12/29の日記。

 

ダナンの安ホテルにて起床。

 

 

実は今回の旅のスタート地点(=前回のゴール地点)はダナンではなく、峠を越えた隣にある古都フエである。

フエにも空港はあるけどフライトが少ない&高かったのでダナン着の便を利用したのだ。

フエ~ダナン間を飛ばして南下するのはモヤモヤするので、律儀にいったん輪行でフエまで戻ってからスタートすることにした。

 

 

計画上は今日バス輪行でフエに戻る予定だったが、昨夜に続いて今日も一日雨予報である。

バス停までの移動と、フエから雨の中走り始めるのが億劫なので早速休養日にあてることとした。

前回はかなり急ぐ行程だったので休みなく毎日100㎞走ったが、今回は丸々2日分休める日を設けてあるのだ。

 

 

何もせずダナンで過ごすのももったいないので、雨を逆手に取ってミーソン遺跡&ホイアンのツアーに参加することにした。

 

 

ホイアンは今旅の中継地の一つだが、ミーソン遺跡は内陸の方にあるので1日分寄り道せねばならない。

雨をやり過ごしつつツアーで訪れることができるなら願ってもない。

 

朝8時にホテル前にツアー客を乗せるバンが現れた。

乗客は僕以外に7人で、うち4人が日本人である。一人旅は僕を含めて3人。

会話もそこそこの一人旅特有の距離感が心地よい。

 

 

 

1時間ちょっとでミーソン遺跡に到着。

My Sonと綴るため、日本語訳すると必然的に「私の息子遺跡」と訳されてしまうのだ。

 

 

チケット売り場からゴルフカートのような乗り物で奥地へ進む。

 

 

 

洒落た看板を横目にどんどん歩いていく。

雨ザーザーだが、傘もちゃんと持ってきているので問題ナシ。

 

 

少し歩いたところに場内シアターのような施設があった。

ここでチャンパーの伝統舞踊ショーを見られるらしい。

 

説明が遅れたが、ミーソン遺跡は15世紀頃までベトナム中南部を支配していたチャンパー王国の遺跡なのだ。

ベトナム人とは系統の異なるチャム人によって建国された国であり、文化的には中国‐ベトナムの漢字&大乗仏教ではなく、カンボジアやインドから伝わったヒンドゥー教&サンスクリット文字の影響を多分に受けている。

 

 

 

前から2番目の良い席を確保し、しばらく待っていると銅鑼や太鼓や笛の音とともに舞踊ショーが始まった。

 

 

 

 

 

舞踊ショーは三部仕立てで、特にすごかったのは二部目の笛の人。

1分近く息が切れることなく笛を吹き続け、観客席からは大きな拍手が上がっていた。

 

 

 

三部目はちょっとエロい衣装を着た女性の舞踊。

観客席のオジサマ方がすかさずシャッター切りまくる。僕も人のこと言えた立場ではないが。

 

 

 

 

 

ショーの後は雨の中遺跡を散策する。

レンガ造りの建築様式は、完全にタイやカンボジアで見た遺跡とそっくりである。

 

 

この窪みは”ヨニ”と呼ばれ、女性器をあらわしている。

 

 

このでっぱりは”リンガ”と呼ばれ、言うまでもなく男性器をあらわしたものである。

ヒンドゥー教の世界観では、生命の誕生につながるヨニとリンガの結合が神聖視されて崇拝の対象となっていたそうで。

日本でも世界でも大昔には多産や豊穣を願う目的で生殖器信仰が行われていたのだ。

 

僕も30代なのでさすがにこの手のネタでニヤニヤするお年頃ではなくなった。

しかし「ミーソン(my son)とはそういう意味の遺跡なのか」と、バカバカしい思考が一瞬だけ脳裏をかすめたことをここに記録しておく。

 

 

せっかくなのでリンガとともに記念撮影しておいた。

 

 

このクレーターは爆弾によるもの。

インドシナ戦争かベトナム戦争であろう。

 

 

 

まだ発掘途中の遺跡もあるようで、半分土に埋もれているのも歴史のロマンを感じさせてくれる。

 

 

2時間半の遺跡滞在は大満足だった。

 

 

 

 

続いてバンでホイアンまで移動する。

ホイアンはかつて貿易港としての役割を果たした町で、日本人街や東インド会社の商館もあったという。

ベトナム風ランタンなど土産物屋が立ち並ぶ古い町並みが洒落ている。

 

 

 

腹が減っていたので適当なレストランに入る。

注文するのはもちろん空心菜炒めである。

初の東南アジア自転車旅は2017年末のカンボジア編だったが、その時から空心菜を食べ続けている。

ニンニク&塩味がうまいし、貴重な野菜の補給にもなる。

揚げ春巻きもつけて800円くらいだった。

 

 

 

少し足りなかったのでバインミー屋もハシゴする。

バインミーとはベトナム風サンドイッチのこと。

フランスの植民地時代に伝わって流行したらしい。

 

 

 

衛生面が不安でいままで避けてきたが、グーグルの口コミが非常に高かったので信頼して食べてみることにした。

値段も20000~45000ドン(120~300円程度)とお手頃。

 

 

ポーク&チーズにアボカドをトッピングし、辛めのソースで頂く。

パンがオーブンで焼いてあってバリバリの食感になっていた。

評判通り実にうまかったので、是非ともリピートしたいところである。

 

 

 

その後は博物館などを見学する。

細長く朽ち果てた謎の木は、貿易船の竜骨に使用されていたらしい。

パネルにあるのは中国のジャンク船か。

 

染付の陶磁器もたくさん展示してあったけど、いたるところで見まくっているのでほとんど印象には残らず。

 

 

 

 

博物館の二階からは町並みが見下ろせる。

古都フエと同様に、ホイアンでも観光客を乗せた自転車タクシー(シクロ)がそこらじゅうを走っている。

面白いことに通行人を避ける際に鳴らすベルがないようで、運転手が口で「リンリンリン」と叫ぶのである。

これが聞きたくてわざと気づかないふりをしていると、後ろの方から「リンリンリン」が聞こえてくる。実に面白いがな。

 

 

 

 

歩き疲れたのでコンカフェ(Cong cafe)でコーヒー飲みながら休憩。

何度も紹介しているが、可愛い女の子が接客するコンセプトカフェの略ではない。

旧ベトナム民主共和国(北ベトナム)の”共”を現地ではCongと発音しているのだ。

店内も共産ゲリラの秘密基地風でとても風情があって良い。

 

 

 

 

暗くなるまでブログ書いたりして店を出ると圧巻の光景。

ホイアンはランタンと灯りで有名な街なのだ。

 

 

 

土産物屋のランタンにも灯りがついてなんとも幻想的な雰囲気。

疲れもすっかり回復して、灯りのもとで街を歩いているだけでも楽しい。

 

 

 

 

結局、夕飯は昼に寄ったバインミー屋をリピートした。

美味しかったけど、お金とか触った素手で調理されるとやっぱり衛生面が気になるな。

フォー屋台も素手で麺とか触ってるけど、熱々のスープ注がれると殺菌されるだろうからそれほど気にならないのだけどね。

 

 

 

20時過ぎにダナンの街に戻ってきた。

明日はいよいよフエに移動して走り始めるぞ。

天候よ、回復してくれ!

 

 

 

走行距離:お休み

走行時間:お休み

総走行距離:お休み

12/28の日記。

 

前日までスケジュールをみっちり埋めた冬期講習の疲れが抜けきらないまま朝4時に起床。

ベトナム行きの便は9時と早いのだ。

7時空港着を目指すと路線ダイヤの都合もあって始発になるわけで。

 

今回利用するベトジェットエアはありがたいことに段ボール箱じゃなくても輪行が可能。

当然破損のリスクは高くなるが、駅まで漕いでいけるのはありがたい。

 

 

チェックインを済ませ、クレジットカードのラウンジでブランチをいただく。

この虚空ラウンジは夏にヨーロッパへ行った際は開店していなかったのだ。

あの時はここで腹いっぱい食べようと思っていたのに悔しい思いをした。

 

 

 

虚空ラウンジではソフトドリンクや軽食が利用できる。

 

 

ベトジェットはLCCなので機内食も出ないしドリンクも有料。

夕方まで何も食べられないので、朝8時だというのに炭水化物をメインに多めに腹に入れておいた。

 

 

退出すると満席になっていた。

 

 

乗り継ぎのホーチミン・タンソンニャット空港までは7時間弱。

ここでささいなミスをした。

家から持ち込んだペットボトルを空にして荷物検査を潜り抜け、長時間フライトに備えてラウンジでボトルに水を補充する計画だったのだが、見事に預けに持つの方に入れてしまったのだ。

そのため7時間弱まったく飲まず食わずで過ごす羽目になった。

買おうと思えば買えるけど、ベトジェットの機内販売は350mlの水1本で3ドル(400円以上)と北欧も驚いて逃げ出すレベルの物価なのだ。もはや飢えと渇きで死んだ方がマシである。

 

 

干からびそうになりながらベトナムの入管をくぐる。

ベトナムはトータル4回目の訪問だが、タンソンニャット空港から入国するのは初めて。

まあまあ混んでらっしゃる。

 

 

乗り継ぎまでの時間でタンソンニャットのラウンジを利用。

ジュースがぶ飲みで事なきを得た。

 

 

明日からまたフォー食べまくりの日々が始まるというのにフォーにも手を出してしまう。

2.5人前くらい食べてようやくお腹いっぱいになった。

 

 

 

 

20時過ぎにベトナム中部のダナン国際空港に到着。2024年はすぐそこである。

オーバーサイズ扱いの荷物なはずが普通にターンテーブルから出てきて少し焦った。

形状的にいろんなところにぶつけてしまうではないか。

 

幸い破損は無く、フロントフォークが若干曲がっていた程度で走行に支障はなし。

 

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さて、事前に下調べしておいた通りダナンは雨である。

3月のコール・オブ・フォー編では行程の半分ほどが雨に降られた。

暑さで苦しむことはなかったが、泥ハネがひどくバッグもシャツも汚れまくりで大変な思いをした。

 

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その反省を踏まえ、今回は自宅からゴミ袋を持ち込んだのだ。

サイズぴったりで荷物を泥ハネから守ってくれそう。神栖市の名前をベトナム人に刻み込んでやろうじゃないの。

 

 

 

ずぶぬれになりながらホテルにチェックイン。

部屋も広くシャワーのお湯もしっかり出る。

1泊1300円程度とかなりお得。

 

 

 

 

雨の中少し歩いてヴィンマートで水と朝食を購入。

 

 

睡眠導入剤を服用したおかげでしっかり熟睡できた。

 

 

走行距離:29分

走行時間:7km

総走行距離:26304km

 

ご無沙汰しております。

 

今年度は受験学年を担当している都合、行きつく間もなく疾風怒濤の11月12月。

心身共に疲れ果ててるだろうと予想するも、やはり貴重な独身30代の長期休みは無駄にできまいと考え、早々とベトナム行きの航空券を予約した。

 

 

コロナ禍前の2017年にシェムリアップ~ホーチミンを、2019年にハノイ~ディエンビエンフーを、そして今年3月にハノイ~フエを走り切った。

残るフエ~ホーチミンの行程を走れば、インドシナ半島の外周+αを走破したこととなる。

フエ~ホーチミンは1000㎞以上あり、ぎりぎり年末年始だけでは厳しい。

そのため、今回の旅ではその2/3の行程を走ることとなる。フエからスタートし、中南部の町ニャチャンを目指す。

 

ベトナムの中南部はかつてチャンパー王国が栄えた地。世界史選択の読者は聞き覚えがあるだろう。

行程的には急げばチャンパー王国の遺跡群も見学できそうである。

遺跡以外にも貿易拠点だったホイアンなど、見どころはそれなりにあるはず。

 

 

 

 

今回の旅に際し、新たに加わった旅のお供はシューズのみ。

安心のノースフェイス製だが、メッシュ生地が厚めで快適かどうかは走ってみないとわからない。

長年愛用したシューズはルーマニアのキャンプ場で野生動物に持ち去られてしまったのだ。

 

 

心配ごとは3つあって、1つは天候。1月はまだ雨季のようで、天気予報も雨マークが続いている。

3月に走ったハノイ~フエでも、前半は毎日のように雨に降られて泥だらけになった。

 

2つ目は事故にあわないこと。3月にスクーターに追突されてついた腕の傷跡はまだ消えていないのだ。

 

そして3つ目は、トコジラミ騒動である。

2023年は世界中の宿泊施設でトコジラミが大発生しているようで、よくニュースになっている。

僕が泊まるのはニャギーと呼ばれる安宿で、「個室で寝られればいい」程度の衛生環境である。

少し宿のグレードを上げたところでトコジラミに遭遇しないとは限らない。

体中真っ赤にはれ上がって帰国することのないことを願うしかない。

 

 

 

あとは年末の冬期講習をこなせば南国はすぐそこである。

8/17~18の日記。

 

バルカン半島をぶった切る編最後の日記である。

 

ブカレスト市内のホテルで起床。

帰国までに必要なことはすべて済ませてあるのでお気楽である。

朝から慌ただしい日々が続いたので午前中はホテルで思う存分ゴロゴロした。

 

 

午後になってからお出かけ。

気温は30度を超えているようである。

この暑い中自転車を漕ぐのはなかなか酷であるがゴールしてしまえば何ともない。

 

 

 

ショッピングセンター前のピザ屋で昼食とする。

1カット7レイ(210円)とお手頃価格。当然のごとくケバブはもう飽きた。

 

 

おそらく今旅最後であろうシュウェップスもごくごく飲み干す。

ヨーロッパの夏は湿度が低いので汗をかきにくい一方でめちゃくちゃ乾燥するのだ。

 

 

 

ショッピングセンターで時計をお買い上げ。

気に入ったデザインがあったので1本は即購入。

もう2本はどっちにしようか迷ったので男らしく両方購入。社会人旅人の資金力をナメてもらっちゃ困る。

なおこの後、夕方に別のショッピングセンターでもう1本買った。

来週には34歳の誕生日を迎えるので、自分へのプレゼントと言うことで贅沢した。

 

 

今日のタスクは「国民の館」の見学ツアーに参加することだけ。

昨日の日記にも書いたが、この宮殿のような建物はルーマニアの国会議事堂で、通称「国民の館」と称された。

実際には独裁者チャウシェスクが権威誇示のために建てさせたもので、「国民のための館」ではない。

 

 

某環境保護団体のTシャツを着た案内人についていく。

「国民の館」は個人での見学を受け付けていないのでツアーに参加するしかないのだ。

 

 

 

建物の中はさすがに豪華である。

計画当初はアメリカのペンタゴンに次ぐ世界第2位の大きさを誇り、昼夜問わず15年以上かけて完成した。

ホールのシャンデリアの重さは5トンだという。

 

 

圧巻だったのはこの白を基調とした間。

驚くなかれ、これ全部大理石である。

柱だけでなく壁も天井も全部大理石というのは珍しい。

ガイド曰く、建物全体で5000万トンの大理石が使われているという。

 

 

 

ルーマニア共産党の幹部たちが会合をするために作られた間もまるで宮殿のよう。

 

 

この広間の天井には、チャウシェスクの緊急脱出用にヘリポートが建設される予定だったとか。

 

 

 

 

10部屋くらい見学して、ツアーは1時間程度で終了。

それなりに歩き回って見ごたえもあって満足したが、ガイドは「私たちが見学したのは全体の4%くらい。全部屋見ようとすると18時間くらいかかる」とおっしゃっていた。

 

なお、チャウシェスクは30年以上ルーマニア共産党のトップとして独裁を敷き続け、石油資源を背景に工業化を推進した。

それなりにルーマニアという国を豊かにさせはしたものの個人崇拝を敷いたり、人口増加を目的に堕胎を禁止するなどの”奇策”を進めた。

この奇策のためにルーマニアの出生数は激増したが、すべての家庭が子育てを満足にできるわけもなく、捨て子が増加することとなったのは当然の帰結である。

都市部のいたるところでストリートチルドレンとなった彼らはドラッグや犯罪に手を染めることとなるわけで。

年配の世代に「ルーマニアは治安が悪い」という印象が根強く残っているのはそういう理由である。

 

 

 

「国民の館」の見学を終えた後、革命広場に足を運んだ。

1989年に東欧革命が起きると、各国で共産党政権が続々と崩壊していく中、ルーマニアは流血沙汰を迎えることとなった。

「チャウシェスクを倒せ」と怒りの声をあげる人々がこの広場に集まり、革命は進展していく。

 

 

 

 

ルーマニア共産党の本部にあるバルコニーに姿を現したチャウシェスクは民衆に向けて演説を行ったが、一向に事態は収拾せず、ついにチャウシェスクは婦人とともにヘリコプターに乗ってブカレストから逃亡した。

チャウシェスクは逃亡先の町で軍隊に拘束され、即席裁判によって銃殺刑が課されたのであった。

 

 

 

 

 

革命広場のすぐ近くで何やらデモをやっていた。

この建物は保健省らしい。

近くにいた記者に聞いてみたところ「反ワクチンデモ」とのこと。

 

 

 

「高いところで大きな旗を掲げる」だけでかっこよく見えてしまうのはどうしてだろうか。

浮浪者風の男が保健省の二階のバルコニーからルーマニアの三色旗を振る姿が妙にかっこよく見えて、しばらく夢中になってしまった。彼がどうやってバルコニーに侵入したのかは不明である。

 

 

 

 

 

一通り観たいところは回れたので満足してホテルに戻る。

最後の晩餐は豪華にキメる。

サーモンは脂ノリノリで美味しかった。

 

 

もちろんこいつも買ってきたのでデザートにいただくことにしよう。

蟠桃は最終版の登場であったが、最もリピートした食べ物だったので今旅のMVPと認定したい。

 

 

 

ここから8/19の日記。

いよいよ帰国の日である。

 

ブカレスト市内のホテルを6時前に起床。

フライトは9時だが、空港まで直行の鉄道が発着するノルド駅までは徒歩圏内なので気は楽である。

 

ノルド駅のプラットフォームのギリギリのとこまで自転車で行けた。

ここでちょっと焦るトラブルが発生した。

ペダルが固すぎて外れないのだ。

片方は外せたが、もう片方はどうにも頑張っても外れない。

仕方なくつけたまま梱包したが、チェックインの際に断られたら万事休すである。

 

もう一つのトラブルは乗車券が列車指定制で、予定していた時間よりも一本遅いものしかチケットが取れなかった。

それに加えて15分の遅延である。5分遅れるだけでイライラしてしまうのは日本人の性だろう。

ヨーロッパでは鉄道の遅延など日常茶飯事である。

 

 

客車の中にあった「121÷158」のサインは何を意味するんだろうか。

冷静に考えたら2も↑も何を意味してるのかわからんがな。

 

 

いつもなら離陸2時間前までに空港に到着することを心がけているが、今回は1時間20分前とギリギリだった。

チェックインカウンターの行列も完全になくなっていて僕が最後の客だったようでかなり焦った。

ペダルを外せないまま梱包した自転車はなんとか預かってもらえたようでほっとした。

 

 

 

1時間ちょっとのフライトを経てイスタンブール空港で乗り継ぎ。

さすが大型空港だけあって免税店も充実している。

 

 

もう8割がた脳みそが日常生活に戻っているので、節約などどこ吹く風で嗜好品についつい目が行ってしまう。

 

 

前から気になっていたバイレードのフレグランスをお買い上げ。

ブカレストで時計も4本買っちゃったしクレジットカードの明細を見るのが実に怖い。

 

 

あとは成田までの便が出るまで空港ラウンジでゆっくりする。

僕が持っているクレカ付帯のパスが使えるラウンジが一か所しかなく、割と混雑していた。

 

 

料理も一通りそろっていたけど味はイマイチ。

去年利用したアブダビのラウンジのほうがよかったな。

 

 

というわけでバルカン半島をぶった切る編の前半は終了。

まもなく34歳を迎えるが、自由が許されれば来年はブルガリアのソフィアからトルコのアンカラまで走る予定である。

いつまで自転車旅を続けるかはわからないが、体力精神力に余裕があるうちにキツい地域を走っておきたい。

トルコの次は中央アジアや中国にも足を延ばしたいと思っている。

乞うご期待。

 

 

走行距離:13km

走行時間:1時間7分

総走行距離:26297km

 

 

 

 

8/16の日記。

 

 

ブカレスト郊外のキャンプ場にて起床。

明け方5時頃に雷の轟音で目が覚めた。

屋根のある場所がなかったので露天のキャンプとなり、テントのフライシートに雨音がたたきつける。

だがどれだけテントが濡れようと、これが最後のキャンプ泊である。

明日・明後日はブカレストのホテルに泊まるので、部屋で乾かせばいいだけの話だ。

 

 

起きてしばらくして問題が発生。

ここまで苦楽を共にしてきたシューズが片方なくなった。

おそらくは夜のうちに野生動物が咥えて持って行ってしまったためだと思われる。

キャンプ場ではまれにこういうことがある。

 

 

靴底の滑り止めの凸凹がごっそり削れるくらい履きつぶしたので、そろそろ潮時かと思っていたのでそれほどショックはない。

どうせ後はブカレスト市内まで15㎞ほど走るだけなので、予備のビーチサンダルでやりくりすればいい。

峠の手前とかで紛失していたら絶望的だったな。無くなったにしてもまだ運がいい。

 

管理人が出勤してきたので宿泊費30レイ(約1000円)を支払って出発。

 

 

中心街が近づくにつれて渋滞が激しくなってきた。

 

 

ホテルのチェックインは14時なので、マクドナルドで2時間ほど時間をつぶす。

マックのコーラは7レイ(220円)なので、ブルガリアやセルビアより物価は安い。

 

 

12時過ぎにマックを出て、いよいよブカレストの中心街へと向かう。

 

 

 

目に飛び込んできたのは世界で二番目に大きい建造物(建設当時)として知られるルーマニアの国会議事堂。

 

 

通称「国民の館」と呼ばれるこの施設は、共産党政権のチャウシェスクが権威誇示のために建てたもの。

明日は国民の館の見学ツアーを予約しているので見学が楽しみである。

 

 

少々早かったがホテルにチェックイン。

自転車を部屋まで持ち込むことができたので安心。

エレベーターは壊れていたけど2階の部屋なので大した負担ではない。

 

 

併設のファーストフード店で買ってきたケバブとレモネードで昼食とする。

ケバブはビッグサイズで27レイ(830円)。

昨日と同じ値段なのでどうやらボッタクリ価格ではなさそうである。

 

 

ホテルはブカレスト市内の主要駅であるガラ・デ・ノルド(北駅)の目の前という好立地。

明後日の早朝はこのガラ・デ・ノルドから空港への直通列車に乗って帰国するのだ。

 

 

 

念のため構内の下見をしておく。

旅行雑誌ではガラ・デ・ノルド駅は治安が非常に悪いので要注意と書かれていたが、それほど危ない感じはなさそう。

タクシーのしつこい客引きや、物乞いやホームレス風の人々もいるが、それは別にブカレストに限った話ではない。

 

 

 

続いてやらなければならないのは帰国便用の段ボール箱確保である。

ブカレスト市内には結構な数の自転車屋があるが、都合よく段ボール箱を用意していてくれるとは限らない。

確保できてもとてもかさばるのでホテルまで持って帰るのに大きな負担となる。

 

だがそこは抜かりない。

到着1週間ほど前に自転車屋の下調べをし、手当たり次第に「箱をもらえないか」という問い合わせメールを送っておいたのだ。数日後にこのヴェロペディアという店が「箱あげるよ」という返事をくれた。

幸いなことにホテルから一番近い自転車屋だったのだ。

 

 

パンクロック風の店主は気さくな人だった。

箱の代金は無料。丸まった状態になっていたので持ち運びも楽ちんだった。

 

 

ホテルの部屋に持って帰ってきて、まずは箱の大きさをチェックする。

 

 

横幅が少し狭いかなと思われたが、解体した自転車は難なく入った。

去年もフランクフルトのホテルで同じようなことやった気がするが、エアコンがない部屋の中で滝のような汗をかきながらナイフでちょうどいい大きさにカットしていく。

あとはガムテープで補強しまくれば崩壊することはなかろう。

これで帰国に際する不安材料はすべて解消された。

 

 

自転車を再び組み立てて、日差しがきつい中ショッピングセンターに出かけてみる。

このショッピングセンターが市内では一番規模が大きいとのこと。

 

 

館内は涼しくて雰囲気はかなり良い。

 

 

三輪車に乗ったプレッツェルの移動販売もあるなんてなかなか面白いじゃない。

 

 

アイススケート場なんかもあって、とてもルーマニアがEUの最貧国とは思えないレベルの繁栄っぷりである。

 

 

 

そして結局靴を買った。

今朝靴を紛失した時には「あと2日だしビーサンで余裕でしょ」と思っていたが、ビーサンはやっぱりビーチで使用するものであって、街歩きには著しく不適だ。

ましてやドン・キホーテで買った199円の代物で、クッション性は皆無。

素足でも履けそうなメッシュ素材の靴は100レイ(3100円)と安かったが、かかとがあるだけで歩きやすさは段違いに良くなった。

 

 

ホテルに帰ってきて夕食とする。

タイトルの「もっと早く出会うべきだった」というのはモチロン蟠桃のことである。

スーパーで4つ買ってきて、2つは明日の夜に回そうと思っていたもののあまりの美味さとジューシーさに我慢ができず4つとも食べてしまった。

なお1つ50円くらいなので財布には痛くもかゆくもない。

日本でも一応道の駅とかで売っているらしいが、1個数百円くらいするらしい。

 

 

日焼けした肌をいたわるためにジョーマローンのクリームをたっぷり塗る。

成田空港の免税店で配っていたサンプルを大事にとっておいたのだ。

 

 

暑い夜だったが、掛布団なしでぐっすり熟睡できた。

 

 

走行距離:26km

走行時間:2時間7分

総走行距離:26284km

 

8/15の日記。

 

 

ブルガリア北部のコショブ(Кошов)のキャンプ場にて起床。

夜に雨がパラついたが、暗くなってから屋根のある場所にテントを移動しておいたので無傷で済んだ。

ある程度の規模のキャンプ場にはこのような誰でも使えるような東屋が併設されていることが多い。

明るいうちから陣取ると他のキャンプ客に迷惑がかかるが、暗くなってからは誰も来ないので夜の雨除けのためによく利用させてもらっている。

 

 

このキャンプ場はロケーションが実に素晴らしく、朝からこの眺望を拝めるとはなんとも贅沢である。

Wi-Fiもあるしコンセントも使える。冷蔵庫も完備と文句のつけようがない。

結局管理人とは会えなかったので受け付けにお金を入れておいた。間違ってなければ21レフ(1600円)。

 

 

 

今日は国境を越えてルーマニアに入国する。

ということはアップダウンだらけのブルガリアとはようやくおさらばである。

まるまる1週間苦しめられた。

 

 

時折小雨が降るので屋根のある場所に避難。

やれやれと思ってベンチに腰を下ろすとピタっと雨は止む。

「走ると降る、休むと止む」の法則はブルガリアにも適用されるようだ。

 

 

10時過ぎに国境に近いルセ(Русе)の街に到着。

 

 

ビラがあったので立ち寄る。

ブルガリアと言えばビラのチキンである。

 

 

公園のベンチに座っていただく。

 

 

 

いよいよ国境を越えてルーマニアへ向かう。

ブルガリアとルーマニアはドナウ川を国境としているが、川にかかる橋はたったの2か所しかない。

 

 

 

車両は橋の通行料を取られるが自転車は無料である。

 

 

 

さらばブルガリアよ。

無限に続くアップダウンに苦しめられ、時折現れる湧水スポットに助けられたことは忘れないよ。

 

 

そして初めましてルーマニア。

ちょうど橋の真ん中が国境になっている。

交通量が多くて危ないので恒例のシャカシャカダンスはできず。

 

 

検問待ちのトラックの大行列はもはや国境名物と化している。

セルビア⇔ブルガリアの国境よりはまだマシだったけども。

 

 

ルーマニア側の国境の町はジュルジュ(Giurgiu)である。

さすがヨーロッパを代表するスーパーマーケットチェーンだけにちゃんとリドルはルーマニアにも進出しているじゃないか。

 

 

物価はブルガリアよりも1割程度安い感じ。

プライベートブランドのコーラは1.7レイ(50円)程度だった。

 

なお、ルーマニアに入ってからキリル文字の看板が消滅した。

 

専門的な話になるが、ルーマニアの”ルーマ”とは、ローマを指すのだ。

つまりルーマニアとは”ローマ人の地”を意味することとなる。

 

ルーマニアはかつてダキアと呼ばれており、紀元1世紀頃にローマ帝国の支配下に入った。

先住民のダキア人とローマ人の混血が進んだことで”ルーマニア人”や”ルーマニア語”が生まれることとなった。

こういう経緯から、ルーマニア語にはローマ帝国語で公用語とされていたラテン語との共通性がある。

東方正教圏に属しながらキリル文字を使用しないのは、ラテン語を表記するアルファベットの方がルーマニア語と親和性が高いという理由だろう。

 

 

このジュルジュからの区間が非常に大変だった。

首都ブカレストにつながる道路は大型幹線道路で、どうも高速道路っぽい雰囲気があったので迂回したのだ。

 

迂回路にはしっかり丘を越える区間があるではないか。

無限に続くアップダウンとはブルガリアでおさらばしたはずだったのに。

 

 

 

やっと平地の区間が現れたと思ったら、強い横風と太陽光線が苦しめる。

木陰すらなくてじわじわと体力が奪われていく。

ジュルジュから次のスーパーがある町まではなんと40㎞。

無補給での40㎞は、ギリギリ力尽きる距離である。

 

 

 

まったく腰かけて休める場所がない中、よく40㎞走り切ったと思うよ。

ギンパツィ(Ghimpați)の町にあったスーパーはまさにオアシスであった。

 

 

我慢できずに本日2本目のコーラをいただく。

 

 

17時を回った頃だが、直近のキャンプ場はまだ28㎞も離れている。

今日が最後のキャンプ泊になるので、どうしても今日はキャンプがしたいのだ。

ギンパツィからブカレストへは幹線道路を進むことになったが、路肩が広くなったのには大いに助けられた。

ハンガリー・セルビア・ブルガリアは、路肩などあってないようなものだったから。

 

 

夜は粗食というマイルールは正式に廃止したのでしっかりケバブ屋に立ち寄る。

 

 

19時を回ってようやくキャンプ場に到着した。

まずは買ってきたケバブをキメる。

美味しくてボリュームもあったけど、27レイ(約830円)はちょっと高かったケバ。

値段聞かずに注文したのでプチぼったくりにあったかも。

 

 

野菜もキメる。

 

 

レモネードもキメる。

最後のキャンプ泊なのでそれなりに贅沢しても許されるだろう。

 

 

さらに今日も新フルーツにチャレンジする。

べちゃっと潰れた形の桃は蟠桃 (ばんとう)という果物。

すべてのスーパーで扱ってるわけではない、少しレアな果物である。

 

 

皮をむくのが非常に面倒だが、味と食感はかなり良い。

日本で売ってる桃を少し固くした感じで、数日前に食べたネクタリンよりもかなり甘くてジューシー。

これはもっと早くに出会っておけばよかったな。

 

 

今日は前半はアップダウンに、後半は強い横風と太陽光線に苦しめながら110㎞走り切った。

最終目的地ブカレストは目と鼻の先の距離である。

 

 

走行距離:112km

走行時間:8時間20分

総走行距離:26258km

8/14の日記。

 

 

ブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォのホテルにて起床。

出発する前に市内の観光名所ツァレヴェッツ要塞を訪れる。

第二次ブルガリア帝国時代に要塞と宮殿が築かれた場所だ。

宮殿は破壊されてしまってもう存在しないが、要塞の跡と城壁が残っている。

 

 

 

要塞からはヴェリコ・タルノヴォの街が一望できる。

朝の澄んだ空気の気持ちよさも相まってなかなか良い感じ。

 

 

 

 

要塞は結構敷地面積が広く、ちゃんと歩き回ると1時間はかかる。

坂の上に建てられた要塞なので隅々まで見ようとすると階段や坂を何度も上り下りせにゃならない。

連日のアップダウンにやられて足の裏も擦れまくっているので45分程度で切り上げることにした。

だが景色も雰囲気もばっちり最高だったので、やはり山岳地帯にとどまってヴェリコ・タルノヴォを訪れておいて良かった。

 

 

出発は9時半。

薄々嫌な予感はしていたが、ヴェリコ・タルノヴォもまた山間の町である。

ブルガリアに入国してから宿泊したソフィア、ボテフグラード、ロヴェチ、ヴェリコ・タルノヴォはすべて山間の町である。

ということは必然的に町から出るためには坂を登らないといけないわけで。

しかも幹線道路を走るので交通量がめちゃめちゃ多くて心身ともに疲れる出だし。

 

 

 

 

お昼まで一気に走ってポルシュキ・トルンベシュ(По̀лски Тръмбѐш)の街で昼休み。

中規模の街で大型スーパーはないものの、ファーストフード店くらいはある。

5分ほどうろうろして無事にケバブ屋を発見した。

5レフ(400円)と安価だが、味は普通だったケバ。

 

 

さらにスーパーでシュウェップスも買ってきてごくごく飲む。

ほろ苦い味だが実はコカ・コーラよりカロリーが多い。

ケバブと炭酸ジュースで昼飯としてはちょうどいいボリューム。

あんまり食べ過ぎると血糖値が上がって午後の走行がしんどくなるのだ。

 

 

 

今日は雲一つない大変良いお天気で気温も30度近くまで上がっている。

自転車乗りにとっては酷な環境となり、今日も今日とて湧水のお世話になりまくり。

 

 

 

気化熱作戦で暑さをしのぐも無限に続くアップダウンの道に体力を持っていかれる。

ドライブインみたいな店でたまらず2本目の炭酸に手を出す。

 

 

最後に勾配のきつい峠道があった。

幹線道路の交通量の多さに辟易し、町道のような道に入ったが、この選択が大正解。

わさわさと生い茂る木々が木陰を作りまくってくれるではないか。

日影があるだけで体力の消耗をだいぶ抑えられる。

 

 

踏切で電車を待つ。

電車が横切る3分前からカンカン鳴らし始めるのはちょっと気が早いんじゃないか。

そして車体は落書きだらけで汚い。

こんなん日本だったらすぐニュースになるだろうに。

 

 

最後の区間は木々がなく、西日にジリジリと焼かれ、ご丁寧に向かい風まで吹いてきた。

 

 

キャンプ場の手前の街で夕食&朝食を買い込む。

とても小さな町だったのでスーパーすらない。

ついに個人営業の売店を利用することになったが、クレジットカードが利用できたのは驚きだった。

売店の向かいにちょっとしたベーカリーがあったので夕食用にピザを購入した。

 

 

へとへとになりながらコショブ(Кошов)の町のキャンプ場に到着。

眺望抜群の良いキャンプ場じゃないか。

管理人は居なかったので翌朝会えなければ昨年のドイツのように箱にお金を入れて出発することとなる。

 

 

夕食は健康志向&粗食というマイルールは白紙撤回したので堂々とピザをいただく。

冷めてしまってもまあまあいける。

 

夕食後に小雨がパラついたがすぐに止んだ。

明日はいよいよ最終目的地ブカレストに向かう。

 

 

走行距離:89km

走行時間:6時間14分

総走行距離:26145km

 

8/13の日記。

 

ブルガリア北部の町ロヴェチ(Ловеч)のホテルにて起床。

7時半には起きたのに出発が9時半になってしまったのには理由がある。

この宿は朝食付きだったのだ。

 

 

朝食の時間は9時からと日本の基準に比べればかなり遅い。

だがこの宿には60レフ(4800円)の宿泊費がかかってる以上スルーするのももったいない。

というわけでゆっくり朝食を取ってから出発することにしたのだ。

 

 

ビュッフェスタイルではあったものの種類は少ないしクオリティも普通。

超久々にインスタントではない淹れたてのコーヒーが飲めたのは良かった。

 

 

ゆっくり朝食をとったことが行程に支障が出るかどうかと言うと、出るに決まっている。

いつもは8時台には出発して朝の涼しい時間帯に距離を稼ぐのに、出発が1時間遅れるだけで外は結構気温が上がっている。

しかもロヴェチは山間の町なので、町を抜けるのにまた坂を登らなければならない。

太陽がまだ高くならないうちは木陰があるので、これが消えないうちにきつい区間を走り切ってしまいたい。

 

 

 

毎日のように湧水にお世話になる。

野犬の水飲み場と化しているようで何匹かうろついていた。

日本ではあまりお目にかからない野犬は東欧にはめちゃくちゃいっぱいいる。

タチが悪いことに吠えながら追いかけてくるヤツもいるので、噛まれやしないかと割とヒヤヒヤするのだ。

ちなみに車に轢かれたであろう野犬の死骸もそこら中に転がっている。腐臭がするのですぐにわかる。

 

 

 

さて、今日の出発地であったロヴェチの町はブルガリア北部に位置している。

まっすぐ北上すればアップダウンの多い山岳地帯を抜けることが可能である。

にもかかわらず僕は東に向かってペダルを漕いでいる。

その目的はロヴェチより東に90㎞ほどの場所にある古都ヴェリコ・タルノヴォを訪れることである。

 

バルカン半島には多数のスラブ人国家が混在しているが、ブルガリアは少々ルーツが異なる。

いまのブルガリア人の先祖はブルガール人と言い、もとはアジア系の遊牧民族であった。

ブルガール人がバルカン半島に侵入してスラブ人との混血が進んで言った結果が今日のブルガリア人であり、「コーカソイド化したモンゴロイド」と言えばわかりやすいだろうか。

 

そのブルガール人はバルカン半島に定住し、当時イスラーム勢力とやり合って国力を消耗していたビザンツ帝国(東ローマ帝国)に勝利して独立国家を建設した。これを第一次ブルガリア帝国と言う。ブルガール人が正教会を受容したのはこの時期である。

しかしビザンツ帝国が勢力を回復すると第一次ブルガリア帝国は滅ぼされ、ブルガール人はビザンツ帝国の支配を受けることとなった。

その後、ノルマン人やトルコ人の侵入を受けてビザンツ帝国が弱体化すると12世紀後半にブルガール人は再度独立することとなった。これが第二次ブルガリア帝国である。

 

長くなってしまったが、今日の目的地であるヴェリコ・タルノヴォは第二次ブルガリア帝国の都だった町で、いわばブルガリアの古都なのだ。

 

世界史で生計を立てている身としてはスルーするのも少々気が引けるわけで。

不測の事態に備えて設けておいた予備日を消化するためにもヴェリコ・タルノヴォを訪れることにしたのだ。

行ったら行ったで「なーんだ、こんなもんか〜」となるのはある程度織り込んだ上である。

 

 

 

というわけで、意図的に山岳地帯にとどまっているために今日の行程もほぼアップダウンばかりの道である。

そして相変わらず路面状況が悪い区間が出てくる。

日陰と日なたの境目と舗装がはがれた箇所が重なりまくって非常に走りづらい。

 

 

ロヴェチとヴェリコ・タルノヴォのちょうど中間地点にあるセブリエヴォ(Севлиево)の町で昼食とする。

ビラを見つけたので速攻で入る。

 

 

昨日の夕食で食べたチキンが美味しかったので、今日は味を占めて2本も買ってきた。

ジューシーで実にうまい。

 

 

ベリーやコーラも買っちゃって、ちょっとした御馳走気分である。

 

 

昼食を食べたベンチがこれ以上なくリラックスできる形状になっていて、30分ほど座り込んでしまった。

 

 

 

午後もアップダウンがひたすら続く。

今日は気温が30度近くあるのですぐにへばってしまう。

 

 

加えて大型国道を走ることになったので通行量が激増した。

僕を悩ませるのはブルガリア特有の無茶な追い越しである。

写真を見ればわかると思うが、対向車がすぐそこまで来ているのに無理して追い越そうとする車が多い。

万が一元の車線に戻り切れなかったら交通事故必至である。

 

 

ヨーロッパ特有の文化だと思うが、おそらく交通事故死したであろう人の墓が道路脇に建てられている。

ちなみに墓は1日の走行で二桁回数くらい目撃するのでそれだけ交通事故が多いということだろう。

無茶な追い越しをやめればいいだけなのに、なんでそこまで生き急ぐのかブルガリア人よ。

 

 

 

 

何かの記念塔のような施設で一休み。

あてにしていた湧水は枯渇していた。こういうこともある。

 

 

 

へとへとになりながら夕方頃にヴェリコ・タルノヴォの町に到着。

さすが観光名所だけあって町の雰囲気は良い。

 

 

 

難点は坂が多い。とにかく坂だらけ。

道を間違えて坂を下ってしまうと気力体力的に二度と戻ってこれそうにないので慎重に進む。

 

 

そしてそして、今日もホテルを予約してある。

ヴェリコ・タルノヴォには一応キャンプ場があるのだが、市街地から10㎞ほど離れていて一山超えねばならない。

セルビアのニシュ以降連日のアップダウンにさすがに参ってしまったので今日もホテルに甘えることにした。

1泊34レフ(2800円)なのでかなり節約した。

 

 

今日はリドルで買ってきた新フルーツに挑戦してみようと思う。

モモはモモでもネクタリンという品種である。

 

 

味と食感は、桃とリンゴの中間くらい。

皮をむくのも面倒くさい。個体によって結構差があり、十分に熟していないものはほとんどリンゴ。

 

 

あとはバナナとヨーグルトである。

カロリーを消費しない夕食は健康志向かつ粗食というマイルールを守るのだ。

ヨーグルトと言えばブルガリアだが、実はブルガリアに来て初めてヨーグルトを食べた。

クリーミーで美味しかった。

 

 

 

日も暮れてきたので、夜の街に繰り出す。

ヴェリコ・タルノヴォは夜景が綺麗と聞いていたのだ。

 

 

 

 

 

さすが坂だらけの斜面の町だけあって夜景は確かに綺麗である。

時間がたって暗くなるにつれて民家の明かりが増えていく。

 

 

 

 

入り組んだ路地や階段なんかもあって町の雰囲気はとても良い。

さすが古都である。ΣROSショップは営業していなかった。

 

 

美味そうなアイスクリーム屋が僕を誘惑しているじゃないか。

 

 

街歩きして良い気分になり、我慢できずに買ってしまった。

夜は粗食というマイルールはいったん白紙撤回させていただく。

 

 

気が付けば21時を回っていたので切り上げてホテルに戻った。

冷房も効く良いホテルだが、建物が相当古いのか外を歩くだけで部屋全体が結構揺れる。

僕にとっては不幸なことに隣人は小さい子どもを含めた家族連れのようだ。

果たして安眠できるのか?

 

 

走行距離:90km

走行時間:6時間48分

総走行距離:26056km

8/12の日記。

 

 

バルカン山脈の山間にある町ボテフグラード(Ботевград)のキャンプ場にて起床。

このキャンプ場は言わば個人宅の庭のような場所で、駐車スペースがないことからキャンピングカー客は利用できないようになっている。

僕以外には小型車のキャンプ客1組だけだったので静かな夜を過ごすことができた。

 

 

朝日が建物の陰に隠れてしまっているので非常に寒い。

キッチンに椅子持ち込んで朝食をいただく。

 

 

霧が立ち込めているのは山間の町だからなのか。

 

昨日バルカン山脈の一番標高の高い地点は越えたものの、今日の行程はひたすら山地を東に向かって走るだけである。

地図を見た感じ、目的地まで大型スーパーは一軒もない。

ひょっとしたら昼食もまともに食べられないかもと思って大量に食料を買い込むことにする。

灼熱地獄にならない限りは、4リットルの水と2000キロカロリー分の食料があれば一日走れる。

 

 

リドルは営業時間前だったので隣にあったカーフランドで買い込む。

カーフランドもヨーロッパを代表するスーパーマーケットチェーンだ。

リドルよりも大規模で日用品もたくさん売っている。

 

 

カーフランドで好物のエビを見つけたが、さすがに11レフ(880円)は高すぎる。

日本に帰ったらエビ食べ放題のビュッフェレストランにでも行くとしよう。

 

 

ボテフグラードは山間の町なので、町から出るには上り坂を越えねばならない。

午前の区間が一番大変で、ほとんど上り坂だったのであまり距離が稼げず。

 

 

休もうと思ったバス停はなぜか板が撤去されているし。

 

 

仕方ないので廃ガソスタに腰かけて補給食のバナナをいただく。

今日は太陽光線も強くアップダウンも多いので疲れがたまりそう。

 

 

なので湧水スポットで貴重な気化熱作戦用の水を確保する。

ブルガリアは山ばかりの国だからか、このような湧水スポットに出くわす機会が多い。

1日に3か所くらいは見てる気がする。非常に助かります。

 

 

昨日と同様に高速に併設されている一般道を走行しているが、悪路なのは相変わらずである。

高速道路、石畳、剥がれた舗装、穴ぼこと散々な道を走ってきたが、今日の区間には小石が埋め込まれている。

おそらくはスピード超過対策なのだろうが、サイクリストにとっては迷惑極まりない。

これだけ無数に埋め込まれていると避けようがなく、石畳を走っているようなガタガタ感がある。

 

 

 

12時回った頃にヤブラニツァ(Ябланица)という中規模の町に到着。

何となく勘が働き、鉄道駅前の広場に行ってみるとケバブ屋を発見した!

今日は行程に大きな町がなく、朝に買い込んだ補給食だけで凌ぐつもりだったので非常に嬉しい。

 

 

 

 

ポテトがたっぷり入ったチキンケバブは4.5レフ(360円)と今旅最安。

ドイツではケバブにポテトを挟むなんてこと一度もなかったけども、バルカン半島を南下するにつれてポテト入りケバブが主流になってきた。

ボリュームは普通だったけど、切りたて熱々ジューシーなチキンと値段の安さを評価材料とし、満足ケバブ認定するケバ。

おめでとうケバ。

 

 

さらには小さなスーパーでレモネードも購入。

ヤブラニツァは意外と何でも揃う町だったのであんなに買い込む必要はなかった。

 

 

ケバブ食べてレモネード飲んで、気合を入れて午後の行程に入った直後にこの激坂が目に飛び込んできてげんなり。

 

 

北海道の美瑛にあったジェットコースターの路を思い出す。

気合は入ってるけども体力はないので押して登る。

 

 

この道路沿いのポプラの木なんかも完全に北海道とそっくり。

北海道はコロナ禍で海外に行けない時期に2回行ったけど、また行きたくなってきた。

 

 

道路沿いにレストランを見つけたので立ち寄ってコカコーラをいただく。

コーラは500mlで200キロカロリーくらいある。

糖分・カロリー・カフェイン・水分・清涼感をいっぺんに摂取できる万能飲料である。

 

 

 

今日はほとんど平坦な区間がなく、無数に続くアップダウンをひたすら進むので体力の消耗が激しい。

最後の150m程度の上り坂はのんびり押して登ろうと思ってたのに羽虫の群れに付きまとわれて、渾身の力を振り絞ってペダル回して振り払う羽目になった。

 

 

 

下り坂からは本日の目的地ロヴェチ(Ловеч)の町が見えてきた。

 

 

ロヴェチはまあまあ規模の大きい町なのでビラもリドルもある。

お気に入りなのはリドルだが、店舗があるのは2㎞先。今日はアップダウンの連続で本当に疲れたので2㎞遠回りする気力もないのでビラで夕食を買い込んだ。

 

 

ロヴェチにはポクリティア・モストという観光名所がある。

屋根付きの橋の中はアーケード街になっている。確かに珍しいかも。

 

 

 

 

中は土産物屋や手芸品屋が並んでいるが、あんまり活気はなかった。

半分くらいシャッター閉まってたし。

 

 

 

ロヴェチにはキャンプ場がないので今日はホテルに泊まる。

一泊60レフ(4800円)と、今旅一番高い宿である。

4800円程度で高い宿と思われる読者も多いだろうが、旅人の時の僕はいかに金をかけずにコスパ良く旅をできるかを意識している。別に金がないわけじゃないんだよ。

 

 

 

夕食は今朝買い込んだ補給食と、ビラで買ってきたトマトとチキン。

ブルガリアのスーパーにはお惣菜の量り売りコーナーがあることが多い。

今まで何となく避けてきたが、どうしてもチキンがうまそうに見えたのでついに注文した。

1羽2.4レフ(200円)とお得である。シンプルな塩味が実に美味しかった。

 

 

 

走行距離:107km

走行時間:7時間9分

総走行距離:25967km

8/11の日記。

 

 

2泊お世話になったイヴァンのキャンプ場を出る時が来た。

8月だというのに夜はかなり冷えて10度くらいになっただろうか。

テントは結露しまくりなのでしっかり乾かす。

起きてからテントの中でゴロゴロして、テント乾かして朝飯食べて支度して色々やってると結局2時間くらいかかってしまう。

 

 

8時半頃に出発。

交通量も多くはがれた舗装だらけの市街地を抜けるのに1時間くらいかかった。

 

 

振り返るとソフィアの街並みが。

四方を山に囲まれているので入るのにも抜けるのにも結局山を越えねばならない。

今日はバルカン山脈を越えてルーマニア方面に向かうのだ。

ちなみに来年はこのソフィアからスタートし、イスタンブルを経由してアンカラまで走る旅を計画している。

 

 

また高速道路を走らされる。

セルビア方面からソフィア市内に入るのに利用せざるを得なかったがソフィアから出るのにも高速走る羽目になるとは。

だがしばらく進むと一般道に抜けることができた。

 

 

市街地から抜けて少し走るとサービスエリアのような施設が出てきた。

今日の行程はまともに昼飯食べられそうにないので、少し早いがここで腹ごしらえをする。

 

 

昨日からピザ食べたい気分だったのでピザにした。

スライストマトが一枚乗っただけのシンプルなマルゲリータピザは3.9レフ(約320円)。

 

 

それから併設のリドルで炭酸ジュースを購入。

ブルガリアでは500mlのコカコーラは160円くらいするので、冷やしてある適当な安い炭酸ジュースで喉を癒すのだ。

 

 

ルーマニア方面に向かうためにいよいよバルカン山脈越えの上り坂に差し掛かる。

グーグルマップによると標高950mくらいまで登るそうだが、ソフィアの標高がすでに500mくらいあるので半日もあれば十分越えられるはず。

 

 

問題はブルガリアに入ってからずっと続いているこの悪路である。

登りはまだ良いとして、下りはそれなりにスピードが出るのでうっかり穴ぼこにはまっただけで即パンクのリスクがある。

 

 

 

峠道の道路脇に人が密集していたので尋ねてみると湧水のスポットがあるという。

当たるのが怖いので飲み水にはしないが気化熱作戦用にたっぷり汲んでいった。

 

 

車はほとんどが併設の高速道路を通るので交通量は皆無である。

だから牛がこのように伸び伸びとできるわけで。

 

 

頂上付近で昼飯とする。

さっきピザを食べたサービスエリアで買っておいたタコスである。

ケバブ屋もあったがまだ準備中だったのでタコスで妥協したのだ。

味は普通だった。6.5レフ(500円)とケバブと大差ない価格なので積極的にタコス食べようとはならないだろうな。

 

 

登り始めて1時間半くらいで頂上に到着。

意外と勾配がゆるくて助かった。ほとんどの区間漕いで登れたのはうれしい誤算である。

 

 

 

タワーのように高い柱の高速道路をかいくぐりながらガンガン下る。

心配していた穴ぼこは下りの道にはそれほど見られなかった。

 

 

 

動物との激突にだけ気を付ければ問題なし。

 

16時前に山間の町ボテフグラード(Ботевград )に到着。

漕いで登れたおかげで予想よりも2時間くらい早い感じ。

 

スーパーで夕食買い込んでさっさとキャンプ場に行ってしまうことにしよう。

洗濯物も乾かしたいし。

 

 

キャンプ場までが少し上り坂で大変だった。

ボテフグラード郊外にあるキャンプ場は一泊10ユーロ。

いたって適正価格なのだけど、昨日一昨日の3ユーロのキャンプ場を経験してしまうとどこ泊まっても高く感じてしまうな。

 

 

夕食はスーパーで買ってきた健康セット。チーズはいろんなフレーバーが入っていて美味しかった。

ブルガリアなのにヨーグルトはまだ1回も食べていない。

 

 

足元よく見ずに歩いていたら猫のえさをひっくり返してしまった。

慌ててこぼれたエサをエサ入れに戻していたら僕に取られると思ったのか猫たちが慌てて戻ってきた。

 

 

 

 

ブログ書いてる時も膝に乗ってくるし。

可愛らしいけど服が毛だらけになるのは勘弁してほしい。

 

 

走行距離:77㎞

走行時間:5時間19分

総走行距離:25859km