視察旅行に行ってきました。
携帯からの更新できず・・・ってほどおさぼり。
覚え書き
9/29 叔母が(父の妹)右肩を複雑骨折
当初、自分のことはできなくなるだろうとの診断だったが、手術にて腕は上がるようになった。
11/5 8:20頃、母が転倒 左大腿骨頸部骨折
手術しない場合は、車椅子
手術すれば、リハビリ次第で歩けるようになるかも・・
手術を選択。梗塞の薬が切れるのを待ち、手術。
11/19に決まる。
その夜、21:15頃、叔父(父のすぐ下の弟)が、自宅にて食道がんにより死去。
入院せず、自宅にいたいという叔父の選択。立派でした。
一人娘の従妹が一人で介護。最後も、共に過ごせて、叔父は幸せだったと思う。
11/11通夜。初めて従妹のご主人、子供たちに会えた。
11/10 叔父(父の弟三男坊) 右大腿骨頸部骨折
私の母と同じ。11/11 人口骨をいれる手術(全身麻酔)輸血無し
残すは、母の手術のみ。
状況によっては、成分輸血あり。
無事に済みますように。
面白いように色々あった。
さぁ、ここからは上昇あるのみ。
コロナのせいで、病室には入れないけど今日も行ってきます!
もう一度、一緒に住むため母には頑張ってもらいます。
小太朗じいさんも、ステロイド効いてご飯食べれるようになりました。
良き良き。いい調子だぞ。
”私の想い。”
リカに命をわけてください。
中学三年の時、自殺について作文を書いてくるように保健体育の先生から宿題がでた。
ずっと頭の中にあった、新聞広告の新刊紹介のページを思い出しながら書いたことをまだ覚えている。
新刊のタイトルは、リカに命をわけてください。だった。
自殺。なんてバカらしいこと。生きられる命があるのになぜ自らそれを断つの?そんな勇気があるのなら、生き抜いてみようと言う気持ちになぜならないの?
いらない命なら、私にちょうだい。
そんなことが書かれていた新聞広告だったと思う。
今でも覚えているのだから、当時15歳の私にとっては、かなり強烈なものだったんだと思う。
次から次へと、思いがあふれるように原稿用紙に書き綴った。
様々なことで、死んでしまいたい。
楽になりたいと、長く生きているうちには人は一度は皆、考えてしまうものかもしれない。
私は15の時読んだこの新聞広告の一文を思い出すと。
どんなに辛くとも、死ぬ勇気より生きる勇気の方が容易いと思うのだ。
リカに命をわけてください。
彼女の言葉、思いは強烈だった。
40年たった今でも、私の心に生きているのだから。
どんなことがあっても、生きなきゃね。