剣竿一如 -4ページ目

振出

 昨日から血痰が……。ア~ァ、振り出しに戻っちゃったよ。しゃァねェなァ。今日、主治医のN尾先生から今後の治療について説明があるんだが、選択肢は二つ。そのどちらもが根治療法ではなく、対症療法の延命治療だからなァ。とは言え、治療を受けなきゃ死亡率100%。治らないけど抑え込んで、現状維持なら上出来なんだよなァ……。

 その治療法の一つってェのがだね、骨髄液を採取して、そこに抗ガン剤を混ぜて戻す、ってな治療法なワケだよ。全身麻酔でやるってンだけど、ドリルで骨に穴を開けて髄液採取……。怖がりで痛がり、泣き虫で弱虫、根性無しで甲斐性無し、我慢知らずで恥知らずの自分には、耐えられぬ恐怖でござる。恐ろしゅうて寝付きは悪くなるわ、夜中に一人でトイレに行けなくなるわ……(理由が違ッ!)。とにかく、夜泣き、引きつけ、疳の虫を起こしそうなほどですよ。樋屋奇応丸か宇津救命丸を処方してもらおっかな?

 「振出」 なァんてタイトルのせいで、「眠釣の事だから、釣り竿の話だろう!」 と思っちゃったみなさん、ごめんなさいね、ってお話でした。てか、釣り竿だのリールだのって場合じゃねェんだよ、マジで~!

進行

 休薬1ヶ月半でかなり副作用から回復したのに、肺に新たなガンの腫瘍が見つかった。来週から抗ガン剤を変えて第六クール開始決定だよォ。 アゥ……(´・ω・`)

 もぉ~、せっかく眉毛が生え揃い、頭髪も生えかけてたのにィ~。

 って、ソッチじゃない、ソッチじゃない(笑)。

 実は3月1日~5日の第五クールでゲッソリとやつれて、ベッドから起き上がる事もツライ、ってなダメージを受けたので、一度退院して半年くらい休薬、体力回復を待って第六クール、って主治医のN尾先生から話があったのはつい先日の事。それが昨日のCT検査で新たなガンか見つかり、採血でも腫瘍マーカーのhcgの値が上昇しちゃってた。3月末のX腺検査ではバッチリ縮小してたのに、わずか半月で新たなガン病巣が進行って、どんだけ悪性度の高いガンなんだよッ!

 それでも退院はできるみたいだけど、外来通院で抗ガン剤治療ってヤダなぁ……。毎月、補液と抗ガン剤治療期間中だけでも入院させて欲しいよ。

桜花

 昨日は外出許可を得て、自宅で資料を整理したり、原稿を書いたり、愛鼬のゲンと遊んだりしてきたンだが、病院から自宅への道すがらに見た、満開の桜の美しさと言ったら……。まさに筆舌に尽くし難し、とはこの事であろう。

 今年は東日本大震災もあり、花見気分に浮かれた人は多くない。しかし、桜花の美しさに心沸き立ち、いてもたってもいられなくなってきた。自分のお気に入り、とっておきの観桜ポイントが、車で15分ほどの隣町にある。車窓を開け放ち、ゆっくりと桜並木の下を車で通る。運転はもちろん家内に任せてある。車から降りて桜並木の下を歩きたい……。パーキングに車を停め、ステッキを片手にゆっくりと歩いてみる。晩春の陽射しに目が眩む。この桜花が散り果て、葉桜となれば初夏だ。春も残り半月ほどか。

 ウィンドブレーカーを羽織り、ニットキャップを目深に被り、マスクを着け、片手にはステッキ、もう片方の腕は家内に支えられている自分。誰もが道を空けてくれるし、くわえタバコの旦那さんも風下に移動してくれる。フッ、今生の思い出を目に焼き付けに来たワケじゃねェよ。来年も、再来年も、必ずこの桜を観に来るさ。

 15分ばかり歩いただろうか。足が萎えているため、疲れが早い。足が鉛のように重たい上に、膝やふくらはぎが突っ張り、棒のようだ。車に戻り、パーキング脇に植えられた桜をボンヤリ眺める。そよ風と陽射しを浴びていると、心地良い眠気。家内に揺り起こされた時には、もう自宅だった(笑)。

 梅花と桜花はイイね。「花は桜木、人は武士」と言うが、百姓町民、無縁無宿者だとて、日本人は千年を超える昔から、早春の梅と、春の盛りの桜を愛してきた。咲く姿は楚々として控え目ながら、薫り高く咲く梅花。艶やかに一気に花開き、美を競い合うが如く咲き誇る桜花。病を得て初めての春は、花に心寄せながら過ぎていきますよ、ってお話でした。

 あぁ、そうそう。くわえタバコの旦那のタバコの煙。マイルドセブンの6mmだろうか。久々に嗅いだタバコの匂いだが、元愛煙家の自分にとっては、懐かしい薫りだった。愛煙家にとってタバコの薫りは健康の証。自分は二度と味わう事は叶わない……。

青白

怪光

 えっと……、先ほどの地震なんだけど、NHKニュースで流れたこの発光現象は何?


【追記】
女川原発の外部電源、3系統のうち2系統がダウン。
青森六ヶ所村の核燃料再処理事業所でも外部電源が停電。
コレってさぁ、めっちゃくちゃヤバイんじゃないの?
もう、放射能のお漏らしは勘弁して欲しいンだけど……。

自分は末期ガンの生き腐れの身だし、子供もいないし、日本がどうなろうが、この世が
いつ破滅しようが知った事ッちゃないんだが、それでも愛国心はある。
出来る事なら早春にゃ梅花が楚々として咲き、春には桜花が咲き誇り、四季折々の花
咲き乱れ、青き海、白き雲、緑の山々に囲まれ、優れた文化、高い民度の国であって
欲しいと心から願ってますよ、ってお話です。

既視

 連日、ニュース番組やワイドショーを賑わせている福島第一原発事故なんだが、なんだか見た事があるような、デジャビュ(既視感)を覚えちゃうんだけどね。巨大企業と政府、東大の学者先生の「安全安全、何が漏れても壊れても、安心安全、管理されてっから大丈夫ッ!」って叫んでる構図は、”東京電力”を”チッソ”に置き換えると、まるっきり同じなんだがね。

 東大の学者先生は、水俣病の時も、「全然平気。チッソ悪くない。口の卑しい漁民が、腐った魚食って奇病に罹ってンじゃね?」みたいな事を言ってだね、東大の権威を振りかざして、被害を拡大させちゃったって実績があるからね。それと、マスコミが「安全、安全、断然安全! 安心してガッツリいっちゃってもダイジョブだぁ~」なんて楽観キャンペーン張るのはヤバイ証拠。太平洋戦争だって「勝ってる、勝ってる、大丈夫。空爆で本土を焼かれても、全然平気だぁってば。一億火の玉、本土決戦、総突撃で楽勝だよ~ん♪」って、あの朝日新聞まで書いてたンだから。

 風評被害がウンヌンって話もだね、毎日毎時の風向による放射性物質の拡散状況を公表して、市町村単位での測定値、3月11日からの累積値を公表せにゃアカンでしょうに。お魚もですよ、海流と風による拡散状況、測定ポイント、水深、測定対象魚種毎に毎日発表せにゃ。でなきゃ現在の三陸~関東沿岸のお魚や海産物なんか、恐ろしくて金払って買ったり喰ったりするどころか、釣る気にもなれん、って人が出てきても不思議じゃ無い。

 それとだね、「ただちに健康に影響は無い」って言うけどだね、人間ってのは宇宙から、地球から、空気から、水から、食い物から、いろんな経路や形で放射線にさらされてるワケよ。その合計値が限度を超えるとガンになったりしちゃうワケで、”足し算” で計算せにゃダメじゃンね。政府も保安院も東電も御用学者も、おまけにマスコミも、それをわかってて数字を小さく見せかけてるじゃねーか。

 自分には枝野官房長官の会見がこう聞こえるンだけどね。
 「あ~、この数値はただちに健康に影響を及ぼすものではございません。
  どうせ健康被害が出るのはァ、あ~、10~30年後でございますのでェ、
  え~、要するに政府としましても、通産天下り保安院にしても、東電にしても、
  お~、『オラ、知~らね』、が本音だと承知いたしておるところであります。ウフッ♪」

 自分なんかは子供もおらず、夫婦二人っきり。ましてや 「ガンの消滅までの治療は行わず、ガンが悪さをし出したら抗ガン剤で抑えていこう」って治療方針なので、ある意味、怖い物知らずなんだが、子供や孫がいる人はさ、10~30年後に放射線による病で、子や孫が苦しむのを避けたいだろ? そのためにはどうするべきかなんて、テレビや新聞に教えてもらわンでもわかるはず。

 ガンはツライ病気だぞ~。自分なんか、右肺中葉、虫垂、左睾丸の切除摘出手術を受け、脳腫瘍の放射線手術治療を受け、味覚や嗅覚は鈍り狂い、高音の蝉時雨のような耳鳴りと難聴に24時間悩まされ、手足の指先が意味も無く痛み出す末梢神経障害が起き、、白血球や赤血球が造れなくなって抵抗力は失われるわ、極度の貧血になるわ。当然、体力も気力も低下し、今日現在で通産7ヶ月の入院生活ですよ。シャレにならんくらい、シンドイ日が何日も続き、先の見通せない不安も付きまとう。なんつったって、本物の末期ガン患者の自分が言うンだから間違いないゾ(笑)。

 政府は隠蔽工作や過小評価はやめて、暫定規制数値じゃなくて国際基準に則った数値を速やかに制定公表し、IAEAや米仏の協力を得て、速やかに本当の対策に打って出るべき。それと本当にヤバイ農産物や水産物は流通させず、国民の生命と健康を守れよ。前総理のルーピー鳩山がウゼェほど言ってたじゃん、「生命を守りたい」ってさ。

不調

 原稿書きやら、ムニャムニャのお仕事やら、期末控えの期首向かいの時期は何かと忙しいンだが、どうにも心身ともに調子が悪い。気力を振り絞ってキーボードを叩いてはみても、集中力が続かない。気分が乗れば一気に20~30枚くらい書き上げちゃうのが売りだったのに、こんな経験は初めて。気力とか根性とかの問題じゃ無く、何かがおかしい……。

 この不調の原因が血液検査でわかった。白血球の減少だけではなく、赤血球も基準値の1/4に減少していた……。つまり、かなりひどい貧血状態で、輸血も検討せにゃならん状態だとか。抗ガン剤の副作用で、造血機能が低下しちゃってるワケですね。ん~、自分が怠け者だからだと思っていたら、今回に限ってはバッチリと言い訳できる原因と理由があった。エクスキューズが見つかると、それにもたれかかっちゃうのは人情ってモンです。

 とは言え、そんな事ァこちら側の勝手な言い分で、締め切りやら入稿期限やら納期やらは、情け容赦なく、無慈悲に迫ってくるワケですよ。ここは一番、レバーやら鉄分豊富な食品で造血機能を補ってやらねばなりませんなァ。焼き鳥の鶏レバーは食べられない側に入っちゃってるので、牛レバー、それもレバ刺でいってみましょうかね。それもダメなら輸血をお願いするしかないンだが、輸血の副作用もキッツイからなァ~。できれば自力でなんとかしたいよ、ってお話でした。

 この記事を書くだけでも30分以上掛かってンだから、その分を原稿書きに回せばよかった。時間と気力の無駄遣いしちゃったよ……。

安堵

 宮古市に単身赴任していた学生時代の友人、M葉クンの安否がようやく確認できた。

 大学時代4年間、同じクラス、同じゼミだった。バイトを紹介してもらった事もある。大学卒業後、彼は郷里の岩手に帰り、教員として奉職していた。一昨年、宮古市に転勤となり単身赴任。年賀状には「独身生活を満喫している(笑)」と書いてあった。彼の名を安否情報で検索しても出てこない。絶望的だと思っていた。

 盛岡の自宅に電話が通じ、奥様から宮古市の避難所で ”無事に働いている” と……。奥様が安否を確認できたのも先週の事で、衛星電話で連絡があったそうだ。よかった。本当によかった。思わず涙が出ましたよ、ってお話です。

災厄

 3月1日から始まった闘病生活第八ラウンド、抗ガン剤治療第五クールは流石にキツかった……。5日間の集中投与でドドーンと副作用が出てきた。

 ・3月1日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。
 ・3月2日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン、ブレオマイシン投与。
 ・3月3日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。
 ・3月4日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。
 ・3月5日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。

 二日目の3月2日から、食事どころか水さえも飲みたくない状態になってしまった。なんとか口から栄養分を摂らねばと、トマトジースと野菜ジュースを無理矢理飲んでいた。もちろんベッドから降りるのはトイレに行く時だけ。ベッド上で身体を起こす気力さえも無くなってしまった。

 食事が摂れない状態なので、5日間の集中投与を終えた3月5日夕方から、持続栄養点滴ビーフリード(ブドウ糖点滴)の24時間点滴を受ける事に。この持続栄養点滴が曲者で、水分も栄養分も点滴で強制的に体内に送り込むので、飲まず食わずでいられる。性根が怠け者の自分などは、ますます飲み食いしたくなくなってしまう。ベッドの上でテレビをボンヤリ眺め、時折ネットを覗くだけ。それ以外の時間はトロトロと眠って過ごしていた。

 3月9日、本来ならブレオマイシンの追加投与の予定だったが、ダメージが大きすぎるので休薬する事に。3月10日、身体の臭いが耐え難くなってきた。蒸しタオルで身体を拭ってはいても、なにしろ10日以上お風呂に入っていない。嗅覚がおかしくなっているとは言え、イヤな臭い、キライな臭いには超敏感になっているので、ストレスで苛立ってくる。一時で良いから点滴を抜き、お風呂に入らせて欲しいと看護師さんに頼み込み、主治医のN尾先生の了承の上で点滴を抜いてもらった。早速、ベッドから降りて病棟内を散歩してみる。――ッ! ふくらはぎもスネも太腿もお尻も筋肉が落ち、真っ直ぐに歩けない! 足が萎えて自力歩行が困難になってしまっていた。それでも元気を出すためにシャワー入浴。

 熱めのシャワーを浴び、入浴介助用の椅子に腰掛けて、石けんでガシゴシと身体を洗う。ギモヂイイ~。が、椅子から立ち上がった途端に立ちくらみ。入浴を終えて身体を拭っていても、クラクラして脱衣場でしゃがみ込んでしまう。クソッ! たかが入浴でこの様かよ。それでもサッパリしたが、いきなり入浴はチョット無理しちゃったか……。自分の病室に戻り、ベッドで横になると心地良い眠気に誘われ、看護師さんが夕刻のバイタルを取りに来るまでグッスリとお昼寝。

 この入浴が効いた。空腹感は感じないが、家内に作ってもらった小さなオニギリを口にしてみると食べられる。しめた! 口からモノが食えるから、持続栄養点滴を中止してもらえないかと相談してみる。N尾先生からOKが出た。翌11日にはお餅を焼いて持ってきてもらい、食べてみると美味しく感じた。12日のお昼には焼き芋も食べられた。しかし、味覚が狂ってしまっているので、美味しいから食べられる、のではなく、気持ち悪くならないモノだけを選んで口に入れているだけ。

 食べられるか食べられないかは、味や匂いよりも食感で分かれている。パンや揚げ物の衣はアウト。お豆腐や油揚げもアウト。野菜類も茹でたほうれん草や白菜もダメ。肉類はステーキはOKだが、ハンバーグはダメ。白米と麺類はOKだが、チャーハンなどはダメ。もう食べてみないと何がOKで何がアウトなのわからない状態。好物だった餃子や麻婆豆腐などがアウトになったのはショックだった。

 とは言え、いくらかでも口からモノが食えるだけで違う。もう点滴はイヤなのだよ、ってお話なんだが、この3月11日が未曾有の大災害、戦後最大の国難の日となろうとは夢にも思わなかった……。

雪辱

 一昨日、入稿を済ませた「磯・投げ情報」の連載記事なんだが、ウッカリして下書き原稿を送信してしまっていた。未完成の原稿なんだから、ネーム量(文字数)が3割ほど足りない。編集長から 「今回はネーム量が少ないので、写真を多めに使用します」 とのメールを頂いて、「ネーム量が足りない? いつもより多目の1千字以上あるはず……」 と、送信した原稿を確認してみたら、下書き原稿を送っていたという大ポカ。う~む、常時軽い船酔い状態で注意力散漫になっていたようだ。いかんなァ。

 完成原稿と差し替えてもらうべく、念のため完成原稿を再推敲。待てよ、この内容だったら江戸小咄を引用したほうが面白いンじゃないか……。江戸小咄や古典落語などは、著作権はとっくにフリーになっている。念のため出典元を明記しておけば問題なし。早速、その小咄を引用……、ってアレ? どこで読んだのやら思い出せない。いや、もしかしたらNHKの「日本の話芸」で見たのかも知れないし、落語のCDで聞いたのかもしれない。ストーリーは江戸前のボラ釣りに出た釣り人が、船頭に去年よく釣れたポイントと違うんじゃないか、ってな話をするって内容。必死に記憶の糸を辿り、噺家の名前と小咄のタイトルを思い出す事から始めた。志ん生? 志ん朝? 米朝? 金馬? あぁ、金馬だ、三代目三遊亭金馬師匠だよ。噺家が思い出せたら、すべて思い出せた。そうそう、愛読書の 「江戸前つり師<釣ってから食べるまで>」(徳間文庫) に載っていた、『きょねんの穴』って小咄だ! 病室の棚から 「江戸前つり師」 を引っ張り出し、小咄部分を引用して書き直し。うん、なかなか面白い記事になった。

 抗ガン剤治療第五クール初日、さしたる副作用も出ずに乗り切る事が出来たし、うっかりミスの不覚はとったが雪辱のチャンスを得ましたよ、ってお話でした。下手を打っても、プロの売文屋はこうでなくっちゃね(笑)。

 I 田編集長、お手数をお掛けして申し訳ありませんでした……。