剣竿一如 -2ページ目

傷心

 今朝の採血(血液検査)の結果が出た。手術後には400代まで下がっていた腫瘍マーカーhcgの値……、200代の数値を期待していたのだが、期待とは裏腹の結果が出た。何と4桁乗せの1020! そりゃもう、ガッカリですよ。

 うぅ~む、抗ガン剤の副作用、骨髄抑制によって白血球や赤血球が下がってしまうので、手術前1ヶ月は抗ガン剤治療をお休みする。そして手術期間中と手術直後は体力が落ちているので2週間は休養期間を取る。自分の場合は今回、二週連続のダブル手術だったので、都合2ヶ月半の休薬期間になっていたワケだ。再発するわなァ。なにしろ3週間で10ヶ所に再発転移した実績もあるしさ。わかっていた事とは言え、現実を突き付けられると、やっぱりガッカリしますなァ、ってお話です。

 それでもめげない、凹まないで笑顔で闘病……、あ、いや、ちょっと凹むか(笑)。

波紋

剣竿一如-脳浮腫  右脳前頭葉の浮腫の肥大化は、ガンマナイフ手術の遅発性副作用だった。あ~、旧病巣の再活性化でなくてよかった。どういう事かというと、ガンマナイフ手術とは、脳腫瘍の病変部にガンマ線を多方面から集中照射して脳腫瘍の病変部を焼く(イメージとしては一点集中型の電子レンジ)ンだけど、その際に病変部よりも数ミリほど広くガンマ線を当てる。いわゆるマージンを取って、確実に病変部全体を叩くワケですな。病変部に集中させているとは言え、ガンマ線の通った部位は、多少なりともダメージを受けてしまう。軽いやけどをしたり、微細な血管が焼けて詰まったりする。するとだね、そりゃぁ腫れますわな。で、この腫れ(浮腫)が個人差はあるが、ガンマナイフ手術の後、9ヶ月くらいで”遅発性副作用”として出てくる例が多い。自分は8ヶ月目でババーンとでた。しかも運動神経に影響するほど大きく……。

 で、どうすりゃいのか、ってェと、グリセオールという脳浮腫の抑制治療薬を点滴し、あと6~9ヶ月間の経過観察で沈静化するのを待てばよい。安心したと言えば安心したンだが、すなわちこの先6~9ヶ月間も左半身の麻痺が続く……、って事になる。麻痺との闘いが新たなる闘いって事なんだが、抗ガン剤の副作用で出ている痺れと麻痺に加えてのダブルパンチ。しかも自分の冒されているガンは、進行度、転移再発度バリ高の超悪性ガン。手術後2週間の休養期間を経過したので、来週にも抗ガン剤治療第七クール開始の予定だ。

 ガンマナイフ手術の遅発性副作用、抗ガン剤治療の副作用と、この二つ副作用という石によって生まれた波紋は、自分の心を苛立たせるには充分な波をもって押し寄せてきましたよ、ってお話です。

 だが負けやしないし、折れも挫けも諦めもしないよ。「死なずの眠釣」だからね(笑)。

不安

 昨日の造影剤MRI検査、一時結果では右脳に新たな腫瘍が見つかったワケではないが、昨年12月にガンマナイフ手術でやっつけた脳腫瘍周辺の浮腫が数倍に広がっていた。この浮腫によって、左手足の機能麻痺が起きているのは間違いないんだが、問題は浮腫の肥大化の原因。単に今回の手術後に起きている、ナトリウム欠乏(電解質異常)が原因なら、今、受けているナトリウム補助点滴と、脳浮腫緩和治療薬グリセオールの点滴で麻痺症状は軽減されていくはず……。

 万が一、旧病巣が再活性化した事によって浮腫が広がったとすると、放射線治療専門のK病院で、再度の放射線照射、ガンマナイフ手術が必要になるかもしれない。その判断は月曜日に脳神経科の先生と相談の上、必要ならK病院で診察を受けると言う事になった。まあねぇ、転移再発性の高いガンだからして、いろんな事が起きて当たり前なんだろうが、本人にしてみりゃ不安は尽きませんよ、ってお話です。

 左手足がブラブラじゃ不便だし、みっともないから早く治したいよ。

【追記】
 14日14時、ガンマナイフ手術を受けた、放射線脳外科のK病院で診察を受ける事になった。さぁ、新たな闘いのゴングだ! 行くぜ、行くぜ、行くぜェ~ッ!

闘魂

 吐血や喀血、血痰を経験した事のある人は少ないと思うが、呼吸器系の病気で、喀血や血痰が出たとなると、かなり重い病気に冒されていると考えた方がイイね。

 自分が血痰によって身体の異常に気付いたのは、昨年7月の初め。発症から一年を生き延びられたのは、実にめでたいのだが、この一年で受けた治療を振り返ってみると、なかなかに凄絶だ。

 外科手術四回で切除や摘出したのは六カ所、右肺二回、左肺一回、虫垂ガン、左睾丸、左背筋、それに右鎖骨下中心静脈カテーテルの埋設手術で、合計七カ所。さらに右脳前頭葉の転位性脳腫瘍の放射線手術、ガンマナイフも受けているから、総合計では手術五回、八カ所になる。

 たったの一年、厳密に言えば治療開始から九ヶ月の事だ。その間に抗がん剤治療六回、35発もの投与を受け、副作用で味覚は狂い、24時間止むことのない耳鳴り、手足の痺れと麻痺で、字も書けなければ、お箸も使えず、歩こうにもステッキ無しでは歩けない。

 まさに満身創痍なんだが、それでも笑顔でいられるんだから、個人差はあるにせよ、人間ってなぁ逞しく出来てンね。気持ちが折れたら心で立ち、心が砕けたら魂で闘えちまえるンですよ、ってお話です。

 ま、カッケェ言葉はさておき、命懸けの闘いとなりゃ、誰だって頑張るわな。

英霊

 連載記事のネタを考え、寝付かれずにいた昨夜未明、突如としていつもとは違う異様な眠気に襲われ、二時間ほどウトウトした。眠り込んでしまうほどではなく、意識はハッキリとしていたンだが、幾人もの男達が、自分のベッドを取り囲み、ジッと佇み、何人かは自分の顔を覗き込んでいる気配を感じた。

 男達の表情も面立ちも年頃も判然としないが、不思議と不気味さや恐怖感は感じない。なんとなく、穏やかな雰囲気の、30歳前後から、50代後半の男達だったような気がする。自分はほとんど金縛り状態だったが、なんとか目と首を動かし、顔を覗き込んでいた一人と目を合わせる事ができた。自分は極度の近視のため、やはりハッキリと顔は見られなかったが、軽く微笑んでいたような気がする。

 もう一人、目を合わせる事ができた男は、厳しい表情で目を逸らし、何人かの男達に目配せをしている様子だった。声はまったく出せないが、
 「皆様方は、どなた様方でしょうか?」
と、心中で誰何してみると、一人は左手を両手で包み込む様に取り、枕元に立っていた一人が、額から目を覆うように手を置いた。

 もの凄い安らぎと眠気を感じ、白い霧に包まれたような気がした次の瞬間、身体が自由になった。少し汗ばんでいたが、不快感や恐怖感はない。しばらくの間、ベッドの上で身じろぎもせず、不思議な感覚の余韻に浸っていると、男達の遠のいていく後ろ姿が見えた。なんだか懐かしく、暖かく、頼り甲斐のある背中だった。

 神仏に頼らぬ自分の元に、菩薩や羅漢、天使が降臨するはずもあるまい。不思議な夢を見た、と気持ちの中で片付けてしまおうと思った時、遠くで自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 ――ッ、彼等の、男達の正体がわかった!

 両親を通じ、この世に自分をもたらしてくれた、累代のご先祖様の英霊に間違いない。このところ、闘っても闘っても続く病魔との闘いに、ウンザリして気持ちが倦んでいたのを見かねて、降りて来られたのだろう。

 例えようもない有り難さと、心強さに胸が震えましたよ。去年のお盆から、ろくに墓参りもしていないのに、血の絆の強さってものを改めて噛みしめてますよ、ってお話でした。

 ご先祖様、ありがとう存じました。まだ当分の間、自分はお仲間に入れないでください(笑)。

生還

 6月24日、7月1日と、中6日で二週連続のガン腫瘍摘出手術と言う、考えるのも恐ろしい状況を中央突破して、居眠釣四郎が生還しましたよ。誰だい、"死なずの眠釣"だなんて、ゾンビみたいなアダナをつけようとしてンのは!

 まァ、さすがに二週連続手術は骨身に応えた。毎週金曜お昼は手術の日、ってイヤすぎだよね。なにしろ8ヶ月も連続入院中で、その内6ヶ月で、35発の抗ガン剤をブチ込んだ身体で耐え抜いたンだから。抗ガン剤の副作用で手足は痺れと麻痺でにブラブラ、骨髄抑制による造血機能障害で、白血球は基準値の3/4、赤血球に至っては1/2以下に低下していたので、7月1日の手術は、400ccの全血輸血を受けながらの手術となった。

 手術直後~45時間までは、ツラく苦しい時間だった。特に7月3日の朝は、起きあがるどころか、口もきけない状態に陥っていたのだよ。鼻には酸素カニューラが差し込まれ、まさしく虫の息だったが、尿道カテーテルを抜き、胸部ドレーンを抜去してもらうと、猛然と生に向けての意欲が噴き上がってきた。

 D病院では、早期離床と言って、患者の容態にもよるが、手術の翌日か翌々日にはベッドを離れる様に指導される。看護師さんに支えられ、アイタ、イテテと涙目で立たされ、歩かされる。痛いのツラいのの泣き言は一切通用しない。

 第一目標は自立歩行。軽々クリア。第二目標はトイレに行ってオシッコの自力排泄。これもクリア。次は自力での連続歩行訓練。男眠釣、日頃の大言壮語の裏付けに、意地でもしっかり歩いて見せにゃならぬ。額に脂汗、腋と背中に冷や汗を流しながら、表情だけは涼しい顔で点滴台を杖代わりに歩く。内心はもう、吐きそうですよ。

 体力、生命力勝負の厳しい手術から生還はしても、男の意地を貫くってなァ、簡単なこっちゃないね、ってお話でした。

 ふっ、やっぱり、死なずの眠釣、不死身の眠釣、かもしれんね……。

上客

 今日は先週金曜日に続いて、またしても手術なんだが、手術室なんてトコは、まぁ、たいがいの人が一生に一度、行くか行かないか、ってな場所なワケだ。できりゃ一生行きたくない場所だわな。

 ところが自分の様な、多発性、転移再発性の高いガン患者なんかは、わずか半年で四度も五度も通ってくる、上得意客になっちまう。料亭でも、遊廓でも、同じ店に通い込んでいると、馴染みの芸妓ができ、主人や女将に板前も、愛想良く出迎えてくれるようになる。

 気の利いた店になると、一見客でも予約日や登楼日には、泊まりの部屋に朝から迎えの者を差し向け、着物を貸してくれて、着付けまで手伝ってくれるし、粗相のないように浣腸までしてくれる(笑)。前日には接待の芸妓の紹介や、店のしきたりの説明、ムダ毛の処理までしてくれて、板前が存分に腕をふれるよう、前夜から絶食絶飲させたり、下剤を飲ませたり、そりゃもう、至れり尽くせりなワケです。だからと言って、嬉しくも何ともないンだが……。

 自分が贔屓にしているD楼は、数年前に泊まり客用の棟を九層の大楼閣に建て替え、通い客用の別棟も新築した大店(おおだな)。このご時世に大層な羽振りだと、評判の店でね。

 今日の登楼は二週続けで、しかも五階と七階に8ヶ月も居続けの大盤振る舞い。もう、すっかり顔馴染みの客になっちまって、自分の子供くらいの年頃の、芸妓見習いの半玉(はんぎょく)さんの修業受け入れも頼まれたりしている。

 さぁ、今日は右肺心臓脇の腫瘍を料理して貰うんだが、どんなもてなしが受けられるか、身の毛がよだち、肌が粟立つほど、楽しみですよ、ってお話です。

 もぉ~、怖いったらありゃしねぇよぉ~!
(´・ω・`)

閻魔

 ついに明日は決戦第二陣の敵本丸突入、右肺心臓脇腫瘍摘出手術なんだが、前回6月24日の第一陣と同じく、気持ちは落ち着いている。執刀医M山先生を始めとして、手術に携わるスタッフの皆さんに、全幅の信頼を寄せているからね。
 
 そりゃね、生き物としての本能で、手術は怖ェよ。が、それ以上にだ、まンだ死にたかねェ、って本能が働いてッかンね。これは未練だの何だのとは別モンで、家族や世間様のご迷惑にならねェように、キッチリと身の始末を着けてからじゃねェと、逝くワケにゃいかねェ、ってェのが居眠釣四郎の美学で御座候、ってお話でした。
 
 ま、美学だの、突っ張りだのなんぞより、治療を進めておいて、少しでも楽に死にてェから、なんだけどね。まだ、閻魔さんとも話をつけちゃいねェし(笑)。

埋設

 7月1日の右肺心臓脇腫瘍摘出手術の際、ついでと言ってはなんだが、右鎖骨下中心静脈に、埋め込み型カテーテル(通称・ポート)埋設手術もしてもらう事にした。  
 これを埋め込んでおけば、8ヶ月を超える長期入院と強いお薬によって、すっかり細く、脆く、沈み込んでしまった腕の静脈を苦労して探し、抗ガン剤や栄養剤の留置針を刺して貰う、手間と痛みから解放される。
 
 ガンってなァ、やっばり一筋縄じゃ退治できねェ、難敵で御座るよ、ってお話です。
 
 特に悪性度が高く、病期の進んだ末期ガンは、治療によるダメージも大きいからなァ……。

男前

 もう決戦第二陣手術の三日前になっちまったンだが、男前、男伊達を気取るなら、「なんのこれしき! チィとも怖かねェやな」と、大見得を切って見せにゃ、様にならん。が、やっぱり怖ェもんは怖ェね。まンだこないだの第一陣手術から、三日しか経っちゃいねェんだもんよ。
 
 生来、小心者の臆病者で、ツライ事があるとすぐに逃げ出す根性無しだからなァ。強がりは言ってみるものの、いっつも現行不一致(笑)。
 
 そんな自分でも、D病院の外科、呼吸器科の主治医の先生、腫瘍内科の先生、K病院の放射線外科の先生をはじめ、医療スタッフの皆さんが、全力で支えてくだすっている。家内の毎日の献身的な介護に、親兄弟に友人知人、先輩後輩、まだ会ったこともないネット仲間の皆さんからの声援。こんだけ大勢に囲まれてたンじゃ、逃げ出すことも、隠れる事もできゃしない(笑)。
 
 今までに何遍も書いてきたけど、そんなにご大層な道を歩んできたワケじゃないが、願えば叶う幸運な人生を目一杯楽しみ、大満足でしてね、次のサイコロを振ったら、「あがり」でも、チィとも惜しくねェ。これは強がりでも、はったりでもなく、本心なんですよ、ってお話です。

 あ、今、男前な事書いたな。に、してもだ、やっぱり手術は怖ェよ~