あざみの効用 -2ページ目

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

 

 

 

 

 

 

 

分析中身ではなく、文体や若手官僚が国を憂えているというだけで好意的な反応が目立つことに萎える。それこそ「会議でスマートに見せる100の方法」の一つとして使えるかなという次元、普通にリベラルアーツを高めるべきだと思うのだが産業振興政策の先行きは暗いね。

この手の皮肉大好き!ただし冷笑的態度ではなく「本気」でこの本に書かれているような事例の実践をする人間の方が評価される現実があることを踏まえると喜劇なのか悲劇なのか演者(サラリーマン)にとっては分からないけどね。一番のお気に入りは「ホワイトボード戦術 描くだけでスマートに見える21個の無意味な図形」。

 

「ひとの小さなアイデアにケチをつける方法」⇔「ひとの大きなアイデアにケチをつける方法」
―革新的じゃなくない?                 ―革新的過ぎない?
―飛躍的な成長をもたらす?                        ―これをどうやってロードマップに落とし込むの?
―みんなが望む未来がこれ?                       ―方向転換にならない?
―それ、もうとっくに消えたと思ってた。            ―机上の空論じゃない?
―これのどこがすごいの?                            ―ピントがずれてない?
―でも、アップルがもうやってるんじゃない?     ―でも、どうやってテストするの?
 

 

西欧の著名女王・王妃列伝。全盛期や生涯ではなく、最期に絞って照射するのがまさに棺覆いて―を地で行く構成。ブルグント女王やセルビア王妃などこの書で初めて知った人間も多数。一番面白かったのは、ナポレオン皇妃(初代・3代)いずれも旦那が失脚してからの人生がむしろ輝いています。

今年の1冊確定。エッセー的に様々な毒々生物を取り上げながら、毒々生物という具体的観点から人類への影響・未来へとさまざまな観点から知的刺激を与えられた。ヒトの免疫機構を考えたときに細菌やウイルスだけでなく、「毒」も範疇に含まれるというのは盲点。それこそアナフィラキシーショックなど考えれば自然と腑に落ちる―そして、そこから山田風太郎ばりに自家免疫実践者(毒に対する耐性を強める試練)の跋扈に至り笑うしかなくなる。「進化」という観点だけでなく、抗毒素科学という「医療」面で既にその有用性が実証・先行き明るい一面にも触れられた。―「毒」が古来より人気ジャンルであり続けていることに根拠あり。

経済・社会学に続き政治学として三部作たる一冊ということだが、読後感は著者の政治学観として実学として経済学に溶けたという解釈かな。ただ政治がメディア消費材(闘争・選挙勝敗・失言)に堕ちた中で、源流に遡り、民主主義と自由主義を分離し決してお互いが必要十分条件ではないことを理解することや、家政を元祖として経済学と政治学は生まれは同じと知ることの重要性など基礎部分をなぞるだけでも十分楽しい。

 

 

USJを題材としたビジネス本でも、日本のレジャー価格は安すぎる。世界平均の¥10,000を目指すべく着々と値上げしたところ、ディズニーも追随しているというようなことが書かれていた。結局、サービス業に於いて「サービス」という言葉が日本では無料と誤用されていることに引きずられている感満載。

昨今、労働環境と労働生産性の低さが話題になっているが元凶はサービス業―。おもてなしの精神で、「日本すごい系」で盛り上がるときに犠牲になっているものに想いを寄せるのも一興。

 

今月はおすすめ本無し―ただ史料として参考になった1冊だけメモ。

 

「百年の恋は、しょうゆの味がする」(キッコーマン)
「あなたがいま辞めたい会社は、あなたが入りたかった会社です」(リクルート)
「サラリーマンという仕事はありません」(セゾン)
「昨日は、何時間生きていましたか」(パルコ)
「ようこそ、キミは音楽のある星に生まれたんだよ」(ソニー)
「歓喜か、悲鳴か。世界の言葉はふたつになる」(日本アバイア)
「仕事を聞かれて、会社名で答えるような奴には、負けない」(リクルート)
「上手な水分補給も、実力です」(大塚製薬)
「カードの切り方が人生だ」(ライフ)
「『明日からやろう』と40回言うと、夏休みは終わります」(Z会)
「墓地を作るのではない。公園を作るという考え方」(いせや)

 

 

 

 

 

 

 

 

NHKスペシャルのタイムラインに載せたTweet一覧。まあ、もはや手遅れ感満載ですし、団塊世代に関しては思うところもあるのであとは生温かく見守るのみ。『花森安治の仕事 ― デザインする手、編集長の眼展を見てきたら保育園が整備されない状況について批判記事が書かれていて面白かった…50年前だけどね(苦笑)

 

 

道徳を考えるに、倫理的利己主義、社会契約説、功利主義、カント説、徳倫理それぞれ具体的事案でその妥当性を検証する―事例ごとに一長一短が有るところを踏まえると多元戦略的功利主義(全有感的存在の利益の最大化)を推奨すると。もともとアダム・スミス以来「共感」は現代資本主義社会の根底に想定されていたものだが、全有感的存在にまですすめることに共感できるかどうかは道徳観による(笑)

走狗 走狗
 
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川路利良を主人公に、正に明治維新後の政権安定期に至る渦中に「ジョセフ・フーシェ」に見立てて暗躍する物語。司法省管轄の警保ではなく、内務省管轄の警察の設立に至る物語の組み立てが実に説得的で読ませる。

仏教を生まれたときの説諭から、経典中身まで簡易に解説した良書。アメリカ人に引き寄せて理解するにマインドフルネスや、葉っぱのフレディやチーズはどこへ消えた?などをうまく取り混ぜる辺りが面白かった。

 

 

労働問題というのは、このブログでも嘗て熱心にあれこれ蒐集と要約を施していたが、いざ自身が渦中になると冷静に振る舞うことは、責任感とのグラデーションで難しくなる―。結局、官邸主導で「働き方改革」が推進され、その中で電通のような大企業が血祭りにあげられることで外部環境の変化に巻き込まれるという或る種の上からの改革により今月から劇的に改善しつつある。

 

怪書探訪 怪書探訪
 
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私のような単なる濫読家が読書を趣味と言うには烏滸がましい気持ちにさせられる一冊。これまでもそしてこれからも1mmも掠ることがなさそうな作家・書籍群がこれでもかと出てきて幻惑させられる。「痕跡本」「満州刊行本」と呼ばれるジャンルなど書の楽しみ方を改めて知らされ失って久しい蒐集する喜びが仄かに疼くものが感じさせられた。

エセ科学批判系の何かもむか~しそれなりに考えた時期があるが、真面目な集大成的書籍(心理学と銘打っているが心理学に限定されない)。

行政行為という名の下に独立王国の体裁の入管政策を巡る血も涙もない事例集―いずれNEWS番組投稿ネタとして判例集を活用予定。

老乱 老乱
 
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結局、過程的介護・医療に戻った今、老後とはそれまでの人生の総決算たるということを突きつける(財産だけでなく家族関係も含め)。高齢者の運転や、徘徊行方不明事案まで時事ネタを綺麗に折り込みつつも高齢者と家族の双方の視点から「老後」問題を己が身にふりかかることとして考えさせる。久坂部先生の長編小説が昨今「最期」優しくなった(救いがある=あっさり死ねる)のが不満といえば不満。

鹿渡島定置栗原さんからの極上の海の幸ミンククジラお裾分け(参考:ナガスクジラ篇音譜
「ナガスクジラと比べると脂が少なく、ミンククジラ独特の風味があるとのこと」でしたが、いずれも芳醇でその旨味にただただ平伏すのみの素人には違いがわかりませんでした(苦笑)。捕鯨文化・反捕鯨いずれもどうこう講釈垂れる前に、一口食すべき何か。噛めば噛むほどに広がる何かはもっと神々しい…言うなれば自然との一体感のような至高の瞬間が訪れます。
現物支給とか羨ましすぎる―正に『鯨分限』の世界。
お裾分けは皮と赤身とレバー。
皮は、大トロを超越する存在としか言いようがない。
皮付きを生の刺し身で堪能、醤油を少し垂らすだけで噛めば噛むほどに口内に脂が広がります。
刺し身だけでなく、塩漬けにしたあとに湯引きしてポン酢に漬けたら―シャクシャクとした歯ごたえのある濃厚な何かに(あえていうと肝系に近い)
そして赤身は牛刺に近い―まずは刺し身を堪能。
そして山椒と一緒に漬けにして今流行のチョモランマ丼にして食したのですが、あまりにも興奮して写真撮り忘れ(付け合せは新玉ねぎを卵の黄身で和えたものでした)
あまりにも美味しかったので一部塩漬けにて更にお裾分けも―。
竜田揚げ(学校給食の思い出とか消え去ります)
そして人生初めての鯨のレバー。そもそも生食レバー自体数年ぶり、なんと合法的に生食できる希少部位とのこと。見た目が10割ではありませんが全く臭みが無く口の中で蕩けますす。
三日三晩生レバーを堪能―薬味は上記の通り色々試しましたが結局一周してゴマ油にニンニクみじん切りと塩を少々が一番美味しかったのです。
はりはり鍋も3種類(生クジラをそのままぶちこんだ鍋、味噌仕立て、塩漬け鯨+鯨の唐揚げをラー油で味付け)、絶賛8連勤で本来ぐったりしているはずのところ元気なのはまごうこと無く鯨様の効用。
 
鯨分限 鯨分限
 
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現在ご存命の歴史小説家では伊東潤先生が一番好きです。
山中(康裕)はこのときの会話を鮮明に記憶している。中井(久夫)は、自分がなぜ風景構成法を着想したのか、芸術療法研究会での河合(隼雄)との出会いに遡り、青木病院の患者に箱庭療法をやってもらった時の話をした。

「それで山中君、どうなったと思いますか」
「先生、悪くなったでしょう」
「そうなんです。全員悪くなった。だいぶよくなって社会復帰が射程に入ってきたなと思う患者にやってもらったのですが、それが全部悪くなった。どうして悪くなったと思いますか」
「砂が問題じゃないでしょうか。砂が崩れる。崩落するイメージがある。
『一握の砂』を思い出す。いのちなき砂の悲しさよサラサラと握れば指の間より落つ…、砂って落ちやすいじゃないですか」
「その通りなんですよ。ただ、どうして悪くなったのかについてアプローチすることで本当に治るんです。そこで着想したのが風景構成法という新しい方法です。箱庭で患者さんが悪くなるのはよくないので、箱庭を始めていいものかどうかをチェックするテストです」
                                        最相葉月「セラピスト」
 
月末にインフル(A)のおかげで5連休を堪能中、タミフルが効いて熱も引いたためのんびりと読書中―。罹患した時点で選択肢はなく精神論を超えて単に休むしか無いと、この2週間ほど朝5時台に出勤していたためただただウイルスに多謝多謝。
 
 
 トランプ大統領の一挙手一投足に世界の注目が集まり、その期待に応えるようにトランプ大統領は期待を果たしている(皮肉)。かのような現状を分析するに、Post Truthなどより同著の「感情化」がキーワードとしてしっくりくる。メディア側からの仕掛けとしての「感情論」に駆動される大衆からSNSという発信ツールを手に入れた大衆が直に大衆を駆動していく時代―世界をめぐる「情報量」はLINEレベルまで加味すれば大衆>メディア、そしてその大半は「感情」を巡る発露。とすれば民主主義社会に於いて「事実」よりも「感情」、「建前」よりも「本音」をうまく汲み取った政治家が支持されるのは至極当然のことと。
 心情ポモとしてブログ残滓の通り「物語消費論」を受け入れてきた身としては「物語労働論」に改訂を提言するのも時宜に適ったものと理解できる。江藤淳の後継者としての大塚英志氏には「文学」に関心薄いためあまり語るべき言葉も持ち合わせていないが、「スクールカースト文学」なるものを初めて知っただけにその下りは面白かった。
 
 総力戦こそが民主主義・資本主義の揺りかごという考え方は通念(銃が民主主義を作った―)だが、同著でもっとも唸らされたのは深沢欣ニ監督「軍旗のはためく下に」を取り扱った一編。軍法会議において不名誉なる処刑された遺族が、「真実」を求めて戦友を巡礼する中で大東亜戦争の滑稽さを各戦友の語る「真実」(名誉の戦死、芋泥棒、人肉食、学徒将校殺人、B級犯罪の隠蔽…)の中で「名誉」への拘りを捨てるさまが鮮やか。
 
 もはや誰もが否定することができない天下御免の治安良化、その中で都合よく一シーンを切り抜いて若者や表現規制に貶める奴輩に「事実」の鉄槌を、武器はWEB上にあってこそキュレーションメディアなどで増幅されて使われる―。

大統領の知能と戦争との関係も、やはり数値化できるかもしれない。1964年から2008年までのデータを見る限り、大統領の知能指数と、その大統領の在任中にアメリカが関与した戦争での死者数は、係数マイナス0.45の逆比例関係にある。つまり、大統領の知能指数が1ポイント上がるごとに、戦争で死ぬ人は13,440人ずつ少なくなっているのだ。

 

                          スティーブン・ピンカー「暴力の人類史」

 

本日はこれから4年間の世界の運命を左右する歴史的一日…。オバマからトランプへのブレの大きさに久方ぶりに灰色の魔女を思い浮かべたよ。片や安倍総理の所信表明演説は板についていて民進党という最大「与党」ある限り安定政権と信じるに至った「言論の府である国会の中でプラカードを掲げても、何も生まれない」けだし名言。今年の世界の選挙如何では日本は右派政権ではなく中道政権と評価されるかもね(苦笑)

 

今回の鹿渡島定置様は少量多品種―以下順にヤリイカ、フクラギ、サクラマス、ホッケ、キジハタ、コダイ、マコガレイ、ヒラメ、オコゼ、(セイゴは画像誤削除)。捌く筋肉と、楽しさという観点から次回以降も少量で頼むこと確定!
 

今回一番の愛嬌の持ち主はオコゼ様で確定。背びれに毒があるため背びれの両脇から三角に刃をいれて背びれをえぐり出すイメージ。

ヤリイカは刺し身とクロスミパスタ♬ お節を作りながらの体力づくり、ツマミ。

サクラマスは中華あんかけフライと、ムニエルで食す、鮭と比して身がホロホロかつ独特の香りで美味なり。

ホッケの開き―干物でないと独特の臭みはゼロで単に美味いだけ。

キジハタとオコゼのフライ―ともに口に入れた途端に甘みとともに溶ける。あえて甲乙つけるならばキジハタの方が魚っぽい癖あり。オコゼは流石超高級魚神味です。

タイは縁起物として尾頭付きで鯛めしへGo!あまりにも美味しくて3合ペロリ、正月4kg近く太ったけどその原動力。

カレイは当然煮付け、これもご飯が止まらない一品。

ヒラメ様の昆布じめ―正月いっぱい楽しみました。

オコゼの肝―刺し身につけるのではなく贅沢に肝だけを五郎風にオン・ザ・ライス。

セイゴはソテー、アヒージョ、昆布じめ(定番の一品たち)

フクラギはブリ照り代わりにお節入り。上記魚をさばく過程で出たヒラメ、セイゴ、フクラギさんの背骨周りのすきみは昆布巻きへ活用し完食―ご馳走さまでした。

中村吉右衛門による鬼平終幕―。

法治主義ではなく人治主義の極地だが、誰が治めるかという観点で哲人政治ではないが結局鬼平の清濁併せ呑む、否積極的に罪人の心を奪う姿が粋で惹かれざるをえない。粋が通じない人間は斬あるのみ。

今年も社畜絶賛ロングラン上映中(クリボチどころか、会社ボチで16時間クレーム処理労働)ショックなうさぎにつき、読書が進むこと進むこと〆て323冊。むかしは竹林の賢人とか籠って読書しているだけで知識人として崇められるなんて敷居低かったんだなという荒んだ気持ちに―。

今年のベスト3は「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」「心という難問」カナヘイきらきら

 

 

そして今月から1冊。

これは大きく世界観が揺さぶられたため今年度のベスト3入り。有機、マクロビetcな意識高い系ライフスタイルに嫌悪感を抱いていたけれど素直に脱帽。Keyは進化理論を適用して世界を眺めるのは生物の極一部に当て嵌まる法則に過ぎないということ。生物種の大部分は古細菌や細菌(ウイルスは現段に於いては除外しても)であるだけでなく、恐らく生命の根源も彼らの水平伝播(遺伝物質の種を超えた交換)による多細胞生物化によるもの。つまり、動植物の「進化」以前に細菌類のシンビオジェネシスが主たるという考え方…これはこれまでに読んだ名著群「赤の女王」「自我の起原」などの点が線に繋がる感覚が得られた幸せな読書経験。

細菌類を中心に世界を理解すると、「遺伝子の乗り物」では決してなく「細胞の籠」に過ぎず土も内蔵も繋がるというのが書のタイトルの意味で腑に落ちる。直観だが心はどこにあるかという議論の無限後退の先には結局、脳が体内随所にある生物の存在、脳が反応する以前に身体が動く先行時間の存在…踏まえると脳は所詮は多細胞生物の議会・集合的無意識のようなもの、汎「心」論に行き着くのではないか。その意味で「人間大事なのは中身」というけれど、けだし名言で本当に大切なものは大腸にあるカナヘイ!?

 

世界は憑き物に満ちているという発想は世界を豊穣にする―。ただ怪バリエーションの豊富さからもやはり「飢餓」への恐怖は地方を問わずと分かる。個人的なお気に入りは「妖怪宅地」と「牛蒡種」。

仏教、儒教、道教ひっくるめて宗教ではなく思想・哲学それも相互の類縁関係から理解するという西洋思想史理解のテクニックをフル活用した一冊。…世界最後の日に頼るよすがは親鸞の思想という結論に同意する(大学時代に一時席を置いた哲学研究会の結論もそうだったことを懐かしく思い起こした)。

『この世界の片隅に』鑑賞の衝撃未だ衰えず、そればかりか意識せずともふと心をよぎりざわめく。昔、物語消費論の文脈で世界観構築の重要性が謳われたことがあったが、今では乳くらべに代表されるようなキャラ設定に堕しているのが現状。当該作品は片隅を描くために、世界を厳密に描き出す。何気ない背景、風俗端々まで膨大な検証と調査に裏打ちされた圧倒的なリアルに描かれた世界の下に配置された、登場人物たちの言動・行動にリアリティが宿る。「映画」として歴史に名を刻むことになろう作品に出会えた幸せに乾杯。

 

 

 

 

 

「アレロパシー」という植物による他感作用に焦点を絞り紹介する書籍。進化理論の考え方からすると至極自然な発想。よくよく考えると森林浴が心地よく感じられるというのは気のせいでなければ自身の中の虫下し効果かもね(苦笑)

小林美希さんの労働における若者・女性問題即ち社会・会社への焦点の当て方をA面とすれば、夫婦・家庭内に焦点を当てたB面攻撃。男性ならば震撼することこの上なし。妻から夫への愛情は、妊娠から2歳児ぐらいまでの間に3割位に低下する―。専業主婦から夫婦共働き社会へと90年代後半には転換しているがあわせてライフスタイルを変換できていない夫は恨みを醸成させ続け、別れるよりも、殺すよりも「死んでくれる」ことがお得という残酷な結論を出されるに至る。

脂肪は食糧の乏しい人類史において、富の象徴であった。それが現代においては悪の象徴と烙印を押されるまでを様々な角度から切り取る。その中でも生態学的錯誤を孕むと指摘されていた1953年キーズ博士7ヶ国研究が独り歩きし、飽和脂肪酸悪魔説の誕生。そして全米心臓保護協会・公益科学センターががなりたてて、置き換わった部分硬化植物油(トランス不飽和脂肪酸)、そしてその方が健康に悪いと判明し不飽和脂肪酸の廃止に躍起になるとかこれぞ「不健康」そのもの。

戦時中に「欲しがりません勝つまでは」という教科書に残る名キャッチコピーの作成過程に関わったに関わらず、自身の雑誌では広告を廃したその姿勢―。「一銭五厘の旗」に代表される消費者運動の拠点としての暮しの手帖を作り上げた花森安治氏についてともに働いた人間にインタビューという記録を残した書籍(ただし共産細胞とか、広告忌避とか、深掘りが随所に欲しい一冊)。

 

 

「非正規雇用の増加は、しばしば若い世代の価値観の変化と結びつけて論じられることに不満を持っていた。なぜなら、非正規雇用の増加は労働市場の変容によるもので、個々の非正規労働者の価値観を強調することはしばしばミスリーディングであるとつねづね感じてきたからである。しかし、日本における世代による価値観の違いについては、少数の事例に基づく印象論か、年齡による違いを出生コーホートによる違いであるとみなした研究がほとんどで十分に信頼できる研究は非常に少なかった」

 

上記のTweetと重ね合わせると研究はある種の牽強付会的議論を産出しがちなため、読者は面白い・面白くないではなく冷静に議論の「根拠」を眺める必要がある―。

 

…将棋ファンとしては見るに堪えない事件が起きているが、ノイズを廃して純粋に竜王戦を楽しみたい(今年初めて週刊文春に苛立ちを覚える)。「見る将」という言葉に代表されるような対局を丸ごと楽しむというのは昨今の動画、棋譜サイトのおかげでそれまでは新聞や雑誌の一部を切り取った観戦記が主流だったことを思い出しました。同書から一本選ぶなら「善悪論評に及ばず」が沁みます。

 

読者を淵源たる人物まで謎解きの旅に誘う構成が見事―、ただ構成があまりにも巧みすぎて「生長の家」からの内部告発を疑いたくなった。