脳裏にきらびやかに展開されるは逃避なのか

そして今ここにだらしなく横たわるが現実か


しかし頭の中で起こるも今目の前で起こるも

同じ私に起きている現実ではないか。


人と共有できないものを空想と呼び

出来るものを現実と呼ぶ。



そう、誰かと共有してはじめて現実は現実となる。



証人が必要なんだ。



そうじゃないと本当に起こったのか

これから起こることなのか


時には当人もわからなくなってしまうだろう。



表してみたものに対して

「そんなこと言っちゃいけないよ」と返ってくることは目に見えていた。


かといって

「よくわかるよ」と言ってほしいわけでもない。



私はただ

気の向くままに浮かんだものを外に出す

安心感が欲しいだけなのだ。


寄ってたかって

「それじゃいけない」だとか「こうした方がいい」だとか

親切な顔をしてあれこれ手や足や口を出してほしくないだけ。


それが成し得る次の段階というものは

私には大して意味を成さないのだということに

ようやく気がついた。



人が欲しがるものを得られれば

私も喜べるのかもしれないと思ってた。


でも

そうでもないようだった。




風景でありたい。


ただそこにあるだけの。




気がつかなくていい。


もし目が向いたとしても

あぁ、そうか。って

頷いて黙って通り過ぎてくれれば それでいい。



唯一

私がそこに在ることを 許してほしいだけなのだ。





二度と会えなくなることを恋しがるのは
彼くらいだと思った。

他の人がどうでもいいというのではなく
なんというか
別物なのだ。


だから 会いたいのだろう。

何かを 伝えたいのだろう。

それはいったい 何なのだろう。
心のどこかではわかっているのだろうに
切り捨てられない自分がいる。

非常に決断力がなく 臆病で 諦めが悪い。


過去の"楽しかった"リストに上るような
わくわくして仕方ない日々に戻ることで
その頃と全く同じように ただ在るがままを
空間と自分を楽しめるのであれば
どれだけ楽なことだろう。

選択も決断も予見も問題対応も
過去に例のあるものの方が安心だし
費やすエネルギーも少なくて済む。

だから性懲りもなく
「もしかして、前より楽しめるかもしれない」と
懐かしさに浸るふりをしていそいそと舞い戻り
心の中にいるもう一人の私とその実際を確かめる。

扉のこちら側からそおっと覗き
聞こえてくる音と懐かしいにおいをたしかめ
昔と変わらずに在るその世界に自然と頬が緩む。
でもそれだけでは、ビデオで見ているのと同じだ

おそるおそる足を踏み入れ
足の裏に感じる感触を記憶の中のものと比較する。

「どう?」「…なんだか違う」
「やっぱり?」「うん、やっぱり駄目みたい」
「そうか、残念だね」「残念だけど」

目まぐるしく変わるものに
いつまでも変わらないもの
でもそれらのせいではないのだろう。
一周ぐるりと回って来る間に
余計なものをくっつけてきてしまったのか
それはこれから必要なものだろうから
余計とは呼びたくないけれど
「この場所」に居続けるためには少々邪魔になるらしい。

背筋を伸ばして沸き返る空間を眺め渡し
底の方に残ったビールを飲み干すと
身を翻して静かに扉へ向かう。
思い手摺りを押し開け体をすべらせると
時間を置いて 後ろでばたんと音がする。
その瞬間、ひとつの部屋を抜けたのだと
あらためて悟るのだ。
これから新たな部屋の扉を開けるのか
それとも
もう既にそちら側に出ているのか。
いずれにせよ背中に残る余韻を味わいつつ
引き寄せる重力を必死に剥がそうとしている。

こんなことを繰り返していたのだ
この数ヶ月間。
ひとつひとつの場所に赴いては
「済」のスタンプを押す。
そうやって 次へ進むために
身の回りの整理をしてきたんだ。

そして新たな風がふきはじめる。
胸を張り 重い扉を開ける準備は出来た。



ずっと右手に握られていた小さなボトルは
それ自体が熱を放っているかのように
ほんのりとあたたく 手の平によく馴染む。

力をゆるめれば
真っすぐ地面へと向かい
うまくいけば
華奢な音と共に割れるだろう。

たとえ割れずとも
幾分 何かが
軽くなるのだろう。


ひとつ息を吐き
ゆっくりと 指をほどいた。

完璧な人なんていないだろうに


不完全な部分に目を向ける勇気がないのは

受けとめ受け入れる気がないのは


所詮 夢を見ているだけだから

なのかもしれない



実際手に入っても

嬉しくないだろうし弄ぶだけ


そんなものに

現を抜かしている裏側で

真に欲しがっているものは

なんだろう





いつも
誰かと会うたびに
その人に合わせるには
どんな自分で在るべきかを考える

なるべきだと勝手に決めた姿が面倒な時は
その人と居ることが苦痛になる

結局 誰といても
そのうち一人になりたくなる
皆が笑っている顔を見ながら席を立ち
「どこに行くの?ここに居なよ」
「うん、でも帰るね。楽しんで。」
一人になってようやく本当の時間になる


いくらでも気楽にいられる姿で会った人なんて
これまでいただろうか?

今私がなろうとしている姿は
何からの隠れ蓑だろう?
痛みや苦しみとは
自分を何者かに為しているのだという
誰かのために動けているのだという
己の社会貢献の度合いを示す
確認のために必要なものさしだと思っていた

世に満ちている
なんとかの法則というものに則って
削り取られた分の補填は
なんらかの形でされるはず
それを楽しみにすればこの痛みも
まだこんなに動けるという解釈に変わる

そんな風に顔を上げる力を得ていたけれど

それをポジティブ思考と呼んでいたけれど

手放してもいい痛みは
そんなに大事にいつまでも
持っていなくてもいいと気付いた

その痛みは結局あなたにしかわからない
それくらい何だ、耐えろよ
と、我慢比べのように言う人がいたとして
その人が眠れぬ夜を共に過ごしてくれるわけじゃない

本来ある姿を取り戻そうとすることは
何も後ろめたいことじゃない

いいじゃないか
いつまでもどこも悪くなく元気でいたって
勲章のように引きずる何かがなくたって

それとも
起こる変化をそのまま受け入れる寛容さを
持っているのだという確認と安心感の方が
今は大切なのか?
昔はよく 無理矢理涙を流していた
その当時の一番得られやすいモチベーションだったのだろう

私はこれだけ悔しいんだと体に思い知らせ
底力を沸き上がらせるために
何度も何度も思い出した
何度も何度も自分を罵った
何度も何度も「もし…だったなら」と

もう過ぎ去ってしまった
もう手に入らないものを
見たくないものを見る痛みによって
私は私を動かしていた

だからだろうか
成し遂げたことは少なからずあるはずなのに
物事に区切りがついたところにあったものは
達成感や 喜びや 満足感ではなく
安堵感だった


ひとつ逃げ仰せた
そう ほっと胸を撫で下ろし
いやまだ他に
思い出して片付けなければならない痛みが
残っているじゃないかと頭を上げる

そういう類の痛みを失った今
腹への力の入れ方が
まだよくわからない

痛くないから元気 というのは
病気じゃないから健康
とは言えないことと同じだろう

何が喜びかわからないわけじゃないはずだ
ただ手にする喜びの足元に
影として常にくっついている
得られないことからの痛みが
それへの恐怖が頭をもたげ
尻込みしているだけなのだろう

何かを求める私で在り続けるために


がむしゃらにかき集めたものを抱え込んだままでは


何かを求める私の姿に 囚われ続けるのだろうか




入ってきた形で 出てゆく


出て行く形で 入ってくる




ならば


今とは違うものを優先させて譲るまいと険しくなっていた


過去の日々の結果手元に残っているものに


固執することはないんじゃないかと


夜空にやたらくっきりと白く浮かび上がる雲を見ながら思う




空と雲は 昼も夜も同じようにそこにあるだけ


映画のようにまっ黒な布とワイヤーに吊られたボール紙の月が


青空の背景を隠すようにするすると降りてくるわけじゃない



走りながら夜空に昼の姿を見たとき はっとした




それはそこにあるだけで


どっちが表でどっちが裏だとか


そんなことは関係ないんだ




今どういう見方をすると決めるかで


翌朝目覚めた時の世界が変わっているだけなんだ





むかし

「うまくいくよう願ってるよ」

との言葉に

「別に願わなくてもいいよ」

と返した人がいた



本当に手を組んで願ったりはしないし

そういう場に取り出して違和感のないフレーズ

黙って頷いておけばいい 一連の流れが組まれているもの

ただそれだけなのに

なんて捻れているんだろうと思った




それから何年が過ぎただろう

「うまくいくといいですね」

の言葉に

同じことを感じている自分がいた




他に適当なものを思いつかなかったからと

たとえ表面だけにしても言わなくてもいい

そんな場面もある





どんなことを言ったところで

席を立つまでの間を埋め合わせるための

何でもいいピースのひとつだということを浮き上がらせるだけ






それにしても

なんて捻れているんだろう