¡Vamos a seguir adelante! Mi vida de actividad en honduras. -3ページ目

¡Vamos a seguir adelante! Mi vida de actividad en honduras.

H24年度4次隊、電気電子設備隊員としてホンジュラスで活動します!!
30才で会社を退職し、JOCV(青年海外協力隊)に参加!!
ホンジュラスでの出発前から活動をブログで紹介していきます!!
ホンジュラスでの活動は、Learning by Doing!

El viernes 3 de Abril de 2015

今日は、任地Caneで過ごす最後の日。
そして、Semana Santaでもある日でHondurasでは特別な日。

この2年間
うれしいこと
悲しいこと
嫌だったこと
苦労したこと
病気になったこと

たくさんあった2年間
あと2日で終わります。

日本との
文化、価値観、習慣の違いを
感じて、たくさん勉強しました。

Honduras人の陽気さに
たくさん救われた気がする。

El viernes 3 de Abril de 2015

付きっているの?
と、聞いて

付き合っている。
それは、うれしくない。

と、答えたら
何で?

と、答えたら
他に答える言葉も浮かばないから

好きだから。と答えたら。

ごめん。だった。

この時は、単純にショックだった。
それから、2日間寝れなかった。
というより、1か月半はまともに寝てない。
忙しさもあって、気になってたのもあって。

それから、少し他の信用のおける人に相談してもらって
いろいろ、意見を聞くことができて
これは正直にうれしかった。

1人は、同期隊員で家に誘ってもらって
いろいろ話を聞かせてもらえてよかった。
意外と驚いたのが、結構心配してくれていたので
これも、正直にうれしい。

そのあと、数日後に
Pameからメールがきて
何回かメールでやりとりしていた

よく、あの後、メール送ってくるなと思っていたけど
Honduras人は、すべてAbiertoで
あまり気にしないのだと
あとでなんとなくわかった。

日本のことなんかを
結構、質問してくるから

忙しかったし、めんどくさかったから
正直すべて話したけど、

まぁ、いいや。と思っていた。

Honduras人のことをわかったようで
あんまりわかっていないのに気付いたけど。
これはこれですごく興味があるけど

その国の
文化の違い、価値観の違いって
日本とは、何も言えないくらい正反対で
おもしろい。と思う。

働くなら、こんな環境で働いてみたいと
ちょっと、思えた。
日本もいいけど、それ以上に面白いことがたくさんある。


その後、会うことになって
会ったけど、1日返信を渋ったけど

荷物整理を必死にやっていた時だったから
まぁ、結局最後に会おうと答えたけど。
会ったのは、Pameと妹のLiaだったけど

会って、ちょっと話をした。
聞いてみたかったのが
何で?日本が好きなの?と聞いてみた。
あの件があって、あまり触れてはいけない物が
あったから、前の話は避けてた。

小さい時に、アニメ見てて凄く好きだった。と
あまりそれ以上は答えなかったけど

自分のイメージで
こっちの女性は外国人と結婚して他の国に行きたいと
思っていたらから
そうなのかな。と思っていたら
そうでもないらしかった。

ただ、興味があるだけで
別に行きたいわけでもないと思っているくらいだから
普通のHonduras人なんだと、ちょっと思った。

2人からのプレゼントで
手紙とチョコレートとCafeをもらった。

自分は何も準備してなかったから
というより、もうそういうのはやめようと
思っていたから何も準備しなかった。

だから、手持ちであるのが
日本の小銭をプレゼントした。
5円と100円と1円と10円。
5円には、凄く興味があった。
すごくめずかしかったみたいで、興味あるの?
と聞いたら、あると言っていた。

あとは、Mexicoを旅行した時に
もらったGuadalupe
これは、Reina de Mexicoで
HondurasではSuyapaだから
その国の守護神なんだと思う。
キリスト教を信仰する国では大切な物かなと思って
まぁ、カードだったけど
Reina de Mexicoのカードをプレゼントした。

あとは、最後に
日本で働いてた時の年収を教えた。
どんな反応するか、ちょっと興味があったから。
これも正直に答えたけど
「$60000」と、教えた。
ビックリして「Bastante」なんて
いっていた。

それから、ちょっと日本の話をして
終わった。

後で、手紙を読んだけど
4ページはさすがに多いなと。

読んで思ったのは
Hondurasは、人を責めない。
学校でも活動でもそうだったけど
人を責めない。
今回の事も責めるのかな、と思っていたけど
何も書いてなかった。
ホントに、人にやさしい。

Hondurasで見習ないといけないことも
知れてよかった。

前みたいな関係ではないけど
少しは前以上の関係になったかも。

Hondurasについて、たくさん考えること
が出来てたくさんよかった。

手紙の返信をすべきか・・・
と、いうよりしないといけないんだけどね。



El domingo 29 de Marzo de 2015

Hondurasの生活も最後1週間になりました。
旅行の計画もしなかったので
もう旅行はできないけど、
首都Tegucigalpaにあがって荷物整理をやっています。

残りの1週間がSemana Santaにあたって
Hondurasでは夏休みでみんな海に出かけるのと
交通機関がストップするので

残り1週間は、SemanaSantaを任地Caneで過ごす予定。
荷物整理を終わらせて、
ゆっくり任地で過ごします。


El viernes 27 de Marzo de 2015

今日が、2年間の活動で学校にいける最後の日。
この日が来る準備もしていないし
考えてもいなかったから
どういう気持ちで学校にいこうか考えたけど
結局、いつもの様に普通に学校に行った。

今日は、真面目にいろんな先生や生徒に挨拶して
最後の活動を少しした。
自分の部屋の片づけや
PLCプロジェクトを先生に引継ぎして
終わった。

まだ、やりきれていないことはたくさんあって
心残りはあるけど
もうこれ以上は出来ないから
出来るだけのことをやった。

この2年間は
任地Caneの暑さに毎日、毎日まいってたけど
日々何をしたら、先生達が理解してくれて
何をしたら、効果があるのか考えて
スペイン語も話せる様に勉強もした

けど、結局はHondurasの時間の流れに負けた。
というより、あきらめた。
これは、どうにもならないと。

日々の学校生活をみていたら
結果がなくても、これでいいかなと
思えてきた。
活動に対して何かを求めるのではなくて
先生達や生徒達とたくさん話をするのが大切だと
あとになって気づいたけど
話すこと、これ以上に活動の中で大切なことはないな
と、思った。

生徒は、たくさん折り紙を教えた。
いつも自分が作ってあげるのではなくて
生徒に作らせて、考えさせることをさせようと
思ってたくさん教えた。
いつも、考えなさい。想像しなさい。
と、言ってたけど。

そしたら、日本人は考えるけど、Honduras人は考えないと
いわれた。
この時は、ちょっとおかしかった。

若いから、考えることを少しは知ってもらえたかなと
思う。これが今後に活きてくれたらうれしい。

この2年間、ほとんどが躓きばかりだったけど
最後の2か月くらいでちょっとうまくいきだした。
それが出来ただけでも恵まれているのかな、と思う。

最後の今日、学校でDespedidaをしてくれて
たくさんのお土産をくれて、
先生達に最後の挨拶ができてよかった。

こんな日が来たことが、今でも実感がない。
日本に帰る実感もない。

早く荷物をまとめないと‼

El miercles 25 de Marzo de 2015

Hondurasはほぼカトリックを信仰している。
すごく、生活と宗教がくっついていて
よくわからないことだらけだったけど
最近、少し思ったこと

よく、神を信じているか
と、聞かれる。
その時は、答え方に凄く困る。
逆に、聞くと信じている。と言われる。
神ってなんだろうって考えてたんだけど

Hondurasでは、神がいるから
神が絶対の存在で
自分は、神から頂いたものと考えているから
自分を大切にする。

だから、自分を大切にしたり
家族を大切にしたり
その絆がものすごく宗教と結びついていて
すごく人間味があるなと最近、思っていた。

日本では、神を信じている人なんて
いないし、家族の絆で神を考えたりしない。
自分は、母親の体から生まれてきたと
小さい時から、教育されるから。
神がどうとかこうとか、考えない。
神なんて話をしたら、きっと、変な人に思われる。

Hondurasでは、まず神がいる。
そこから、1日の生活が始まる。
仕事よりも、家族が大切、自分が大切。
そう考えて生活することは凄いなと思う。

日本なんて、神がいて仕事するとかないから
自分のために仕事をして、自分があって
家族があるから、仕事をする。
自分を犠牲にしても仕事をする。
それだと、何のために仕事して、生活するのか
家族のため、自分を犠牲にしてまで働いて
家族のため???
結局、家族とも会えず
夜遅くまで働いて
結局は、会社のため。
そうなると、ただ働いているように思える。

Hondurasのように
感情を直接伝えて
自分を大切にして
家族を大切にする。
それが大事なように思える。

あまり宗教には、詳しくないけど
Hondurasで感じたことを
書いただけだから
合っているかは、わからないけど。

仕事をするのは、大切だけど
自分を大切にすることを
少しだけど、Hondurasから学びました。



El domingo 22 de Marzo de 2015

今週、帰国報告会が終わり
25-1現職参加が先に帰国し

残り活動2週間あります。
今週、やらないといけないこと

・通帳の解約
・ESTA申請
・荷物整理

明日から、最後の学校生活1週間頑張ります。
そのあと、1週間のSEMANA SANTA。
なんか中途半端。



El martes 17 de Marzo de 2015

あの失恋があって、いろいろ考えてたら
少しなんとなく、ちょっと思ったことがあった。

Hondurasにきて、よく言われるのが
誰か日本に連れてかえるのか?
この子を日本に連れてかえるのか?
と、いうのをほぼ毎日いわれる。
学校でも
家でも

学校の先生から
生徒から
町の人たちから

中学生の年の子にも
この子好き?と聞かれる。

これをいうのが男子生徒だから、ちょっと不思議だった。

これは、コミュニケーションの1つなのかなぁ。
と、考えてた。

学校の副校長と
なんで、Honduras人の女の人は、外国人と結婚したがるのか?
話していた。
なんで?と、聞くと
「将来がないから」
と、いわれた。

今、ちょっと、思った。

物わかりがつく年になると
Hondurasには未来がないということを
ある程度の現状を理解するんだと
中学生の頃から
Hondurasには未来がない
ということを、気づき
年と共に受け入れていくんだと

それを皆 通過していくんだと・・・

それを思うと凄く悲しくなった。

日本でも、ある程度の将来はあるけど
Hondurasでは、それがすごく現実をみることになるのだと。

日本の常識では考えられないし
日本の価値観では考えられないことだから
自分もこれには確信はもてないけど

日本人の立場だとわからないこと
Hondurasの立場でないとわからないこと

ボランティアだからこそ少し気づけたこと

おそらく、そうだと思う。

ある本で読んだことばで

「なんでそんな恵まれた環境にいるのに
好きなことをしないんだ?」

この意味を少しだけど、身にしみてわかった気がする・・・

悲しい問題・・・

El domingo 8 de Marzo de 2015

5日は新ボランティアのための歓迎会があったけど
自分は、行かなかった。

ここまで、結構不安で眠れなくなっていた傾向があった。

歓迎会でボランティア連絡所はだれもいなく
聞けるときはこの時だと思い
Pameにあのことを聞いてみることにした。

というよりもPameから聞きたかった。
Pameのことを今まで気にしたり、このことをここまで気にしているのも
恋しているのだというのは後になって知ったんだけど。

新隊員歓迎会にはいかなかったので
Pameに聞いてみることにした。

いつもメール。というのも問題があるんだけど。。。

聞きたいことがあるんだけど、いい?
これに返信こないから聞いた。

あの隊員と付き合ってるのか?

返信がきた。

今、付き合っている。と。

それは、うれしくない。
と返信した。

それから、いつから?

つい、最近だと。返信きた。

それから、
それは、うれしくない。と答えた。

と答えたら、なんで?と返信がきた。
だから、
「Pameが好きだ」























El domingo 8 de marzo de 2015

このとき、他のボランティアから聞いたこと
Pameがそのボランティアにメールを送った・・・
でも、それが嫌だったので他のボランティアに紹介した・・・
そのボランティアは女癖が悪くて有名・・・で
Hondurasにきてからもいろいろやっているらしかった。
自分は、他のボランティアとはほとんど付き合いしないから
普段がどんなのかわ知らない。ただ、服のデザインはちょっと変わっているなと
思うことくらいだった。

県が違うし知り合うこともないだろうと思い
まぁ、何もないかな・・・思っていた。

12月は最後の土曜日まで日本語教室をして教えた。

毎回、何かをプレゼントしてはPameとLiaからプレゼントを
もらうっていうのを毎回して、最後も同じだった。

さすがに、知り合って1年過ぎるつきあいしていくと
なかなか最初のかわいいというかなれてくる・・・
最初にあった感情はマヒしてきてたんだと思う。

この頃から、ちょっとオカシイことなと思うことが
少しづつでてきて、

でも、特におかしいところはないかな・・・
と思いたかったんだと思う。

いつもPameとLiaとあって日本語を教えていたので
Pame個人に思うことは、少しは感じてたけどそこまで伝えるほど
考えていなかった。

メキシコ旅行から帰ってきて
おみやげで買ったケーキとコスタリカのコーヒーを
プレゼントした。

その時に、5人隊員がLa Paz旅行に来たらしく
夜にレストランで一緒に食べたらしい。

この時は、正直、しまった。と思った。
でも、その時の印象を聞いたら
Liaはかなり嫌な対応をしていたから
大丈夫だろうと思っていた。

それから、学校が始まり
最後の活動で忙しくなり
あまり連絡とらなかったけど
たまにFBにメールがきて話していたんだけど。

そこから時間があいてそろそろ活動も終わるし
連絡を疎遠にしとこうと思ってたんだけど

LineにPameから登録申請がきて
一応、挨拶でHolaと送ったら
意外にも、返信が来てしまい
そこから、延々とメールが続いてしまった。

活動も忙しい時期だったのに
あまりに会話がはずんだので活動よりもメールをしていることが
多くなってしまった。

そして、WhatsappでPameのProfil写真が変わった時に
確信になりつつあった。

何か見た顔とPameの2人の写真だった。
これは、もしかしたら?と疑問が
だけど、何か、ちょっと違う。と思い。
質問してこれはHonduras人に見えるか?
と聞いてみた。
そしたら、違う。と。

これでもあまり信じたくなかったけど
ほぼ確信だった。


El sábado 7 de Marzo de 2015

11月の毎週土曜日に日本語教室を始めた。
2人かと思ったら、3人が来た。
どうやら一番上のお姉ちゃんらしく3姉妹が来てしまった。

Isa, Pame, Liaの3姉妹。
1回目は、作ったテキストを渡すこと
そして、そのテキストに自分の名前
をシールでつくった。

PameとLiaは日本語をかなり勉強しているので
ひらながはすらすら読める。
そして、書ける。
日本の紹介として
お菓子が好きだったから
というのをブログを書いていたのを見つけたので
お菓子をプレゼントした。
お菓子は、おっとっと、コアラのマーチ、TOPPOなんかを
持ってきてたけど
ほとんど食べなかったのであげることにした。

最初は、自己紹介の紹介を教えた。
そして、宿題は自己紹介を覚えることと
自分の似顔絵を書いてくること

次週の日本語教室では、ちゃんと似顔絵を描いてきてくれて
自己紹介までちゃんと言える様になっていた。
さすが、レベルが高いと思っていた。

お菓子はやっぱり、喜んでくれたみたいで
嬉しがっていた。
日本の料理の本を紹介したり
日本のパンフレットを紹介したり
しながら、テキストを使い日本語を教えた。
この際だから、荷物整理としてあげていた。

Liaの誕生日に近い日には、日本の扇をプレゼントした。

12月にはいっても続けた。
そして、La Paz隊員がやる日本文化紹介があるから行く?
と、メールで連絡していた。
たくさんボランティアが手伝いに来るよ。と、
そしたら、後で聞いたことだが、
知り合ったボランティアに個人的にメールしていたことを知った。

このときは、何も思わなかったが、、、
コミュニケーションだから普通なのかな、、、と思っていた。