今日の自閉っ子
台風が行ってしまったせいか、今日の息子は元気いっぱい。情緒も安定してて、機嫌よく目と目のコミュニケーションをかわしてくれたりもする。
台風が近づいてきている間は、息子も荒れに荒れて、大変だった。
自閉の子には、気圧の変化で気分や体調を崩す子が多いという。
息子も、私の手を引いて窓際へ行き、どうにかしてーとコトバにならないコトバで訴えるのだけど、台風をどうにかできる母親なんているはずがない。天気予報を見ながら、はやくいっちゃえー、こっちくるなーと、願うことしかできない。
これから次々と台風が来るから、大変な日も多くなるだろう。
何かうまい回避方法があるといいのだけど。
コドモが危ない…
夏休みだけれど、うちのコドモは、一人では絶対に遊びに出さない。
九歳になる上の子は、持病を持っていて、炎天下で遊んだりできる体力はない。
真ん中の子は重度の自閉症だから、一人で遊びにでるのはまだ無理。
一番下は乳児だから、いつも私に密着している。
だから、親の目の届かないところで誘拐なんていう心配は、いまのところ我が家にはない。
でも、ときどき三人の子供をつれて、人通りのない道を歩いていたりすると、「ここで刃物持った異常な人におそわれたりしたら、逃げ場がないな……」なんて、ふと思ったりすることがある。
逆に、交通量の多い通りを歩いていて、「大型トラックのタイヤが外れて飛んできたら、直撃かなあ」なんていう考えがよぎったりする。
そんなわけで、直感的に、「何かあったときに危険度が高い」と思えるような道は、なるべく早めに通り過ぎることにしている。
いやな話・いやな時代だけれど……。
コドモを守るためには、出来る限り自衛していくしかないのだろう。
自閉症的パニックのゆうぺ
夕方、コドモたちをつれて、公文の教室に行こうとした。
長女(九歳)と長男(七歳)、そして次女(ゼロ歳)を連れ、愛車に乗り込み、エンジンをかけようとしたら……かからなかった。
電気系統、ピクリともしない。
完全に、パッテリーがあがっていた。
つい二日前に乗ったときは、ぜんぜん平気だったのに。
なにしろ動かないのだから、いったん車から降りて、整備工場に連絡する以外にない。
ところが、長男は頑として車から降りようとしなかった。
公文に行くと言って家を出たなら、絶対に教室に行かなくてはならない。
まして車に乗った以上は、絶対にドライブにでなければならない。
それが長男の住む、自閉の国のルールなのだ。
説得不能。
引きずりおろすしかなかった。
自宅まで担ぎ上げるようにして引っ張っていき、泣き喚く声を聞きながら、整備工場に電話した。
メカニックの人が、バッテリーを持ってすぐにかけつけてくれた。
つけかえの作業をする間、長男は火がついたように泣きながら、私にボディアタックをかけつづけた。
バッテリー交換が終わり、整備の人にお金を払って、「車、治ったよ」といっても、まだ怒っていた。
公文の教室には間に合いそうもなかったので、長男を車に乗せて近所をドライブした。
長男はあっというまに機嫌回復。
幸い、公文の教室のことは忘れてくれたようで、機嫌のよいまま帰宅。
くたびれた。
朝から
息子が枕元で、
「こんにちは。よろしく、おねがい、いたします」
と言っている。
繰り返し繰り返し、言っている。
療育教室で、五年かけて覚えたことばだ。
ちかごろは、挨拶もずいぶんスムーズになった。
まだ相手の顔はちゃんと見ないけど、うながすと視線を合わせようとはする。
周囲の世界と折り合おうと、ほんとうに、がんばっている。
私も息子の自閉の世界を、もっと理解してやりたい。
お立ちあい~
三回お産したが、三回とも、ダンナは立会いしなかった。理由は、
「見んほうがええもんも、ある」
だそうだ。
まあ、立ちあわなかったからといって、とくに言うべきこともない。
無理やり連れ込んで、分娩室で卒倒されても、迷惑だし。
産むのは私の仕事だ。
お産は三回とも、かなり難産気味だったけれど、私は自分で荷物かついで入院し、陣痛もほとんど一人で乗り切った。
今年一月の、三度目のお産など、行きも帰りも、付き添いなし。自分でタクシー呼んで、新生児抱えて帰宅した。
一人で淋しくなかったかって?
一人じゃなくて、赤ん坊と一緒につらいお産をがんばったのだ。
なにしろお互い、命がけだった。親子であると同時に、戦友という感じ。
思い出深いお産になった。
迷彩柄のベビー服がよく似合う乳児を、いまも膝の上にのっけて、これを書いている。
火星人の小学生
子供が三人いる。
そのうちの一人、七歳になる息子は、たぶん火星の住人である。
「たぶん」というのは、私が火星に行って確認したわけではないからである。
でも、属性的には火星の人、ということになるのだと思っている。
オリヴァー・サックス博士というお医者さんの書いた、「火星の人類学者」というエッセイ集がある。そのなかに、アメリカ在住の、ある火星人女性についての話が出ている。その人の名前は、テンプル・グランディン。彼女は自ら博士号を持つ天才肌の研究者であり、ある分野の第一人者でもあるのだが、火星人でもある。
地球のことばでいうと、彼女は、「自閉症」というタイプに分類される人ということになる。
それは、一般的には「知的障害」とよばれるものであるけれど、彼女は知性によってある研究分野の第一人者になった人である。
火星人としての資質、すなわち「自閉症」は、グランディン氏に地球生活上のさまざまなハンディをもたらしたけれど、同時に、大きな才能の可能性をも与えたらしい。彼女の脳は、設計・建築の仕事においては、コンピュータよりも高性能な情報処理能力を持っている。
けれども、地球で「普通に」暮らすことは、彼女にとっては甚だしく困難であるという。まるで火星の人類学者になったような気分で、日々、適応の難しい地球の暮らしに直面しているのだという。
私の息子も「普通」の暮らしに適応することが難しい。また私も、息子の「普通」を理解することが難しい。
だから、日々、とんでもないことが次々と起こる。
わけのわからない騒ぎと混乱にまみれて、私達は暮らしている。
もっとも、息子にとっては、周囲の人々のほうが、よほどおかしいことをしているように見えているのにちがいないけれど。
恥ずかしい話
買い物をすると、よくつり銭を間違えられる。
多く貰ってしまうときもあれば、あからさまに足りないときもある。
たいていは、後で気づいて泣き寝入り、となるのだけど、ごくたまに勇気出して、
「あのー、お釣り、ちょっと足りないんですけど」
と申告したときに限って、実は間違えられていなかったりするのである。
もちろん、店員さんには白い目で見られるし、後ろに並んでいる客たちにも「余計な時間かけやがって」という痛い視線を投げつけられる。
日ごろの被害者感情など吹き飛んでしまい、世の中のつまんないトラブルの元凶は全部自分にあるかのような、情けない気分になる。
そして、以後一層、つり銭のミスに対して引っ込み思案な客になってしまうのであった。