祝・令和 !!
4月末に阿倍一族の歴史を探求する旅の一環として、その土地のお祭りに参加をしたいとの思いから、信州上田の真田まつりに参加をしてきました。
◆ 善行寺
お祭り前日は、午前8時に長野市の善光寺に参拝をしました。
本殿の下を歩く「お戒檀巡り」は、暗黒の中を歩いて行くお参り。
声はすれども前後に歩く人の姿は全く見えず、霊界の中をまるでさ迷っている感じになります。
私は事前に下調べもしないで入ってしまったので、進んでいいやら、どうしていいやら分からず不安になりながらも何とか出口まで至る事ができました。
好きな人と一緒に「お戒檀巡り」されると、きっと思いが成就することでしょう。
何だかちょっぴりセンチになったりして・・・。
後で、ネットで調べてみると、な、なんと、出口の前に「極楽の錠前」があり、その錠前に触れることで来世の極楽浄土が約束されるとのこと。
「極楽の錠前」に触れていないので、「令和」になって再び善光寺に行きたいと思います。
本殿内にあった「おみくじ」を引くとと「大吉」でした。
そして順番に並んでいた御執印を受ける窓口は、「1番」でした。
考えてみると、おみくじの下一桁の数字は「1」番、ホテルに泊まったそれぞれ違う日の部屋番号の下一桁も「1」番でした。
これも御加護なのかな?
あー、ありがたやー
◆ 駒形嶽駒弓(こまがたけこまゆみ)神社(御執印はなし)
善光寺を後にして、車のナビで周辺を検索すると気になる神社名が表示されたので、参拝に向かいました。
その神社は、善行寺から山に向かって車で3分程の距離にある駒形嶽駒弓神社です。
駐車場に車を止めて参道を歩くと、どこからかキジの鳴く声が聞こえてきました。
宮城県の私の母方の阿部のご先祖のお墓参りの際も、キジが姿を現したことを思い出しました。
そして、安部貞任公の母親の住んでいたとされるお寺へ伺った時も、キジの姿を見たものです。
参道の階段を上りきると、そこに拝殿がパワーを放ち鎮座していました。
境内には善光寺の人混みとは異なり、誰もいません。
しかし、拝殿の前には大きな石があり、その存在感に圧倒されます。
建物から受ける不思議な感覚は、まだ参拝に行っていないのですが島根県安来市岩舟町の白山神社奥社と福島県田村市船引町の安倍文珠堂と同じ造りの社殿の様に思えるのです。
福井県の白山神社は、安倍貞任公の妹の息子である奥州平泉の藤原清衡が白山神社の平泉寺の縁の寺として、同じ「平泉」と名を用いたのでしょう。
そして駒形嶽駒弓神社の社殿前の大岩は、「さざれ石」のように私には見えました。
社の神紋は「卍紋」です。
この神社は、善行寺が7世紀後半に創建されたよりも古くからその地にあり、産土神(うぶすながみ)として、この一帯の地の守り神であったとのことです。
神社名からして、武人の神でもあるように思えます。
そして、善行寺を参拝される多くの人が知らないようであるが、(勿論!私も・・・。)この神社は善光寺の「奥院」とのことで「如来さん」とも言われていたそうです。
「如来さん」とは、大日如来を指しているのかも。
御祭神は健御名方観富命彦神別神(たけみなかたとみのみことひこがみわけのかみ)です。
由緒によれば、本殿には4頭の神馬がお祀りされていて、中央の黒駒の鞍に「卍」が記されていて、聖徳太子がお乗りになっているとのことです。
私は行く先々の神社で「阿倍一族のことを教えてください」とお祈りしています。
ここもまた導かれる様に行くことができて、本当に有難く思いました。
ここの神社から戸隠神社へ続く道になっていますが、何故か次の日の信州上田・真田まつりが気になり、上田市方面に車を進めてしまいました。
◆ 八幡神社(御執印はなし)
ここの神社境内には、「川中島の合戦」での武田信玄公と上杉謙信公の姿像があります。
「川中島の合戦」では、武田方が武田方、上杉方の双方の戦死者をも関係なく手厚く葬られたことに感謝して、武田信玄公が塩に困っていると聞くや直ちに「我、信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と贈り、乱世においても恩に報いた正々堂々たる武士道精神の美談が残されています。
神紋は「三つ巴紋」です。
上杉謙信公は毘沙門天を崇拝しており、山形県を拠点にしている武将です。
山形県は出羽三山があり、特に湯殿山は私の母方の阿部家の本家の所有そる山にある熊野神社の境内にも石碑があることから、関係性が強いと考えられます。
また、阿倍氏関係する鹿島神宮からなる春日大社由来の春日城を拠点としていたことにも興味が及びます。
因みに安倍貞任公も毘沙門天と言われていました。
◆ 皆神神社
ネットで見ると阿倍一族には全く縁がないパワースポットと考え今回は行くのを見送る予定でしたが、八幡神社から以外に近い距離にあることが分かり車を向けていました。
皆神神社の鎮座する皆神山は、「世界最古のピラミッド」といわれているそうですが、私はそう思えませんでした。
ただ感じたことは、皆神山の山頂は「陽」の気に包まれているようです。
鳥居の前の松の木と桜の木は、男女を表している様で、お二人で温かく迎えて頂いている様に思えて大変嬉しく思いました。
本殿で参拝の時、柏手の後に拝礼をすると、そのタイミングで本殿裏から歌声が聞こえてきました。
何事と思い裏手に回ると、神主と関係者達の祝詞?の神事だったのです。
何だか素敵なタイミングで参拝できたことに有難く思いました。
社の神紋は「菊紋」でした。
私には、皆神山はピラミッドというよりも、人々から慕われ大切に思われた人物(神)の大きな墳墓であるように思えてなりません。
この場所に導かれたのにも何か意味があるのかも知れません。
◆ 古大穴神社
森将軍塚古墳に車で向かう途中、通りすがり気になった神社です。
長野県の道を走ると、あちらこちらに神社仏閣を目にしますが、何故かこの神社は見過ごすことが出来ないと感じて車を止めました。
車を止めて鳥居に向かうと、なんと今は少なくなった木造の鳥居です。
素晴らしい!
神社の名前は古大穴神社です。
本殿の裏手は小高い山となっており、恐らく丘全体が古墳であるのでしょう。
よくよく見ると斜面に石垣が見え、古墳の一部のように思えます。
本殿とされるところは、もしかすると拝殿であるのかもしれません。
その前には諏訪大社と同じように御柱が立ってお祀りされています。
社の神紋は「梶の葉」で、御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)でした。
社殿の横にお社があるので確認すると、天照皇太神宮を中心に秋葉神社、宗方神社、津島神社、八幡宮、天満宮、大山祇神社でした。
地元の人しか知らないであろう神社ですが、古代からある重要な神社に思えます。
◆ 森将軍塚古墳
ここは、ネットで見て是非行ってみたいと思った古墳の一つでした。
畿内にある古墳と異なり、山の上部にある古墳になります。
埋葬物は、調査以前に盗掘にあって全容は不明とのことですが、残されていた装飾品などからもその技術力や創作能力の高さをうかがい知ることが出来ます。
古墳からの眺望は最高です!
古墳の下にある公園は古代の住居なども再現されていて、日本の原風景から心の安らぎを覚えます。
古墳の近くを流れる川は、車のナビから「伊勢宮川」であることを知りました。
この古墳に埋葬されていた人物はいったい誰だったのでしょうか?
◆ ピラミッド
長野市から上田市に向かう途中、ピラミッド型の山がありました。
皆神山がピラミッドと言われていますが、こちらの山の方が正にピラミッドに見えるのですが・・・。
◆ 安楽寺
次に向かったのは国宝の八角三重之塔が在る安楽寺です。
由緒によると、安楽寺は鎌倉時代には鎌倉北条氏の外護によって禅寺として栄え、学僧を育てたとあるお寺とのこと。
北条氏の系譜は平家であることから、「安」が示すように安倍氏との繋がりがもしかするとあるのかもしれません。
寺紋は「三つ鱗」
八角三重之塔の周囲には墓石に囲まれるように建っています。
私の感では、お寺を維持するために檀家の力が必要であったのかもしれません。
だから時代的に新しいお墓が多くみられるのだと思います。
違ったらごめんなさい。
ただ、八角三重之塔からは霊気を感じることが出来ました。
御執印からご本尊は釈迦如来ということが分かりました。
◆ 北向観音
安楽寺と同じ別所温泉街にあり、温泉街はGWでもあって賑やかでした。
寺紋は真言宗を意味する「輪宝紋」と「菊紋」です。
紋幕は「笹竜胆紋」で、岩手県の鬼剣舞などの胴衣にその紋が見られます。
(笹竜胆紋の紋幕)
因みに安倍(阿倍)氏に縁のある茨城県の鹿島神宮本殿も北を向いて鎮座しています。
北向きには、星信仰も考えられますが、東北の地に居た大神を崇拝して向いているとも考えられます。
ここの北向観音は、関西方面から団体で来られた信者の皆様が般若心経を唱えるなど活気が感じられました。
◆ 信州上田・真田まつり
せっかく長野に来たのだから、休日を満喫しちゃおうと思い、真田まつりに参加をしてしまいました。
役柄は槍足軽と雑兵です。
いざ、合戦になると先陣を切って命を落としていった歩兵部隊。
こうした兵士達の忠誠があってこそ、大将として地位が保たれることを権力者は忘れてはいけません。
真田まつりの武者行列が上田城から出陣です!
沿道の両脇には太鼓囃子が鳴り響き、鼓動が高鳴りました。
何度か武者行列に参加をして覚えたことは、沿道のお客さんと一緒に楽しむこと!
私は幼い子を見つけると、手を振り返してくれるまでバイバイと手を振って笑顔を作ってまわりました。
でも、やっぱり重鎮役でないと気分がのらないなぁ・・・。
今回、初めて行った上田城は、堀の深さに驚かされました。
因みに森鴎外の小説「阿部一族」では、阿部家は槍の名手であったと描かれています。
次回は重鎮役で!
◆ 鹿教湯文珠堂
真田まつりを終えて衣装を着替えたら、文珠堂へ向かいました。
今回も1人で行動しているので、寂しいけれど身動きがしやすいのが利点です。
この文珠堂の由来は、文珠菩薩の化身とされる鹿が猟師に温泉のありかを教えたことによるとされています。
更に調べていくと聖武天皇と行基が関係していました。
私が考えていた通り、奈良県桜井市阿部に在る卍山・阿倍文珠院は、長野県のこの地に文珠堂を建立して、次に福島県田村市船引町の安倍文珠堂を築き、宮城県の地に赴いたのだと考えるのです。
福島県にみられる地名の「船引」は、天子が乗る舟形の輿のことと考えられます。
そして奈良や鹿島、厳島など阿部(安倍)に縁のあるところは鹿が神の使いとして大事にされていることも関連していると思います。
更にここの文珠堂の境内裏に墓石があるのを発見して墓石を見ると、私の母方の阿部家の墓の家紋と同じ右が上の「鷹の羽紋」でした。
更によくよく見ると、その周りには「菊紋」が刻まれているのです。
東北の阿部一族に関連する吾妻鏡などの様々な資料が失われていることは、意図的に隠されているとしか考えらないのです。
その理由が、こうして残されたものから「何故」を読み取れることが出来るのです。
文珠堂を参拝すると天井に龍が立体的に描かれていました。
まるで生きているようです。
神紋は「桐紋」と「菊紋」です。
そして本殿屋根を見ると、鬼瓦部には鬼ではなく龍の顔が掲げられていました。
九頭竜との関りも考えられます。
更に境内にある薬師堂には、仁王像が安置されています。
この文珠堂に来られたよかった!
◆ 金峯山法住寺・虚空蔵堂
文珠堂から上田市に向かう道中に気になりよってしまったお寺です。
勿論、GWにも関わらず参拝客は誰もいません。
寺の由来を読むと、檀家を置かないお寺とのことです。
先に紹介をした奈良県桜井市の阿倍文珠院も檀家のいない寺院です。
お寺の前の石仏と「法住寺」というお名前から、中国から渡来した法を説く重要人物が住んでいたと考えられます。
屋根を見ると、鬼瓦の鬼からも力強いパワーを感じました。
私にはこの虚空蔵堂は、弘法大師空海に関連する寺院のように思えます。
本殿からは物凄い霊気を感じられる場所でました。
◆ 安(阿)曽神社(御執印なし)
なんと長野県にも安曽(阿蘇)神社がありました。
九州熊本にある阿蘇神社の神紋は「鷹の羽」です。
しかし、ここの神社の神紋は「梶の葉紋」と「菊紋」でした。
境内は広く山門も立派なのに、社務所もなくて御執印はいただけません。
何故か「阿部」(安倍)氏に縁のある所は、朽ちてその系譜を忘れさせようと何らかの力が関わっているように思えてなりません。
境内は広く、様々な神様のお社が点在しています。
その杉の木立の中にあるお社を参拝して回ると、きれいに落ち葉が掃かれているのです。
地元の人たちに大事にされている場所だろうなと思いながら木立の中を歩んでみると、穴に青い旗が立っていることに気づきました。
なんと、きれいに掃かれていた所をよくよく見ると、ゲートボールのコースでした・・・。
境内を歩いて来た道を戻り山門を見ると、珍しく神馬が二頭祀られているではありませんか!
この神社もまた由緒ある重要な古い神社であると思われます。
そして、阿倍氏と蘇我氏の関りは一般常識と異なり、物部氏よりも蘇我氏との関りの方が強かったのではないかと思えてならないのです。
蘇我氏の「蘇」は、「曽」という字もあてられる他に、「宗」とも表されることがあるのです。
突然現れたとされる曾我氏ですが、もしかすると曾我氏は隠岐の島に関わる宗方氏に関連があるかもしれません。
◆ 戸隠神社
私の祖の阿倍氏の足跡を辿る平成時代の最終日、私は今まで信仰心も何もなかったのに、大日堂で大日如来を拝んだその時から様々なことが降りてくるかの如く導かれ、先祖のことに興味を抱くようになって今に至ります。
平成時代の最後の日は、戸隠神社へ参拝することにしました。
特に信仰心はないのですが、下着は全て新品を用意して、朝シャンで身を清めた後に新しい下着を身に着けて出かけました。
戸隠神社(奥社)へ向かう道中は小雨が降っていましたが、参道を歩く頃には傘をたたんでも大丈夫な程になりました。
参道の杉並木もネットで事前に確認していたので特に驚くことはありませんでしたが、感じたことは参道の脇を流れる沢の水音や鳥の囀り、心の奥からとても癒されます。
奥社へ近づくにつれ、雪の積る量が増して歩行が容易ではなくなっていきました。
ご年配に方は、足元が安定しないので怪我をしないか心配になりました。
そして戸隠神社(奥社)には、午前8時40分に到着。
奥社と九頭竜社を参拝した後、社務所で御執印を頂こうとすると、午前9時から受付開始とのこと。
私の前には既に20人以上の行列ができていました。
待つ時間は、周囲の雪の影響で気温も低くなり、汗をかいた体には少し応えます。
そんな思いで並んで待っていると、どこからかキジの鳴く声が聞こえてきました。
その鳴き声は次第に大きくなるのですが、どこにいるのか姿は見えません。
また、寒い場所にも関わらず、明るく可愛い鳥の鳴き声もしてきました。
まるで温かく迎えられているようで、嬉しく思いました。
戸隠神社の神紋は「卍紋」と「菊紋」です。
このブログ記事を綴っていて気付いたのは、奈良県桜井市阿部にある阿倍文珠院は、山号を卍山とのこと。
今回参拝した善行寺、善行寺奥社、戸隠神社などは卍紋であり、卍山の山号を持つ阿倍(安倍)一族がこれらの古社に関連することから、日本の起源に関りがあると思えてなりません。
御執印の頂いた後は、参道入口に在ったお蕎麦屋さんで信州そばを頂きました。
御蕎麦を頂きながら、「阿倍(安倍)一族は古代から大君を御守りしてきた一族なのかも・・・。」と思い、平成の時代を振り返りました。
そして「令和」の年。
新しい天皇と共に平和で希望のある明るい未来をつなげていきましょう。
我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。
平成天皇