難病とは -2ページ目

難病とは

5年後に寝たきりになると宣告を受けた娘の難病が食事を変える事で治癒しました。
この経験を生かし、難病克服支援センターとして、難病を克服するサポートをしております。

難病克服支援センター
https://kokufuku.jp/

自分らしく生きるって?

心も体も楽な状態です。

「自然体」という言葉がよく使われますよね。

自分らしくないは、自分に嘘をついている状態です。

心(感情)より頭(思考)で生きているので、体への負担が大きくなります。

心と体は繋がっているからですね。

その心と体を繋いでるのが自律神経です。

「自律神経の乱れ」という言葉がよく使われますよね。

心の不調和は自律神経を乱し、体の不調和へと発展させるのです。

ですので、自分らしくない生き方は、病気になりやすい生き方だということです。

では、自分らしく、そして健康的に生きるためには、自分らしさを知る必要がありますよね。

ずっと頭(思考)重視で生きてきたら「自分ってどういう人」が分からなくなっているからです。

本心や感情を頭(思考)が邪魔をするクセがついているからです。

無意識に頭(思考)が先に働いてしまうクセですね。

では、自分らしさに気づき、健康的に生きるために心掛けるべきことは?

①常識や理想に捉われないこと

そもそも、常識や理想は自分の中にあるものではなく、その時代が作り出したものですよね。

生まれた国によっても常識や理想は違います。

時代によっては犯罪者だって英雄になるのです。

ですので、常識や理想に捉われるってことは、自分を見失うことにつながるのです。

②他人と比較する

他人と自分を比較するってことは、少なくとも他人の評価や目に合わせている状態です。

その評価や目は、社会が作り出したもので、軸が自分ではないのです。

社会の評価や目ばかりに意識が向くと自分の心や感情への意識が薄れてしまい、自分を見失うことにつながりますよね。

③自分を否定する

自分の短所への意識は、自己否定につながります。

自分の短所だと思う部分を受け入れることで長所への意識が高まり、自分らしく自分を伸ばせるのです。

その短所こそが長所を生み出していることが多いので、自己否定は長所の存在を否定することにもなります。

長所こそが自分らしさであって、そこへの意識が薄れることは、自分を見失うことにつながりますよね。

④みんなに好かれようとする

世の中には、いろんなタイプの人がいて、誰にも好かれることは無理なのです。

みんなに好かれようとすると、本当に自分に合った人を見分けることが出来なくなります。

生きる上で大切なことは、自分に合った人を見つけて、よい人間関係を持つことです。

本当に自分に合った人こそが、自分らしさを応援してくれる人だからです。

ですので、みんなに好かれようとすることは、自分を見失うことにつながりますよね。


便利で合理的な社会は、人間が生きていくうえで大きなメリットがあります。

しかし、「自分らしさ」を見失いやすい環境でもあるのだと思います。

生きていくうえで一番大切な「心と体」がダメージを受けないように「自分らしく生きる」とうことは常に意識をしていたいですね。

難病克服支援センター
https://kokufuku.jp/


 

食事療法とか食事改善とか、そういう言葉って何となく難しいイメージがあったり、頑張るイメージがあるけど、実際はそうではないんですよね。

単なる食事なのに療法って言葉を使うのが良くないのだと思います。

難しいことではなく「人間が生き延びてきた過程で食べてきた自然なものを出来るだけ食べましょう」ってだけのことです。

それは難しかったり頑張ることではなく、体に優しく生きるってことなのです。

加工された、不自然な化学物質が入った食べ物を食べ続けることが、体にとっては過酷なことで、体にとって過酷なことは心にも悪影響なのです。

だから、この50年(1970年以降)アレルギー疾患や自己免疫疾患、神経系疾患、ガン、認知症、発達障害が増え続けているわけです。

現代の不自然な食品を当たり前のように食べていることが心にも体にも良くないということの表れです。

だから、出来るだけ自然なのを選んで食べるってことは、頑張ることではなく、難しいことでもなく、自分にとって優しく生きるってことなのです。

病気になったり、難病になったりした時に、食事改善するってことは優しく生きることで、心も体も楽にしてあげて、そうすることで治癒力をあげて、自らの体の力で治そうよってことなのです。

医学で治せないなら、頼れるのは自ら持つ治癒力なんだから、その力を最大限に発揮するためには、優しく生きることが必要で、そのために一番大切なのが食事ってことなのです。

だから、食事療法や食事改善は、何にも難しいことでも頑張ることでもなく、病気になったんだから優しく生きようねってことです。

病気になってまで、もう頑張ろうとする必要ないのです。

頑張るんじゃなくて、自分に優しく生きるのです。

長い人生の中で、それが必要な時期ってことなんです。

それを病気が教えてくれているのかな、と思います。

難病克服支援センター
https://kokufuku.jp/

 

 

 

本当に大切なものは、普段は当たり前のように手の中にあるんですよね。

しかし、持っている感覚があまりなくて、大切だという認識も普段はほどんどありません。

なぜなら、もう片方の手で別のものを必死で掴もうとしているからです。

なので、大切なものを握っている手に意識がいかないのです。

当たり前のように手の中にあるから、失う危機感もないまま過ごしています。

時代の変化とともに環境や価値観が変わり、持っていないものを得ようとする意識が強くなっています。

その分、持っている大切なものへの意識が薄くなってしまいがちなのかなと思います。

しかし、時々、握っている手の力が緩んで落としそうになるんです。

普段は当たり前のように手の中にある大切なもの、それらを落としそうになり「失うかも。。。」と感じた途端に、その大切さを急に痛感し、失いたくない気持ちがマックスになっていきます。

そして、日々、もう片方の手で必死で掴もうとしているものが、どうでも良いものであることに気づかされるのです。

どうでも良いものを、普段は必死で得ようとして生きていることに気づかされるのです。

本当に大切なもの、それは必死で生きていると当たり前の存在すぎて、普段は見えなくなるものばかりです。

健康な体もその一つだと思います。

あるのは当たり前、だから無いものばかりを必死で追いかけてしまう。

その結果、当たり前のように持っている本当に大切なものを落としそうなってしまうのです、

これって、一生懸命な人ほど、陥りやすいことのように感じます。

一生懸命に生きている人ほど、必死で何かを掴もうと頑張って生きていますからね。

大切なものを落とさずに、失わないためにも、失いかけるという出来事は必要なのだと思います。

落としそうになるからこそ、また強く握ることができるのですからね。

大切だということを再認識が出来ることは、生きる上での方向修正に繋がります。

その方向修正があるからこそ、大きく道を外れずに生きていけるのだと思います。

落としそうになっても、またちゃんと握れば大丈夫なのです。

難病克服支援センター
https://kokufuku.jp/

 

 

長い人生、何事もなく一生を終える人はいないと思うんです。

一生懸命に生きていても、思わぬことが起きたりして、山あり谷ありですからね。

それでも前を向いて生きていくには、そのための原動力が必要なんだと感じます。

私も今年で58歳、10代と20代は景気が良くて楽しかったけど、21歳の時に母を喪い、病に気づけなかったことを後悔しました。

30代は所帯を持った責任と仕事に悩み

40代前半は娘が難病になり、また破綻した会社の負債を背負い、後半は私がパニック症と鬱になり

50歳でワクワクしながらで難病克服支援センターを立ち上げて、今はかなり平穏な日々を送れてますが、まだまだこの先も山あり谷ありは続くと思います。

どんな状況でも前を向いて歩いていくための原動力ってなんだろう?

それは”未来に少しでも希望が持てるかどうか”だと思います。

絶望の中でも未来に少しでも光を感じられるかどうか、微かな光でもあれば、それを頼りに前に進めるのだと思います。

それがなければ、気力なんて湧きませんし生きることに喜びや意味を感じることも難しいです。

ほんの少しでも希望が持てるから、どんなに辛い状況でも前を向いて歩いてこれたのだと思います。

それは、難病という状況であっても同じですよね。

少しでも良くなる可能性がある、今よりはきっと良い方向へ向かう、少しでもそう思えたら、その希望を頼りに前を向いて生きていけるのだと思います。

周りに辛い状況の人がいたら一緒に光を探してあげること、そういう思いやりや行動によって誰もが長い人生の中で誰かに助けられて、辛い時期を何とか乗り越えていけるのだと思います。

それが人間らしい生き方なんだと思います。

しかし、相談者さんからあがってくる受診後の報告は

悪くなること前提で薬や治療の話ばかりされる、だから診察がストレスで辛い、元気がなくなる

状態が良くなっているのに新薬を強引に勧められて、断ると凄く不安にさせられたり、怒って無視される、理不尽な気持ちになる

「薬を減らしたい」と伝えると、必ず再燃するような話をされて「それでも減らしたいなら、あとは知りませんよ」みたいに突き放される

そういう報告が嫌になるほど多いです。

確かに辛い現実や最悪の事態を伝えることも大切です。

しかし、少しでも未来に希望が持てないと生きる気力や喜びを得られないのが人間ですよね。

人を救えるのは薬や治療ではなく、それらを扱う人なのです。

体や病気のプロなら、心の状態が体にどれだけ影響するか分かっているはずです。

ならなぜ、そんな言い方になるのかなと。。。

少しでも希望が持てる話をしないのか?

少しでもちゃんと話を聞いてあげないのか?

不安な時って、話を聞いてもらえるだけでも人は救われるのです。

なのになぜ、逆に絶望させるの?

「辛い現実を一緒に受け止めながら、最悪のケースも考えて、それでも希望はあるから一緒に前に進もうよ」

人として、それだけのことじゃねぇ?

そんな気持ちで接してあげたら、心や体が楽になって回復にも繋がるんじゃねえ?

そう思わないの?

心が緩むと筋肉も緩んで、それだけでも体内の巡りも良くなりますよね?

病気の体にとって一番に大切なことだと思います。

人として、当たり前の接し方が出来るかどうかです。

どんな職業のでもプロであるなら、その前に人でいてほしいです。

どんな仕事でも人でいられるかどうか、それを忘れたら終わりですからね。

難病克服支援センター
https://kokufuku.jp/
 

生きる上で常識は必要です。

しかし、それよりもっと大切なことは、常識だと鵜呑みにせずに考える習慣が大切です。

世の中の常識も時と共に変化していきます。

そして、個人の常識も経験や得た情報によって、みんなそれぞれ違います。

病気や難病に対しての常識も同じです。

インターネットやSNSが普及し、得られる情報も格段に多くなりました。

医師の言葉だけでなく、多くの人の経験や情報を得られるようになったのです。

それによって今までの常識に変化が起きて、意識と講堂が変わり、難病を克服した人をたくさん見てきました。

では、常識が変わり未来が変わった人って、どういうタイプかを下記のページにまとめました。

https://kokufuku.jp/2023/07/06/blog102/