メンターと呼ばれる人たちは


自分自身が輝き続けることができる人だ。


太陽のように自分自身で光を放ち続けるには、大変な努力と才能が必要だ。

一足飛びに太陽を目指すのは大変だ。


けれど月のように、自らは光を放たなくても、太陽の光を反射して輝くことなら自分にも出来るのではないかと思う。


演劇の舞台で主役が輝くのは、わき役がいるから。


月のように、静かに照らす照明係や、小さな台詞も拾ってくれる音声係や、盛り上げる音響係がいて初めて、主役が主役になるのでは、と思います。


私は
舞台のテーマ=人生のテーマごとに
複数のメンターを持つという考え方を取り入れています。

それぞれ得意分野があると思うからです。




俳優や女優を目指していない一般の私たちにも、人生の転機でオーディションを受けるような場面が幾度か訪れます。

就活~婚活まで、そんな側面があるように思います。

その日のために、メンター(人生の指南役)の方々から新たな視点を頂くことがあります。

そうして、ブレながらも自分を整えていく作業、自分を更新し続ける作業が必要なのだと思います。


iPhoneからの投稿

なぜ、講演会に行くのか?と聞かれれば自分自身の定点観測のため。

自分の雑多な思考に補助線を引いてもらえるためだと思います。

ああ、やっぱりそれでイイんだよなと安心できること。


今年の2月に林真理子さんがラジオで
「日々、文章を量産できない人は職業作家にはなれない」という意味のことを述べていらしたのを聞き、

じゃあブログさえ書けない私はアカンやん、と思ってました。

2月は2回しかブログ書いてなかった私。この時は本当にブログなんて書けない、と思ってました(^_^;)

ところが、ポンポンポンといくつかのことが重なり、完全にスイッチが入りました。自分でも何が起こったのか分からず、理由を検証していたりしました。

その話しは、また今度♪

「話し方」について思うことでは、
6/9日のブログで初対面のかりやコージさんにプレゼンで賞を頂いたことを書きました。

あれも、自分が一番驚きましたが、
なぜ取れたのか?を検証してみると、

1.即席コンビだったこと。
2.話すネタ、内容をその場で作った。
3.フォーマットが優れていた。

親しみやすさの「素」の
キャラで行くとだけ決め「笑い」を取りにいった、ことがあります。

他には、難しい話しや、ネガティブな話しは避け、その場の聴衆が確実に知っているネタ(この時は、アメトークネタ)にしたことがありました。

この「スタイルだけ決め、即興で作る」コラム的な方法が自分に合ってるな、と思いました。

この「着地点」を決めない方法。

インプロ的というか、Twitter的な表現は自分に合ってるな~♪とつくづく思いました(^_^)


あれれ、今夜受けて来たセキガクのことを書くつもりが、、(^_^;)


そう、この研究論文のように答が初め から無い文章スタイル♪

これが、私のパターンの一つなのでした(^.^)



photo:01





いま、少し前に購入していた斎藤孝さんの本を読んでいます。

6月の即興プレゼン×斎藤さんの本×今夜の夕学講座の3つが、見事にリンクして、大きな気づきがありました♪

それを
明朝の記事で、お知らせします(^-^)/

では、おやすみなさい☆
photo:02






iPhoneからの投稿
才能を育むには、パトロネージつまりパトロンが必要。

アメリカでは、資産家や投資家、大企業などが返済義務のない支援を研究者や、ベンチャーなど社会起業家にしているベンチャーキャピタリストが数多く存在し、投資として支援をしています。

この辺りの制度を日本でも作って行けばいいと思います。

たしか「Camp Fire」という仕組みはそんな感じなのかと思います。




現在、変革者になっている人びとを見ていると、やはり年齢を経てもエネルギッシュに活動しています。



心理の視点から見ると、そんな人びとは「心のエネルギー量」が元から高いい。

なぜか?

その理由の一つは、恵まれた幼少期を過ごして来たことがあります。

例えば、発達段階でのセキュアベース(安全基地)があったとこと。

無条件に、自分を守ってくれる存在があるというこが自尊感情を育みます。

自分自身は、生きていていい。

かけがえのない、唯一無二の存在であると思えること。


すなわち「自己重要感」が持てること。

これは、とても大切なことです。

今、活躍している大人たちを見ていると、とくに幼少期に親や主たる養育者から愛されて育てられていたことがあります。

親である必要はないのですが、幼少期に子どもが「基本的な信頼感」を獲得できるよう育んであげることは大切。

それが、自尊感情や、自己肯定感につながります。

一方、日本のこんな現状もあります。

虐待まで行かなくても、最近小学生の子どもを蹴飛ばしている母親が多いと聞きいていましたが、私の近所でも
先日、見かけてしまいました。

また、だいぶ前にスーパーの駐車場で泣いている幼稚園の子どもの手をつかみ車に連れて行く母親を見かけました。子どもの歩幅、歩くスピードを全く考えていません。

ほんとうに胸が痛みますが、これは
周りの無関心も一因かもしれません。
昔のように、地域社会で子どもたちにコミットしていた時代は、この点では良かったのだと思いますが。


しかしもし仮に、こども時代に充分な親の愛情が受けられなかったとしても、大人になってからそれを取り戻すことも、いくらだって出来るのです。


iPhoneからの投稿