脳裏にきらびやかに展開されるは逃避なのか
そして今ここにだらしなく横たわるが現実か
しかし頭の中で起こるも今目の前で起こるも
同じ私に起きている現実ではないか。
人と共有できないものを空想と呼び
出来るものを現実と呼ぶ。
そう、誰かと共有してはじめて現実は現実となる。
証人が必要なんだ。
そうじゃないと本当に起こったのか
これから起こることなのか
時には当人もわからなくなってしまうだろう。
脳裏にきらびやかに展開されるは逃避なのか
そして今ここにだらしなく横たわるが現実か
しかし頭の中で起こるも今目の前で起こるも
同じ私に起きている現実ではないか。
人と共有できないものを空想と呼び
出来るものを現実と呼ぶ。
そう、誰かと共有してはじめて現実は現実となる。
証人が必要なんだ。
そうじゃないと本当に起こったのか
これから起こることなのか
時には当人もわからなくなってしまうだろう。
表してみたものに対して
「そんなこと言っちゃいけないよ」と返ってくることは目に見えていた。
かといって
「よくわかるよ」と言ってほしいわけでもない。
私はただ
気の向くままに浮かんだものを外に出す
安心感が欲しいだけなのだ。
寄ってたかって
「それじゃいけない」だとか「こうした方がいい」だとか
親切な顔をしてあれこれ手や足や口を出してほしくないだけ。
それが成し得る次の段階というものは
私には大して意味を成さないのだということに
ようやく気がついた。
人が欲しがるものを得られれば
私も喜べるのかもしれないと思ってた。
でも
そうでもないようだった。
風景でありたい。
ただそこにあるだけの。
気がつかなくていい。
もし目が向いたとしても
あぁ、そうか。って
頷いて黙って通り過ぎてくれれば それでいい。
唯一
私がそこに在ることを 許してほしいだけなのだ。
完璧な人なんていないだろうに
不完全な部分に目を向ける勇気がないのは
受けとめ受け入れる気がないのは
所詮 夢を見ているだけだから
なのかもしれない
実際手に入っても
嬉しくないだろうし弄ぶだけ
そんなものに
現を抜かしている裏側で
真に欲しがっているものは
なんだろう
何かを求める私で在り続けるために
がむしゃらにかき集めたものを抱え込んだままでは
何かを求める私の姿に 囚われ続けるのだろうか
入ってきた形で 出てゆく
出て行く形で 入ってくる
ならば
今とは違うものを優先させて譲るまいと険しくなっていた
過去の日々の結果手元に残っているものに
固執することはないんじゃないかと
夜空にやたらくっきりと白く浮かび上がる雲を見ながら思う
空と雲は 昼も夜も同じようにそこにあるだけ
映画のようにまっ黒な布とワイヤーに吊られたボール紙の月が
青空の背景を隠すようにするすると降りてくるわけじゃない
走りながら夜空に昼の姿を見たとき はっとした
それはそこにあるだけで
どっちが表でどっちが裏だとか
そんなことは関係ないんだ
今どういう見方をすると決めるかで
翌朝目覚めた時の世界が変わっているだけなんだ