ふせい白書 -2ページ目

ふせい白書

あらあらまたこんなことを?よろしくないわねえー。ちょっと成敗してあげましょうよ。

サッカーか、長女の塾問題か

最近の話題がサッカーのことばかりだったので、たまには違うことも書いておこう。

以前からこのブログを読んでいる方はご存知だと思うが、子供が塾に行きたくないと言ったものの、試しに受けた公開模試の会場で当時一番仲良くしていた友人と会い、行くことになった話。

結果的に中高一貫校に合格した。みんなより塾通い始めるのが1年遅い5年生からのスタートだったが、みるみる成績を上げ、トップクラスに入った。

これは、1年生の終わりから親と家庭学習をしていた、という礎があったからに他ならないと思っている。

かたや、お兄ちゃんと同じ塾に行きたいと、3年生から塾に行き始めた長女は、途中で挫折し辞めてしまった。

が、ここに来て、また塾に行きたいと言っている。

一緒に勉強しようと言っても、はぐらかしてばかりの、わがまま長女。
なかなか女の子は扱いが難しく、長男のようには厳しくできていない自分が情けない。

1年生の頃、長女は、たし算ひき算を指でするのが上手で、しまいには、繰り上がり、繰り下がりの計算を片手でできるようになったほどだ。しかも超快速で。

また、くもんの塾には行きたくない、と言った理由が、くもんは指を使ったらいけないらしい、というのが理由であった。

そんなご長女もすっかり5年生。

幼児の頃から絵を書くのが好きで、今でも毎日最低1時間は絵を描き続けている。
多分絵の塾があればかなりの偏差値になっているはずだ。

勉強は、兄が使っていた塾の教材を使って家庭学習をやっているが、これが終われば塾に行きたいらしい。
これが終わればとはいうが、1日、文章題を1問ずつ、という超ワガママペースで、それをまたホイホイと私が添削しているのである。

長男の時は4年生までほぼ毎日、一緒に家庭で勉強をした。なるべく低学年から学力を定着させたほうが、あとあと楽だろう、と思っていたからである。

最近になって、長女の言うことを聞いていると、果たして、家庭学習してこなかった子が、5年生の終わりから本気になると、どれくらい伸びるものだろうか試してみたいな、という興味が湧き始めた。何にでも挑戦したくなる悪いくせである。

そうなると、塾に行かせて、はい、あとは頑張ってね。というわけにはいかないだろう。

長男の時にやってるから分かるが、一旦始めるとかなりのパワーを必要とするわけで、勉強に付き合おうかどうか、ひとしきり悩んでいる今日この頃。

やっぱりサッカーの話題にしとけば良かったかな。

アギーレジャパンの本当の進化

サッカーファンとしては、先日、サムライジャパンが新監督就任後、初の2試合連続の勝利をしたことで、少しはホッとした感があるのではないだろうか。
果たして大丈夫なのだろうか、という新しい指揮官の采配に、少しばかりの光明が見えたような気がする人も多いはずだ。

だが、本当にそうなのだろうか?モヤモヤとした違和感みたいなものを感じるのは私だけだろうか。
先日のオーストラリア戦では、4231のフォーメーションが奏功し、途中から攻撃的に試合運びができたとも見れる。ただ、システム上の話にはなるが、433のフォーメーションは4231を苦手とする組み合わせなので、フォーメーションだけでいうとオーストラリアの方が最初から分がよかったと言える。プレーをするのは人なのだからフォーメーションだけで勝利が決まるわけではないが、相手のフォーメーションがわかった時点で、4231ができるのであれば、それで戦うのがセオリーだろう。
アギーレにはそのセオリーがあったのだろうか?

4231でのプレーはまさしくザックジャパンが残した置き土産であり、アギーレの真価を問えるものではない。
433がうまく稼働しているとはいいにくいが、初めてのシステムにしてはサムライ達はなんとかやりこなしている。ただそれ以上に慣れ親しんだ4231がやりやすかっただけだ。

思い起こせば4年前、ザックジャパンの最初の試合はアルゼンチン戦であった。記憶の限りではザッケローニはまだ就任して数日だったのではないか。メッシのドリブルを止め、点を取り、1対0で競り勝つ、というこの上ない形での好スタートであった。そこから負けなしの16連勝をしている。

ただ、である。ただ、ただ、結果的にW杯では一つも勝てなかった。

そう考えると、目標を次のW杯だとするならば、16連勝するより、今負けていてもW杯でベスト8以上に上がることを考えてやってもらったほうがいい。

ではザックジャパンは弱かったのかというと、明らかに強かった。ザックジャパンの戦績は勝率70%を超えている。W杯の前にオランダにも勝った?か引き分けたかしている。明らかに強かった。
何といっても攻撃的サッカーを日本に取り入れたという点で評価は高い。

日本はW杯のコロンビア戦で大切なことを学び、それがしっかりと選手の心に刻まれている。
今のところはそれだけで勝っているのであり、アギーレジャパンになりはっきり変わっているわけではない。
ただ、徐々に進化しているのは節々に見える。

ザックジャパンの時は、試合ごとにテーマを決めて戦っていた気がする。縦パスだけを多用する試合であったり、縦パスを使わず、パス回しを中心にやったり、試合により、選手の判断というより、チームの意図でプレーしていた感がある。だから縦パスが欲しい場面でこの前はでていたのに今日は出ない、という試合が時々あったのはそのせいではないかと、私は思っている。

その点、アギーレジャパンになってからの試合では、選手個々の判断が強くでていて、ここは縦パス、ここは引く、などよくあそこに出したな、あるいは走ったな、というプレーが多く見られる。一試合のなかに色々なプレーが見られるようになった。

選手のプレーの中に、縛られていた呪縛からとき離れたれたような印象を、すごく感じる。

そういったプレーが自然に出るように、ひとつひとつ選手に理解させ、習得させるにはまだまだ時間がかかるのだろう。

また、前よりもディフェンスに安心感を感じる。ただ、はっきりここが良くなっているから、という理由を見つけるまでに至らない。
そういった半透明な進化が、今ひとつ、本当のアギーレ効果での勝ちとは思えない点となり、私の気持ちをスッキリさせないのだろう。

また、4231を多くのチームが取り入れる中で433で臨む理由ほ何なのだろうか。

パス回ししやすいだとか他のフォーメーションに変化させやすいとか言われるが、私が思うに、アギーレは相手のサイドバックに仕事をさせたくないのではないかと思う。

昔と違い、サイドバックの選手が当たり前に攻撃参加してくる現代サッカーでは、サイドバックはレーダーに映らないステルス戦闘機のような存在になっている。フォワードだけを警戒するだけでは攻撃を止められないのである。

アギーレジャパンは相手のその選択肢を潰しておきたいのではないだろうか。

ディフェンスはフォワードとMFに集中できるので、理論上は楽だ。そういうシステムで守りを固めたいのではないだろうか。
ただ、先日、4231でうまくいったので、強気の指揮官も今頃悩んでいるとは思うが。

上記のように感じている点が間違いなければ、徐々にディフェンスの強い攻撃的なチームになるはずだから、楽しみに見ていこう。

アギーレさん、433でとりあえず完成させて見せてください。





ドイツの強さその2

ドイツの強さについて
1.ハードワークを惜しまない
2.フォーメーションの変化
については前の記事で書いた。
今回は
3.パスルール
について書く。

オランダを筆頭として、カウンター攻撃を主に戦術としているチームでは縦パスが点をとるポイントになる。そのため、ディフェンダーがボール持った場合でも、チャンスとみれば、いきなりロングで縦パスを出すことが多々ある。ドルトムントが主に使う攻撃パターンであり、日本も強化試合では多用していた。

ドイツの攻撃ではロングの縦パスは皆無である。かなり近い距離でパスをつなぎ上がっていく。長いパスを使うとすれば、相手ゴールサイドから中央へのクロスかせいぜい長いほうだ。

ドイツの場合まず相手がボールを持つところから攻撃が始まっている、と言ってもいい。
そして相手がどの位置にいようと、一番近くの選手がプレスにいく。プレスにいくと相手選手は、後ろにパスするか、周りの選手を探してだすか、慌ててドリブルするかしかない。慌てたところを奪う。問題はそのあとだ。

上記したように現代サッカーではまず縦を狙うのが基本になっているため、確率は低くても縦に出そうとするチームがほとんどである。しかし、ドイツはその逆で、後ろか斜め後ろに奪ったボールを出す。
そこがドイツのパスがつながる大きなポイントだ。

もし、ドイツ、ブラジル戦を録画している方は、ドイツが相手からボールを奪ったりカットした場面を確認してみると分かる。相手ボールをカットした後、100%後ろにだし、そのあとのパスにつなげている。

全てである。

後ろにだすメリットは、受ける選手の身体が攻撃する方向を向いているため余裕があり、次につながりやすい。が、100%後ろに躊躇せずに出せるというのは、これもチームでルールがあるのだと思う。

シュートの際もそうだ。ミドルシュートは別として、パスをつないで持ち上がり、シュートをする際、周りにいる見方に1度もどす。戻された見方の方がゴールに正対していることが多くシュートしやすい。
ほとんどの得点でゴールに身体を正面に向けている選手が決めている。
また、ボールを戻すためキーパーがすでに倒れてる、という誤算も副産物としてある。

後ろにパスをするという点ではスペインもそうだった。華麗なパス回しで相手ゴールに近づき得点をするという点では同じである。

違いはスピードにある。
スペインはパスを回すことに、パスを回す目的を置いている。

試合の70%ボールを持てれば80%の試合に勝てる、という哲学を持っているから、とにかく持つことに専念する。そのため、パス回しをしている間に相手が下がり切ってしまい、ゴール前を崩すのが難しくなる。
また、高くポジションをとっているため、カウンターを受けてあっさり点を取られる、という弱点がある。それでも以前のスペインは勝っていた。近年、研究されたのと、難易度が高いので、練習時間の限られる代表練習ではなかなか難しい面もあるのかもしれない。

ドイツは一旦下げても、点を取るのを優先しているため無駄なパス回しをしない。いち早く相手ゴール前にボールを運ぶためにとにかく、走る。
パスサッカーといいつつも、この辺りはほぼカウンターになる。それだけスピードを重視している。
相手が戻り切らない時点で勝負をするためだ。
一斉に走り、サイドに散らばり、数的有利とスペースを作る動きをする。

このように、ハードワークとフォーメーションの変化、それからルールの徹底したパス回し、この3つの方法を絡めて作られている戦術がドイツの強さの秘密だと分析する。

ドイツのサッカーを考えれば考えるほど、日本のしたかったサッカーはこれだったんじゃないか、と思うのは自分だけだろうか…。

ドイツの強さ

ドイツ対ブラジル戦はドイツが勝つと予想した人も、あそこまで開くとは思わなかっただろう。

記録的な点差で、ネットにも書いてあったが、今後100年は語り継がれるであろう試合であった。
今回の大会では、超スピードカウンターという、今までのカウンター攻撃をさらに攻撃的にした戦術が目立ち、結果もだしている。誰もがオランダの攻撃に感動したはずだ。

そんなトレンドの中、ドイツはパスサッカーを徹底し、ここまで勝ち上がってきた。

パスサッカーといえば、スペイン。だがグループリーグで敗退したことで、いよいよサッカー戦術の世代交代かと思われた。
では、ドイツのパスサッカーは今までのそれと何が違うのだろうか。

ブラジル戦だけを検証してみると、以下の3点にそのヒントが隠されているように思える。

1.ハードワークを惜しまない。
スペインのパス回しはなるべく自分達は疲労せず相手を走らせる、という前提のもとに組み立てられている。ドイツの場合一目瞭然で全員が縦に横に走っているのがわかる。相当疲れるはずだが、それを戦術としている。これは、自分がファンだからというわけではないが、近年のドルトムントの戦術から取り入れられたと思われる。

また、以下にも書くが、このハードワークが攻撃の守備のフォーメーションの変化を容易にしている。

2.フォメーションの変化
試合中の人数に注意してもらうと分かるが、試合はじめに出るフォーメーションではドイツは日本と同じ4231のことが多い。よくみると442の2が縦になっているのが正しいフォーメーションだと思うが。

どちらにしろ1番後ろは4人からスタートするが、試合が始まるとすぐに変わる。ゴールから持ち上がる時、1番後ろが2人になりその前に1人か2人、前に人数がずれていき、相手ゴール前に攻め込む時は通常で4人、多いと6、7人いることもある。

また、前線のサイドが大きく広がっているためそこもマークして中もマークしなければならない、という状況が生まれる。
相手としては、人数が足りないし、外側と中と目をやらないといけないので、かなり危機的状況になる。

ブラジルが点を取られているのは、この現象で、ゴール前で人数が足りていないのが原因である。

これは人数がたりないという単純な問題ではなく、そもそもの戦術を考え直さないといけないとても大きな問題でる。

また、ドイツ守りの際はその逆で最後部は6人で守っていることが多い。

このように、攻守時ともに数的有利状況を必ず作る。そのようにルールが作られているはずである。また、そのように動くには、上記のように、1人1人がハードワークを惜しまず走るということが大前提にある。

3.パスルール
続きは次回に。

ワールドカップ検証


ブラジルワールドカップ、日本はグループリーグで1勝もできず敗

退してしまった。
これで楽しみは4年先にのびた。
世界中をブルーに、というフレーズがどことなく寂しく聞こえてくる

ようで、気分がブルーに染まったのは自分だけではないはず。

2014年の夏も一気に終わってしまったようだ。

日本史上最強といわれたザックジャパンだったが、コロンビア戦

以外はとても納得のいく内容ではなかった。

こんなはずではない、と思った人も多かったはずだ。

昨年暮れに、日本はワールドカップ予選無敗のベルギーに勝ち、

ロッベンのいるオランダと引き分けた。強化試合ではコスタリカにも

勝っている。

では、何故ワールドカップでは勝てないのか。


ワールドカップは特別だということはわかっているが、日本の良さ

を出せたようには思えない。

ワールドカップ直前の強化試合ではいい試合をしていた。

その頃の試合で戦術的に興味深い試合がある。
たぶんコスタリカ戦だったと思うが、日本は前半からショート、ロン

グ問わず、縦パスを多用していた。
いつもは、香川から岡崎で1試合に数本しかみられないのに、そ

の日は後半だけでも、16分の時点で9本の縦パスが出されていた。

約2分弱で1本のペースである。

香川と岡崎だけではなく、色々な選手が出し手と受け手になってい

た。
ほとんどのパスが通れば即得点をイメージさせる、とてもワクワク

する試合運びだった。

こんな試合を見たかった、と思わせる試合運びだった。仮想ギリシ

ャ、仮想コートジボワール、、、ワールドカップ対策はうまくできてい

たと思う。

システムとかフォーメーションとか、色々と難しい話もあるが、問題

は日本はこうなったら点が取れる、ここで彼がボールをもてば1点

取れる_というようなパターンが一つしかないし、その他のパターンを

作るプロセスを感じないまま終わっている。

その一つというのが岡崎へのスルーパスであり実際に結果を残し

てきている。ただ、あと二つくらいは作って欲しかった。

例えば、オランダはロッベンに縦パスで抜け出させれば得点を期待

できるし、イタリアはピルロに任せておけば、いいとこだすな、と思

わず声に出してしまうようなパスを出してくれる。ドイツは相手ゴー

ル前でパスを回せれば、密集した中でもミュラーかゲッツェが点を

決めてくれる。メッシは1人で相手のディフェンスを崩すしフリーキッ

クでの得点の確率が異常に高い。

世界は個人主義のサッカーに戻りつつある。もちろん現時点で日本

の選手にそれを求めることはできない。

日本にはメッシもロナウドもロッベンもいない。
チームで勝つしかない。

限られた時間で成果をだすには、日本の強みであるアジリティと勤

勉なハードワークを有効に使うしかない。そうなると、必然的にカウ

ンター狙いとなる。ただルールのないカウンターであれば意味がな

い。

サイドから上がり、スルーパスかグラインダーのクロスを入れる。柿

谷、岡崎にスルーパスを出し、本田はミドルを狙う。香川、長友は切

り込んでシュートを狙う。

ペナルティエリアでパス回しをする暇があるならシュートを狙うべき

だ。

日本には世界レベルのストライカーがいないので、ドリブラーの代

わりに縦パスで繋げばいいし、素晴らしいシュートの代わりに、岡

崎にスルーパスをだせばいい。

どんなに強いチームでもゴールする人間がいなければ1点をとれな

い。
日本は縦パスやスルーパスでそれを実現できると思う。

何回も何回も縦パスを出し、その度にシュートをする。
その繰りかえしをしないから点がとれない。

また、そのようなプレー、シュートのできる選手を1番相手ゴールに

近いところにおけばいい。

難しい縦パスをいとも簡単にさばき即シュートか、狭いエリアで1人

抜いてシュートのできる選手。しかも体では負けるので、体で当たっ

て抜くのではなく、俊敏性で抜く選手。

個人的にはトップは柿谷を不動にして、柿谷を活かす戦術を組み立

てた方が日本の良さをだせたのではないか、と思っている。

それならパターン化できたのではないだろうか。

日本はパス回しがうまいが、相手ゴール前でのパス回しが1点を逃

している気がする。

もっともっと縦パスを出して、もっともっとシュートをして欲しかった

なあ。

ここまで書いといて何だが、コロンビア戦の戦い方が良かったので、

チャラにしておこう。
たぶんコロンビアかオランダ、ドイツのいずれかが優勝するだろうか

ら、まあいいか。


それより、夢を見させてくれたザックジャパンにありがとうと言いたい。

ありがとう、2014年ザックジャパン!

君達は強かった!

警察はストーカー事件を間違える


京都三鷹市で起きたストーカー殺人事件。とても痛ましい事件で
ある。今迄にもストーカーから始まって人が亡くなった事件は数多
い。


このような事件はおそらくストーカーという言葉ができる前からあ
ったであろう、と想像をめぐらせてみると、自分の中での最初のス
トーカー事件は桶川の女子大生殺害事件ではないかだろうか。

メディアでは「桶川ストーカー事件」として扱われたので覚えてい
る人も多いかと思う。


事件では被害者となる女子大生が何度も警察に相談していたのにも
かかわらず、その女子大生は帰らぬ身となっている。

この事件に関しては、ストーカー事件と関連付けなくとも、自分の
中では数年に一回思いだされる事件である。


それは犯人の結末によるものが大きい。


何人かいた犯人の中で一人だけ逮捕されなかった人物がいる。
逮捕はされなかったが、死体で発見されたのだった。
単なる首つりとか、飛び降りとかではなく、北海道の海、しかも氷
の合間で発見されている。


この件については自殺ということで終っているが、


・自殺に北海道の氷の間を選ぶ人がいるだろうか。
 普通は飛び降り、首つり、薬物、死ぬにはその程度の想像力しか
 はたらかない。(自分だけ?)

・その人物が持ち運んでいた数億円がなくなっている。


どうだろう、この2件の情報から、自殺と信じる人はどれだけいる
だろう。

ちなみに遺書は見つかっている。遺書は政治家でもホテルなどで自
殺する時は書いているし、殺人事件を起こし北海道の氷の中に飛び
込む人間が、はたして遺書を書く確率はどれほどのものであろう。


この事件では様々な問題点が浮き彫りにされた。

警察が告訴状を改ざんしたり、親が500万円要求され、本人に殺す
ぞというメールが送られてきたりしているにもかかわらず、民事不
介入という理由で警察が事件を煙たがったりしている。

今では考えられないが、当時はストーカー事件自体、その程度の扱
いだったのだろう。
この事件を機に事件の翌年にストーカー規制法というものができて
いる。


今回の三鷹市の女子高生殺害事件に関しても、警察の捜査について
いくつか指摘されている。

このような殺人が絡むストーカー事件については、ほとんど警察の
捜査の間違いが原因となっている。

というより、これだけ繰り返した間違いなのだから、もっと早くに
気づくべきなのである。

警察はストーカー事件の捜査を間違える、と。


そして、法律を代える必要があるのではないだろうか。

今回の三鷹市の事件では、容疑者の携帯電話に忠告をしたが、実は
していなかった、ということが浮き彫りになっている。

そして、被害者は亡くなる前に警察と連絡をとっている、無事に家
に帰り着きました、と。


そして自宅で殺害されている。


冒頭にも書いたが、とても痛ましい事件である。それは私が言わな
くともニュースで何度も報道されている。

実は報道されているのは桶川事件も同じなのである。

そこから、何を警察を学んでいるのだろうか。
自身の保身なのか、捜査の手順なのか。
もっと自分がストーカーだったらと想像することも、無駄ではない
のではないか。

自分が人を追いかけまわす時に困ること。それを突き詰め、まずは
一つ目の答えをだすことも、警察の反省の意を表す一つの方法であ
ることを警察の方々には気付いてほしい。

事件を学習せよ、事件は会議室で起きてはいないが、たまには会議
でつきつめていただきたい。

現時点でやらなければならないこととしての提案。私がストーカー
だとして、最もやられたくないこと。


ストーカーはストーカーと扱われた時点で確保。


それくらいはやらないと、今後も殺害されて泣く親はあとをたたな
いのではないか、と思うこの頃。

また間空きましたね、次は近日中に。

久しぶりの恋愛もの、パートナーだと思い描いていた

人のことを思い出している詞です。





  君と道と


1.昨日見た夢で 君が泣いてた
  どんなにか 切なかっただろう


  ああ この限りを尽くしても
  君を 慰めてはあげられない
  ただ 目の前のできごとを


  季節の変わり目に 強い風が
  吹くとニュースは言っていた


  ああ この時が過ぎてしまえば
  明日を 見つめていけるだろう
  きっと そうあった道を
  
  今ある時 場所 そして自分を
  ひとつひとつ大切にしよう  


  そして明日が見えてくる
  きっと昔に思い描いていた道


2.通り過ぎてきた 傷と光
  誰にも見えないはずだと思ってた


  ああ 思い出してごらんあの時
  二人だけの時 誓っていただろう
  前に広がる 特別の時


  風が吹いて 傷をいやす時が
  いつかくる そう願っていたよね


  流れていく時のように 風がふいても
  二人で見ていた 海の向こうに
  あるような 明るい世界


  今なき君 空と そして思いを
  ひとつひとつ思い出そう


  そしてさびしくなったとしても
  君と歩いてきた道を

  きっと今も思い出にできるだろう


  今ある時 場所 そして自分を
  ひとつひとつ大切にしよう  


  そして明日が見えてくる
  きっと昔に思い描いていた道

一幕の終わりと始まり


久しぶりに書いている。


ブログを楽しんで読んでいただいていた方には申し訳なかっ
たが、ずいぶんとあけてしまった。
これからは定期的に書いていこうと心に誓ったので今後とも
よろしくお願いします。


今日は少し眠れそうにない。さっきまで客と話していた。


客といっても年は76歳、神楽坂に20数億の邸宅を構える資産
家である。夕方5時半くらいから11時過ぎまで、実に6時間は
いっしょにいたことになる。おまけにほとんど客が話してい
た。客?お客様というべきか?!


その代わりというのは変だが、「君は地方出身の割には立派
だ」と言われた。
多分喜んでいいのだろう。


ところで、少し前の話になるが、2月の頭くらいに、私の中
で一つのステージが幕を閉じた。


このブログを昔から読んでいる方はご存知だと思うが
「僕は塾にはいかない」
といって、結局いくことになった長男が中学受験を無事終え
たのだ。


実に丸2年の全力疾走だった。


結果からいうと5校受けて4校合格。落ちた1校が第一志望
校であった。


結果的には第二志望の学校に通うことになったが、合格した
4校のうち第二志望の学校より偏差値的には上、東京では最
ではないが、難関校と呼ばれる有名校にも受かった。


そこに行かなかった理由は、男子校である、魅力的なシステ
ムがない、というきちんと家族で話し合ったものである。


私が偏屈そうでも、私が勝手に決めたことではないというこ
とは、誤解を招きたくないので一応言っておく。


おまけに第二志望の学校にはトップで受かったみたいで、入
学式では総代で挨拶までさせていただいた。


本人にはこれからプレッシャーになることがあるとは思うが
これからも応援するので頑張ってほしい。


出会いがあれば別れがあるように、ステージが一つ終わると
また次のステージが訪れるもので、勉強の嫌いな長女の勉強
のお相手を今はしている。


片手の指で繰り上がりの足し算や引き算をする特技を持つ話
は以前書いたが、当時1年生か2年生だった彼女が、今年4
年生になり、計算を筆算でするようになった。
ただ、勉強嫌いで適当なところは箔をつけてきた。


先日、理科の勉強を教えていたところ、空気と植物、人との
かかわりの分野で、「空気は何でできてる」
ときいてみた。教科書に載っていたからで、私が勝手に意地
悪な問題をだしたのではない。


正しい答えは、酸素と二酸化炭素、皆さんご存じのもの。
ところが娘が答えた素晴らしい答えは


「二酸化炭素とでんぷん」


であった。

私は耳を疑った。同時に絶句、思考停止となった。


がすぐさま、正気を取り戻し、もしかしたら私が違う質問を
してしまったのではないか、聞き間違いなのではないか、と
思い、再度同じ質問をしたところ、娘も少し違和感があった
のか
「でんぷんと二酸化炭素」
と答えた。


順番をかえていただいた。


私は笑えなかったが、この話をあとで嫁に話したら爆笑して
いた。


受験まであと約3年はある。前向きに考えたい。



久しぶりに書いてみた。



  愛の無償


1.ビルとビルの間に見上げる月 寒々とこごえる
  私を見ている 

  からになった 胸の奥でカラカラと 映し出される
  つい昨日の ずいぶん昔の傷(キズ)
  あの人に冷たくされても アイスピックでつき
  さすような 寂しさも
  感じなかった


  ドアから忍び込む 黒い影のような 流れ出る
  赤いものを知る
  心はとうの昔に 風のような 見えない何かにとら
  われ無くしてしまっていたハズ
  現実に連れ戻されても 私が違うことを知っても
  動じなかった そんな
  あなたがスキ


  心と何かを取り替えて
  私は さけぶ 奥の奥の奥のほうに
  私のものと取り替えて
  私は ふれる 微笑みとやさしさと声を
  私の耳にお願いきかせて


  終わりのない 場所に
  いっしょにいってしまいたい 妙に妙に
  わがままをいってきいて
  心が触れ合うまでずっとそばにいるって
  ささえてくれるやさしさ 知った


2.グリーンのジャンパー脱ぎ捨てても いつもと違う
  あなたを見ている
  見慣れた部屋で 陽気な音楽をきいても 懐かしい
  映像を見せられても 変わらない
  私は私なのだと 強い気持ちだけは守りとおすと
  動じなかった そんな
  私のこと


  口喧嘩するたびに 何も思ったこと言わない方がいい
  と後悔している
  傷ついて傷つけられて いくつもの別れを経験して
  もとにもどれるのか 気になって
  空の青を見ると どこにいてもいいと 急に
  やさしくなって それは
  本当のこと


  全ては過去の で・き・ご・と
  あなたは 言うわ 奥の奥の奥の方に
  好きなことは過去のもの
  あなたが触れる 過去と未来と私を
  あなたのそばにおいてください


  弱い時に誰もいない場所に
  消えてしまいたい 一人
  さよならと言って
  勝手な人だと思ってくれた方が私も
  ささえてくれるやさしさ 忘れられる


3.かえってきたときに思う 次は本当にあるのか疑っても
  振り向かないあなたには
  いくら冷たくされても 話をきいてくれなくても
  思った以上の 幸せがある
  悲しみにくれた 時はどこにいってもかわらない
  動じなかった そんな
  自分のこと


  いいのよ 時間がたってもそんなに微笑んでくれなくても
  背中をむけて 触れてほしい
  見ていてくれなくても 声をかけてくれなくても
  視線を受け止めてくれる
  どこまでも離れていった 取り戻せない時間を
  追いかけなかった 二人には
  戻らない
  
  逃げ道に迷った時に
  あなたに 聴くのは 奥の奥の奥の方に
  心をゆだねて待つもの
  私が揺れる 思いと笑みとやさしさを
  私のそばにおいてください
  

  心と何かを取り替えて
  私は さけぶ 奥の奥の奥のほうに
  私のものと取り替えて
  私は ふれる 微笑みとやさしさと声を
  私の耳にお願いきかせて


  終わりのない 場所に
  いっしょにいってしまいたい 妙に妙に
  わがままをいってきいて
  心が触れ合うまでずっとそばにいるって
  ささえてくれるやさしさ 知った

以前に書いた、田中慎弥がもらっといてやる、といった芥川賞受
賞作の「共喰い」を読んでやった。


何故かというと、東京都知事閣下をうならせるほどの作品だから
読んでおかないと田中様に失礼かと思ったからだ。

一言でいうと、「最高のでき」の小説である、というところだろ
うか。


彼はプロの作家なので、暇のついでにつたない批評を気が向いた
時に書いているような私が、このようなことを書くべきではない
とわかっているのだが、批評好きな私の悪癖とわかって読み進め
ていただきたい。


最高のでき、と書いたのは、特に好きな作家がいて、読むものが
すでに決まっていない人には読んでいただきたい、という意味で。


例えば私は村上龍の、主人公と同じ格好をしたくなるような作家
本人の趣味で文章を操っているような小説や、町田康や筒井康隆
が書くような思わずおかしくて鼻でクスッと笑ってしまうような
小説が好きである。単純にその2人の作品しか読んでいない、と
いうわけではなく、その他にも大江健三郎、中上健次、阿部和重
山田詠美、森瑤子など、読んだうちに入るのか入らないのかわか
らないが、それくらい読んだ上でそこにたどりついた。それくら
いって、上記の作家についてはほぼ全作品読んでいる。


とはいってもこの顔ぶれを選ぶ時点ですでに偏りはある?・・・。


おそらく、今回の事件「もらっといてやる」がなければ、立ち読
みをして買わずにいただろう。それは作品のできとは違う好みの
問題だ。


とても考え抜かれた作品である。考え抜かれているのはストーリ
ーという意味ではない。表現がである。


特に時間の経過については、そこに何かの伏線があったのか、私
は見つけられなかったが、川と町の風景とともに、しつこく常套
な表現に徹している。


引用
時間というものを、何の工夫もなく一方的に受け止め、その時間
と一緒に一歩ずつ進んできた結果、川辺はいつの間にか後退し、
住人は、時間の流れと川の流れを完全に混同してしまっているの
だった。


なんと素晴らしい表現なのだろうか。


時間に関する表現を探すときりがないのだが、その他の表現でも、


引用
夕食のあと琴子さんは店へ行った。遠馬は脂だらけの肉の皿を自
分で洗った。流し台の下で虫が鳴いた。


これも、してやられたって感じ。


最後の「流し台の下で虫が鳴いた。」は本来なくてもいいフレー
ズである。しかし、この一言でドラマに風情を吹きこんでいる。



これも

引用
あまりに大きなうしろ姿だったので、魚屋の方が猫の体の中を通
り抜けていった感じがした。


これも素晴らしいですね。いわゆる遠近法を文章でやってのけて
ます。


その続きで


引用
家一軒が通るなら、川底のごみや川辺に滞っている時間も、猫の
体を楽に通りぬけてゆきそうだった。



ここでも時間にこだわっています。時間について著者は何かを言
おうとしていますが、私にはわかりませんでした。


一度読んであげたらいかがだろうか。閣下のために。


んん、こんなにいいできなのに、私は著者の爆弾発言がなかったら

買って読んでないな。


勝ったのは文芸春秋だけど・・・。