神様と共に -2ページ目

神様と共に

統一教会の元シックです。
統一教会では私の神様に出会いまいた。
神はいつも私と共におられます。

昨日に引き続き、

ステラ認定、独断の懐かしの記事(ユーチューブ)シリーズです。

過去記事を加工して再アップしました。


見る必要はないと思われますが、
参考までに元記事はこちら (〃∇〃)
↓↓↓
ミクちゃんが歌う~韓国組曲『うり☆なら』(uri☆nara)~
http://ameblo.jp/happystella/entry-11263500851.html


さて、本題に。

今回ご紹介する動画の題名は…、
韓国組曲『うり☆なら』(uri☆nara)feat MikuHatsune
です。

の動画は
今から4年ほど前にアップされた楽曲で、
当時の政治の表舞台で活躍されていた懐かしい方々のお顔を拝むことが出来ます。

画像の登場人物は少し前の方々なのですが、
私はなかなか面白いという感想を持ちました。

日常生活の中で見かける現象(韓国のパクリ商品で溢れ、整形が通常化していることなど)を始め、
韓国人の意味不明な行動、
韓国の文化、
曲をアップした当時の政治のこと、
過去2回の韓国通貨危機の時のこと、
韓国人から見た歴史観
などについて歌っています。

なかなか上手くまとまっています。
ここまで楽曲と画像をまとめるのは大変な作業だったと思われます。
秀作です。

画像と歌で楽しみながら、
韓国の事大主義、
韓国人の思考方法の理解が深まることでしょう

韓国(人)の特徴…

キセーンを職業としている人たちが 「売春禁止反対デモ」 を行うような国であること、に始まり、
パクリ大国であること、
整形大国であること、
起源を主張するのが好きな国であること、
歴史を捏造して自己満足していること、
(自国の過去の真実に目を背けていること)、

などについて十分熟知しておられる方には、
大受けの内容ではないでしょうか。


歌詞に合わせて、
適切な画像が出てくるのですが、
その画像が多い。。。
何度か見直すと、
見直す度に「ほー」と思わせる内容です。


統一教会関連の画像も8:35に出ています。
人身売買 伝統産業…
のフレーズが流れる部分で。 
(この部分は韓国に渡った日本人女性被害者のことを思うと、全く笑えない内容です)

統一関連ニュースの画像登場はほんの一瞬なので、
よく目を凝らして見ないと見逃すことでしょう。


最終部分で、故金正日の息子 金正男の画像が出てきて
You are the prince of  Korea.
と歌っていますが、
これはまだ金正日の後継者が決まっていない時に作られた曲なので
こうなっています。


それでは、
韓国組曲『うり☆なら』(uri☆nara)feat MikuHatsune
をお楽しみください。

ご視聴はこちらから↓↓↓


韓国組曲『うり☆なら』(uri☆nara)feat MikuHatsune



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

韓国組曲『うり☆なら』(uri☆nara)feat MikuHatsune

をご視聴になり、

よく出来てるね
韓国って素晴らしいでしょ?
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自分の過去記事を見ていて、

「ん~、これって自分的に面白いわっ!」

と思ったものを再アップすることにしました。

以前書いた内容とほとんど同じですが、一部言葉を補足しています

参考までに元記事はこちら
↓↓↓
ウリナラファンタジーを求めて ~ ウリナラ★サービスメドレー~
http://ameblo.jp/happystella/entry-11275853572.html


さて、本題に。

今回ご紹介する動画の題名は…、
sm6844135 - 初音ミクさんが歌う【ウリナラ★サービスメドレー】
 副題
   ウリナラ★サービスメドレー
   ~ウリたちの歌を聴くニダ!!~
です。

この動画の多くの部分は韓国経済について割いているので、
今回書いている記事のタイトル中にある言葉ウリナラファンタジー とは少し離れてしまっていますが、
ウリナラファンタジー について歌っている部分もあるのでアップ良しとしました。

最終部分では韓国人の日本への本音も垣間見られ、大変興味あります。
まだ故金正日が生きている時に作成された動画なので、
最後に金正日も登場します。

この歌は、ボカロ1ユーザーが作詞し、
初音ミクに歌わせたものです。

軽い風刺も入っています。

歌詞に合わせて適切な画像もアップされており、
ステラ一押し。
韓国人はこういう人、ということを再確認する一助になると思われます。
ご視聴の価値は十分にあるでしょう


それでは、ご視聴はこちらからどうぞ!
♪(゚▽^*)ノ⌒☆

sm6844135 - 初音ミクさんが歌う【ウリナラ★サービスメドレー】
   ウリナラ★サービスメドレー
   ~ウリたちの歌を聴くニダ!!~

↓↓↓


ここで、歌詞中の語句などについて少し補足説明させて頂きます。

これをお読みになると、
より一層歌詞の内容理解が深まることでしょう。

読みたい方は、参考までにどうぞ。 (≧▽≦)/


「ファビョ-ン」 (00:33頃)
火病(かびょう、ひびょう、ファビョン、韓国語:화병)は文化依存症候群(文化結合症候群 )のうち、朝鮮民族特有の精神疾患と指摘されている病気。
日本語のインターネット掲示板、主に2ちゃんねる上では、一種の癇癪(かんしゃく)やヒステリーの意味で「火病」が使われており、朝鮮民族に対して用いられる言葉である。議論で反論に窮した場合などに冷静さを失って感情的になるという意味や韓国人や朝鮮人を揶揄する目的で使われる事が多い。ファビョンや、動詞化してファビるファビョるとも言われる。


「通貨の急落」
 
(01:10頃)
2008年の通貨危機を指す。


「USD-KRW」
 
(02:46頃~)
アメリカ・ドル/韓国ウォンのこと。
動画では、2008年上半期のUSD-KRW相場のチャートを示している。
9月30日とうとうUSD-KRWは1,200を突破。
1ドル=1200ウォンはデッドライン。
これを突破すると中小企業が不渡りを多発する。
大変なことになった。


「KIKO」
 
(03:32頃)
KIKOとは「Knock In」、「Knock Out」の略で、通貨オプションの一種。
通貨オプションとは日本語でいうと「選択権付き通貨先物予約取引」となり、日にちと価格を設定しておき、設定した日になったらその時の相場の価格に関係なく設定した価格で取引ができる選択権を持てるというもの。
2008年9月、ウォンが大幅に下落するに伴い、韓国の中小企業のなかで「KIKO(ノックイン・ノックアウト)」と呼ばれるオプション取引を契約していた企業のうち6割以上が多額の損失を被った。特に1ドルが1200ウォンを超えた辺りからそれは社会問題化し、韓国政府はその救済に8兆3000億ウォン(5810億円)の金融支援を行う。
韓国の金融市場における外貨の需給関係の逼迫は高まり、2008年10月12日、韓国政府は企業の海外投資の自粛など厳しい外貨規制を敷いた。
しかしその後もウォン相場の下落は止まらず、10月28日には終値が1ドル=1465.9ウォンとアジア通貨危機以来の安値を記録。ウォン安はその後も進行し、一時は1ドル=1500ウォンを超える水準まで下落した。


KIKO関連記事
2008-10-08 18:00:55
KIKOの真の恐怖が判明!(韓国経済危機、闇金より、怖いKIKOの真相!)
http://ameblo.jp/dol-souraku/entry-10148881047.html

2008-09-27 06:36:15
KIKO契約による韓国のデッドラインは1200ウォン!(韓国経済危機で知る、黒字倒産とは)
http://ameblo.jp/dol-souraku/entry-10144288086.html


「年金にまたがって あなたは急降下」
 
(03:52~04:45頃)

KOSPIとウォンの買い支えのため、
韓国政府は本気を出していた。

「行け、超韓銀砲!!

 禿をなぎ払うニダ!!」

それまでの韓銀砲ではない。
頭に「」が付く
韓銀砲である。

これを韓銀はぶっ放したのだ。

年金は外貨建ての債券とKOSPI買い支えで、使ってしまった。


http://www.asiamoney.com/default.asp?Page=7&PUBID=185&ISS=24931&SID=710113&SM=&SearchStr=korea

http://news.media.daum.net/economic/stock/200801/31/yonhap/v19823232.html

国民の未来の生活を守るはずの年金の、実におよそ60%を介入後の下落で溶かしているという。
(相場の変動があるため正確な値ではない。だが実際に数十パーセントを失ったことは確かなようす)


関連記事 (↓長文ですが、読み込むと面白いです)
2005年、日本政府とヘッジファンド(以降、禿)との熾烈な為替闘争が勃発。
http://iroiro.alualu.jp/syosetu/nida_aa_keizai02.htm




Black Everyday
 (04:15頃)
1987年10月19日に起こった、史上最大規模の世界的株価大暴落。その日を「ブラックマンデー(Black Monday)」と呼ぶ。「Black Everydayはその言葉に掛けた表現。
心憎いですね~っ!



「モテね~っ 9cmだしね」 (05:15頃)
これ、下ネタ。(笑)



「ペンゲー」 
(05:54頃)
1927年1月21日から1946年7月31日のあいだ使用されていた、ハンガリーの旧通貨。激しいハイパーインフレの期間の後、ペンゲーはフォリントに置き換えられた。補助通貨は 1ペンゲー = 100フィレール。


「2008年下半期のチャート」
 
(07:56~08:10頃)
2008年下半期のUSD-KRW相場のチャートを示している。
11月24日とうとうUSD-KRWは1,500を突破。



 


この動画をご視聴になり、

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先日に引き続き今日も ケイト・ブッシュ ネタ です。
ユーチューブで懐かしいCMを見つけました。
セイコーのCMです。
昭和53年 1978年頃 のものです。

ユーチューブの動画を見ると、
「あ!知ってる」という方も
もしかしたらおられるかもしれません。

不思議なメロディー。
印象的な声。

イントロがなく、
第一声が 「Rolling 」 で始まります。

Rolling the ball, rolling the ball, rolling the ball to me.
Rolling the ball, rolling the ball, rolling the ball to me.

……

曲の題名は「Them Heavy People」(邦題:「ローリング・ザ・ボール」)。
歌詞中の言葉が邦題になっています。
ケイトは、マニアの間ではとても支持されているアーティストです。
歌いながら不思議なパントマイムをする女性、それも美人…。
彼女独特のパントマイムが受け入れられない方も多いことでしょう。
でも、マニアはそれを理解し、彼女を支持し、熱烈に愛しています。

前置きが長くなりました。


まずは、懐かしのCMをどうぞ。
視聴時間はおよそ1分です。

Kate Bush - Rare Japanese Seiko co



次はケイトのオフィシャル版のThem Heavy People
この動画中の彼女のパフォーマンスには好き好きがあることと思います
自信のない方は、画像を見ずにまずは声だけを楽しまれてもよろしいかと思います。(笑)
視聴時間はおよそ4分です。

Kate Bush - Them Heavy People - Official Music V






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先日、ちゃぬさんの記事を読んで、
超簡単にまとめを書いた記事をアップしました。

しかし、その記事は都合により公開できなくなりました。

そこで、同じ内容の記事を再アップします。

ちゃぬさん記事の引用部分はそのままで、
それ以外の部分は少し手直し、
言葉不足の部分は追加しました。

では、本題に入ります。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


ちゃぬさんの過去記事に目が留まりました。
これは2010年に書かれたものではありますが、
この記事中で書かれていることは重要なことだと感じ、
記事をアップすることにしました。

ちゃぬさんの記事からは、
統一教会の主張する血統転換の意味を確認し、
その驚愕の内容を再認識することができます。

それを認識すれば、
「統一教会」が世間から 乱 交・淫 乱 の宗教と言われる訳が理解できることでしょう。


血統転換の奥義(13)
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10837786645.html


それではちゃぬさんの記事の一部を、以下に一部引用します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちゃぬさんの記事「血統転換の奥義(13)」より一部引用
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10837786645.html


~引用始め~

《統一教会の何が悪い!!!!! 【Part9】より》

41 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:18
もう、PART9ですかすごいですね。なにか前のほうに地雷がありそうなのでみなさん、気をつけてください。前に、発表済みなんだが、意外とこれが反響を受けて、もっと詳しく説明しろとの、お叱りも受けたので再度、今度は詳細におしらせします。なお、この発表については、同僚で、ともに学んだ中村惣一郎 君、そして数々のご指導を賜った、周藤先生ならびに李ヨハネ先生にこの場を借りて謝意をもうしあげます。

42 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:19
<体恤、重生、母子協助のおさらいと補足です>
(体恤)まず、救いのはじめは女性にありますこれを体恤と言う。救いは肉体から堕落した人類始祖の失われた立場をメシヤと言う一人の男子から受けられるのは女性にあると言うわけです。この性行為は実体を持って行われ、文先生とその女性とでメシヤである文先生の思うがままになされるが、基本的には蘇生、長成、完成の3回は最低行わなければならない。かの有名なK婦人などはさる山荘に一週間こもって文先生と裸の生活をされたそうです。そこで、神の6千年の心情と神からの具体的な愛と性を自らの肉体に体恤しなければならないのです。

43 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:19
(重生)文先生との性行為において十分に体恤された女性はその胎内にメシヤの子を宿すはずであります。しかも、それは男子であるべきです。次に行う重生が男子の救いだからです。その女性が産む子供が新生された男子であると仮定して女性が救われるべき男性と性行為を持ちます。そこでは男性は生まれ出るべき男子と同格です。そこで、性行為は出産の行為になります。男性はその体全体に見立てた生殖器を、女性の胎内に一度、うづめて生み変えてもらうわけです。男性は受動的でなければならず、女性のみ積極的に性行為をしなければいけません、なぜなら胎児だからです。ここで、男性は女性によって産みかえられるから「重生」といいます。(※16万の渡韓修でも文先生が「重生」のみ言葉を話されてます(ブログ主))

44 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:20
(母子協助)これが一番むずかしい理論です、これは起源を人類始祖に求めます。ある、男子をさして神が一方的にアダムと言ったわけです。当然彼の子供は彼のなるべく純粋なDNAを受け継ぐべきです。そこで、神は彼を眠らせてそのアバラぼねからエヴァを作ったと書いてあります。クローン人間で女性を作ったわけです。じつはこれは事実を隠した書き方で、実際はある環境で父のいなくなった、母子家庭がかれの環境、その母はある程度成長したアダムに男性を求め産んだのがエヴァというのが事実。そのため性的に母親の手助けが無ければアダムの立場はありえなかった。これを母子協助と言う。

45 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:21
文先生も第3アダムとしての路程はここにありました。摂理をはじめるに北に行ったのも、実は母を求めての路程でした。本来ならば、母としての立場を韓鶴子(真のお母様)に求めるべきでしょうが実際は重生を受けた男性はその体恤済みの女性を母として性行為をしなければいけません。しかも、男性が寝てる間に女性がその男性の性器を勃起させて行わなければいけません。これも女性が主体で行い、男性は受身でなければなりません。
その後、本当に生まれた文先生のお子(男子)は、またその産んだ女性が母子協助して性行為を行いその子供の子供として女の子を出産しなければいけない。この子供たちが結婚して初めて本然の姿に復帰できる。実際には兄妹婚は法的にもこの世的にも実現不可能なので3位基台をつくってその中でやりくりせざろう得ない。

46 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 19:25
これらを省略したかたちでおこなうのが3日行事と言います。祝福、合同結婚式、に出られた方はこの儀式を持って結婚生活に入ります。本来は上記の通り、文先生との集団結婚が本来の形であるということは肝に銘じて祝福を受けていただきたい。

48 名前: 髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日: 02/11/04 20:00
50代さん、詳しい説明たいへん参考になりますた。日本にも、セックス宗教・真言立川流がありますが、なかなかこういったジャンルは奥が深い。

49 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/04 20:11
統一教会のセックス儀式は旧約聖書の記載をもとにしてるのだが、これに対しては旧約聖書の記載をもとに反論できる。エデンの園にいた時代の統一教会が言うところの堕落してないアダムとエバは不老不死だったと旧約聖書には書かれている。また一切食べたり、飲んだりしなくても死なない体だったとも旧約聖書には書かれている。さらに動物と会話もできたと記載されている。付け加えれば、常に裸で生活できるほど、体温が高かった。こうした特徴は文鮮明にはまったく無い。ただのハゲたヨボヨボ老人だろう?エデンの園の時代の人間に復帰したと自称する文鮮明にとって、これは都合が悪いので文鮮明は「旧約聖書は古代に書かれたものなので、古代人の迷信が入ってる!不老不死の人間なんている訳がない」と主張する。だが不老不死の人間がいなければ、宇宙を7日で作った神なんてのもいる
訳がないだろう。ここに日本が統一教会の信者がもっとも多い理由がある。聖書など読んだことがない日本人には、エデンの園にいた時代のアダムとエバが不老不死だったという知識が無い。知識が無いから、ヨボヨボ老人の文鮮明とその妻を「先生達は苦行の末、エデンの園の時代のアダムとエバに復帰されたお方です」と言われたら信じるのだな。

50 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/04 20:19
>>48
チベット仏教やヒンズー教にはセックス修行の話しが山ほど出てくる。だがそれによれば、セックス修行をした坊主は超人的な能力をセックス修行で身に付けたとされるのだ。イエスキリストと同じで、空を飛んだり、死んだ人間を生き帰らせたりできたというのだ。つまり文鮮明が信者とやった、ただの乱交とは違う凄いセックスだった訳で、統一教会を正統化するものではまったく無い。アホな朝鮮人がセックス修行をしたら超人になれると思って、セックスしまくったが、ただ疲れて水子ができたというだけの話だ。

54 名前: ◆uOTEEsIWm. 投稿日: 02/11/04 21:54
50代さんへの質問
PART8では50代さんの書き込みで777のSEX摂理についての記述がありました。多くの婦人との超人的な回数のセックスを行ったとすると、文氏の子を宿した夫人もいたのではないかという疑問が湧いてきます。その様な事実があったとすると777の2世として育てられ、生活している者が
存在することもあってもおかしくないということを考えるのですが。

55 名前: 50代 投稿日: 02/11/04 22:09
>54  神川村1610双のあと本格化してきたので当時からすでにおばん化してた777婦人たちは生殖能力がかなり落ちていました、ちょっと顔をみても自分で文先生との愛情生活を公表しているK山婦人のお子達はだれが文先生のお子なのかちょっとわかりません? それの引き換えH婦人のお子はハハーンとおもわせるような? いずれにせよ、実際はかなり、近親相姦的な2世祝福になっていると思われます。実際2世の方が祝福を拒否しているものが大半だそうです。本能的直感がそうさせていると私は思います。2世たちの上に本当の神の祝福を---アーメン

~引用終わり~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【本ブログ主による簡単なまとめ】

上の引用文は、2ch からのものですが、
2ch だからと言って侮ることはできません。
筆者の「50代」さんは、よく内容を理解されていると思われます。
(教会側は否定することでしょうが)

No42~44の「体恤」「重生」「母子協助」について
再度お読みになることをお奨めします。


統一教会のいう血統転換

血統転換を行う為に、これまで実際に多くの信者が文氏と関係を持ってきました。

この行為は教義に則るものです。

堕落した女性はメシアである文先生と 性 行 為 をして、
神の6000年の心情と神からの具体的な愛と性を自らの肉体に体恤しなければなりません。

だから、初期の頃の先輩家庭の方々はそれを実際に行って…。
2世を産んでおられる訳です。
その2世の方々はメシアの実の子である可能性も高く、
その2世の方々同士で祝福が行われていくと…。
これは 異 母 きょうだい の 結婚 となり、
「近 親 相 姦」という虞が出てくる訳です。

さすがに後々の何千双、何万双という数になってくると、
全ての女性が実際にメシアと関係を持つのは不可能でしょうが、
過去を遡るとそういうケースもあった訳ですね。

それが社会的に許されるべき行為なのかどうなのかは、
信仰者にとっては問題ではありません。

教義に従っているのですから。


「血統転換の奥義」について、ちゃぬさんは(1)~(13)までの記事を上げておられます。
興味のある方はちゃぬさんのブログをご覧ください。
ちゃぬさんのブログの左下のテーマ「血統転換の奥義 」をクリックすると記事を読むことが出来ます。

ちゃぬさんのブログ
ちゃぬの韓国裏日記
http://ameblo.jp/chanu1/

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さて、 goutさん 「統一教会談義 の2つ目の記事を全面掲載致します。

これは、 「統一教談義」1 ~ステラ注目記事!【goutさんの記事全面掲載】の続きです。

 「統一教談義」1をご覧になった後で、ご覧頂くのをお奨めします。

↓↓↓(URLクリック!)
 「統一教談義」1 ~ステラ注目記事!【goutさんの記事全面掲載】
http://ameblo.jp/happystella/entry-11439970636.html

この「統一教談義」1・2の記事に対する私の感想は、
「統一教談義」2 の記事の最終部分に簡単に載せております。
                               by ステラ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつも私の隣に献金FAX

goutさん
の記事

再掲「統一教談義」(拡散希望)2

http://ameblo.jp/5200043/entry-11438688312.html



再掲「統一教談義」(拡散希望)2
2012-12-31 08:57:38

~以下、全面掲載始め~

それと同時に、日本の統一教会では、文鮮明氏の真意を巡って、いろいろな信者が文氏の言葉からさまざまな解釈を引き出しているのですが、本当に本人がそういう意図で発した言葉かどうか、誰も確認していないということに気がついたそうです。

そして、どうも日本人には、言葉を発した本人が深く考えずに言った言葉から、本来の意図にはない深い意味を汲み取ってしまっているのではないか、それが文鮮明氏の真意として信じられ、勝手に感心している可能性があるのだが、それは非常に危険ではないかというわけです。

このあたり、内田樹氏が『日本辺境論』で書いていた、辺境人の「学び」は効率がいい、という内容にもつながるなあと感心しました。

そして、B氏も統一原理や文鮮明氏の教えに魅力があることは認めます(私も条件付きで認めます…宗教を深く学んでないけれども、関心や多少の知識がある人にとっては極めて魅力的です)。少なくとも、一見すると首尾一貫しており、非常に納得できる内容が説かれているからです。

※まあ、私に言わせれば宗教的に無知だから(過去の自分自身も含めて)ということになるのですが、しかし既成のキリスト教などより納得できることは間違いありません。なぜなら、深く宗教を知らない現代人にとって、キリスト教で納得できない部分を合理的に(常識的に、とは限らない)説明しようとする意図から始まっているからです。

しかし、B氏は、それこそがインチキであることの根拠になりうるとします。

というのは、彼は教会を離れた後、仕事上などで何度も詐欺師に騙されたのですが、詐欺師に共通するのは、まったくインチキ臭さがない、とても詐欺師とは思えないことだというのです。それは当然で、詐欺師らしければ詐欺などできません。そして、話の内容も首尾一貫し、きちんとしている(ように見える)というわけです。

そのような体験を通して悟ったことは、世の中にはそういう人種、つまり最初から騙そうとしている人たちがいるという事実でした。そして、彼らは結果に責任をとろうとはまったく思っていないので、もっともらしいことをいくらでも言えるのだ、自分の思うとおりに物事をコントロールするためなら、どんなことでも平気で言えるのだということだったそうです。だから、コロッと騙されてしまう。

もし、最後まで責任をとるつもりがあれば、自ずから話せることは限られてしまいます。最初から責任を持とうとは思っていないので、どんなことでも言えるわけです。

それがわかった時、B氏は「同じだ!」と思ったといいます。
大勢の人たちが希望と理想に燃えて統一教会に入ってきたにもかかわらず、それらの人たちの大半は悲惨な状況にある。一部の良心が欠落したような人たちだけがうまい汁を吸っている。しかし、常にもっともらしいことを語り続けて人を引き寄せた文氏は、それに対してまったく責任をとろうとしていません。

とするなら、最初から文氏は責任をとるつもりなどなかったと考えると、すべてのつじつまが合うというわけです。




そして、文氏を擁護する人たちが言うように、組織は間違っているけれども文氏は正しいと仮定すると、統一教会の末端で起こっている悲劇について誰が責任を取るのか、ということが問題になると指摘します。

弟子たち(幹部たち)が悪いためにさまざまな問題が起きているのだとしても、文氏を別格の存在として責任がない立場に置くと、その下の誰も責任を取ろうとしませんから、自己破産だの自殺だのまで起きている事態に対して、末端にいる当人たちが責任を被るしかなくなります。

でも、それなら、人類でもっとも優れた資質を兼ね備えたはずの真の父・メシアが責任を取らないのに、もっとも末端の弱い人たちに責任が取らせるというのは酷だし、責任を取れるはずがないではないか、それでいいのか、というわけです。

そして、幹部たちがみんな金集めに狂奔し、その結果として末端信者が苦労しているわけですが、それは本当に幹部の独断だったのか、本当に文氏の指示はなかったのかということについては疑問が残るとします。文氏が指示が一切ないのに、すべての幹部が献金集めに走るということがありうるか、ということです。

さらに、文氏の指示ではないとした場合、末端信者の悲惨な状況に対し、真の父母・救世主であるはずの文氏が、組織の状態を知らなかったのだとすると、知らないという点で文氏は無能だということになりますし、組織の状態を知っていたけれども、それを改めなかったとすると、過ちを改めることができないという意味で、やはり無能だということになります。どちらに転んでも無能だというわけです。


B氏は、文氏と教えが正しいと擁護する人たちは、組織が悪い、誰が悪いということは言っても、末端信者の悲惨な状況に対して誰も責任を取っていないという現実に対しては誰も正面から向き合っていないと糾弾します。分派を含め、いろいろな人と話したけれども、誰もその一番見たくない現実は見ようとしない。



なぜなら、文氏と教えが正しいという前提を維持しようとしたとき、他のことについてはどんな屁理屈でもつけることができますが、その悲惨な現実に対してだけは答えの出しようがないからです。

もし、文氏が本物であるというのなら、自ら責任を取るべきであろう。また、文氏が正しいと主張するのであれば、そう主張する人が自ら文氏の身代わりとなって責任を取り、文氏を守ろうとするべきではないか。それを誰も責任を取らずに、末端の信者がバタバタと倒れているというのはおかしい。


文氏を擁護するのであれば、その問題に正面から向き合うべきであって、それをしないのであれば、どれほど立派なことを言っても現実逃避に過ぎないというのがB氏の主張です。

そして、その現実に正面から向き合えば、詐欺師が徹頭徹尾もっともらしいことを言い続けるように、文氏には最初から責任を取るつもりなどなく、出発点(すなわち動機)からすべてがインチキだったと解釈するのがもっとも合理的な結論だろうということになるわけです


これに対し、A氏はそれはその通りで、一切反論のしようがないと答えました。だからといって、ご自分の考え方が変わったわけではないようですが。まあ、ご本人がその答えを求めて模索している最中ですから、結論を押しつけられてもという感覚もあるのだろうと思われます。

ということで、私の考えは次回に…

前回までの内容で、A氏の、統一教会の問題は弟子たちが文氏の教えを実践せず、誤解・曲解によって教会内にサタン圏を作ってしまったことにあるという主張と、それに対するB氏の、教会特に末端信者の惨状に対し、文氏をはじめとして誰も責任をとろうとしていない実態を見れば、そもそも最初からインチキで、ちょうど詐欺師が責任をとるつもりがないからこそ平気でもっともらしいことを言うのと同じだと考えるのがもっとも合理的だという主張を紹介しました。

そこで、私としての見解ですが、基本的にB氏と同じですが、少々スタンスが違います。

まず、統一教会の悲惨な状況については、弟子たち(幹部)が文氏の教えを正しく理解せず、自分に都合よく誤解・曲解しているためだということについては、私も同意します。

例えば、統一教会で信者を服従させるための理論として批判されるアベル・カインの関係について、『原理講論』なり文氏の教えなりを見ると、実際の教会で押しつけられていること、あるいは実践されている内容とはまるで反対のことが説かれています。

統一教会の本来の教えで説かれるアベル・カインの関係は、カイン(部下)がアベル(上司)に絶対服従するというものではなく、カインがアベルに絶対服従するようになるまで、アベルがカインに尽くし愛するというものです。アベルがカインに対して徹底的に愛し尽くし、カインがそういうアベルの姿勢に感動した結果として、カインがアベルに絶対的に服従するようになる、というのが本来の趣旨です。

ところが、そのアベルがカインに愛し尽くすという肝心の過程が省かれ、カインはアベルに絶対的に服従しなければならないとしたのが根本的な間違いです。かくして、ある人曰く「ヤクザの論理」になってしまったのが統一教会の現状だというわけです。
実際、統一教会の人たちは、まったく統一教会の教えを理解していません。そもそも、どれほど関心を持っているかもわかりません。ただ、とにかく文氏を信じ、祝福を受け、何とか死ぬまでしがみついていれば天国に行けるはずだ、ぐらいの人がほとんどでしょう。

そういう意味では、文氏の教えを正しく実践していれば、今のようにはなっていないという考え方はまったく正しいと思います。

そこで、A氏などは、文氏の教えを正しく実践することが大切だと考え、そのためには教会組織の中にいては実践できないとします。それは、文氏の説教や指導の中に根拠があり、ある意味で教会を解体するような指示さえあるにもかかわらず(それが統一教会の名称変更に関わっている)、それを自分の権限や利権を守るために実行しなかった教会幹部を批判するわけです。

それに対して、私は、そう信じる人はそうすればいいと考えます。なぜなら、それらの内容についてはもっともだと思うし、社会にも迷惑を掛けず、本人の成長にも役立つであろうと考えるからです(その場では、そもそも二人を紹介したのは私だったものですから、あんまり場を騒がしてもいけないので、この部分は言っていません)。

と同時に、統一教会は、普通の人には実践不可能とも考えていますから、本気で取り組んでみれば、統一原理と文氏の間違いにも気づきやすくなるだろうという考えもあります。

教会組織を批判し、統一教会と距離を置きながら、それでも文氏とその教えを信じているという人たちの大半は、「教えは正しい。しかし、自分はそれを実践することの出来ない弱い人間だ」と規定することにより、つまり教えと実生活を分離することによって信仰を維持しています。

しかし、実践せずして教えが正しいかどうかを確認することができるでしょうか?

また、たとえ本当に教えが正しかったとしても、自分に実践できない教えであれば、それを信じることに意味があるでしょうか?

例えば、信者の半分が実践できて、残りの半分には実践できないというのであれば、自分が弱いから実践できないと言ってもいいでしょう。あるいは、信者の一割でも一分でも実践できているというのであれば、それでも努力すれば実践できる可能性があるといえるでしょう。

しかし、信者が誰一人として実践できない教えって、どうでしょうか。

文鮮明氏自身が実践しているかどうかはさておき(私は否定的ですが)、信者の誰一人として実践できていないことは間違いありません(これは全教会員が認めるところでしょう)。ということは、普通の人間には実践不可能な教えだと判断するのが妥当でしょう。

実際、この教えは実践不可能な教えなのです。その理由は最後に書きます。

さて、実践不可能だと私は断定するわけですが、しかし、実践できる人が出てこないとも限りませんし、統一教会においては文氏は実践していると主張しています。その点では、どちらに軍配を上げるかは、統一教会を信じるか信じないかという信仰の問題によらざるを得ません。

そこで、誰もが納得しうる判断基準として提示するのが、やはり「責任」という問題になるわけです(ここまでは、件の議論では話しておらず、実際には以下の内容のみ話しました)。

私は宗教において、必ずしも教祖や教義が正しくなければならないとは考えません。間違いがあったとしても、誠実に実践し、結果に責任を持つならば、自ずから修正されていくと考えるからです。

それで、統一教会の場合を考えると、誠実に実践できているかという問題は途上であるという言い訳が可能ですが、すでに生じている自己破産者や自殺者という結果に対する責任をどう考えるかということについては言い訳ができません。

これについて、文氏がそれを指示したか、していないか、そういう実態を知っているかいないかは別にして、最高責任者である以上、最終的に責任をとる立場であることは間違いありません。しかし、この問題について文氏はまったく責任をとっていません。

文氏が責任をとらなくても、また、文氏に責任がないと主張するのであれば、それに代わって責任をとる人が必要です。しかし、誰一人として責任をとろうとしません。

例えば文氏の子ども達が、自分たちの財産をすべて投げ出して、そういう悲惨な末端信者を助けようとしたならば、たとえ全員が助からなかったとしても、本物であると私は認めます。

また、文氏を救世主・真の父母と信じる人たちが、自己破産したり自殺したりしている現役信者・元信者の苦しみに責任を感じ、たとえ現実には何もできなくても、心に痛みを感じ、せめて一人でも二人でも助けたいという気持ちを持ち続けているならば、その人に対しては本物と認めます。
しかし、文氏の子ども達は、自分の生活を犠牲にして、その生活を成り立たせてきた、あるいは現に成り立たせている元信者・現信者に対して何かしようとはしていません。当然の如く君臨しているだけです。

あるいは、もし自己破産したり自殺したりしている信者の存在に心を痛め、何とかしたいと真摯に考えれば、それでも文鮮明氏を信じ続けることができるとは考えられません。そういう人たちは単に教会の悪い幹部たちの犠牲になったのだとして、他人事として感じているから、本当の意味での心の痛みを逃れることができているのだと思います。



文氏を信じるのであれば、文氏がとろうとしない責任をとるべきだ、むしろ、本当に信じているのであれば、文氏を庇うために自ら積極的に飛び込むはずじゃないだろうかと考えるわけです。

つまり、文氏もしくは後継者、もしくは信奉者が、現に起こっている悲劇の責任をとらない限り、本物とは認められないということです(本当は、世界の人類を救済したときに初めて本物といえるのですが、それはまず不可能でしょうから)。

もし、キッチリと悲劇の責任をとる、もしくはその責任に向き合うことができないのであれば、いくら文氏が正しいと言っても説得力がないでしょうという立場です。


まあ、本当は悲劇が起こった時点で…、というより世界が救われていない時点で…、というより文家自体が悲惨だという時点で説得力などまったくないのですが。


で、結論はどうなったかというと、出ませんでした。それぞれ筋金入りですからねえ。

最後に、なぜ統一教会の教えは実践不可能かという理由を書いておきましょう。

それは、統一教会の教えは、完全無欠な人間が存在しうることを前提としているからです。しかし、この世に完全無欠な人間など存在しません。統一教会では、それは堕落の結果だと説くわけですが、堕落など無関係に、この世に完全無欠な存在など存在し得ないのです。

日本人は、現世に完全無欠なものが存在しないことを前提として完全を目指します。未完成であること(完全ではないこと)は当たり前の状態であって、向上しようとしているかどうかが問題とされます。そして、どんな高い目標でもクリアしようとするわけです。

そんな日本人に、完全無欠な人間であることを求める教えなどを与えたら、どういうことになるでしょうか。


統一教会というのは、理念と現実が乖離していても、現実を否定して理念の世界に生きることができる韓国人のための宗教であって、日本人向けの宗教ではありません(だから、韓国の統一教会と日本の統一教会はまったく違うといわれます)。


つまり、韓国の宗教である統一教会は、もともと教え通りの実践など想定していませんから、古参幹部(直弟子たち)が文氏の教え通りの実践などするはずがないことは当然のことですし、それを問題視してもしかたがありません。

そんな無茶な教えでありながら、日本人の優秀性のために、それなりに実現できてしまったというのが日本統一教会の悲劇であるといえるでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「莫令傷心神」のサイトから転載さしていただきました。有難うございます。

http://www.ko-kon.net/kokoro/

(現在はもうこの文章は保管されていないようです)

「責任」という視点から見ると、三男派も本流も「国連ゴッコ」を看板にして
自画自賛と自己満足で世界を救っている気分になりたいだけの偽善者である。
 
 本流にしても、三男派を含め分派も「誰々が悪い」(郭氏や奸臣、幹部及び信者)
という責任転嫁の応酬であり、文教祖を含め文家の「最終責任」について
は全く触れないのである。ヽ(`Д´)ノ


 文教祖亡き後、「目安箱」に書かれているような
酷い事情は益々増えるだろう。
しかし、統一教会は現実逃避から抜け出さず、
観念の世界で「勝利」を叫んでいるのみである。
そして、誰も責任を取らない。
 
 ご愁傷様としか言いようがない。


~以下、掲載終わり~


~~~~~~~~~~~~~~~~


以上1・2の記事をお読みになって、皆様方は如何お感じになりましたか?

内部から見ても、外部から見ても、
過去から現在に至るまで統一教会で起こっている出来事は
アイロニカルとしか言いようがないですね。

goutさんが仰るように、
統一教会の現状は「ご愁傷様」としか言いようがありません。

この言葉を覆すために、もし真理がそこにあるのならば、
熱烈な信者の方々は立ち上がるべきではないでしょうか?

            by ステラ

~~~~~~~~~~~~~~~~

この記事をお読みになって…、


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明けましておめでとうございます。
昨年同様 本年もよろしくお願い致します。

さて、新年早々ではございますが、
ご紹介したい記事が目についたのでアップすることに致しました。

ご紹介したいのは
goutさん 「統一教会談義」 の記事です。

導入部分の goutさん の意見に共感したので是非多くの方にご覧頂きたいと思いました。

特に冷静な目、広い目を持って、「統一教会」を見る一助になると思われます。

熱烈な信者の方も、「反対派が言うことなど知る必要はない」ということで片付けては勿体無いと思われます。

こういう見方もあるのだということを知るのもよいのではないでしょうか?

そして、ご自分の教団についてじっくりと考えることも必要ではないでしょうか?

長いので2回に分けて記事をアップ致します。

「統一教会 批判・告発」 の記事の中に埋もらせてしまっては勿体無い記事です。

 goutさん
の記事を ここに全面掲載させて頂きます。

                             by ステラ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつも私の隣に献金FAX

goutさん
の記事

再掲「統一教談義」 (拡散希望)1
http://ameblo.jp/5200043/entry-11438658200.html


~以下、全面掲載始め~

再掲「統一教談義」 (拡散希望)1


 一年以上前に転載させてもらった「統一教談義」を再掲する。
「統一ブログ村」で行われている論戦も突き詰めてみれば、この「統一教談義」
にでてくる「責任論」が不在であり、なんら新鮮味がないからだ。
 
 結局のところ、「私たちは神側で正義である。お前たちが悪いから悔い改めろ」の応酬
であり数千年続いた宗教戦争、宗派対立を踏襲しているに過ぎない。
 
 本来、再臨主とはこのような不毛な対立を止揚するために現れるべきではないか?
 文教祖を再臨主として信じているがゆえに統一信者内で対立を起こしている
矛盾性にきづかないのだろうか?

 結局のところ、無責任な自称再臨主は火種を残して逝ってしまった。
現世での「救い」は放棄したようだ、死後の「救い」を担保にするだけ
なら文教祖の意義は何もなかったことになる。

 私は多くの人にこの「統一教談義」を読んで欲しい。
従って、「統一村」でも拡散してくれるように望む。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


昨日、私を含めた元統一教会員及び休眠中の教会員3人で、統一教会のについて議論をする場がありました。本来の目的は別件で、仕事の話をするために私が二人を紹介したのですが、当初から統一教会の話で盛り上がり、結局、気づいたときには約5時間も熱い議論を闘わせていたのでした。

その議論の中で、私自身も以前から漠然と考えていたことが明確になり、統一教会もしくは文鮮明氏についてどう向き合うかという点について、誰も拒絶できない、しかし、特に統一教会なり文鮮明氏なりを擁護する立場の人が意識的・無意識的に目をそらしている問題が整理されましたので、 今回はそれについて書いてみたいと思います。

昨日の参加者は、年齢順に次の通り。


A氏……統一教会に対する立場は、現実の教会組織は間違っているが、教えと文鮮明氏は正しい(だろう)というもの。組織が間違ったのは、弟子(幹部)が文氏の教えを誤解・曲解したためとする。教会に依存するのではなく、自分自身が文鮮明氏の御言の中から教えの真意を探り出し、実践して、その実態になっていかなければならないと考える。文氏が本当に正しいかという点を突っ込むと、文氏が本当に自分が言っている内容を完成しているかどうかはわからない、むしろ完成していないかもしれない、ただ、それに向かって実践していると信じるという立場。

B氏……統一教会に対する立場は、教会組織は間違っており、それは教えと文鮮明氏が間違っているからであるとする。教会内部の矛盾について悩み、いろいろな先輩や先生に聞いたが、誰も納得できる答えをする人がいなかった。ある時、ふと気がついて、もしかして根本がインチキであればと考えると、すべてがつじつまがあった。未だにそれを論破できる人に会ったことがない。組織が間違っているのは、確かに幹部に責任があるが、それをそうさせたのは文氏である。文氏と教えがインチキだと考えるのが、もっとも合理的だとする。

私………統一教会に対する立場は、教会組織は間違っており、文鮮明氏と教えも間違っているとする。ただし、組織の間違いは、必ずしも文氏と教えの間違いに由来するだけではなく、幹部の誤解・曲解に基づくところが大きい。とはいえ、文氏と教えに問題があるので、そもそも誤解・曲解がなかったとしても、行き詰まるであろうことは間違いない。だから、妥協なく文氏の教えを実践すれば、自ずから限界が来て、問題が明白に自覚するだろうから、無理に間違いを指摘するよりも、正しく実践する手助けをしたほうがよいと考える。

いわゆる文鮮明氏に関わるスキャンダルといわれるもの(文氏の出生に関する問題とか、日本留学時の問題、私生児の問題など)については、私とB氏は積極的に認め、A氏も大筋では存在を認めました。特に出生の問題(本当の父親は誰か)については、ほぼ見解が一致しました。

むしろA氏は、教会幹部が、自分たちはその事実を知っていながら、公式的にはそれを否定し、信者は無知な状態に置いておけばいいとしている現状については極めて批判的でした。それは、幹部が信者をコントロールするための都合しか考えていないというわけです。

ただし、そういうスキャンダルといわれるものは統一教会の根本的な問題ではなく、それを根拠に否定するというのは間違っているという点でも一致しました。

では、何についてそれほど熱い議論になったのかというと、「責任」という問題です。

統一教会は80年代から、信者に借り入れをさせて献金させるということを始めました。A氏によれば、80年代の終わりの時点で、その残高が約3000億円あったというのです。その後、残高が減るような返済はしていないということを考えると、たぶん、現在では十数兆円に膨らんでいるのではないかという恐ろしい話です。当然、教会員では自己破産が相次ぎ、中には自殺者も出ています。

幸せになるために入ってきたにも関わらず、不幸の極限に追い込まれているわけです。

この問題について、A氏が文鮮明氏の言葉を調べたところ、「借金をしてまで献金をしようとする心情はすばらしい」というようなことは言っているが、「借金をしてでも献金をせよ」というようなことを言ったという証拠はないそうです。

つまり、「借金をしてでも献金をせよ」というのは、当時(今も復活したそうですが)経済の責任者であったF氏が勝手に捏造した言葉であって、むしろ80年代に、F氏が借金をさせて献金を集めていたことについて文氏から叱責されたが、それをF氏が黙殺した事実もある、というのです。

A氏の見解によれば、文氏が人と金を集めよと言うのは、自分の教えを実践して、周囲の人々に対する愛を実践し、自分自身がそれらの人からメシアのごとき存在として認められるようになれば、自ずから人も金も集まるようになるから、それによって献金をせよと言っているのだというわけです。

※これは、確かに文鮮明氏の教えにはそういう内容があります。で、私もそれが本来のあり方だと思いますし、統一教会で実践をするなら是非そうしてもらいたいと思うわけです。ただし、統一教会の教えでは行き詰まりが来るだろうとも確信しているわけですが。

ですから、現在の統一教会の惨状は、弟子たちが文氏の教えを正しく理解して実践しなかったため、統一教会的に言えば、教会自体がサタン圏になってしまっているところに問題がある。教会の中にいてはそのことに気がつかないので、外に出た人間がコツコツと実践していくしかないと主張するわけです。

これに対して、B氏が猛烈に反論したのが「責任」という問題でした。そして、それを突きつめれば、文氏は最初から責任を取るつもりなどなく、詐欺を働いていたと考えるのがもっとも合理的だ、つまり文氏の動機に問題があるはずだとするわけです。

一方、私の主張は、B氏と同じくもっとも重要視するのは「責任」の問題ですが、むしろ動機に問題を置くより、どう責任を取ろうとしているかに注目すべきだという考えです。つまり、責任の取り方によって本物か偽物かが決まるのであって、その意味では最終的結論は出ていないとするべきだという立場です。

これらの論の詳細は次回にまわします。
前回は、A氏が、統一教会の問題は、文鮮明氏の弟子たち(つまり統一教会の幹部たち)が、文鮮明氏の教えを理解せず、自分に都合よく誤解・曲解することによって、教会をサタン圏にしてしまったことにあるという主張をしたところまで書きました。

つまり、A氏の主張では、文氏及びその教えは正しいが、幹部がそれを理解していないために、組織はまったく間違ったものになった。教会員が教会に失望するのはしかたがないが、それが文氏や教えの間違いにつながるとはいえないという立場です。

それに対して、B氏が猛然と「責任」という観点から反論し、私もやや違う立場から、同じく「責任」の問題を論じました。

まず、B氏は自分がもともと統一教会や文鮮明氏に懐疑的だったわけではなく、人並み以上に理想に燃え、『原理講論』も42回読み、御言も読んで、言われることを実践し、納得ができないことは教えを請うために人を求めていったという歩みがあったことを最初に断りました(確かにそれは私も知っており、初めて出会った頃は信じたい心と信じられない心が葛藤している最中でしたが、それでもかなり熱心で真摯な信仰を持っていました…それだけに葛藤も大きかったのでしょうが。その後、統一教会はインチキであるというスタンスが明確になっていきました)。

わからないことがわかるようになると、そこからさらに大きな疑問が生じてきます。それが解決すると、またさらに大きな疑問が起きます。しかし、教会内部で質問すると、「それは考えてはいけない」という回答が返ってくるというわけです。教会の幹部たちは、自分も信者も思考停止状態に置くことによって、組織を維持しようとしていたからです。

※私は、そればかりではなく、単に幹部たちにもわからず、答えようがなかったという要素も大きいと思います。そもそも、統一教会の教えは俗諦レベルにとどまるものですから、その範疇を超える問題には答えようがありません。ただし、俗諦レベルにとどまるからこそ、一見わかりやすく、もっともなもののように見えるわけです。


しかし、B氏はそれでも追求を続け、教えの整合性を維持しようとしているうちに、ふと、もしすべてがインチキであったと仮定したら…ということを思いついたのだそうです。そして、恐る恐る「すべてがインチキである」という前提で考えると、見事にすべてのつじつまが合ったというのです。

続く

~以下、掲載終わり~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これをお読みになり、皆様方は如何お感じになりましたか?
次に2つ目の記事が続きます。
お楽しみに♪

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(以下の文章は、私個人の回想記です。興味のない方はどうぞスルーしてください)

前に書いた記事の続きです。
(この記事は第6話です)

回は初めて相対者と電話で衝突した時のことを書きました。

その時の私の問い掛け…

アベルが言ったから、連絡を止めたの?

アベルが言ったから、電話を止めたのはわかるけど、じゃあ、何でそのことを私に連絡しなかったの?

電話すると伝えておきながら電話しなかったら、教会に反対している私の両親がどう思うかという想像力があなたにはなかったの?

電話しないことを早期に連絡してくれれば、こちらでも早めに対処できたでしょ?

氏族復帰について一体どう思ってるの?

私の実家の復帰についてはどうでもいいっていうの?

に対し、彼は何も答えませんでした。

何も答えず、ただ

「まぁ、落ち着いて」

などと暢気そうに言いました。

私はその言葉を聞いて、ブチ切れそうになりました。

もう話にならないと思って電話を切りました。


しばらくして、そんなことなど何事もなかったように

手紙が私の手元に届きました。

手紙には

 「ステラさんは、僕を産みかえる為に生まれてきたのだから、
 僕をしっかり育てなければならない。
 神様、ご父母様に対して信仰を立てなければならない。
 桜田淳子さんは、芸能界を捨てて、こちらの道へ来た。
 桜田さんのように信仰を立てなさい。
 そして、僕を支え、愛しなさい。
 僕の氏族の復帰もエバである貴女が先頭に立ってやるものだ。
 すべては貴女にかかっている」

という内容が書かれていました。

確かに復帰の過程では、
女性が大きな役割を果たすと言われていました。

でも、手紙の中に書かれていたことは…。

もっともらしいことを言っているのだけれど、

彼に都合のよいように理屈をつけているだけのように思えました。

「貴方(彼)の責任分担は、じゃあ何?」
「一体貴方は何をするのよ?」
と思いました。

前回の電話での言葉

「アベルに言われたから私(ステラ)との約束は守らなかった」

というのも自分本位の言い訳に過ぎません。

 前途多難。
 これをまずどうやって信仰で越えるのか。
 もうお先真っ暗。
 気が遠くなりそうでした。
 倒れそうになりました。
 何も考えたくなくなりました


私はもう手紙の返事は放っておきました。


すると、1週間ほど経って、アベルから

  「○○さんから電話があってね。
 『ステラさんから手紙の返事が来ないのだけど、
 どうしちゃったんでしょう』
 って問い合わせがあったのだけど返事書かないの?」

と聞かれました。

私は黙ってしまいました。

何と答えていいか少し考えた後に

 「やっぱり…。
 私、自信がありません。
 こちらから何か言っても、暖簾に腕押し、ぬかに釘。
 何だか話が伝わらない人みたいで…。
 信仰が試されているみたいです」

と答えました。


手紙の内容は、アベルに伝えませんでした。

ただ、先日電話で相対者と話した内容だけ伝えました。


いろいろと考えた末

 「ああ。これが相対基準。
 私の写し鏡が彼なのだ」

という思いが湧いてきて、
それまでの自分自身の歩みがこの態度だったのだと知ると、
れが涙が出るほど情けなく、
未来に対する希望など微塵も感じませんでした。


私がずっと返事を書かない間に

度々相対者から私のアベルに電話があったようです。


そして、そうこうしているうちに、

一度彼が私に会いに来るということになりました。

それは、彼と私のアベルの話し合いで決められたことでした。


◇◇◇ 続く ◇◇◇


次は初めて相対者と会った時の話です。
これは韓国行きの1・2か月前のことです。


関連記事

第1話 「ステラさん、相対者が決まりましたよ」
http://ameblo.jp/happystella/entry-11241030656.html 

第2話 相対者の写真を見た両親の反応は…
http://ameblo.jp/happystella/entry-11244419050.html

第3話 この人と結婚します!~1992年 3万双の1家庭です~
http://ameblo.jp/happystella/theme-10053535291.html

第4話 
手紙が来たよ~相対者を知らされて数日経った頃のお話~
http://ameblo.jp/happystella/entry-11294954984.html

第5話 最初の衝突~アベルのせい? そんなこと理由になる? 何考えてるの?~
http://ameblo.jp/happystella/entry-11295390971.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後までお読み頂き、感謝申し上げます。



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ユーチューブでミクちゃんの“Wuthering Heights”(「嵐が丘」)を発見しました。

ボカロユーザーの方が作成したものです。

早速、聴いてみました。

最初 「ん~~~~。イマイチ?」
と思いました。
 「原曲のイメージ損なってる?
 何だか 歌下手?と思うのは私だけ?

最初の部分から訛ってるような……。

そして、キャシーがヒースクリフに呼びかけている部分
Heathcliff, it's me, Cathy,…」の
Heathcliff」 がやけに間延びした感じで
(キャシーの必死さが伝わってこないなぁと感じて)
「ちょっと残念だなぁ」と思いました。

ふと、アップロード日に目をやると、
「2008/11/19」となっていました。
今から4年ほど前に作成されたものです。

ボカロには全く疎いので、
私がこれから書く事は間違っているかもしれなのですが、
このミクちゃんの「嵐が丘」は、
まだ初音ミクの英語版が出る前のもののようなので、
日本語版で作ったと思われます。

だとすると、とっても大変な作業だったことでしょう。

そう思いながら2度目に聴いたら
「これもアリかな?」
と感じるようになりました。

作成者様のご苦労を思うと、
苦労しながら「嵐が丘」を日本語版のミクちゃんに英語で歌わせたことを思うと、
このミクちゃんの「嵐が丘」
 「これはこれで味があるし、
 特に最後の部分で工夫も見られるし、
 いいなぁ」
と思えるようになりました。

私には、作成者様のケイト「嵐が丘」への愛が感じられました。

作成者様、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。

ミクちゃんの「嵐が丘」はこちら
↓↓↓
Miku sing Kate Bush - Wuthering Heights ケイト・ブッシュ 「嵐ヶ丘」初音ミク




関連記事(ケイトの「嵐が丘」はこちらの記事から視聴できます)
↓↓↓ (URLクリック♪)
Wuthering Heights「嵐が丘」~原作者E・ブロンテ と 歌姫ケイト・ブッシュ
http://ameblo.jp/happystella/entry-11436393430.html




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