いろは -3ページ目

前稿では稲盛和夫氏(以下、稲盛氏)が松風工業を退職するとき、多くの仲間が一緒についてきたこと、次に、京セラを設立するにあたり多額の出資金を得ることができたことを見ていきました。そこで問題点も二つでてきました。それらについてここでは触れませんが、史実に基づいてもう少し深く見てゆこうと思います。

 

まずは前稿と同じように『ニッポンの社長』というサイトから京セラの社史を見てみましょう。

 

https://www.nippon-shacho.com/interview/in_kyocera/

 

ここの1ページ目の最後の方に京セラへの出資者の奥様が「男が男に惚れる」といったと記述されております。言葉としては出資者の奥様の言葉でありますが、この表現を強調するように記述されているところをみると、実際に出資者は稲盛氏に相当な思いを寄せたのでありましょう。ここが経営者としての第一番目の運命の分かれ道であったのですが、これも以前から私はよく主張していることですが、この段階で出資を断られる経営者と出資を承諾してもらえる経営者がいるわけでありまして、ここが企業経営においては非常に重要となる部分であります。

 

企業経営はきれいごとだけでは成り立ちません。経営資源はヒト・モノ・カネ・情報といわれておりますが、その中でもとりわけ「カネ」にかんして経営者は非常に苦労するのであります。素晴らしい製品を開発したからといって量産できる施設を手にすることができなければ意味がなく、また、量産できたからといってマーケットにて認知されるまでのあいだ、どのようにして従業員に給与を支払うのかなど、企業には常にカネに対する悩みが付きまといます。京セラも例外ではなく、稲盛氏が松風工業を退職し、同時に人員も確保できたところまではよかったのですが、カネの面で非常に大きな苦労があったことを知ることができます。この苦労が実るか実らないのか、これは神のみぞ知ることでしょうか?

 

その後、京セラは稲盛氏の技術をマーケットに送り込むために最大限の努力がなされました。しかしながら、目標があまりにも一点集中的であったため、従業員の全てに受け入れてもらうことはできず、組織的な問題が発生しました。ここで稲盛氏は相当に難易度の高い団体交渉に挑むことになり、それは見事に成功へと導かれました。、その詳細については下記リンクより参照してください。

 

https://www.kyocera.co.jp/inamori/profile/episode/episode02.html

 

この時点で企業理念が生れたわけでありまして、それを引用しますと、

 

「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」

 

ここで鋭い方はこれと似た経営理念を思いつく人がいらっしゃるかと思います。パナソニックの経営理念であります。下記リンクより参照してください。

 

https://www.panasonic.com/jp/corporate/management/code-of-conduct/chapter-1.html

 

ここで私が主張したいのは、両者ともに世のため人のための経営理念であることであり、その結果として創業者の思いが叶うという、個と集団という対立する概念を見事に結び付けていることであります。よって、松下幸之助が経営の神様であれば、稲盛氏も経営の神様と呼ばれることが相当であると私は思っております。

 

ここから話を事業の内容に変えまして、京セラはやはりセラミック製品のメーカーでありますので、土を扱うことも特徴の一つであります。よって、創業間もないころから土を採取するところから事業を行っておりました。また、セラミックの研究も同時に行いつつのことでありましたから土の採取から製品として完成するまでの工程をアウトソーシングするわけにもいかず、川上から川下まで全て社内で行っているのが戦略的な特徴であります。これをアンソフの戦略論から論じれば、垂直統合戦略となり、アンソフの議論からすると、非常に成熟化した企業が行う戦略を創業間もない零細企業が既に行っていたという事実が経営学者の興味を引き付けます。

 

さて、人の心を重要視することによる経営は、やはり非常に大きなものであるのでしょうか、零細企業でありながらアンソフの研究をいきなり大きく超えた状態にて世に出たわけであります。そして京セラはこの後も大きな成長と発展を遂げ、1兆円企業へと階段をあがることになります。

 

次回をお楽しみ。ご高覧、ありがとうございました。

企業の事例研究を通じ、経営者の意思決定の問題を心理学と共に見てゆこうとする企画であります。その研究対象として京セラ株式会社(以下、京セラ)を取り上げております。京セラといえばやはり創業者の稲盛和夫氏、その稲盛和夫氏あってのアメーバ経営という流れになるかと思います。先行する研究は非常に多いので二次資料としてそれらの研究成果を是非とも参照していただきたいです。そうするといろんな考えが出てくるかと思うのですが、心理学者として興味深いのは、組織を分けながらも一体化していく仕組みとその思想であります。経営学的には「見える化」などと翻訳されておりますが、要するに従業員の全員が企業の運営に参加する体制を評価する研究が主たるものであり、その考え方を科学的にするためにナレッジマネジメントの考え方を導入して問題を解いてゆく方向で結論を下しているものが主流となっております。これらの経営学的研究も大変すばらしいのですが、心理学的な考えを導入すればもっと近道なのに!!と思ったのが私の問題意識であります。

 

まず、稲盛和夫氏は鹿児島の大学を卒業後、京都の松風工業へ就職します。しかしながら、そこでの環境面や待遇面に問題ありと感じ、上司と大きく衝突することになります。京セラの社史にはそのことが詳しく書かれておりまして、ストライキまで起こして職場の対応改善についてを訴えた過去があるようです。原因は一つであることは考えにくいのですが、いろいろな要因がある中で原発となったのは、組織があまりにも専門化していることであったと心理学者的には思うのであります。その事例は下記リンクより参照してください。

 

サイト名:日本の社長

https://www.nippon-shacho.com/interview/in_kyocera/

 

つまり、専門化が進むと適当に駒を動かせば何とかなるという考え方であります。松風工業にて稲盛和夫氏は研究職であったのですが、研究職なる職務があるとなると、営業にまで手は出ないわけでありまして、その意味で、相当に組織が細分化されている状況であると断定できます。そうなると、組織における「癌」を発見し、切除すれば事足りるという考え方になり、切除まではいかなくても「移動」という名の治療を施すことが簡単となるのが組織の細分化のメリットであります。しかしながら、人間には心がありまして、「悪いところは切りましょう」とはいかないのも現実でありまして、その典型事例が上記サイトから知ることができる内乱であります。

 

しかしそれにしても現代の企業では考えられないような組織的な内乱でありますが、稲盛和夫氏はそれを実行し、しかも実現に向けて様々なことが内乱によって実現したことに驚くばかりであります。やはりこれも時代でありましょうか・・・

 

近年の表現で表すと、非常に「ブラック」であった企業を退職する決意をした稲盛和夫氏でありましたが、その時点で誰かが止めるのではなく、稲盛和夫氏の後を追うように仲間が集まり新しい企業を設立する流れへと変化していきます。ここが重要な出来事でありまして、上司が優秀な従業員を引き留めるのではなく、自分たちも一緒に稲盛和夫氏とともに松風工業を去る決断をしたということです。なぜそれほどまでに稲盛和夫氏は人を引き付けることができたのでありましょうか?これが第一の問題点であります。

 

この後すぐに京セラを創業することになるのですが、その際、自宅を担保にして銀行からお金を借り、さらにそれを京セラへの出資金として使用する出資者が現れております。これが第二の問題点であります。お金がなければ企業として成り立たなのですが、ない状況で独立を決め、さらに仲間までいるわけです。お金も仕事もないのに従業員はいる状況でありまして、これは常識的にはとんでもない状況でありますが、稲盛和夫氏はこれを見事に切り抜けます。さて、稲盛和夫氏はなぜ出資者を納得させることができたのでしょうか?これが第二の問題であります。

 

今回はこれにて筆を置きます。次回をお楽しみに。ご高覧、ありがとうございました。

前稿においては経営学と心理学との関係を述べました。どちらの学問もそれぞれのいい分があり、それぞれに間違いではないことにお気づきいただけたかと思います。ただし、お互いの学問は何か足りない部分があり、それぞれが相互に補完しあえる立場となると最強の学問が成立するのでないかと思うのが私の主張であります。本稿は経営学が軸でありますからそこに心理学をもって足りない部分を補完することにより実践に強い経営学を目指そうとするものであります。

 

このように書くとすぐに学際的研究と認定する学者が多いのですが、本稿は経営学の足りない部分を心理学で補うことが目的であり、経営学を心理学にて解くわけではないので学際的研究には該当しないと考えております。それは違う!!とする学者も多いかと思いますが、学際的研究とは上述の定義となると私は認識しておりますので、その認識にて論じてゆきます。

 

本日より経営学的な企業の事例研究を始めるのですが、事例にする企業の選定がまた難しいのです。皆様が知りたい成功物語と学者的観点から興味のある企業の成功物語とは基本的には異なる場合が多く、一般の皆様方のニーズに合わせるのか、それとも学会基準とするのかで実のところ非常に迷っております。しかしながら、本稿はやはり論文であり、あくまでも学術的なプロセスと結論を求めることが目標ですから、学会基準の企業選定とします。

 

では学会基準とは何かと申しますと、参考資料が多い企業のことを意味します。つまり、先行する研究が多い企業であります。その意味では二番煎じである感は否めないのですが、ニッチを突いてイノベーターとなるのもイノベーターとしての使命の一つであり、経営戦略論を専門とする日本の学者の大きな特徴でありますので、今回はこの方法で論じてく予定であります。

 

では、先行する企業の参考資料が多い企業とはどこかですが、それはやはりパナソニックでしょう。パナソニックの場合はパナソニックという組織体に対する研究も多いのですが、これとは別に松下幸之助の研究もたくさんあり、こうなってくるとパナソニックの研究を行うのがベストでしょう!となるのですが、それではあまり面白みがないので、ある程度の先行研究がありながら、パナソニックよりも若い企業の事例研究を行ってみようと思います。こうなってくると松下幸之助の精神を引き継ぎ、それを企業として現在でも実践している京セラではなかろうかと思い、京セラを事例として話を進めようと思います。

 

京セラを知らない人はほとんどいないかと思うのですがいかがでしょうか?経営学会においては「アメーバ経営」にて有名な企業であります。当然のごとくこのアメーバ経営にも触れていきますが、本稿ではアメーバ経営が生れた経緯、創業者の稲盛和夫氏がなぜアメーバ経営にて組織運営を行おうとしたのかについて深層心理学な考察を加えていくことが大きな目的となります。それゆえ、アメーバ経営そのものについては専門書が多く出版されておりますので、それらの書物を参照していただき、事前に知識を得ていただきたいです。

 

さて、京セラですがまずは同社のホームページより企業概要を見るところから始めましょう。

 

京セラの企業概要

https://www.kyocera.co.jp/company/summary/company_profile.html

 

京セラの企業沿革

https://www.kyocera.co.jp/company/summary/history/until1979.html

 

上記の第一次資料からは、やはり輝かしい功績を持つ企業であることをうかがえることができます。一代でこれほどの企業の基礎を作り上げた稲盛和夫氏はどのような思想を持ちアメーバ経営を思いつき、それを成功へと導いたのかについて、皆様方は不思議に思われませんか?思想は誰でも持つことはできます。しかし、その思想が人々に受け入れられるかについては別の問題であり、逆にこれほどまでの企業にまで成長と発展をさせた稲盛氏の思想の在り方は心理学的にも素晴らしいものであるといわざるを得ません。

 

稲盛氏は鹿児島県にて生まれ育ち、鹿児島大学を卒業後に京都の松風工業へと就職したことが京セラの設立へと結びつきました。このように書きますと松風工業から暖簾分けされた企業であるかのように思われますが、実のところ松風工業との対立により退社し、その後独立したことにより生まれたのが京セラであります。そのあたりの史実は下記リンクよりご覧ください。

 

稲盛和夫氏の歴史

https://www.kyocera.co.jp/inamori/profile/history/history01.html

 

今回は導入部分を記述することで筆を置きます。次回は松風工業を退職し、京セラを設立した直後の歴史的背景を述べていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。

前稿においては成功企業ないし成功者は実のところ「真ん中」ではないだろうかなる仮説を導き出すに至りました。このような議論はどこでどのような基準を設けて生のデータを収集するかによって事情が異なってくるものと考えられます。例えば、成功企業(何をもって成功企業とするかについて定義しないといけないが、ここでは一般的に成功していると思われる企業の全てを対象とする)という基準でデータを集めると、失敗事例が出てこないために成功企業内での話となります。このため、統計的な分類は不可能となり現実離れした夢物語のように捉えられても仕方ありません。

 

例えば、学生の定期試験において100点をとった人ばかりを集めて平均をとると、平均値は100となり、100点が普通の状態となってしまいます。こうなると平均的な100点をとる平均的な学生集団と判断せざるをえず、仕方なく100点をとる人を類型化しだすような事態になってしまうのが残念なところであります。アンソフによる経営戦略の類型化はまさにこのような方法で行われたものであり、「優秀な人しばり」においての話であるのでこれから成功しようと頑張る人にとってはどのようにこの理論を活用してよいのかがわからなくなってしまうのではなかろうかと思うのであります。

 

私が経営学における事例研究においてこれまで残念だと感じていたことはこの点でありまして、成功企業が競合他社との戦いに挑んでゆくプロセスを深く追及することがない点があげられます。クリステンセンによるイノベーションのジレンマ論はこの点に一石を投じたとはいえ、データの収集方法は限定的であり、やはり経済学的なアプローチを色濃く残すものであることは否めないのであります。これは決してクリステンセンや彼より前や後の偉大な学者たちを批判するものではなく、経営理論として学会を席巻する理論は経済学的なアプローチによるものであることは否めず、心理学も専門とする私にとっては経営学会のいうこともよく理解できるのでありますが、そのような一方的な見方でよいのでしょうか?と感じるのも事実であります。

 

ここまで書くと私を知る人はまたひねくれた意見をいっていると思われるでしょうけど、やはり、一方的なのはあまりよくないのではないでしょうか?と心理学者の立場としては思ってしまうのが人情というものです。世の中には白か黒かのどちらかしかないのでは面白くないでしょう。白と黒があるから白黒がはっきりするわけで、白しかなければ万物が「合格」となり、ましてや世の中にホワイトの企業しか存在しなくなるとホワイトな企業はどのようにして成功してゆけばよいのかわからなくなるのではないでしょうか?と私は思っております。

 

私が心理学の専門とするユング心理学において、個性化という理論があります。もう少し一般的になじみのある言葉でいい換えると自己実現となるでしょうか。この自己実現にかんして、ユング心理学においては独特な解釈がありまして、マズローの意味するところの自己実現とはまた違った意味となります。ここが心理学の面白いところなのですが、心理学ではユングの意味する自己実現もあればマズローの意味するところの自己実現があります。両方が違った意見のまま「正しい理論」としてそれぞれの道を歩んでいることであります。一方で経営学ではあらかじめ、例えば成功企業であるメーカーのA社とB社を一つの「成功企業群」としてまとめ、成功のパターンを見つけ出そうとするものであります。

 

これのどちらが正しいのかと問われると非常に答えにくく、どちらも正しいとしか言いようがないのであります。経営学会を軸に立つと心理学的な自己実現論が非常に足りないことになり、心理学会的な見解からすると統計学的な見解が弱いのではなかろうか?となります。しかしながら、本稿においては経営学を軸に心理学を差し込んでいくことが目的であるので経営学でいうところの成功企業を例にし、心理学的アプローチを試みていく予定であります。次回は実際の企業の事例と学説を交えながら経営学における成功企業とは何かを吟味してゆこうと思います。

 

ご高覧、ありがとうございました。

経営学なるものは企業経営にかんする過去の歴史から成功への方法を学んでいこうとする学問でありますが、しかし、経営学の教科書に書いてある通りにことを進めてもなかなか物事が動かないことが多々あります。これ以外にもそもそも書いてあることの意味がよくわからないなどがあります。これらの理由をツイッターの反応のように箇条書きをしてみるのも面白いかな?と思う反面、一応、本稿は論文であるためそのような書き方はやめようと思うのですが、いずれにせよこれが経営学における諸問題の一つであります。やはり一番の問題は成功へのプロセスに投資家等の、第三者の介入にかんすることが全く無視されていることがその根本ではないでしょうか。

 

経営学の教科書には果敢にマーケットに攻め込む企業家(起業家)の成功物語を書くものであります。しかしながら、そこにはドロドロの人間模様とカネの話は一切出てくることがありません。実際の企業経営にはこのドロドロの人間模様とカネの話が企業を大きくさせるのでありますが、この点についての話が一切出てこないところに一代で財を築いた企業経営者は疑問を覚え、経営学を批判するようになります。ここが難しいところで、かといって経営学的な視点が全くモノをいわないかというと、そうでもなく、ここに経験と机の上での知識の両方を混ぜ合わせた考えが必要となるのではなかろうかと思うのであります。

 

これは私の知るある地方の企業経営者ですが、この経営者はある大きな自社ビルを建設し、そこに自身の企業の本社を置きながらテナント収入も得るように工夫されています。その企業の経営者に会うときはいつも三名の男性がついています。大きな自社ビルを持っているとはいえ、三名もの秘書を常に同行させるほどの規模の企業ではないので不思議に思い尋ねてみると、その三名の男性は融資を受けている銀行員から派遣されていることがわかりました。ここまで書くとお分かりだと思いますが、つまり、そこそこ無理な融資を銀行が行っているので、その融資が焦げ付かないように常に銀行員がその経営者について回り、企業経営に対するアドバイスを行ったり、会う人への警戒を直接指導しているのです。

 

さて、融資を受けることができずに倒産する企業もあれば、大きなリスクがあるにもかかわらず融資を実行してもらい、さらに銀行から人員を三名も派遣してもらい常に企業経営に対する助言を得ることができる企業経営者が実際に存在します。大きく伸びる可能性の企業は後者であるでしょうが、ではなぜこの企業が伸びるのかについては経営学では知ることができないのが現実であります。ここでは二人の経営者のタイプを紹介しておりますが、では、後者の経営者はなぜ融資を受けることができたのかについてを研究しなければならず、ここに経営学の限界を感じる実業界の人々は多いのではいでしょうか。

 

成功する企業経営者は非常に少ないのが現状であります。例えば、事業を企てることにより全ての人がビルゲイツになってしまえば逆にとんでもない世の中となるのではないでしょうか。経済的にはインフレが起き、物価の急上昇が起き、紙幣は紙きれとなり日本は沈没・・・難しいですね、世の中をよくすることは。

 

結局のところ「真ん中」が最適であり成功している状態であるのではなかろうか?と思われるのでありますが、それは決して中間のことではないような気がします。統計学でいうところの「中央値」に相当する考え方が重要であり、トータルバランスでものごとを動かしていくことが重要ではなかろうかと私は思っております。この中央値の考え方によく似た概念に中国哲学において「中庸」なるものがあります。この中庸を「中間」と理解する人がいますが、それは誤りであり、軸がずれていても均衡されていること意味します。つまり、正規分布の右端にいる、数値の上では世間から飛びぬけているように表現されている人や企業は実のところ真ん中の人であり、ここに中庸の概念を導入する意味が出てくるのではなかろうかと私は思っております。

 

経営学に中庸の概念を導入するまでに、まずは成功企業の事例を経営学に判断し、そこへ心理学的な考察を加えたうえで、中庸の概念をもって本シリーズを締めようと考えております。

 

ご高覧、ありがとうございました。