小さな花、咲かせよう  【夢の修理屋】                     -3ページ目

そら高く昇る、こいのぼり

5月4日、野辺山。MTBで40㌔のライディング。


道での圧倒的な存在感は こいのぼり。

色彩豊かな鯉が青のそらに舞った。


翌日は子供の日。鯉のぼりは子供たちのものだけでなく

地域に根ざした文化だった。




昼シャン

29日の火曜日。東京はとても晴れて、過ごしやすい気候。

久しぶりの先輩夫婦の住まいに訪れ、南欧的時間を過ごした。


昼シャンを始めたのは、午後2時過ぎ。先輩宅の近くの公園。

公園だけに、人目は大丈夫かなど少々の不安はあったものの

ひさしのあるテーブル&ベンチが、まさに私たちのために用意

されたかのように数セット設置されている。周囲は芝生の緑が

輝き、奥のほうで家族がキャッチボールをやっている。

とても静かな空の下、テーブルクロスを広げてシャンパングラスに

冷えたシャンパンをついぎとても楽しい時間を味わう。


大人になったけど、いつまでも子供。今は先輩、後輩の壁もなく

思うことをトコトン話をできる。そして私たちの今の年代だからこそ

人とのつながりを大事にして、これからもずっと付き合っていける

ことにありがたみを感じる。


公園で3時間、家で4時間。最後はべろべろになりながらも

過ごした時間。今日満足することなく、限界まで自己を追究する姿に

共感を覚える。自分で制限を作るのはつまらない。自分だけのため

ではない。自分の制限を作らず、とりまく人に今以上の幸せを分かち

合いたい。そうやって毎日生きれたら幸せだな。


翌朝は完全ノックアウト。制限をつけない結果は、必ず跳ね返る。

だけど制限をつけて無難に過ごす日々よりは確実にいい。


30代であるからこそ、意識して制限という壁を取り除いていきたい。

人とのつながりを大切にしていきたい。


生きるということ

生きるということは苦しいと感じる人が多い

なぜなら自分の欲求が満たされないことに気付いていくからだ

これは自分の欲求が理性と反するところにあるがためである


トルストイの「人生論」を読んだ


トルストイは、自己の幸福を満たそうと思えば思うほど

満たすことができないと書いている。なぜならば、幸福は

自分では満たすことはできないからだ


そしてどうすれば幸福になれるかを説く


欲求(動物的個我)を否定して、隣人を愛すことである

隣人には優先順位はなく、目の前の人が誰であれ

愛を注ぐ。愛は見返りを求めていは行けない


自分の幸福は、自分で作りだすものでなく

見返りのない姿勢が作るのだとう真理を説いている


何かうまく行かないなと思ったら、自分だけが満たされようと

していないかと考えたい

何か一生懸命やっているのに空虚を感じたら、自分だけの

ためにやっていないかを考えたい


小さな花を咲かせましょう!



これから過ごす「ひと月」と過ぎ去った「ひと月」

高校時代の友人たちと朝まで飲み明かした。


ある友人が、「どうして年齢を重ねるにつれて、1年が短いと感じるか分かる?」

と自慢げに皆に質問してきた。彼は自分のことでなく人のことを自慢するのことで

僕らの中では有名だった。昔のように、彼は誰かから聞いたというネタを自慢げに

話してきた。


しかし僕らは、負けず嫌い。彼が持っている答えを答えと認めない。

残りの皆で答えを作ろうと言った。それから彼に答えとやらをしゃべらそうと。


ひとりは、「未来に向かっていく時間割が昔ほど細かくなくなった」と答えた。

もう一人は「死までの期間が短くなった」と答え、もう一人は「叶えられる夢の

数が減るから」と答えた。


答えとしては全て間違っていないような気がした。


彼が口を開いた「15歳のときの過去の1年は、15分の1。60歳の過去の1年は

60分の1。だから歳が経つにつれて1年が短く感じるんだ」


皆が辿りつけなかった、そして論理気的な答えに彼は満足そうだった。


でも僕は次の点に注目した。これから過ごす1年は、

年齢に関わらず平等にやってくるということを。


謹賀新年 平成20年

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


昨年は、株式市場の3度の暴落と企業の不祥事、

悪い事件が印象的な年でした。


本年はとは個人的には思いますが、マクロの動きは

徐々に暗雲が立ち込めている模様です。


世界経済は今後も発展していくでしょうが

米国の金が先の政治経済に日本も飲み込まれ

米国のというよりは、ある一部のグループによって

いよいよ世界はまずい方向に行くのではという懸念があります。


日本の役割は、米国に追随することではなく

経済国でNO1になることではなく、我々の感性や責任感で

持続可能な世界へ向けた世界へと導くことが必要です。


ミクロの世界でひとりひとりが行動することで

悪い流れを断ち切りたいところです。

そのためにひとりひとりが意識的に行動するほうが

周囲の人にも良い影響を与えます。それによって、

負のエネルギーが正のエネルギーに変って行きます。


本年は皆で正のエネルギーを存分に蓄え、

後世に生きる人々からの借り物である現在を

健全に再生して行きましょう。


皆様にとって良い年でありますように!



東長崎商店街

今年の正月休みは暦どおりで行けば4日間と短い正月からか

昨日でUターンのピークは終えたようだ。


昨日の東京の天気は変わりやすく、晴れの中を歩いていたかと思えば

急に雨が降ってくるという天気だ。私の住んでいる町は賃貸が多いからか

スーツケースをもった若い男女が各地に帰っていく様子があった。

今年も1年の思いを振り返りながら、両親の待つ実家に戻るのだろうな

と想像しながらひとりひとりの様子を確かめていった。


行先は、毎度毎度の靴の修理屋。今月はこれで2回目。

ソールを直してもらったのだが、今度はつま先の革の縫い目の

糸がぷつり。金曜日の夜の雨で、弱っていた箇所が切れて

しまったようだ。


この靴は、イギリスのチーニー(http://www.watanabe-int.co.jp/cheaney/history.php

というメーカーの靴で革はとてもやわらかく、見た目もすっきりしている。

社会人になって3年目でようやく買った4万円ほどした靴だ。

茶色の色も良い色になってきた。少々痛みもでてきたが

4年も履くと愛着さえ感じてくる。靴を作った職人は、どんな人かな?

どんな工場でつくっているのかな?修理してくれる人がいて

今まで付き合ってこれた。


その大切な靴先が軽くパカっといった。


修理屋のおやじさんに聞いたら、そのつま先のところは

芯がはいっていて、どんな機械でも縫えないようだ。

カカトの部分も糸が抜けると修復が難しいらしい。


でも「こんなの気にすることはねえよ。先っぽなんて、使わねから

接着剤でとめりゃ、はがれねえよ」と一言。


なんか、本質だなって感じた。


見た目の不必要なものにこだわって、大切な部分を

見失う。本質をみれば、大したことのないものに気がつくと

目が向いている。


「また、剥がれりゃつけてやるよ。気にすることはない」


修理屋のおじさんにソールの修理を頼んだとき

靴の裏をみせて、ひどい人は足裏のコルクを穴開けて

くると指をさし、おれの私の顔を見て


「おまえさんは、そんな事しないだろうがね」と言われた。


このおじさんは、人の靴みて人を見てるのかな。

少し恥ずかしかったが、それだけに今回のつま先の件の

言葉は少し響いてしまった。


昼さがり、東長崎商店街の中華屋の『豚まん』が食べたく

なった。ひとつ85円で、中身はぎっしり。豚まん2つと

ゴマだんごで255円。この中華店はテレビに登場したことがある。

「なんで、こんなに安いのですか?」とレポータに聞かれたら

少し困った顔をして「皆に喜んで買ってもらいたいし」と言っていたが

無理やりぽかっった。


顔は買い手の立場にたったら、当然の値段設定と

いいたそうだった。いや、店側がなんで?と言いたかったかも知れない。







あったかい肉汁がでてきた。幸せ。

たまにはこんな生活もいいなと感じた。

東長崎商店街。おいしくあったかい町。

ギフトの効用

思ってもいなかった人から、何かプレゼントをもらえると嬉しい。

贈り物が習慣になってしまうと少し効用が薄れるのかの知れないが

やっぱり嬉しいのである。

お中元、お歳暮も儀式的でなくてちょっとした気持ちを送ると

送る側も受け取る側も嬉しいのだと思う。儀式的でなければ。


今月は、従姉妹の叔父さんの家と祖母の家にお歳暮を送った。

叔父さんからは夏に一緒に山に登ろうという留守電と、

祖母からは母親宛に、孫から贈り物が届くなんて幸せという伝言を受けた。


今はインターネットでクレジット決済ができ、少しの気持ちで

モノは現実の世界で簡単に届く。そのちょっとした気持ちを

行動に移すだけ。


何でもそうだな。少しだけ気持ちをもって動けば

反応はでる。しかし、少しだけの気持ちを行動に移すのが

難しかったりする。仕事でも同じだ。


ちょっとした気持ちが人を豊かにし、自分も豊かになる。

こんな感覚を少しづつでも積み重ね行きたいと思う。


そんなことを教えてくれる皆さんに感謝!

進化する経済のかたち ロングテール

事業分析に携わることになって、ふと感じることがある。

マスコミュニケーションでは優位だった有名な企業も

トップレベルの会社を除いては、今後の広告活動に

不安を抱いているのだはないか?


いわゆる業界は、我々の先祖、我々に多くのコンテンツを

もたらしてくれた。ナショナルブランドと代理店の結びつきは

慣習のようなものである。


我々はコンテンツから恩恵を受け、コンテンツを支える

スポンサーの広告をいやがおうにも目にしていた。


しかし、従来は恩恵だけでなく制限も受けていた。

放送枠という制限だ。

ひとつは物理的な売り場スペース。

もうひとつは生産コストの高さ。


視聴率の高い番組は無数存在するが、

低いところのコンテンツは番組にさえならなかった。

そのコンテンツを消費者が欲していたとしても。


ところが、売り場スペースはインターネット上でものすごい

ペースで増え始め、いわゆる物理的な「売り場」をきにせずとも

様々な生産者と結びつけモノを売ることを可能にした。


また、デジタルの進展で個人でも記事の編集や

ユーチューブのような動画の制作など低コストで行えるようになった。


ここで登場したのが、「ロングテール」の考え方だ。



クリス・アンダーソンによれば

不足の経済の影響を受けない文化の真の姿となっている。


これに拍車をかけた要因が3つあり

生産手段の民主化、流通の民主化、SNSやブログの

レコメンデーションと言っている。


各企業の事業構造の分析をすると20:80の法則、2割の売れ筋

商品で売上の8割を占めているのが事実だ。

しかし、それは商品数が限られているからである。


ロングテールの世界では、テールの部分が膨大になり

1割の人気商品が売上の7割を占め、残りの9割(ロングテール)で

売上の3割を占めている。ロングテールは自社で在庫をもたなかったり

リストを乗っけておくだけなので限界コストは限りなくゼロに近いため

結果、売れ筋を同等の営業利益を稼ぐことになるという。


アマゾンや、ヤフーといった流通業の新しい形が

ロングテールを最大限に活かす力があるだろう。ただ、そのテールの

部分では我々一般の市民も参加できるマーケットが広がった。


ヒット商品とニッチ商品が存在するロングテールの時代。

広告のあり方が少しづつ変わってきている。



30歳は「まで」でなく「から」

ニューヨークから帰国した友人の就職が決まった。

名実ともに名の通った歴史ある一流企業だ。


3年前、海外に行くなら今しかないと決断して実行。

2年間学校へ行きながら、地元のウェイターをしながら

米国の世界金融の中心地を過ごした。


僕らはロストジェネレーションで、当時は就職がとても

厳しかった。今入ってくる新入社員とはレベルが違う。

レベルというか真剣さが違った。

それだけに、当社に入ってきたものは会社側のGAPを

埋められず退職者は後をたたなかった。


もっとやれるという気持ちをもちならがら、擦れてしまった

年配の方々と仕事をやり、こちらの気持ちを伝播させ行動に

結びつけるのは困難である。若手はこれらが社風、文化と

なってしまっているのに気付くのだ。


彼の渡米の背景は、少なくともこのような要因があったのは

間違いがない。


マイナス志向でなくプラス志向の結果だということも

付け加える必要がある。

どこでもやっていく決意、根拠のない自信。

一度きりの人生を愉しもうという好奇心。


組織に入って、経験が少ないのはデメリットになろうが

僕らはここが違う。ココロが違う。

ココロを持って、経験がある奴には劣るかもしれ無い。

だけどココロがなくて経験がある奴には負けない。

ココロは新しいものを創り出す原動力。

過去に捕らわれない。


30歳「まで」に実績を積むのも大事だが、

30歳「から」でも新しいことをはじめて貢献できる。

そうココロを思っている限りは。



灯り

朝6時だとまだ暗い、夕方5時になるともう暗い。

霜月から師走へと変わるこの時期、この日照時間も

影響しているのだろう。何かに追い立てられているような気がする。


日照時間の短い北欧は、あかりの文化が発達している。

日照時間が短いと、人間の体内の働きを阻害するのかもしれない。

そんなところをあかりで補っているのだろう。


朝と夜の部屋の灯りをみると、妙にこの時期落ち着きを取り戻す。

東京でも、これから寒い季節が訪れるのだろう。