (M) 6.7

 最大震度:6弱(広島県賀茂郡 河内町 中河内(現:東広島市 河内町中河内)、広島県豊田郡 大崎上島町 中   

 野、広島県安芸郡 熊野町

 気象庁は、平成13年(2001年)芸予地震と命名した。


 地震当日の月齢は、


 新月1日前でした。


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地震と月の関係 大地震地震分析・・・宮城県沖地震⑧

2003年 (平成15年)5月26日 )18時24分33秒発生。M7.1。宮城県石巻市、大船渡市 などで震度6弱を観測した地震。


地震当日の月齢は、


下弦2日前でした



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火山噴火と月の関係性・・・・伊豆東方沖群発地震・伊豆沖海底噴火③

伊豆東方沖を震源とする群発地震は、八八年から断続的に発生していたが、
八九年六月三十日になって、その活動が活発化。
七月五日は一日で三千八百九十三回の地震
(有感地震八十八回)を記録し、九日には、マグニチュード五.五
の地震が三十秒の間隔をおいて二回起こって伊東市で十八人が

負傷した。
また伊東市沖合三キロ付近で、十三日午後六時三十分すぎ、

高さが三十メートル、直径が百メートルくらいの水柱を噴き上げて、
海底爆発が六回起こった。その後、揺れは鎮静化に向かい、
地震予知連絡会は八月七日、群発地震の終息宣言を出した。
この群発地震、が活発になった六月三十日は、


新月の三目前であった。


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火山噴火と月齢の関係性・・・・・・・三宅島噴火①

八三年十月三日午前三時三十分ごろ、伊豆諸島三宅島の雄山の

八百十四メートルの中腹が噴火し、溶岩が流出、向島南西部を襲った。島民四千人は、船で脱出、けが人など
は出なかったが、三百九十四戸が溶岩のため、焼失しこの噴火による溶岩は七百万立方メートル、降灰は五百万立方メートルに達し、向島南部の岬には海底噴火により陸続きの小島が出現した。


この日は 新月の3日前でした。



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読売テレビ おしえて辛坊さんのコーナー 月の謎で紹介されました。